私が海外アーティストの公演に行けなくなった理由(1980年、ポール・マッカートニー来日中止事件の記憶)
先だって、@ジャネットさんがマイケル・ジャクソンの映画を題材に、34年前の日本公演に二度行った思い出を書いていました。
読んでいて、素直にうらやましいと思いました。
マイケル・ジャクソンの日本公演。
あの時代に、実際にその場にいたというだけで、もう十分に歴史の証人です。
しかも二度。
こちらは一度も行けていないのに、二度。
思わず心の中で、
「一回くらい分けてくれてもよかったのに」
と思いました。
もちろん、無理な話です。
それに、記事そのものはとても感動的でした。
単なるライブ体験の記録ではなく、その時代の空気や、音楽に向かう気持ちまで伝わってくる内容でした。
マイケル・ジャクソンの記事は意外と多い中で、個人の記憶として書かれているものは、やはり強いです。
その人が本当にそこにいた。
その人の中で、今もその音が鳴っている。
そういう文章には、情報だけでは出せない力があります。
そこで、ふと思いました。
では、自分には海外アーティストの公演の思い出があるのか。
……ない。
正確に言うと、行きたかった思い出はあります。
ものすごくあります。
でも、実際に行った思い出は、ない。
なぜか。
それには、ひとつの事件が関係しています。
1980年。
ポール・マッカートニーが、ビートルズ解散後に結成したウイングスで日本公演を行う予定でした。
当時、私は20歳になったばかり。
今思えば、若い。
そして、若いというのは恐ろしいものです。
何を思ったのか、私はそのウイングス日本公演のチケットを購入しました。
しかも2枚。
行く相手もいないのに、2枚。
ここがまず、すでに謎です。
今なら冷静に突っ込みます。
「誰と行くつもりだったんだ」
当時の自分に聞いてみたい。
おそらく、何も考えていなかったのでしょう。
若さとは、希望と勢いと、少しの見切り発車でできています。
たぶん、チケットを2枚持っていれば、何とかなると思っていたのです。
何とかなるどころか、何ともなりませんでした。
それでも、私は本当に楽しみにしていました。
それまで、ハワイ公演の映像録画などを見て、
「いつか生で見たい」
「今か今か」
と待っていたのです。
ビートルズはもう存在しない。
でも、ポールが来る。
ウイングスが来る。
あのポール・マッカートニーが、日本で見られる。
これはもう、事件です。
ところが、本当に事件になってしまいました。
成田空港に到着したポール・マッカートニーが、大麻所持で現行犯逮捕。
日本公演は、当然中止。
私の心も、同時に中止。
チケットを持って、楽しみに待っていた20歳の自分は、まさかアーティスト本人が空港で止まるとは思っていません。
飛行機は着いた。
本人も着いた。
しかし、そこから先に進まない。
まさかの、成田で終了。
ライブ会場ではなく、成田空港がクライマックスになるとは誰が想像したでしょうか。
あの日以来、私の中で何かが決まりました。
「もう海外アーティストのコンサートには行かない」
若い私は、そう思ったのです。
今考えると、少し大げさです。
ポールが逮捕されたからといって、すべての海外アーティストが成田で何かをやらかすわけではありません。
でも、20歳の自分にとっては、それくらいショックだったのです。
しかも、実はその前にも伏線がありました。
1975年にも、ポールの来日公演は予定されていました。
しかし、その時はビザが下りずに中止。
つまり、ポールの日本公演は、私にとって
「今度こそ」
だったわけです。
1975年はビザで中止。
1980年は成田で逮捕。
ここまで来ると、もうこちらも考えます。
「ポール、日本に来る気ある?」
もちろん、ポール本人にはいろいろ事情があったのでしょう。
でも、当時のファンからすれば、かなりきつい展開です。
しかも私は、払い戻しをしませんでした。
普通なら払い戻しをするでしょう。
でも、しなかった。
なぜなら、それはもう単なるチケットではなかったからです。
行けなかった公演の証明書。
20歳の自分がポールを待っていた証拠。
中止になった夢の残骸。
そういうものになってしまったのです。
だから、払い戻さずにずっと持っていました。
考えてみれば、かなり物持ちの良い話です。
いや、物持ちが良いというより、未練が強い。
「使えなかったチケットを大事に持っている男」
字面だけ見ると、少し面倒くさい人です。
でも、それくらい特別だったのです。
そのチケットは、長い間残っていました。
ところが、さらに事件が起きます。
私が30代後半の頃、家を建て替えることになりました。
その関係で、昔、父が使っていた事務所兼工場に、いろいろなものを保管していました。
その中に、あのウイングスのチケットもありました。
ところが、その事務所兼工場が放火に遭い、焼失してしまったのです。
チケットも、そこで失われました。
これには、さすがに言葉がありませんでした。
ポール本人は成田で止まり、
チケットは払い戻さずに残し、
最後は火事で消える。
私のウイングス日本公演は、どこまでドラマチックなのでしょうか。
コンサートには行っていないのに、エピソードだけは妙に濃い。
普通、ライブの思い出というのは、
「一曲目が何だった」
「アンコールで泣いた」
「会場の一体感がすごかった」
というものだと思います。
私の場合は違います。
「本人が逮捕された」
「チケットを払い戻さなかった」
「保管していたら焼けた」
まったく音が鳴っていません。
鳴っているのは、心の中の非常ベルだけです。
その後、ポール・マッカートニーは何度か日本でコンサートを行っています。
もちろん、そのニュースを見るたびに、心は少し動きました。
「今度こそ行くか」
そう思ったこともあります。
でも、その時々の事情があり、結局、生のポールを見ることはできていません。
仕事。
お金。
日程。
体調。
家庭の事情。
そして、心のどこかに残っている1980年の記憶。
どれか一つというより、いろいろなものが重なって、今に至っています。
もちろん、実際には日本人アーティストのコンサートには何度か行っています。
だから、完全にコンサートに行かなくなったわけではありません。
ただ、海外アーティストとなると、どこかで一歩引いてしまう。
チケットを取っても、
「本当に来るのか?」
「空港は大丈夫か?」
「今度は何が起きるのか?」
と、余計な心配をしてしまう。
普通の人は、セットリストを気にするのでしょう。
私はまず、入国審査を気にしてしまう。
これはもう、1980年の後遺症です。
今年も、ポールの日本公演があるのではないかという噂を見かけます。
ただ、今のところ正式発表ではないようです。
こういう噂を見ると、心の中の20歳の自分が、少しだけ起き上がります。
「今度こそ?」
でも、同時にもう一人の自分が言います。
「落ち着け。まず正式発表を待て」
1980年からずいぶん経ちました。
ポールも年を重ねました。
私も年を重ねました。
あの頃、20歳になったばかりだった自分は、今ではすっかり人生後半です。
行けなかったコンサートのチケットも、もう手元にはありません。
でも、不思議なことに、その記憶は今も残っています。
むしろ、チケットが焼けてしまったことで、かえって物語になってしまったのかもしれません。
形としては残らなかった。
でも、話としては残った。
ポールの歌を聴くたびに、どこかであの1980年のことを思い出します。
成田空港。
中止になった公演。
2枚買ったチケット。
行く相手もいないのに2枚。
払い戻さなかった自分。
そして、最後には火事で消えたチケット。
こうして並べてみると、もはやライブに行けなかった話というより、ひとつの人生の小噺です。
笑うしかありません。
でも、その笑いの奥には、やはり少しだけ切なさもあります。
見られなかったからこそ、残っている思いがあります。
行けなかったからこそ、消えない憧れがあります。
もし、あの時ウイングスの日本公演が実現していたら、私は今ごろ、普通に
「若い頃にポールを見たんだよ」
と語っていたかもしれません。
でも、実際には見ていない。
見ていないからこそ、こんなに長く語れてしまう。
それもまた、音楽との付き合い方のひとつなのかもしれません。
@ジャネットさんのマイケル・ジャクソンの思い出を読んで、私はうらやましくなりました。
でも同時に、自分にも自分なりの音楽の思い出があるのだと気づきました。
それは華やかなライブ体験ではありません。
拍手も歓声もありません。
ステージの照明もありません。
ただ、行けなかったチケットと、消えてしまったチケットと、それでも今も聴き続けているポールの音楽があるだけです。
でも、それはそれで、かなり自分らしい気もします。
もし今年、本当にポールの日本公演が発表されたらどうするか。
行くのか。
行かないのか。
チケットを取るのか。
また2枚買ってしまうのか。
そこはまだわかりません。
ただ、ひとつだけ言えます。
もし買うなら、今度はちゃんと行く相手を決めてからにしたいと思います。
