顔のない肖像画
天才洋画家・有織一成の死後、顔のない未完成画『哀惜』の原画と思われる肖像画が生家の土蔵に仕舞い込まれていた行李の中から出てきた。
いつ描かれたものなのかは不明だが、号数こそ違えども構図も描き込められている着物の地色、紋様、帯柄などのことごとくが一致していた。
その原画の出現により顔のない人物は、当時恋仲と噂されていたモデル嬢ではなく、七歳の時に亡くした実母・芙美(ふみ)だったことが明らかとなった。
画廊の照明をすべて落とし、未完成画と完成画の二枚にだけスポットライトを当てて見比べている。ただ単なる鑑賞というのではなく、限りなく冷徹な目で籠められているメッセージを読み取ろうとして。
死期が迫りつつあった彼が病床で思い浮かべていたのは、この母親像だったのではないか。儚げな映像に慰められ、癒されていたのではないだろうか。
彼は完成させることなく、享年二十七歳という若さでこの世を去った。短い生涯だった。病室にF10号の顔のない肖像画だけがダイイング・メッセージのように遺された。
キャンパスの裏面には年月日もサインもなく、ただタイトルだけが記されていた。手記や遺言のようなものもなかった。
死ぬ間際まで絵筆を離さなかったという。『哀惜』画への執着、執念はどこから生まれていたのだろう。
描き上げられなかったのは病衰のせいだとする美術評論家の解釈は、私には皮相浅薄な見方のように思われる。
消え去らぬ若かりし母親像を今一度描き直したいと思い立ち絵筆を執ったものの、完璧を求める峻烈な魂がいい加減な仕上がりを許さなかった……という見方は穿ち過ぎだろうか。
幾度も塗り重ね、削られた痕跡が確認できる。衰弱していく肉体が絵筆の運びを妨げようとも、描かんとする、描き尽くさんとする意志までを奪い去ることはできなかった。
彼は死を前にして皮相なありふれた肖像画など求めていなかった。真実像を描きたかった……。
比類ない天分を授かった画家の執念がこの肖像画を未完成となさしめたのではないだろうか。
いま目の前に二枚の肖像画がLED照明に照らし出されている。なに事もなく静やかに浮かんでいる。筆づかいや息づかいといったものが忍びやかに伝わってくる。
目を凝らし続けていて奇妙な錯覚に捕らえられた。吸い込まれそうな感覚に襲われる。目だけが異様に冴え立ってくる。
ふと描かれていない空白部にもう一枚の肖像画の顔を嵌め込むことを思い立った。
トレースし、平行移動させ、向きを合わせ、サイズを修正して貼りおさめる……。
未完成画が完成に近づく場に、瞬間に立ち会っているような臨場感が生まれている。
……試みは難なく成功した。
若き女性の気高く、気品ある微笑みがこちらになにげに投げかけられている。瞳に惹力が秘められている。創作時期の隔たりを感じさせない。未熟さ、拙さがない。完璧な表情が描き留められている。
想わずにはいられない。一枚目の肖像画を描く時にすでに彼の天賦の画才は花開いていたのだ、と。彼の母親像は完成させられていたのだ……。
知明(ともあき)は、慄き、感動に打ちのめされていた。
夭折の天才画家・有織一成の晩年を幼少期の母親への慕情を織りまぜて描きたいと切に思った。五年、いや十年かかってもいい、己れを納得させうる物語を完成させたい、と。
