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『京都 市電の友』はいつ創刊されたのか。

『京都 市電の友 新年號』(昭和6年1月1日発行)の編集後記には、こんな一節があります。

「本市電の友も愈々第3巻が発刊されるにいたりました。同人雑誌なら此の頃からそろそろ廃刊の徴の表るるものである。」

市電の友 編集後記より抜粋

この文章を読んだとき、ある疑問が浮かびました。

『京都 市電の友』はいったいいつ創刊され、どのような間隔で発行されていたのだろうか。

冊子には「第○号」といった表記がなく、発刊の経緯についても記されていません。

当初、私は京都市交通局の局内報『しゃりん』の前身ではないかと考えていました。

しかし、『しゃりん』のバックナンバーから推測すると創刊は昭和39年頃であり、『京都 市電の友』とは30年以上の隔たりがあります。

さらに調べても、インターネット上にはほとんど情報がなく、主要な図書館の目録にも見当たりません。

まさに「謎の雑誌」でした。

そこで、冊子の中に手がかりがないか読み返してみると、

  • 編集後記に「第3巻が発刊される」

  • 11頁に「10月号に記載した」

  • 31頁に「1930年10月号」

  • 33頁に「7月号」

という記述を見つけました。

さらに、掲載内容の多くが9月から11月の出来事であることから、

「隔月刊で、創刊は昭和5年7月頃ではないか」

という仮説を立てました。

しかし、ここから先は推測だけでは限界があります。

そこで京都歴史資料館を訪ね、学芸員の方に相談しました。

『こんにちは京都市電』(京都市文化財ブックス第35集)の資料目録も確認していただきましたが、『京都 市電の友』の記載はありませんでした。

京都歴史資料館や京都駅の総合観光案内所等で購入できます

学芸員の方も「初めて見ました」とのこと。

局内報のような冊子は、車両や公文書とは異なり、公的機関で保存されにくい資料なのだそうです。

ところが、その場で思いがけない情報を教えていただきました。

『新聞雑誌社 特秘調査』に掲載されている可能性があり、京都府立図書館に所蔵されているというのです。

早速調べてみると、『新聞雑誌社 特秘調査』は昭和2年11月17日付で内務省警保局が全国の新聞社・雑誌社・通信社の実態を調査した極秘資料でした。

もし『京都 市電の友』が掲載されていれば、その時点で公的に存在が確認されていたことになります。

期待しながらページをめくると、確かに掲載されていました。

記載内容は次のとおりです。

  • 題号:『京都 市電の友』

  • 創刊年月日:昭和2年10月10日

  • 発行形態:月刊(月1回)

  • 発行部数:2,000部

  • 発行所:下京区壬生馬場町※当時

  • 発行人:松岡慎吾

  • 頒布区域:東京府・大阪府・神奈川県・愛知県・京都府

  • 関係者:小原嘉三郎

この記録を見た瞬間、思わず声が出そうになりました。

私が読んでいた昭和6年の『京都 市電の友 新年號』は、すでに3年以上続いていた月刊誌だったのです。

これまで立てていた「昭和5年創刊・隔月刊」という仮説は完全に覆されました。

一方で、新たな疑問も次々と生まれます。

発行所の住所は壬生車庫の北側にあたりますが、現在はほぼ住宅地で本当に編集部があったのでしょうか。

発行人の松岡慎吾は、後に『市電の使命』を著した人物ですが、『京都市営電気事業沿革誌』にはその名が見当たりません。

発行部数2,000部は、昭和天皇即位大礼に伴う職員増員後の京都市電職員数とほぼ一致します。

基本的には職員向けの雑誌だったと思われますが、頒布区域には東京・大阪・神奈川・愛知まで含まれています。

また、小原嘉三郎は当時の運輸課長・電車課長を歴任した人物です。

こうして見ると、『京都 市電の友』は単なる局内報ではなく、対外的な役割も担っていた可能性が浮かび上がってきます。

さらに編集後記には、こんな内容も記されています。

投稿が少なく質疑応答欄を休載せざるを得なかった。電鐵共済会員がいる限り、本誌は会員のために発刊されるべき雑誌であり、利用されなくなれば存在意義を失ってしまう。

市電の友 編集後記抜粋・要約

会員からの投稿を中心に毎月編集することは、当時としても相当な労力だったはずです。

創刊から3年が経過し、投稿数が減少していたこともうかがえます。

その後、戦時下で物資や人員が不足する中、『京都 市電の友』はどこまで刊行が続いたのでしょうか。

ある時点で休刊したのか、それとも形を変えて『しゃりん』へ受け継がれていったのか。

その答えを知るためにも、いつか『しゃりん』創刊号を確認し、両誌のつながりを探ってみたいと思います。

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