思い出すだけで、少し笑える場面がある
思い出すだけで、
少し笑える場面がある。
その時は、
ただの勘違いだった。
誰かを笑わせようとしたわけでもない。
面白い話にしようとしたわけでもない。
むしろ、
自分ではかなり普通に思っていた。
それが、
あとから間違いだったと気づいた時、
自分で自分に笑ってしまうことがある。
たとえば、
歌の中に出てくる言葉を、
ずっと人の名前だと思っていた時。
「たちばな香」って、
どこかに出てくる人の名前だと思っていた。
きっと、
たちばなさんという人がいるのだろうと、
何の疑いもなく思っていた。
ところが、
あとから文字を見てみたら、
まったく違った。
人名ではなかった。
歌詞だった。
その瞬間、
少し固まる。
「え、そういう意味だったの?」
そして次に、
自分で自分に笑ってしまう。
ずっと勝手に、
知らない人物を一人登場させていたのかと思うと、
なんだかおかしい。
それ以来、
その曲を聴くたびに、
その勘違いを思い出してしまう。
最初のうちは、
「ああ、また思い出した」
くらいだったのに、
だんだんその思い込みごと、
曲の一部みたいになってくる。
こういうことは、
日常の中に案外ある。
言葉の聞き間違い。
勝手な思い込み。
意味を勘違いしたまま、
何年も普通に受け取っていたこと。
誰かに指摘されて、
ようやく気づくこと。
その時は少し恥ずかしい。
けれど、
あとから思い返すと、
妙におかしい。
自分の中では、
ずっとそれで成立していた。
誰にも迷惑はかけていない。
大事件でもない。
ただ、
自分の頭の中だけで、
少し変な世界ができあがっていた。
そこが、
あとから見ると笑えてくる。
会話でも、
そういうことがある。
相手は普通に話しているのに、
こちらだけ別の意味で受け取っている。
しばらく話が進んでから、
「あれ、もしかして今、全然違う話をしてる?」
と気づく。
そこから急に、
二人で笑ってしまう。
最初は真面目な話だったはずなのに、
途中から話が変な方向へ転がっていくこともある。
健康の話をしていたはずが、
いつの間にか昔の給食の話になる。
仕事の話をしていたはずが、
なぜか学生時代のあだ名の話になる。
最後には、
「そもそも何の話だったっけ?」
で終わる。
結論はない。
学びもない。
役に立つ情報もない。
それでも、
あとから思い出すと、
少し楽しい。
昔の写真も強い。
その時は本気だった服。
その時は自然だと思っていた髪型。
妙に斜めに構えた立ち姿。
なぜか強い目線。
今見ると、
「この感じで勝負していたのか」
と思う。
しかも、
その時の自分は、
かなり堂々としている。
そこがまた面白い。
過去の自分は、
たまに予想外の角度から笑わせてくる。
思い出して笑える場面というのは、
完璧な出来事ではないことが多い。
少し抜けている。
少しずれている。
少し勘違いしている。
その時は真面目だった。
その時は本気だった。
その時はまったく気づいていなかった。
だからこそ、
あとから見ると味がある。
きれいな思い出だけが、
大事な思い出になるわけではない。
うまくいったことだけが、
心に残るわけでもない。
ちょっとした勘違い。
くだらない会話。
妙に残っている一言。
昔の自分の謎の自信。
そういうものも、
日常の中に残る小さな明るさです。
思い出すだけで、
少し笑える場面がある。
それは、
大きな幸せとは違うかもしれない。
人に説明しても、
同じように笑ってもらえるとは限らない。
けれど、
自分の中では妙に残っている。
その曲を聴くたびに思い出す。
その写真を見るたびに笑ってしまう。
その言葉を聞くたびに、
あの時の勘違いがよみがえる。
そういう小さな記憶があると、
日常は少し楽しく残ります。
意味をつけすぎなくていい。
立派な話にしなくてもいい。
ただ、
「あれ、今思い出しても少し笑えるな」
と思える場面がある。
それだけで、
その記憶はちょっといい。
忘れてしまうには、
少し惜しい。
そんな小さな場面が、
日常の中にはあります。
最近、思い出すだけで少し笑えることがあったら、
それは自分だけの小さな名場面かもしれません。
聞き間違いでも、
勘違いでも、
昔の写真でも、
誰かとのくだらない会話でも。
大きな出来事ではないのに、
なぜか残っている。
そういう記憶は、
案外いいものです。
