バレンタインの日に見た、歩けない白い靴
2026年2月14日、バレンタインの日。
私は《愛の為に》という名の、白い陶のハイヒールを見た。
その靴は、地下へと続く階段のたもとに、美しく在りました。
スペイン風の洋館は、建物も、庭も、どこか時間が止まったようで、そこに置かれた白いハイヒールは、まるで誰かを待っているようにも、もう誰も待っていないようにも見えました。
作品のタイトルは、三輪龍作《愛の為に》。
「愛の為に」という言葉から想像するものは、本当ならもっと甘く、やわらかいものかもしれません。
けれど、目の前にあったのは、白く、硬く、尖った陶の靴でした。
履くことはできない。
歩くこともできない。
けれど、どこかへ向かおうとしているように見える。
履いてくれる人を待っているようにも見える。
愛とは、こんなにも美しくて、こんなにも痛そうなものだっただろうか。
この作品について後から知ったのですが、三輪龍作は、ハイヒールをかたどった白萩のシリーズを発表し、陶芸の世界に大きな驚きをもたらした作家だったようです。
萩焼という長い伝統の技法を受け継ぎながら、そこから生まれたものが「器」ではなく、白いハイヒールだったこと。
そのことに、私はとても惹かれました。
伝統というと、決められた形を守ることのように思ってしまうことがあります。
けれど、本当はそうではないのでしょう。
先人たちから受け継いだ技法。
自分自身の鍛錬。
土と釉薬を扱う、確かな手の感覚。
その積み重ねがあるからこそ、形は初めて自由になれる。
何も知らずに壊すのではなく、深く知っているからこそ、そこから離れることができる。
型があるから、型を超えられる。
この白いハイヒールは、ただ奇抜なものではなく、長い時間の上に立っている作品なのだと思いました。
履けない靴。
歩けない靴。
けれど、誰かの足の記憶を持っているような靴。
白く美しいのに、どこか痛そうで、少し怖い。
でも目が離せない。
バレンタインの日に見た《愛の為に》は、甘い愛のかたちではありませんでした。
むしろ、愛の中にある痛みや、孤独や、それでも前へ向かおうとする気配を、静かに差し出しているように見えました。
歩くことはできないのに、
それでも確かに、どこかへ向かっているように。
愛の為に。
