松下電器・パナソニック野球部OBベストナイン

社会人野球のパナソニック野球部、来季2026年限りで休部へ

社会人野球の名門・パナソニック野球部が、2026年シーズンを最後に休部することが明らかになった。パナソニック ホールディングスとパナソニック スポーツが12月8日付で発表したもので、2026年の社会人野球日本選手権を“ラストゲーム”と位置づける。

1950年創部、都市対抗57回出場、準優勝、日本選手権43回出場、優勝2度

1950年に松下電器産業初の会社公認チームとして創部された野球部は、企業イメージ向上や従業員の一体感の醸成を掲げ、長年にわたり国内トップレベルで戦ってきた。1953年の都市対抗野球で初出場、1960年の都市対抗野球で準優勝を果たすなど、日本生命(大阪府大阪市)に次いで歴代2位の57回出場。社会人野球日本選手権には歴代最多となる43回出場し、優勝2度という輝かしい実績を誇る。また福本豊氏ら多くのプロ野球選手を輩出してきたことでも知られる。

一方で近年は、都市対抗野球や日本選手権の本大会出場を逃すシーズンが続き、チーム成績の低迷が課題となっていた。会社側は2025年2月に打ち出したグループ経営改革の一環として休部を決断。国内外で約1万人規模の人員削減を進めるなど、「聖域なき構造改革」を進める流れの中で、歴史ある企業スポーツ部も例外ではなかった。

松下電器・パナソニック野球部が輩出した選手でベストナインを選出した。


1番・センター 福本豊

大阪府東大阪市出身。大阪・大鉄高校(現・阪南大学高校)から松下電器入り。社会人3年目の1968年には、同僚の加藤秀司(後の英司)・岡田光雄(元近鉄)と共に富士製鐵広畑の補強選手として都市対抗に出場、チームを優勝に導いた。
1968年ドラフト7位で阪急ブレーブス入りし、14年連続シーズン50盗塁以上、うち13年連続盗塁王を獲得、通算1065盗塁は当時、世界記録となり「世界の盗塁王」と呼ばれた。通算2543安打はNPB歴代5位タイ、通算115三塁打はNPB記録。ダイヤモンドグラブ賞12回はNPB最多受賞。1988年に現役引退するまで通算2401試合出場、打率.291、208本塁打、884打点、OPS.819。2002年に野球殿堂入り。
阪急からのドラフト指名は翌日、職場で新聞を読んだ同僚から知らされたという。妻には「松下をやめて阪急に転職する」と告げたという逸話がある。

2番・レフト 山田勉

大阪府大阪市出身。福本豊の母校でもある大鉄高校から松下電器入り、1980年ドラフト4位で南海ホークスへ入団。1985年には75試合に出場、打率.296、3本塁打、10打点、9盗塁をマーク。1989年に広島カープに移籍、1990年オフに引退。同姓同名に投手の山田勉(1985年ドラフト5位でヤクルトスワローズ入団)がいた。2020年から社会人野球・カナフレックス硬式野球部の監督を2年間務めた。

3番・サード  河野旭輝

和歌山県和歌山市出身。和歌山県立和歌山工業から松下電器入り。1953年、都市対抗初出場メンバーとなった。1954年に阪急ブレーブス入り、3年目の1956年に85盗塁を記録し、盗塁王。この記録は1972年に後輩・福本豊に抜かれるまでNPB記録。2年連続盗塁。
1961年に中日ドラゴンズに移籍、ベストナイン・遊撃手部門で受賞すると、1962年に自身3度目の盗塁王となり、両リーグで盗塁王獲得はNPB史上初の快挙となった。通算293盗塁をマーク。通算1213安打、93本塁打もある中距離砲タイプだった。阪急、西鉄ライオンズと渡り歩き、引退後はセ・パ5球団の打撃コーチ・守備走塁コーチを歴任、ロッテの守備コーチ時代には落合博満から「守備の師匠」と尊敬された。

4番・ファースト:加藤秀司(英司)

静岡県出身。大阪・PL学園でセンバツ2回出場。1966年、東映フライヤーズからドラフト4位指名を受けるも拒否、松下電器入り。1967年、南海ホークスのドラフト10位指名を拒否、1968年の都市対抗では同僚の福本豊らと共に富士製鐵広畑の補強選手として出場し、4番打者として活躍、チームを優勝に導いた。1968年のドラフトで阪急ブレーブスから2位指名を受け入団。この時の1位指名に山田久志、7位指名に同僚の福本豊がいた。首位打者2回 (1973年、1979年)、打点王3回、 1975年は32本塁打、97打点(打点王)で最優秀選手(MVP)、ベストナイン5回受賞。 1987年、南海に移籍後、古巣の山田久志から通算2000安打を記録、オフに引退した。通算2028試合出場、打率.297、2055安打、347本塁打、1268打点、OPS.883。

5番・指名打者(DH):鍛治舎巧

岐阜県出身、岐阜県立岐阜商業高校では3年生の時、エースで四番打者として1969年のセンバツ大会に出場、大会通算100号本塁打を放つも準々決勝で敗退。早稲田大学で進学、1年春からベンチ入り、5季連続打率3割以上をマーク、リーグ通算84試合出場、280打数87安打、打率.311、6本塁打、60打点。ベストナイン(外野手)2回受賞。卒業後に松下電器に入社。都市対抗で活躍、1975年秋のドラフト会議で阪神タイガースから2位指名を受けたが、入団を拒否。1979年の社会人野球日本選手権では「四番・ファースト」として活躍、準優勝に貢献し、敢闘選手賞を獲得。1981年に現役を引退。

引退後は1987年に松下電器・野球部の監督に就任、1989年の都市対抗では潮崎哲也らの活躍でベスト4。1991年に退任、パナソニックで社業に専念し、広報担当の専務も務めた。
2014年には熊本・秀岳館高校の野球部監督に就任、2016年春から2017年夏の大会まで4季連続出場 で、しかも 3季連続ベスト4。2018年から母校である岐阜県立岐阜商業高等学校の監督に就任、甲子園出場は春・夏あわせて4度、導き、2024年に退任した。

6番・セカンド:日野茂

長野県松本市出身。千葉県立船橋高校、中央大学に入学、 東都大学リーグでは2年次の1964年の春季リーグではベストナイン・遊撃手部門で選出されるなど、リーグ優勝を2度、経験。1967年に松下電器入り、都市対抗に出場。1968年にドラフト外で中日ドラゴンズに入団。1971年、阪神・江夏豊からプロ初本塁打をマーク。1972年、西鉄ライオンズへ移籍。1973年、太平洋では自己最多の62試合に出場したが、1974年オフに引退。西武と横浜ベイスターズで二軍監督を務めた。

7番・ショート:原井和也

和歌山県出身。和歌山県立箕島高校では1年から遊撃手のレギュラー。松下電器同期に水本勝己潮崎哲也らがおり、1992年の第63回都市対抗野球大会において、1試合3本塁打をマーク。1995年ドラフト5位で西武ライオンズに入団、2年目には93試合に出場、二桁盗塁をマーク。2003年から千葉ロッテマリーンズに移籍、二塁・遊撃・三塁・外野までこなしたユーティリティ。

8番・キャッチャー:足立祐一

東京都町田市出身。東京・桜美林高校では「4番・捕手」。神奈川大学に進み、リーグベストナイン3度。3年の神宮大会では準決勝で斎藤佑樹を擁する早稲田大学に敗れベスト4。パナソニック入りすると、都市対抗では「1番・捕手」でベスト16、日本選手権ではベスト4。2015年の第85回都市対抗大会では同僚の近藤大亮と共に大阪ガスの補強選手として出場し、準々決勝ではサヨナラ本塁打を打つなど準優勝に貢献し、優秀選手。2015年ドラフト5位で楽天イーグルスに入団。
2016年、プロ初スタメンで投手・大谷翔平のストレートを打ってプロ初ヒットを放つなど、73試合に出場。2021年に現役引退。

9番・ライト:楠城祐介

福岡県北九州市出身。福岡県立小倉高校から青山学院大学に入学。捕手から外野手に転向、大﨑雄太朗高市俊横川史学円谷英俊小窪哲也と共に東都大学野球にてリーグ戦3連覇、大学選手権では3年時優勝、4年時準優勝を達成した。松下電器で都市対抗野球出場。2008年ドラフト5位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。2010年に一軍公式戦デビュー。2011年オフに東京ヤクルトスワローズに移籍、2013年オフに引退。2023年、実父の楠城徹が監督を務めていた九州国際大学付属高等学校硬式野球部の監督に就任。2025年秋の明治神宮野球大会で九州勢25年ぶりとなる優勝に導いた。

代打:清原幸治

大阪府岸和田市出身。右投げ左打ち。PL学園では主将を務め、名門チームの中でリーダーシップと勝負強さを発揮した。青山学院大学では小久保裕紀らとクリーンアップを組み、東都大学リーグ優勝・大学日本一に大きく貢献し、4年春にはベストナイン(一塁手)とMVPに選ばれるなど、1部リーグ通算74試合に出場、238打数64安打、打率.269、5本塁打で「アマ球界屈指のスラッガー」と評された。卒業後は1994年に松下電器に入社し、中軸打者として活躍したのち、1998~2001年は同部のコーチとして後進を指導。その後は野球部を離れ、パナソニック社員として社業に専念。
実兄は元プロ野球選手の清原和博

先発投手:山口高志

兵庫県神戸市出身、松下電器野球部創部の1950年に生まれ、市立神港高で春夏連続甲子園に出場し、関西大学ではエース右腕として関西大学リーグ戦通算65試合登板、46勝(11敗)、19完封、497奪三振など数々のリーグ記録をつくり、全日本大学選手権と明治神宮大会制覇に貢献した。卒業後は松下電器に進み社会人屈指の速球投手として名を上げ、1974年の都市対抗では新日鐵堺の補強選手としてベスト4に貢献、33イニング無失点、39奪三振を記録して小野賞を獲得。
1974年ドラフト1位で阪急ブレーブスに入団。身長170センチながら常時150キロ級と言われた剛速球で、1年目の1975年に12勝13敗1セーブ、防御率2点台の成績を残し新人王、日本シリーズMVPを獲得した。以後も先発とリリーフの兼任で、4年連続二桁勝利、1978年には最優秀救援投手も獲得、通算50勝43敗44セーブ、防御率3.18を記録したが、腰やアキレス腱の故障に苦しみ1982年で現役を引退。
その後はオリックスや阪神で投手コーチ、スカウトなどを務め、多くの投手育成に携わった。

セットアッパー:建山義紀

大阪府出身、大阪・東海大学付属仰星高校、甲賀総合科学専門学校を経て松下電器に進み、1998年日本選手権大会では完投勝利でベスト4に貢献、1998年ドラフト2位(逆指名)で日本ハムファイターズに入団。日本ハムでは先発・中継ぎ・抑えとあらゆる役割をこなし、150キロ近いストレートとキレのあるスライダー、フォークを武器にブルペンの柱として活躍。その後、MLB/テキサス・レンジャーズに移籍、NPB復帰後は阪神でプレーした。NPBでは通算446試合登板、35勝43敗、27セーブ、84ホールド、防御率3.43、投球回669回、奪三振491。MLB通算53試合登板、3勝0敗1セーブ、防御率5.75、投球回61回、61奪三振、WHIP1.18。

クローザー:潮崎哲也

高知県出身。高知商業高から松下電器入り。1988年のソウル五輪で史上最年少の19歳で日本代表に選出、先発・救援で銀メダル獲得に貢献した。1989年の都市対抗では準決勝進出に貢献。野茂英雄与田剛とともに「社会人三羽ガラス」と並び称され、1989年ドラフト1位で西武ライオンズに入団、先発・リリーフ双方で活躍した。伸びのあるストレートと鋭く落ちるシンカー、緩急を生かした投球術で打者を打ち取り、新人の1990年、オリックス戦で8者連続奪三振をマーク、新人ながらレギュラーシーズン・日本シリーズで胴上げ投手になるなど、新人から7年連続シーズン40試合以上に登板、セットアッパー・抑えとして優勝に貢献。その後は先発転向も経験しつつ、2ケタ勝利も記録するなど、1990年代~2000年代初頭の西武投手陣を支えた。NPB通算523試合登板(先発97試合)、82勝55敗、55セーブ、投球回1249回1/3、奪三振967個、防御率3.16。

監督:島田行雄

大阪府大阪市出身。大阪府立市岡高校では投手としてプレーし、近畿大学進学後に外野手へ転向、関西六大学リーグで1977年にベストナインに2度、選ばれた。 卒業後は松下電器産業野球部に入団し、1985年都市対抗では日本生命の補強選手として中堅手で活躍、優勝と橋戸賞、社会人ベストナインを獲得した。 1995年から松下電器監督を務め、社会人野球日本選手権では1998年にベスト4、1999年に準優勝、2000年には東芝を破ってチームを初優勝に導く。 退任後は近大附属高、近大泉州高、名古屋学院大学の監督・コーチを歴任し、ABCテレビの高校野球解説者としても知られる「理論派指導者」である。

監督:北口正光

大阪府出身。大阪・PL学園では清原和博桑田真澄のいわゆる「KKコンビ」の後ろを打つ6番打者として活躍し、1985年夏の甲子園で25打数12安打を記録した。 亜細亜大学に進学後も主軸としてプレーし、4年春にはベストナイン(三塁手)を受賞。 卒業後は松下電器に入社し、鍛治舎巧監督の下、内野手として都市対抗に8度出場するなど社会人野球の第一線で長く活躍した。 現役引退後はパナソニックでコーチ、監督、部長を歴任し、2005年には監督として社会人野球日本選手権を制覇。 その後も東京農業大学硬式野球部コーチを経て2022年から同大監督に就任し、学生野球の指導にも手腕を発揮している。

コーチ:水本勝己

岡山県倉敷市出身。岡山・倉敷工高では強打の捕手として1986年夏の甲子園に出場し、卒業後は松下電器入り。潮崎哲也らとバッテリーを組み、都市対抗野球で上位進出を経験したのち、1989年に広島東洋カープの入団テストに合格しドラフト外で入団。 一軍出場はないまま1991年限りで現役を退いたが、その後はブルペン捕手、二軍バッテリーコーチ、三軍統括コーチ、二軍監督などを歴任し、2017年にはウエスタン・リーグ優勝とファーム日本一を達成した。 2021年からはオリックス・バファローズでヘッドコーチを務め、2022年、NPB史上初となる“NPB球団在籍選手かつ一軍公式戦未出場者による監督代行”として一軍公式戦の指揮を執り、“NPB一軍公式戦出場経験のない監督”として54年ぶりの勝ち星を挙げた(1968年の阪神タイガース・藤本定義監督以来)。オリックス一軍のリーグ3連覇を陰で支えた“育成のスペシャリスト”として知られている。

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