先駆の道、覇者の靴音
三好長慶という男は、日本史における「早すぎた果実」であったかもしれない。 彼は、織田信長が出現するよりも十年以上も前に、畿内(きない)という日本の心臓部を掌握し、事実上の統一政権を樹立していた。 その統治手法は、驚くほど近代的であった。堺の豪商と結んで経済を回し、キリスト教を保護して南蛮の文物を入れ、法を整備して裁判で物事を決する。戦国大名というよりは、近代国家の宰相に近い。
永禄二年(一五五九)三月。 その長慶の支配する京の都へ、尾張から一人の若者がやってきた。織田上総介信長、二十五歳である。 手勢はわずか五百。将軍・足利義輝への拝謁(はいえつ)を名目としていたが、その実は、上洛という軍事行動の予行演習であったことは疑いない。 京の人々は、この田舎大名の行列を嘲笑した。供の者が持つ槍は異様に長く、朱色に塗られ、信長自身の装いも傾奇(かぶ)いていたからである。だが、その嘲笑は、行列が三好の屋敷の前を通る頃には、奇妙な沈黙へと変わっていた。
信長は、まず二条御所へ向かった。 時の将軍、足利義輝に拝謁するためである。義輝はこの頃、三好長慶の傀儡(かいらい)として京に置かれていたが、その血筋と剣豪としての武名により、辛うじて武家の棟梁としての威厳を保っていた。
御所の奥、薄暗い謁見の間。 信長は、平伏していた。その作法は、古今の礼法に照らしても一分の隙もないほど完璧であった。 「上総介、面(おもて)を上げよ」 義輝の声が響く。信長が顔を上げた。 義輝は、この若者の眼光に、一種の寒気を感じた。信長が見ているのは「将軍」ではない。「室町幕府」という、すでに死に体となった巨大な骸(むくろ)を検分するような、冷徹な観察者の目であった。
「わずか五百の手勢で上洛とは、大胆なことよ。三好の軍勢が怖くはないか」 義輝が問うと、信長は涼しい顔で答えた。 「都見物に、大軍は無粋にございます。それに、三好殿は利に聡(さと)きお方。銭にならぬ戦(いくさ)はなされますまい」 「……左様か」 義輝は寂しげに笑った。 「そなたは、世の姿がよく見えているようじゃ。……三好の作りし檻(おり)の中で飼われる余の姿も、な」 信長は何も答えず、ただ深々と頭を下げた。彼にとって将軍とは、敬うべき対象ではなく、利用価値のある「道具」であると、この瞬間に値踏みを終えていたのかもしれない。
その日の午後。信長は、京の治安を預かる三好家の屋敷へ挨拶に向かった。 本来なら長慶自身が会う必要はない。だが、長慶は松永弾正久秀を伴い、あえてこの若者と対面することを選んだ。 場所は、堺の豪商がしつらえた茶室である。
茶室に入った信長は、床の間の名画を一瞥(いちべつ)もしなかった。 対座した長慶が、静かに茶を点てる。その横で、久秀が爬虫類のような粘着質な視線を信長に送っていた。
「織田殿」 久秀が口火を切った。 「尾張では、茶の湯よりも鉄砲を好まれると聞く。この都の雅(みやび)は、いささか退屈でござろう」 挑発である。だが、信長は茶碗を手に取り、一気に飲み干すと、不敵に言い放った。 「雅とは、強き者が作る秩序の上に咲く花にございます。……土台が腐っていては、花も腐りましょう」
空気が凍りついた。 長慶の手が止まる。彼は静かに信長を見据えた。 「腐っている、と申すか。我が治めるこの畿内が」 「三好殿は、腐った柱に添え木をして、懸命に倒壊を防いでおられる。その手腕、見事と言うほかはない」 信長は悪びれもせずに続けた。 「されど、俺なら柱ごと焼き払う。更地にして、鉄(くろがね)の柱を建てる」
長慶は、微かに溜息をついた。 彼は理解した。目の前の若者は、自分とは根本的に異なる生物であると。 長慶は「修繕者(リフォーマー)」であり、信長は「破壊者(デストロイヤー)」である。長慶が理性を重んじるのに対し、この男は、現状を否定することに快楽すら感じている。
「……上総介殿」 長慶は、茶碗を置いた。 「焼き払うは易し。だが、瓦礫の上に城は建たぬぞ」 「建ちまする」 信長は即答した。 「俺が建てる。……三好殿が整地してくれた、この平らな石畳の上に」
会見は短時間で終わった。 信長が去った後、久秀は長慶に進言した。 「殿、やはり斬りましょう。あれは、いずれ災いとなります」 長慶は首を横に振った。 「殺すな」 「なぜでございます」 「目が、良い」 長慶は、自身の合理精神が奇妙に共鳴するのを感じていた。 「あれは、私が見ている『道』の、さらに先を見ている。……悔しいが、私には壊せぬ」
それから五年後の永禄七年。三好長慶は河内飯盛山城で病没した。 巨星が墜ちると、重力場が狂う。 残された三好三人衆と松永久秀は、長慶のような「国家の設計図」を持たず、ただ恐怖に駆られて暴走した。翌年、彼らは二条御所を襲撃し、あの足利義輝を殺害するという、日本史上の汚点ともいうべき暴挙を引き起こす(永禄の変)。 彼らは、将軍という「権威」を御しきれなくなり、物理的に消滅させる道を選んだのである。だが、それは天下万民を敵に回す自殺行為であった。
そして、長慶の予言通り、その男はやってきた。 永禄十一年(一五六八)九月。織田信長の上洛である。 かつて五百の兵で歩いた道を、今度は六万の大軍勢を率いて、信長は進軍してきた。その旗印には、殺された義輝の弟・足利義昭を掲げている。「大義」は完全に信長にあった。
三好の崩壊は、雪崩(なだれ)のごとくであった。 信長の進軍速度は、当時の常識を遥かに超えていた。皮肉なことに、三好長慶が生前に整備し、関所を撤廃して人流を良くした畿内の街道が、そのまま信長の進軍を助け、三好一族を駆逐するための滑走路となったのである。
この時、松永久秀はどうしたか。 彼は、信長が京へ入るや否や、名物茶入「九十九髪茄子(つくもかみなす)」を差し出して恭順を示した。 久秀は見ていたのである。長慶という「理」の人が去り、信長という「魔」の人が時代を塗り替える様を。彼は、ためらうことなく新しい覇者の靴に口づけをした。
後年、信長は安土の城で、茶の湯の席に松永久秀を招いたことがある。 久秀は信長の同盟者として、あるいは老獪(ろうかい)な教師として、その席に侍(はべ)っていた。
「弾正(久秀)」 信長は、茶碗を回しながら唐突に尋ねた。 「お主の旧主、三好修理(長慶)と俺と、どこが違う」
久秀は、一瞬の隙も見せずに答えた。 「修理様は、天下を『治めよう』となされました。上様(信長)は、天下を『従えよう』となされております」 「ほう」 「修理様は理(ことわり)の人。上様は魔の人。……ただ、一つだけ似ておいでです」 「何だ」 「早すぎた、ということでございます」
信長はニヤリと笑い、茶を一気に飲み干した。 「三好が築いた石垣(いしがき)は、悪くなかったぞ。ただ、その上に建てる天守の図面が、いささか小さすぎただけのことよ」
歴史というものは、常に残酷な普請(ふしん)場である。 ある者が泥にまみれて荒野を拓(ひら)き、地均(じなら)しをしたその場所へ、次の者が現れて巨城を築く。 三好長慶が整地し、敷石を置いた畿内という土台があったからこそ、織田信長という覇者は、足元を気にすることなく、天へと駆け上がることができたのである。
京の町には、長慶が整備した石畳が、今も信長の、そしてその後の秀吉や家康の軍靴の響きを記憶しているかのようであった。 その茶会の後、松永久秀が再び信長に背き、爆炎の中で消えるのは、また別の話である。
(了)
