「死と再生」を人は繰り返す
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どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。
共育LIBRARYりょーやん、元教師です。
あなたは死ぬことがこわいでしょうか。
この問いに関しては、
人によって色々な角度の返答が
返ってきそうです。
死ぬことが恐いのは、
人間としての自然な感情です。
しかし、実は、
我々は既に何度も「死」を体験しています。
臨床心理においては、
「死」というものを象徴的な意味で扱います。
そして、
死と必ずセットになって登場するが、再生。
死と再生というものの本質を考えれば、
死を必要以上に恐れることなく、
人生の捉え方を変容させ
人生を豊かにすることにつながるかもしれません。
今回は、そのような
「死と再生」というものを
腰を据えて扱ってみる内容にしていきます。
何か気づきある内容になれば幸いです。
死を潜り抜けて再生する

臨床心理を学んでいると、
様々な「死」と出くわします。
病気になって死ぬ直前に、
人生の未消化なことを整理する手伝いをする事例。
治療中に、
クライエントの家族が
死んでしまうという事例。
そして、
自分自身を傷つけ、
死の間際までいってしまう事例。
そのような、
生命体としての命が終わるという死が出てくる一方で、
象徴的な死というものも
多く出くわします。
身体的な死。
精神的な死。
これまでの自分を一度殺し、
新しい自分に生まれ変わるプロセス。
うつ病になり、
これまでの自分を捨てざるを得ない
精神的な死の状況に追い込まれるが、
一度どん底まで落ち切ると、
今度は再生のエネルギーが生まれていく。
未遂をすることで身体的な死を経験すると、
なぜか治療がよい方向に向かい始める。
再生の道を歩むためには、
傍で支えてくれる人等の条件がありますが、
「死」を体験することで
人間は再生が始まるのです。
自分の中には存在しないと思っていた、
回復力、生命力、エネルギーなどが
潜在的に備わっていることに気づいていく。
そのためには、
死を潜り抜けるプロセスが必要になってくるのでしょう。
両親を「殺す」ことで大人になる

人間の発達というものは、
象徴的な死と再生の繰り返しです。
乳児期から幼児期に移行する際は、
母親と一体化していた状態から、
痛みを伴って分離をしなければいけません。
これは、
一体化して生きながらえるというこれまでの自分を殺し、
新しい自分に生まれ変わるという
プロセスでもあります。
その新しい自分への再生の道筋の中で
「自我」というものが育っていく。
思春期などもまさにそうです。
子どもである自分を殺し、
大人に生まれ変わらなければならない時期。
そのためには、
精神的に父親と母親を殺す必要があります。
絶対的に依り代にしていた両親。
それまでは両親の価値観こそが
正しい世界で生きてきたはずです。
しかし、
大人になって自立していくためには、
自分のアイデンティティを築かなくてはならない。
そのためには、
両親の存在にそれを妨げられてはならないのです。
よって、精神的に両親を殺し、
自分のアイデンティティは何かという
葛藤の苦しみの渦中に身を投げ
もがきながらも新しい自分に向けて再生をしていく。
もし、
何らかの理由で
両親を象徴的に殺すことができないと
どうなるのでしょうか。
両親の機嫌を取ってしまう。
両親を殺すための怒りを表出することができない。
これらの原因を遡ると、
乳児から幼児になる
最初の象徴的な死の段階で
うまくいかずに自我を形成できなかったことに行着くのですが、
象徴的に両親を殺せないのならば、
自己のアイデンティティの形成が
ひどくもろいものとなり、
いつまで経っても思春期の精神構造でいることになります。
すると、
相手に嫌われることを極端に恐れたり、
人生を前に進めるエネルギーが
枯渇してしまったりする。
多少は相手に嫌われようとも、
堂々と自分の意見を述べることができる。
自分の長所と短所を含め、
自分らしさとは何かという軸が
しっかりと定まっている。
幼虫が蛹になり、
蛹から蝶になるように
人間も死と再生を何度も潜り抜けなければ、
「大人」になることができないのです。
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