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最後の電話

『そろそろかかってくる頃だ』と予感のあった2日後にスマホは鳴った。心の準備は十分していたはずなのに「芽衣」の名前を確認してもすぐに通話ボタンを押すことができなかったのは、これが最後の電話だと分かっているからだ。

「もしもし。拓ちゃん?」鼻にかかった、のんびりした声。さっきまで泣いていたのだろう。気を張って、いつもより声色をワントーン明るくしているのが分かる。無理しなくていいのに。

「どした?」肩と右耳にスマホを挟んで、荷作りを続ける。何かをしながらでなければ、うっかり感情が漏れ出してしまいそうだった。芽衣は車の中だろうか?背後に音の気配がない。狭い一人の空間で話しているのがなんとなく伝わってきた。

「緊張と不安が出てきちゃって」

明後日、芽衣は結婚する。相手は僕の同僚だ。アイツなら芽衣を必ず幸せにしてくれるだろう。そう思って紹介したのは僕自身だ。誰がどう見てもお似合いの二人。

「マリッジブルーってやつだよ」
「そうだね、きっと」

会話が途切れて何を言えばいいのか分からなくなる。それでも無理に空白を埋める話題は出さない。僕たちは、そんな気を使い合う関係ではないから。

「なにか喋ってよ」
「なんでだよ。電話かけてきたのそっちだろ」

物心ついた頃から僕の傍にはいつも芽衣がいた。3軒隣に住んでいて、一人っ子で、目がくりっと丸くて、わがままで、すぐ泣く。芽衣の親父が小六の時に亡くなってからは「自分が守ってやらなくては」と、まるで兄のように彼女を思った。

好きとか気になるとか、恋とか愛とか、散々周りに冷やかされてきたけど、二人の気持ちの矢印が向き合うことは決して無かった。というより、そうならないように最大限の注意を払っていた。始まれば、終わりが来てしまうし、彼女を一番幸せにできるのは自分ではないと思っていたから。自分より出来た奴は世の中にいっぱいいる。

芽衣が辛い時に話を聞きたかった。何かあれば駆け付けたかったし、支えたかった。しかし一度恋人になれば最後。関係が終わった時にそれはできなくなってしまうかもしれない。そのことが一番怖かった。だから慎重に、いつも距離を測りながら芽衣に接してきた。自分の気持ちが彼女に向きすぎないように、そして彼女の気持ちも自分に向かないように。

「拓ちゃん。私のこと好きだと思ったことあった?」茶化すような口調とは裏腹に芽衣の小さな声の震えを感じとってしまう。こんなこと自分じゃなかったら気付けないだろう。

「いやー。タイプじゃないからな」

笑って話してみたけれど、僕の気持ちも芽衣には同じように伝わってしまっているのかもしれない。

「もう今日で電話は最後にするね」今にも泣きだしそうな声に気付かないふりをして「これからは隆幸がいるから大丈夫だろ」と明るく言った。

「結婚おめでとう」
「うん」

窓へ視線を移せば、厚い雲から細かい時雨が降りだしていた。風が落とした茶色が、アスファルトで重なっている。目の前の街路樹は裸になって寂しいけれど街へ行けば、木々は輝くイルミネーションで華やかなはずだ。

「それじゃあね」
「じゃあな」

幼い頃から何百回と言い合った台詞。しかし「またね」と続く言葉はない。通話終了の赤いボタンを押した瞬間、僕は顔を枕にうずめた。強く強く。溢れ出した心の叫びが空気を揺らして、彼女の鼓膜に届いてしまわぬよう。少しの声も漏れないように。

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