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怪獣の腹の中で①

あらすじ


恋愛に縁のなかった私——白石澪は、二十歳の誕生日の夜、偶然出会った年上の男性・相沢と関係を持ったことをきっかけに、初めて「誰かをちゃんと好きになる」経験をする。やがて付き合うことになり、連絡に一喜一憂し、予定を相沢に合わせ、彼の「忙しい」を言い訳に自分を後回しにしていくうちに、私の日常は少しずつ相沢中心へと塗り替えられていく。 しかし誕生日の約束をドタキャンされ、「埋め合わせ」という一言で片づけられた夜を境に、私の中に違和感の種が芽生える。友人の言葉や自己啓発ノートを通して、「恋人を最優先にするほど自分がいなくなる」という現実に気づいた私は、小さな「NO」を言う練習を始め、自分の予定を先に決め、イラストサークルに入り、「相沢の彼女」ではない自分の時間を少しずつ取り戻していく。 やがて私は、カフェで相沢に「一度距離を置きたい」と伝え、最終的には「彼氏彼女」としての関係に終止符を打つ。相沢もまた、自分が「忙しい」に甘えて私に頼っていたことを認め、二人は未練ではなく感謝と学びを残して穏やかに別れる。初めての恋を「人生の一章」として胸にしまい込んだ私は、自分の足でキャンパスを歩き出し、未来の自分へ宛てた手紙を書きながら、「誰かの物語の脇役ではなく、自分の物語の主役として生きていく」と静かに決意する。




第三章 好きになった瞬間から、弱点になる


 家の最寄り駅に着いたときには、日付が変わる少し前になっていた。電車の窓に映る自分の顔は、見慣れているはずなのに、どこか他人のように感じる。

 ポケットからスマホを取り出し、LINEの画面を開いた。

 〈無事に着きました。今日は本当にありがとうございました〉

 送信ボタンを押す指が、少しだけ震えた。

 ピコン、と音が鳴る。

 〈よかった。二十歳の誕生日、少しでも良い思い出になってたら嬉しいです〉

 それだけの短いメッセージなのに、胸がいっぱいになった。

 ――こんなことで舞い上がるなんて、単純すぎる。

 自分で自分に突っ込みを入れながらも、頬がゆるむのを止められない。

 布団に潜り込んでからも、何度かトーク画面を開いては閉じた。画面を伏せて、目を閉じる。まぶたの裏で、相沢の笑顔が何度も再生される。

 ――好き、なのかな。

 その言葉を出した瞬間、何かが決定事項になってしまいそうで、怖くて飲み込む。ただ一つだけ確かなのは、この夜から先、自分のスマホの画面を見るたびに、「相沢」という名前を探してしまう自分が、もうできあがってしまったこと。

 好きになった瞬間から、弱点になる。その感覚を、私はまだ言葉にできないまま、初めての恋の余韻の中で眠りに落ちた。

 その日からしばらくの間、私の一日は「相沢の名前」で始まり、「相沢の名前」で終わるようになった。

 朝、目覚ましより少し早く目が覚める。枕元のスマホに手を伸ばして、真っ先にLINEの通知を確認する。ポケットの中の小さな振動一つで、世界の色が変わる。

 〈今日、会えてよかったです〉

 〈また、必ず誘いますね〉

 プリンの店、展覧会、映画。気づけば、週に一度は会うようになっていた。

 「付き合おう」というはっきりした言葉は、まだない。でも、私の中では、もう答えは出ていた。

 ある日、友達にそれとなく聞かれた。

 「最近なんか、楽しそうじゃない?」

 「そうかな」

 「なんかさ、スマホ見てるときの顔が、前と違う。もしかして、彼氏?」

 「……彼氏、なのかな」

 口に出してみて、初めてその響きの重さを知る。

 ある夜、駅へ向かう信号待ちの前で、相沢が言った。

 「俺、自分では、これは"付き合ってる"つもりなんですけど。白石さんは、どうかなと思って」

 「……私も、そのつもりでいました」

 「よかった。じゃあ改めて。俺と、ちゃんと付き合ってください」

 「はい」

 その瞬間、世界が少しだけ、色を変えた気がした。彼氏。彼女。今まで他人事のように聞いていた単語が、自分たちに貼り付く。

 ――やっと、私もこっち側に来られたんだ。

 長い間、ショーウィンドウの外から眺めていた「恋愛している人たち」の世界に、自分も足を踏み入れたような気がした。その実感は、しばらくの間、私をふわふわと浮かせてくれた。

 ただ、それと同じくらい、別の変化も生まれていた。

 相沢の既読がつくまでの時間が、異様に気になるようになったのだ。

 これまでは「仕事中なんだろう」と思って流せていた数時間が、今は胸の中でじわじわと不安に変わる。返信がない理由を、頭の中で勝手に埋めてしまう。仕事で疲れて寝てしまったのかもしれない。友達と飲みに行っているのかもしれない。

 そして、最悪の可能性も。

 ――私に飽きたのかもしれない。

 恋バナをしていた友達たちが言っていたことが、今になって初めて、少しだけ分かる。

 「彼氏の既読の速度で寿命削られるわけよ」

 あのとき笑って聞いていたセリフを、今は笑えない。

 講義中、机の上に伏せたスマホが震えるたびに、心臓も一緒に震える。画面をのぞき込んで、「バイト先のグループLINE」だったときの落差に、自分でも呆れる。

 ――面倒くさい女になってる。

 そう自嘲しながらも、止められない。

 恋をする前の自分には、もう戻れない。それは幸福の証明のようでもあり、同時に、ゆっくり閉じていく檻の音のようでもあった。


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