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「今、読みたい本」を読める子どもでいてほしい。

今日は「ずっとつながる絵本の世界」展へ。

本当に良い展示だった

偕成社が主催している展示で、長女の大好きなノンタンや『はらぺこあおむし』、赤ちゃん向けの遊び絵本などが並んでいて、親としても楽しみにしていた。朝から長女はどうも機嫌が悪く、睡眠不足かなと思っていたけれど、展示に入るとノンタンや『はらぺこあおむし』に出てくるりんごやすももの絵を見つけて大興奮。親としては展示の説明を隅から隅まで読みたいところだけど、もちろんそんな時間はない。ノンタンの妹のタータンは耳が聞こえないとか、知らなかったことも山ほどあって、子どもに刺さる絵本やキャラクターって、本当に細かいところまで考え尽くされているんやなと感慨深かった。

大好きなノンタン(アニメのセリフ完コピ)

でも、子どもって、そういうことをどこまで分かっているんやろう。作り手が裏側でどれだけ複雑に考え抜いていても、子どもが触れるときには「りんごだ!」「ノンタンだ!」くらいの、すごくシンプルなものになっている。もしかすると、そこが子どもに刺さる理由なのかもしれない。大人は「なぜこれが好きなんだろう」と構造を考えるけれど、子どもはただ「好きだから好き」で楽しんでいる

そして展示の最後には、自由に本を読めるスペースがあった。せっかくこんなにたくさんの絵本が並んでいるんだから、親としては「今まで読んだことないやつ読んでみたら?」と思ってしまう。でも長女が手に取ったのは、なぜか家にある本。「いや、それ家で読めるやん。せっかくここまで来たんやから、今しか読めないやつ読もうよ」と、正直ちょっと思う。でも、それは完全に大人の都合なんよな。今読みたいものを読む。今やりたいことをやる。 それだけのことだけど、実はこれって、子どもにとってかなり理想的な状態なのかもしれない。大人になると「せっかく来たんだから」「時間がもったいないから」と、いつの間にか効率や合理性を考えてしまう。長女はそんなことを一切気にせず、大量の絵本の中から「今これが読みたい」を選んでいる。絵本の展示に来てまで、家にある本を読む。なんか、それでいいんやろうな。

次女はというと、お出かけすると本当におとなしい。ベビーカーの上で「うげうげ」と手足をバタバタしているだけ。この子はどうやら乗り物がハマるらしく、車ではほぼ寝ているし、ベビーカーでも大人しい。長女はどちらも全くハマらず大嫌いだったので、同じ親から生まれても、やっぱり個体差ってあるんやなとまた思う。

夕方、用事の隙間に長女の小児科へ。何回行くねんという感じだけど、今日も朝から咳と鼻水が出ていたので念のため。そこで病院でもらった、ネチャネチャした素材で壁や床に張り付く猫の足の形をしたおもちゃに、長女がどハマりした。家の中で投げまくって、壁や床のあちこちに引っ付く。その様子が面白いらしい。壁に投げて張り付かず、真下に落ちたときには、まだ「物がどう動くか」の予測がうまくできない。普通に壁の真下に落ちているのに、「跳ね返ってきたはず」と思うのか、壁から離れたところを探している。人生一周目すぎて、めちゃくちゃおもろい。

そして僕が次女の写真を携帯で撮っていると、長女も写真を撮りたくなったらしい。自分のおもちゃの携帯を探してきて、次女を撮る真似をしていた。ちょうど妻とも、3歳の誕生日かクリスマスにはキッズカメラを買ってあげてもいいかも、なんて話していたところだった。

今日一日を振り返ると、長女はずっと「自分が今おもしろいと思ったもの」を追いかけていた。絵本の展示でも、家にある本でも、壁に張り付く猫でも、写真でも。

親としては、もっと良いものを見せたい、せっかくの機会を最大限に活かしてほしい、とつい思ってしまう。でも、本人が「今これがやりたい」と思ったものをちゃんと選べているなら、それ以上に大切なことって、案外ないのかもしれない。

「今、読みたい」を読める子どもでいてほしい。
きっと親の役目は、ただ、今読めるように環境を整えるだけ。「こっちの方がいいんじゃない?」など、余計な手だし口出しは不要。(子供に口出しする前に自分が等身大で生きた方が良い)

だから僕も、そんなふうに生きられる大人でいたい。

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