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なぜわたしがコンサルタントやマーケターという言葉を使いたがらないのか|500記事目に明かす、私の仕事の正体

はじめに|その肩書き、本当に「あなた」を表していますか?

肩書きを捨てたとき、はじめて人が動いてくれた。

これは比喩ではありません。私が15年以上のキャリアを通じて、実際に経験したことです。

「コンサルタントです」と名乗っていたころ、相手の反応はいつも似ていました。少し背筋が伸びて、少し距離が生まれる。そして会話が、どこかよそよそしいものになる。私はその違和感を、ずっと「自分の力不足」だと思っていました。でも、そうじゃなかった。原因は肩書きそのものが持つ「構造」にあったのです。

あなたはいま、自分の仕事をどんな言葉で説明していますか?

コンサルタント、マーケター、コーチ、アドバイザー、ファシリテーター。世の中には人の仕事を説明する言葉がたくさんあります。そしてその言葉のどれかを選んだとき、あなたは知らず知らずのうちに「ある関係性」を相手に押しつけています。

私が敬愛するダイレクトマーケティングの世界的権威、ジェイ・エイブラハムはこう言っています。「あなたが本当に相手のことを思うなら、自分の利益よりも相手の繁栄を先に考えなければならない。それができる者だけが、長期的に圧倒的な信頼を獲得する」。彼はこの考え方を「卓越の戦略」と呼びました。

この言葉と向き合ったとき、私は気づきました。コンサルタントという肩書きは、その構造の中に「知っている側と知らない側」という非対称な関係をあらかじめ埋め込んでいる。マーケターという肩書きは、相手を「ターゲット」として見る視点をどこかに忍ばせている。コーチという肩書きは、「あなたには答えがある」という前提を持ち込む。

どれも間違いではない。でも、どれも私ではない。

この記事は、500記事目という節目に、私が「なぜそれらの言葉を使いたがらないのか」を正直に書いたものです。失敗談もあります。恥ずかしい話もあります。製薬会社を辞めてから個人事業主として動き始めた日々の中で、何度も肩書きに逃げ込もうとして、そのたびに違和感を覚えた話もします。

この記事を読み終えたとき、あなたは自分の肩書きや立場について、少し違う角度から考えるようになっているかもしれません。そして、もし今「自分の仕事を何と説明すればいいかわからない」という感覚を持っているなら、この記事はあなたのために書いています。

肩書きは鎧です。でも鎧を着たまま、人の心には近づけません。

その鎧を脱いだとき、何が見えるのか。一緒に確かめていきましょう。

第1章|「コンサルタント」という言葉が持つ、気づかれにくい致命傷

コンサルタントという言葉を聞いて、あなたはまず何を思い浮かべますか?

「高そう」「難しそう」「自分には関係ない」「何をやってくれる人かよくわからない」。

おそらくこのどれかが頭に浮かんだはずです。これは単なるイメージの問題ではなく、言葉そのものが長い時間をかけて積み上げてきた「意味の堆積」です。日本のビジネス文化の中で、コンサルタントという言葉には「高額な費用を払って、分厚いスライドを受け取り、実行は自分でやる仕組み」というイメージが染み込んでしまいました。

私は製薬会社で15年以上、精神科・呼吸器・アレルギー領域の営業を担当し、営業所の管理や本社業務も経験しました。その中で何度も見てきた光景があります。経営コンサルが入り、提案書が届き、半年後には誰もその内容を実行していない。そして翌年、また別のコンサルが呼ばれる。

あれは何だったのだろうと、ずっと考えてきました。

答えは単純でした。コンサルタントという関係性は、「問題を解決する責任」を曖昧にしやすい構造を持っているのです。提案する側は提案で完結し、実行する側は実行で完結する。その間に橋が架かっていない。

私が個人事業主として動き始めたとき、最初は「コンサルタント」という言葉を使ってみました。ひとつには、それが相手にとって一番わかりやすい言葉だったから。もうひとつには、その言葉の後ろに隠れると、自分の正体を説明しなくて済む気がしたから。

これは今でも恥ずかしい告白ですが、肩書きに逃げ込もうとしていたのは確かです。

ところが実際に「コンサルタントです」と名乗るたびに、相手との距離が生まれました。相談が、どこか「発注」めいたものになる。私の言葉が、相手の中で「コンサルタントとしての意見」というフィルターを通して処理される。それがどうにも居心地が悪かった。

第一原理から考えてみます。私がやりたいことは何か。

「相手が自分の力で前に進める状態をつくること」です。そのために私は対話し、問いを立て、判断の整理を手伝う。使うスキルはコンサルティングかもしれないし、コーチングかもしれない。でも、それは手段です。目的は、相手が動き出すこと。

コンサルタントという肩書きは、手段を目的のように見せてしまう。そこが私にとっての致命傷でした。

第2章|「マーケター」という言葉が隠している、相手との体温のズレ

マーケターという言葉もまた、私には手が届きにくい言葉です。

近年、個人発信の世界では「マーケター」を名乗る人が急増しました。集客の設計、購買導線の構築、数字で測る施策。これらを得意とする人たちが、発信の世界に次々と現れています。私自身も、マーケティングの考え方や手法は積極的に活用しています。というより、使えなければ個人事業として成立しない部分もある。

ただ、マーケターと名乗ることで、私は何か大切なものを「失っている」と感じてきました。

その「何か」を言葉にするなら、相手との体温感です。

マーケティングは本来、「相手の課題を市場の文脈で解決する思想」です。ところが実務の場では、どうしても「数字」「効率」「最適化」という言葉に引っ張られ、目の前にいる一人の生身の人間を、いつの間にか「コンバージョン率」として見てしまう危険があります。

私が15年の医薬品営業を通じて学んだ最大のことは、情報の正確さと相手が動くことの間には、巨大な溝があるということです。

精神科領域では、医師に処方の変更を促すための正確な臨床データが手元にありました。効果のエビデンスも、安全性のデータも、比較試験の結果も。でも、それを丁寧に説明すれば相手が動くかというと、そうではなかった。

動いてもらえたときは、必ずこう感じていました。「この人は私のことをわかろうとしている」と相手が感じてくれたとき、だけです。

マーケターという言葉は、その溝に橋を架ける前に「こういう手法が効果的です」という武器を持ち出してしまいがちです。手法は確かに強力です。でも、橋のない川では、どんな武器も届かない。

私はその順番を変えたい。まず人と向き合い、溝に橋を架ける。その上で必要なら、マーケティングの手法も使う。

だから私は、マーケターを名乗らないのです。

第3章|では「私は何者か」——第一原理から考えた、自分の仕事の正体

肩書きを否定するのは簡単です。でも、否定したあとに何が残るのか。

この問いに向き合わなければ、単なる「肩書き嫌いの人」で終わってしまいます。私が本当に伝えたいのはそこではないので、この章では「では私は何をやっている人間なのか」を、できる限り正直に言語化してみます。

第一原理思考とは、物事をその根本まで分解し、前提や慣習を取り除いたうえで、本質から再構築する考え方です。コンサルタントでも、マーケターでも、コーチでもないとすれば、私の仕事の「最小単位」は何か。それを問い続けた結果、たどり着いた言葉があります。

「外部の意思決定支援」です。

難しく聞こえるかもしれないので、噛み砕きます。

人は、ひとりで判断するとき、必ずバイアスを持ちます。自分の経験から来る思い込み、感情から来る歪み、情報の偏りから来る誤認識。これらは誰にでもあり、本人にはなかなか見えません。

そこに外側から入り、「いまあなたの判断はここで詰まっていませんか」「この前提、本当に正しいですか」「選択肢はこれだけではないかもしれません」と問いかける。それが私の仕事の核心です。

これは診断でも評価でもなく、相手の思考を整える「伴走」に近い。コンサルティングの手法を使うこともあります。コーチングの問いかけを使うこともあります。営業の経験から来る「相手の課題の本質を見抜く目」を使うこともある。でも、それらはすべて手段であり、目的は「相手が自分の判断で前に進める状態をつくること」です。

ここで一つ、失敗談をお話しします。

個人事業を始めて間もないころ、ある経営者の方から相談を受けました。「売上が伸びない。何が問題か教えてほしい」というものでした。私はその言葉を真に受けて、売上が伸びない理由を分析し、改善策を提案しました。数字を使い、論理を組み立て、それなりに説得力のある提案ができたと自負していました。

ところが、数週間後に連絡が来ました。「提案の内容はよくわかった。でも、動けない」と。

私はその言葉の意味を、最初は理解できませんでした。提案は正しかった。論理は通っていた。なぜ動けないのか。

やがてわかりました。その経営者の方が本当に抱えていた問題は「売上が伸びないこと」ではなく、「誰に相談していいかわからず、孤独に判断を重ねてきた疲弊感」だったのです。売上の問題はその症状であり、本質は意思決定の孤立にありました。

私が提供すべきだったのは改善策ではなく、「あなたの判断は間違っていない」という確認と、「次の一手を一緒に考える」という伴走だったのです。

この経験から、私は自分の仕事を「問題を解く」ことではなく「判断できる状態をつくる」ことと再定義しました。

そしてその定義は、コンサルタントとも、マーケターとも、コーチとも、少しずつ違う。だから私は、それらの言葉を主語にしたくないのです。

「少し先をいく人」でいることの意味

私はよく「専門家ではなく、少し先をいく人」という立場を意識しています。

専門家とは、特定の領域において圧倒的な知識や技術を持つ人です。そして専門家には、暗黙の権威があります。「私が言うことが正しい」という関係性が、どこかに生まれやすい。

でも私がやりたいのは、相手に「あなたが正しい」と言わせることではなく、相手が「自分で正しいと思える」状態をつくることです。

「少し先をいく人」とは、相手より少しだけ多くの失敗をして、少しだけ多くの壁を越えてきた人です。圧倒的な高みから答えを授けるのではなく、「私もここで詰まりました。こうやって抜けました」という経験を共有できる存在。

その距離感が、私の仕事の質感に最も近い。

15年の医薬品営業、本社業務での経費監査や社内システム導入の経験、そして製薬会社を辞めてから個人事業主として動き始めるまでの試行錯誤。それらは専門資格ではありませんが、「この道を一度歩いた人間の言葉」という重みを持っています。

私が提供できるのはその重みです。肩書きではなく、経験の密度です。

第4章|肩書きに頼るとき、人は何を失っているのか

ここまで読んでいただいた方には、もう一段深い話をします。

肩書きを使うことには、明確なメリットがあります。相手に自分の役割を素早く伝えられる。信頼の土台を短時間で作れる。価格の根拠を示しやすい。これらは否定できない実用的な価値です。

では、肩書きに頼ることで何を失うのか。

私が感じてきたのは、大きく三つです。

一つ目は、「自分の仕事を考え続ける習慣」です。

コンサルタントと名乗った瞬間、自分の仕事の定義はある程度「借りもの」になります。コンサルタントとはこういうものだ、という社会的なイメージに引っ張られて、自分が本当に何をすべきかを問い直す必要がなくなる。これは楽ですが、思考の停止でもあります。

個人事業主として動く以上、自分の仕事の定義は自分でし続けなければなりません。その問いを手放したとき、人は肩書きの「型」に収まろうとします。型に収まると、型からはみ出したクライアントの課題に応えられなくなる。

二つ目は、「相手との正直な対話」です。

肩書きがあると、相手は期待値を持って話しかけてきます。「コンサルタントなら、こういうことを言ってくれるだろう」「コーチなら、こういう問いかけをしてくれるだろう」という前提が相手の中にある。

その前提に応えようとすると、相手が本当に必要としていることではなく、「コンサルタントとして言うべきこと」を探してしまう。これは誠実さの喪失です。

私はある時期、クライアントに「それは今すぐやる必要がないと思います」と言えずにいた時期がありました。コンサルタントとして何かを提案しなければならないという圧力が、自分の中にあったからです。でも、本当に相手のためになることは、「今は動かないこと」だったりする。ジェイ・エイブラハムの言う「相手の繁栄を自分の利益より先に考える」とは、まさにこういう場面で試されるものです。

三つ目は、「自分自身の変化への柔軟性」です。

肩書きは、ある意味で「過去の自分の定義」です。コンサルタントと名乗った瞬間、その言葉が持つ慣習や期待値が自分に貼りつく。でも人は変わりますし、仕事の質も変わります。私の場合、医薬品営業で培ったスキルと、個人事業主として経営支援をする現在のスキルは、根は同じでも表現がかなり異なります。

その変化に正直でいるためには、固定された肩書きは邪魔になることがある。

だから私は、自分の肩書きを「外部意思決定支援」という、やや不格好な言葉で持ち続けています。不格好だけれど、これは自分で考えた言葉です。借りものではない。その手触りが、私には大切なのです。

肩書きを使う人を否定したいわけではない

ここで一つ、誤解を解いておきます。

コンサルタントやマーケターやコーチを名乗る人を、私は批判したいわけでは全くありません。それらの肩書きを誠実に、深く体現している方々がたくさんいることも知っています。

私が言いたいのは、「その言葉が自分にとって本当に正直かどうか」を一度問い直してほしいということだけです。

自分の仕事の定義を自分の言葉で持っている人は、強い。なぜなら、その定義は揺れないから。相手に何を言われても、市場の流行が変わっても、「私がやっていることはこれだ」という軸がある。

その軸を持つために、肩書きという借りものを一度手放すことを、私は個人的に勧めています。

第5章|スキルとしてのコンサルティング・コーチング——「使う」と「なる」の決定的な違い

この章が、この記事の中で私が最も伝えたい核心です。

私はコンサルティングのスキルを使います。コーチングの手法も使います。ただ、私はコンサルタントではなく、コーチでもありません。

この言い方が矛盾に聞こえるかもしれないので、丁寧に解きほぐします。

料理人はナイフを使います。でも「私はナイフです」とは言わない。大工はハンマーを使います。でも「私はハンマーです」とは言わない。スキルや道具は、目的のために使うものです。目的そのものではない。

コンサルティングとは、問題の構造を分析し、解決の道筋を整理するスキルです。コーチングとは、問いかけによって相手の思考を引き出し、自己決定を促すスキルです。どちらも強力な道具であり、私は状況に応じて使い分けています。

ただ、「コンサルタントになる」ことと「コンサルティングを使う」ことには、決定的な違いがあります。

「なる」とは、その役割に自分を同一化することです。コンサルタントになると、相手の課題を「コンサルタントとして解くべき問題」として見てしまう。すると、コンサルティング的に解けない問題が出てきたとき、自分の限界を感じたり、相手の課題をコンサルティング的に解ける問題に歪めてしまったりする。

「使う」とは、目的のために道具を選ぶことです。相手の課題を見て、今必要なのはコンサルティングか、コーチングか、それとも単純に話を聴くことか、を判断し、適切な道具を選ぶ。その判断の軸は、「相手が前に進めるかどうか」です。

この違いは、実際の現場で明確に現れます。

たとえば、ある方が「事業の方向性を整理したい」と相談してきたとします。コンサルタントとして受けると、私は分析と提案に向かいます。コーチとして受けると、私は問いかけに向かいます。

でも、「外部の意思決定支援者」として受けると、私はまず「この人が本当に整理したいのは何か」を探ることに向かいます。そして、その答えが出てから、使うべき道具を選ぶ。

この順番の違いが、最終的な成果に大きく影響します。

15年以上の営業経験の中で、私が最も多くの成果を出せた場面は、「自分の役割を固定せずに動けた場面」でした。担当医師が本当に困っていることを聴くために、今日はMRとしての役割を一時脇に置く。その判断ができたとき、対話が変わり、関係が変わり、処方が変わりました。

これは医薬品営業に限った話ではありません。

経営者との対話でも、組織内のマネジメント支援でも、個人の意思決定の伴走でも、「自分が何者かに縛られないこと」が、相手への最大の贈り物になることがあります。

私がコンサルタントでもマーケターでもコーチでもないのは、その自由を手放したくないからです。

そしてその自由があるからこそ、私は相手に対して「今あなたに必要なのはこれではないと思います」と言える。それが、ジェイ・エイブラハムの言う「卓越性」の実践だと、私は信じています。

「スキルとして使う」ことで見えてくる、もう一つの景色

スキルとして使うと決めたとき、もう一つの変化が起きます。それは、自分の学びの姿勢が変わることです。

コンサルタントになると、「コンサルティングをもっとうまくやる」方向に学びが向かいます。コーチになると、「コーチングをもっと深める」方向に向かう。これ自体は悪いことではありませんが、視野が狭まりやすい。

スキルとして使う立場でいると、「相手が前に進むために何が必要か」という問いが学びの起点になります。すると、コンサルティングもコーチングも、心理学も、営業の技術も、マーケティングの思想も、すべてが「相手のための道具」として並列に見えてくる。

私がnoteで発信している内容も、この視点から来ています。営業、心理、思考整理、判断の構造、対人支援の実践知。これらはバラバラに見えて、すべて「人が前に進むための道具の使い方」という一本の線でつながっています。

その線を持っているかどうかが、「スキルを使う人」と「スキルに使われる人」の違いだと、私は考えています。

第6章|「肩書きのない人」に仕事が来る理由——信頼の構造を解剖する

肩書きを持たないと、仕事が来なくなるのではないか。

これは、私が個人事業を始めたころに最も恐れていたことです。そして今、その恐れが的外れだったと断言できます。むしろ逆でした。肩書きを手放したとき、仕事の質と深さが変わりました。

なぜそうなるのか。信頼の構造から考えてみます。

人が誰かに仕事を依頼するとき、その判断の根拠は大きく二種類あります。一つは「この人の肩書きや実績が信頼できるから」。もう一つは「この人そのものが信頼できるから」です。

前者は、肩書きや資格や数字が作る信頼です。初対面の相手に対しては有効に機能します。「大手コンサルファーム出身」「資格保有者」「実績〇〇件」という情報は、判断の拠り所になる。

ただ、この種の信頼には限界があります。肩書きへの信頼は、肩書きが通じる文脈でしか機能しない。そして、肩書きが失われたとき、信頼も一緒に消えます。

後者は、その人の思考、姿勢、言葉、行動の積み重ねが作る信頼です。これは時間がかかります。でも一度できると、肩書きが変わっても、市場が変わっても、消えない。

私がnoteで500記事を書き続けてきたのは、この後者の信頼を積み上げるためです。記事の一本一本が、「チャーリーという人間はこういう視点を持っている」「こういう問いを立てる」「こういう失敗をして、こう立て直した」という情報の蓄積です。

肩書きは名刺に書ける。でも、思考の質と誠実さは、時間をかけた発信の中にしか宿りません。

「何者か」より「どう見ているか」が問われる時代

いま、情報の非対称性は急速に縮まっています。かつては「専門家だけが知っている情報」が価値を持っていました。でも今は、調べれば多くのことがわかる。知識だけでは差がつきにくい時代です。

そこで価値を持つのは、「どう見るか」という視点の質です。

同じ事象を見ても、何を問題として捉え、どこに本質があると見立て、どういう順番で解くかを提示できる人。その「見方」が、いまの時代における本当の専門性だと私は考えています。

私がコンサルタントやマーケターの肩書きを使わない理由も、ここにつながります。肩書きは「何者か」を伝えますが、「どう見るか」は伝えません。でも、仕事を依頼したい人が本当に知りたいのは後者です。

「この人は私の状況をどう見るのか」「この人の視点は信頼できるか」「この人と話すと、自分の思考が整うか」。これらは、肩書きでは答えられない問いです。答えられるのは、言葉と思考の積み重ねだけです。

500記事という数字は、その積み重ねの量を表しています。1記事ずつ、自分の視点を言語化し続けてきた痕跡です。

第7章|この記事を読んでいるあなたへ——「自分の言葉で仕事を定義する」ということ

最後に、この記事を読んでいるあなたに、直接話しかけさせてください。

もしあなたが今、自分の仕事を何と説明すればいいかわからないと感じているなら、それは弱さではありません。むしろ、自分の仕事に対して誠実であろうとしているサインです。

肩書きに収まれない感覚は、「自分の仕事はもっと複雑で、もっと人間的で、既存の言葉では説明しきれない」という本能的な認識から来ています。その感覚は、正しい。

人の仕事は、本来そんなに単純ではありません。特に対人支援に関わる仕事は、相手によって形が変わり、状況によって手法が変わり、関係性によって深さが変わる。それを一言で説明しようとすること自体に、無理があります。

では、どうすればいいか。

私の提案はシンプルです。「自分が何をやっているか」を、借りものの言葉ではなく、自分の経験と言葉で語り続けることです。完璧な定義を一度で見つけようとしなくていい。語りながら、書きながら、対話しながら、少しずつ輪郭が見えてくる。

私もまだ、その途中にいます。

「外部の意思決定支援」という言葉は、今の私の最善の定義です。でも1年後には、また少し違う言葉になっているかもしれない。それでいいと思っています。定義が変わるということは、仕事が深まっているということだから。

ジェイ・エイブラハムはこう言いました。「あなたが持っている本当の価値を、相手に正直に伝えることを恐れるな。価値を隠すことは、相手への裏切りだ」と。

自分の仕事を自分の言葉で定義し、それを正直に伝え続けること。それが、長く続く信頼の土台になります。

肩書きは借りものです。でも、自分の言葉は誰にも借りられない。

私は500記事を通じて、その「自分の言葉」を少しずつ育ててきました。この記事も、その一本です。

まとめ|コンサルタントでもマーケターでもない私が、それでも仕事を続けられる理由

この記事でお伝えしてきたことを、最後に整理します。

私がコンサルタントやマーケターという言葉を使いたがらない理由は、それらの言葉が「相手との関係性に、気づかれにくいノイズを持ち込む」からです。コンサルタントは「知っている側と知らない側」の非対称を、マーケターは「ターゲットとして見る視点」を、どこかに忍ばせてしまう。

私がやりたいのはそれではなく、「相手が自分の判断で前に進める状態をつくること」です。そのためにコンサルティングのスキルを使い、コーチングの問いを使い、15年以上の営業経験から来る「相手の本質を見抜く目」を使う。しかしそれらは手段であり、私の正体ではありません。

肩書きは確かに便利です。でも、肩書きに自分を同一化したとき、人は「肩書きとして応えること」に縛られます。私はその縛りを手放したかった。そして手放したことで、相手に「今あなたに必要なのはこれではないと思います」と言える自由を得ました。

500記事という節目に書いたこの記事が、あなた自身の「仕事の定義」を問い直すきっかけになれば、それ以上に嬉しいことはありません。

あなたの仕事は、借りものの肩書きより、ずっと豊かなはずです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

スキやフォロー、ときにはコメントまで行動を起こしていただけることが、私にとって本当の励みになっています。おかげさまで500記事という節目を迎えることができました。これからも、あなたの判断や思考が少し軽くなるような記事を書き続けていきますので、引き続きよろしくお願いいたします。

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