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太字で見る 三宅香帆の言語化能力

2025/12/20追記

下記ポストで補足をしています。

追記以上。



三宅香帆
『「好き」を言語化する技術:推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』
を読みました。

無内容でした。お勧めしません。

なぜ無内容なのかは説明できません。
無内容は無内容です。
本稿からやんわりと感じ取ってください。

この人の本が評価される理由が、僕には心底理解できませんでした。

世間はどうやら無意識のうちに、主張の論旨だけを見るようになっていて、それが自分の考えと近ければ、内容の検証など要らないという思考に陥っているのではないでしょうか。

誠にけしかりません、勝つまでは。



本稿で言いたいのは、著者の日本語力の低さです。
はっきり言って、文が崩壊しています。

これが京大文学部卒、文章を生業とする人物の、10作目、そしてベストセラーになった書籍だとは。

コンテクストがひとつも腹落ちしません。



というわけで、実際に文章を引用して指摘しようと思い、メモを取り始めたのですが、壊れた文があまりにも多い。

思い切って、「太字」の文と、その周辺に絞って紹介することにしました。

題して

太字で見る 三宅香帆の言語化能力



対象が多いため、問題を3つに分類します。

  1. 言葉選びが不適切

  2. 構文がおかしい

  3. 論理がおかしい

複合している場合もありますが、分類は形式的なものであり、重要ではありませんので、言いたいことの比重で無理やり分けました。



1. 言葉選びが不適切

事例1-1

本書では、現代において必須スキルである「自分の言葉をつくる」技術について、お伝えします。

三宅香帆『「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』(ディスカヴァー携書), Kindle版, p.8

「はじめに」からの引用です。

このセクションからして、頭を抱えました。

導入文のくせに、論旨が破綻していたのです。
おそらく、既に書いてしまった文章に、あとから無理やり書き足したのではないでしょうか。

言いたいことはありましたが、あげつらうとキリがなく、引用が広範囲になるので、ここでは上記一文への指摘にとどめます。



まず、「自分の言葉をつくる」という表現が、適切ではありません。

本書は、造語(あるいはコピーライティング)について述べる内容ではないからです。

後続の章でも、単語自体のオリジナリティについては特に重要視していません。

ここで著者が言いたいのは、借り物の言葉を使わないという意味で、「自分の言葉で語る(話す/書く)」ことだと思います。



「自分の言葉をつくる」は、本書の根幹をなす概念です。
このあとも度々出てきます。

ここで表現がズレているのは、非常にしんどいです。



それから、「必須スキル」ではなく、「必須のスキル」と書くべきですね。
文がぎこちない。

したがって、この一文を書き直すとしたら、以下の通りになります。

修正案1-1

本書では、現代において必須のスキルである「自分の言葉で語る」ための技術をお伝えします。

これなら違和感がありません。

本書ではこのように、読むに耐えない文が頻繁に出現します。



事例1-2

世間や他人がインストールしてこようとする言葉に対して、「自分は本当にその言葉でいいんだっけ」と立ち止まる。

三宅, 前掲書, p.28

第1章からの引用。

モヤモヤする一文です。

「インストールしてこようとする」なんて表現、見たことあります?



インストールという言葉は基本的に、自分が、自分のためにインストールします。

自己啓発書を読んで、素晴らしい考え方をインストールするのは、(インプットだろと思わなくはないですが)そこまで違和感がありません。

おかしいのは、「してこようとする」です。
ここがモヤモヤする。

他人が主語となる場合、例えばマルウェアに置き換えて考えます。

正しい表現は、
「他人がインストールさせようとしてくるマルウェア」
になるのではないでしょうか。

本書には、このように、決まり文句の扱いを間違えた文が多いです。



というか、そもそもこの文で、インストールという単語は、使わない方がいいと思います。

もともとソフトウェアに使う言葉ですから、ある一単語というより、まとまったマインドであるかのように受け取れます。

「お決まりの表現」を指したいのですから、「インストール」は適しません。



また、この一文における「自分は」は意味不明です。

「本当にその言葉でいいんだっけ」だけで、問題なく通じます。

したがって、書き直すならこうです。

修正案1-2

世間や他人から刷り込まれた言葉を無批判に使うのではなく、「本当にそれでいいんだっけ」と立ち止まる。



事例1-3

自分の感想が降り積もっていった先に、あなたのオリジナルな言葉がつくられます。それって、自由で、面白くて、なかなか楽しい世界じゃないでしょうか。

三宅, 前掲書, p.82

「降り積もる」という表現において、降り積もる対象である地面と、発生元は区別されます。

雪が降り積もる時、雪は地面とは全く異なるところから自然と発生し、降り積もるのです。

内から湧いてくる感想に対して使うのは違和感があります。

修正案1-3

感想の言語化を重ねていけば、それが、あなたのオリジナルな文章になります。それって、自由で、面白くて、なかなか楽しい世界じゃないでしょうか。

ですかね。



事例1-4

しゃべる段階での言語化とメモする段階での言語化に、そこまで違いはありません。自分でメモした言語が自分のなかに溜まっていけば、誰かと話しているときも、自然と言葉がでてくるはずです。日ごろからメモなり日記なりSNSなりに自分の感想を残しておくと、人と話しているときも言葉がでてきやすくなります。
人と話しているときに言葉がうまくでてこない!と悩んでいる人は、ぜひ自分だけの時間をつくってメモを残して、孤独に自分の言葉をつくることを試してみてください。

三宅, 前掲書, p.106

「孤独に」に違和感。

まるでひとりぼっちみたいじゃん。

修正案1-4

メモでの言語化で蓄えた経験値は、会話の中でもプラスに働きます。メモした言葉は、頭の中に蓄積されていきます。これを習慣化することで、会話の中でも自然と言葉がでてくるようになるのです。
日記でもSNSでも構いません。人と話しているときに言葉がうまく出てこない!と悩んでいる方は是非、自分用のメモを残すところから始めてみてください。

こんな感じですかね。

下げるニュアンスは必要ありません。



事例1-5

ブックマークに入れておいたり、机の横に自分のお手本となるエッセイ本を置いておくなど、いつでもその文章を読み返せるようにしておきましょう。
何度も理想の文章を読んでいると、その文章のテンポや言葉の使い方が、なんとなく自分の体に沁み込んでくる感じがします。
いい影響を受けるので、本当におすすめです。

三宅, 前掲書, p.152

アドバイスの文に、「感じがします」と感想を書くのは違和感があります。

修正案1-5

ブックマークに入れておいたり、机の横に自分のお手本となるエッセイ本を置いておくなどして、いつでもその文章を読み返せるようにしておきましょう。
理想の文章を繰り返し読むことで、その文章のテンポや言葉の使い方が、自然と身につきます。
本当におすすめです。



事例1-6

「文章=1回書いたら終わり」という常識をやめて、「文章=何度も書き直すもの」という考え方にシフトしましょう。

三宅, 前掲書, p.154

「常識」は、やめるものではありません。

修正案1-6

「文章=1回書いたら終わり」という常識は捨てて、「文章=何度も書き直すもの」という考え方にシフトしましょう。

いや、そもそも文章は何度も書き直すのが常識だと思いますけどね。。



事例1-7

書いてから少しだけタイムラグを置いて修正すると、客観的に「ここはわかりづらい」など、修正する点が見つかりやすくなります。

三宅, 前掲書, p.156

「タイムラグを置く」って何ですか。

修正案1-7

書いてから少し時間を置いて見返すと、分かりにくい箇所など、修正すべき点を客観的に見つけることができます。



2. 構文がおかしい

事例2-1

文章の才能は存在するかもしれないけれど、それよりも工夫する努力をするほうが、文章の完成度が高くなる要素の比重は絶対に大きいのです。

三宅, 前掲書, p.32

本書最大の迷文。
マジで意味が分かりません。
ギャルでも書かんぞ。

書き直すとすれば、こんな感じですかね。。
もはや自信ないですが。。

修正案2-1

文章は才能ではありません。
工夫を重ねれば、文才のある人に負けない文章が書けるようになるのです。

何かを説明する際には、「○○ではなく△△」という形式を、明確に使うべきです。

既存の価値観と違うことを言うために文章を書いているのだから、はっきり分けないと、主張が弱まります。

この、概念の区別が弱いという難点は、三宅香帆の他の太字でもよく出現します。



事例2-2

しかし私は、「たとえ自分しか見ない日記やメモのなかだったとしても、自分の言葉で感動を言語化して、書き記しておくのはいいことなんじゃないか」派です。
なぜなら、自分の言葉で、自分の好きなものを語るーそれによって、自分が自分に対して信頼できる「好き」をつくることができるから。
第1章の終盤に、私は「自分の好きなものや人を語ることは、結果的に自分を語ることでもあります」と書きました。

三宅, 前掲書, p.44

「第1章の終盤」って、小説じゃないんだから。



「なぜなら、自分の言葉で、自分の好きなものを語る─それによって、自分が自分に対して信頼できる「好き」をつくることができるから。」

著者の脳内かよってくらいに「自分」が多い一文です。

「信頼」という言葉もよく分かりません。

書き直すなら、

なぜなら、好きを言語化する─これによって、自分の感情を確かな形で残すことができるからです。

かな。

…待てよ。
この文、1つ前の文とダダ被りしてるな。

というわけで。

修正案2-2

しかし私は、たとえ自分しか見ない日記やメモだったとしても、感動を言語化して、書き記すのは良いことだと思います。
(削除)
第1章で、「自分の好きなものや人を語ることは、結果的に自分を語ることでもあります」と書きました。



事例2-3

言語化とは、いかに細分化できるかどうかなのです。

三宅, 前掲書, p.59

キモい文。。

修正案2-3

言語化は、細分化をどれだけできるかにかかっています。

ただ彼女、何でもかんでも、「一番重要です」だとか、「大切です」と表記してしまう癖があります。

クリープハイプみたいに繰り返せば伝わると思っているのでしょうね。

全ての行にマーカーを引くような文章にならないよう注意すべきです。



事例2-4

受け取る側も、自分の意見をわかってくれたうえで、それでもなお違う意見を述べているんだ、と理解できれば、案外聞いてもらえるものです。

三宅, 前掲書, p.115

主語と述語が噛み合っていません。

修正案2-4

自分の意見は分かったうえで、それでもなお違う意見を述べているんだ、と伝われば、受け手は案外聞いてくれるものです。



3. 論理がおかしい

事例3-1

先述したように、日本の作文教育には、ありのままの感情を書けば作文になる信仰があります。けれども、実際はそんなことはない。
文章の核が、「自分だけの感情」だとすれば、その核を包むものとして「文章の工夫」がなければ、他人には伝わりません。
これがまったく他人に伝わる必要のない文章だったら、正直、核の部分だけでいいのです。私も自分だけしか見ない日記を書いているときは、文章の工夫はまったく気にしていません。だって、自分だけに伝わればいいのだから。

三宅, 前掲書, p.30

僕だけの感覚かもしれないですが、「先述したように」は、大胆な私見(≒偏見)に使うと、あまりマッチしません。

「先ほど述べたように」と言った方がいいです。



「他人には伝わりません。」とありますが、どの意味で「伝わる」を使っているのかが曖昧です。

  1. 文意が伝わる(結論が先に来ている、など)

  2. 読み飛ばされず、読み手に影響を与えることができる(→刺さる)

三宅香帆は、両方を兼ねた意味合いで使っているように見えます。

しかしこの主張は、日本の作文教育が、「ありのままの感情を書けば」、文意が伝わらなくても作文として認めているのでなければ、通りません。

読書感想文だって、(文意が)伝わらなきゃダメです。



「私も自分だけしか見ない日記を書いているときは、文章の工夫はまったく気にしていません。」

これは、
「私も、自分用の日記であれば、特に工夫をせずに、ありのままの感情を書きます。」
と書くべきです。



「だって、自分だけに伝わればいいのだから。」

この「だって〜」は、理由になっていません。

ただの反復表現なので、「なんせ」とでも書けばいいです。



事例3-2

推しの魅力を伝えるのって、すごくすごく素敵なことです。自分の好きなものや人を語ることは、結果的に自分を語ることでもあります。
冷静に自分の好みを言語化することで、自分についての理解も深まる。それでいて、他者について語っているのだから、自分じゃない他者にもベクトルが向いている。すると、他者の魅力や美点に気づく力も身につきます。

三宅, 前掲書, p.39

「冷静に」が意味不明です。

書き直すなら、
「好みを言語化することで、自分の考えを客観視できます。これを通じて、自分への理解を深めることができます。」といった感じ。

おそらく、「自分の考えを客観視する」というフレーズが出てこなかったので、「冷静に」という言葉に逃げたのかと思います。

しかし「冷静に」は心の様子を指す言葉ですので、まるで感情を限定されるようでモヤモヤします。



「それでいて、他者について語っているのだから、自分じゃない他者にもベクトルが向いている。すると、他者の魅力や美点に気づく力も身につきます。」

これはそもそもそうだろ。

推しの魅力を語ることで他者の魅力に気づけるのは、当たり前の話です。
主張したいのはそこではないはず。

ここで言いたいのは、「他人の魅力を言語化することで、結果的に自分への理解を深められる」ということです。

1つ前の文で、もう言い終えています。

わざわざ前提の方を言い直す必要がありません。

ですから、書き直すなら、こう。

修正案3-2

推しの魅力を伝えるのは、すごくすごく素敵な行為です。
好きを言語化することで、自分の考えを客観視できます。
他者の魅力や美点に気づけるだけでなく、自分のことをもっと深く知ることができるのです。



事例3-3

その第一歩として、自分の「好き」を言語化する前に、他人の言語化を見ることは、やめておきましょう。
具体的に言うと、「SNSやインターネットで自分の推しについての感想を見るのは、自分の感想を書き終わってから!!」。

三宅, 前掲書, p.51

具体的に言えていません。

いや、確かに具体的にはなっているんだけど、前の文で伝わっている内容のままなんですよね。。

修正案3-3

その第一歩は、自分の「好き」を言語化する前に、他人の言語化を見ないことです。
もう一度言います。
「SNSやインターネットで自分の推しについての感想を見るのは、自分の感想を書き終わってから!!」。



事例3-4

それでは、70ページで説明した「①よかった箇所の具体例を挙げる」で〈どこに〉心を揺さぶられたのか具体的に挙げたとします。
次にやるべきは「②感情を言語化する」で、〈どういう〉感情を抱いたのかをメモすること。そして、〈どうして〉その感情を抱いたのかを書けたら最もいいですね。
つまり①で具体例=〈どこに〉を挙げ、②で〈どういう〉感情を〈どうして〉抱いたのかを説明する。感情を揺さぶられた点について、①でWHERE、②でHOWとWHYを言葉にするのです。

三宅, 前掲書, p.65

電子書籍にする際に、「70ページで」といった引用方法は、修正するべきです。

Kindleの表示だと、まだ65ページです。

まあ、これは著者のせいではありませんが。

本書には、「書く」と「描く」の間違いなど、他にもミスが見受けられます。
校正が効いていないのでしょう。

あと、〈どこに〉は、ここではWHEREではなくWHATだと思います。



事例3-5

そう、まず把握すべきは、伝えようとする情報に対する相手のスタンスです。
相手が自分と違って「その情報についてどのくらい知っているのか」「その情報についてどのような印象を抱いているのか」という2点を把握しておくこと。それがすべての発信におけるポイントなのです。

三宅, 前掲書, p.89

2文目「自分と違って」が要りません。

2文目での「情報」という言葉の使い方が気持ち悪いです。

ここの文は、「"パクチーを使ったエスニックのおいしいタイ料理店”について話したいとき」を例に取って述べています。

つまり「情報」は、「"パクチーを使ったエスニックのおいしいタイ料理店”」です。

するとこの文は、料理店に対する相手のスタンスを把握することになってしまいます。

ここで相手は、料理店については当然知らないでしょうから、それに対するスタンスを把握するというのは、変な表現です。

著者が言いたかったのは、「パクチーに対する相手のスタンスを把握すること」でしょう。

したがって、「情報」ではなく、「対象」、あるいは「あなたの推し」と表記すべきではないでしょうか。

ついでに言うと、「エスニックのおいしいタイ料理店」という表現はおかしいです。

タイ料理はエスニックですから、タイ料理を修飾する言葉としてエスニックは用いません。

ついでのついでに言うと、「エスニックのおいしいタイ料理」と書きたいのであればせめて、「の」の後に読点を入れるべきです。



2文目も論理的に妥当性が低いです。

1文目で「相手のスタンス」をフォーカスするからには、2文目では後者だけを把握すればいいのではないでしょうか。

言いたいコツよりも次元の低い前提が混ざってしまっています。

修正案3-5

そう、まず把握すべきは、相手のスタンスです。
相手があなたの推しについて、どのような印象を持っているのかを把握すること。ここが肝心なのです。



以上です。

僕はこの本を読んで、『時計じかけのオレンジ』を思い出しました。

非行少年を扱ったSF小説です。

『時計じかけ』で面白いのは、文体です。

主人公の独白形式ですが、言葉が乱れているのです。

果たして、言葉の乱れた人間は、思考も乱れているのか。

僕の考えでは、Yesです。



三宅香帆の文章を手直ししていくと、いかにありきたりなことを言っているのかが感じ取れます。

むしろ、これを手直しする過程の方が、よっぽど、言語化の技術として学びになるのではないかと思ったほどです。

著者の脳内は、およそ『エッセンシャル思考』の表紙のように散らかっているのでしょう。
脳のスペックが高いのです。才能です。

しかし思考だと思ったことが、紐解いていくと、思考と呼ぶには値しなかった。

そのようなことの連続が、一冊の本として化けて出たのです。



とはいえ、三宅香帆がセンス抜群という可能性は否定しません。
結果を出していますし。

したがって、こういった本があるのは構わないのですが、持て囃されているのが解せません。

少なくとも、真似すべき言語化技術でないことは明らかです。

もしこれに価値があるのだとすれば、それはひとえに、彼女の圧倒的なインプット量と、人柄や、社会的ポジショニングによるものです。

本書で述べられている言語化技術そのものの価値ではありません。

これを褒めている人こそ、日本を悪くしていると思います。



最後に1点、本書の構成について、指摘します。

第6章にて、最果タヒ、三浦しをん、阿部公彦、3名の例文を載せています。

これらは言語化の「お手本」ということです。

これを最終章で載せるのは、フェアではありません。

序章、ないしは早い段階で、載せるべきです。

というのも、三浦しをんさんの文章には惹かれましたが、他2名の文は特にいいとは思いませんでした。
(阿部公彦さんの例は、ご本人の文章力というより、引用箇所が良くないのかもしれません)

仮に全滅であったなら、本書を読む動機がなくなっていたところでした。

早く提示し、読者と目標を合わせるべきです。

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