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「何をしたいかが分からない」主体性の根幹に迫る(臨床心理視点)

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どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。


先日、ふと流していた動画の中で

「学校は主体性ではなく自主性を好む」

ということが話されていました。

自主性は主体性とは違い、

「先生や大人が望む方向に沿った進んだ行動をする」

というニュアンスのことを
話していました。

筆者はそれを耳にして、

「確かにほとんどはその通りだな」

と感じると同時に、
1年生の頃は元気いっぱいに挙手していた子どもが

高学年になるほど
手を挙げなくなる現象
を思い浮かべていました。

では、自主性とは違う
「主体性」というものは何なのでしょうか。

今回は教育的な観点ではなく、
臨床心理的な観点を用いながら
主体性というものの本質に迫っていきます。

何か気づきある内容になれば幸いです。



「やりたいことがない」クライアント

よくメディアなどで耳にするのは、

「将来何がやりたいのかが分からない」

という言葉です。

将来やりたいこと、
将来つきたい仕事などが
分からない人は一定数います。

ただ、
学生であるうちは
多様な仕事を知らないし
実際に見たことがないから
イメージがわいてこない部分は大きいと思います。

一方で、
要因はそれだけではない気もする。

カウンセリングや事例検討では、

「自身のやりたいことが分からない」

と主張するクライアントに
そこそこ遭遇する感覚があります。

それは、
自分のやりたい仕事が分からない意味合い以上に、

そもそも
何が好きかもあまり分からないレベル

カウンセリングでは多いかもしれません。

そのようなクライアントは、
どのような背景を持っているのか。

傾向として感じるのは、
幼少期に親が先回りをして
過保護に関わり過ぎてしまったり、

しつけを厳しくし過ぎて、
失敗に対して罪悪感や脅威
覚えさせてしまったりする場合。

もしくは、
ネグレクト傾向であることにより、

人に自分の感情を
キャッチされてこなかったことから、
自身の感情もキャッチできなくなって
無気力状態のように陥っている
場合もあるでしょう。

では、主体性とは
そもそもどうやって育っていくのでしょうか。


依存と自律と自我

まずは、
乳児期には
泣きわめいたりする発信を
1つ1つキャッチされ受け止めてもらう
ことにより

世界に対する信頼、
基本的信頼感
というものが形成されていきます。

本当はもっと細かいのですが、
ここはかなりざっくりいきます。

そして、
大体1歳から2歳の時期に、
依存と自律を繰り返す時期が訪れる。

「ここまで自分でできるようになった」
という喜びのもと
親と離れて探索をするようになる。

しかし、
ふとしたときに親がいないことが不安になり、
今度はべったりと依存をする。

そして、
その依存が十分に満たされると

親のことを煙たがり、
自分で探索したいという欲求
が生まれる。

この繰り返しをして、
自律と依存の葛藤を
自身の中に統合
していきます。

ここで
一見無秩序に見える行動を
過度に叱ったり責めたり

もしくは、
分離しようとする子どもを
取り囲んだり
していくと

「僕・わたしは自律してはいけないのだ」

というメッセージを受け取ることになる。

つまり、
主体性を発揮してはいけないのだと
受け取ることになります。

順調に統合していけば、
ここから自我の力が育ってくるのですが、

成長してはいけない思いがあれば、
精神的な発達は
アンバランスなものになっていく。

このことは、
冒頭の学校の話にも共通している気がします。

「先生の思う通りに行動するのが良い子」

であるならば、それは

「先生のもとを離れようとするような自立する子はよくない子」

というメッセージにも
なりかねません。

そうなると、
大人の考えに捉われずに
真に自分のやりたいことを探究するような

「主体性」というものは、
育まれにくくなるのが現実だと思います。

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