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人はみな、「仮面」と「影」を抱えて生きている──SNSとの付き合い方について

「人は誰しも、ペルソナとシャドーを持っている」

これは、心理学者ユングの言葉です。
ペルソナとは、“社会の中での自分”。役割を演じる仮面のようなものです。たとえば、仕事中の自分、親としての自分、上司や後輩としての自分。
いわば、「人から見られたい自分」として表現した自分です。

対してシャドーとは、自分の中で押し殺した“もうひとりの自分”。怒り、嫉妬、欲望、恥ずかしさ、弱さ──社会に出すには都合の悪い、けれど本当は自分の一部である感情たち。
「生きることを許されなかった自分」ともいえるでしょう。

この二つはどちらかが正しいわけではなく、どちらも「自分」。この両方をうまく統合しながら生きることが、心の健康にはとても大切なのだそうです。

ところが、現代ではSNSという便利でちょっとやっかいな存在が、その統合を難しくしていると感じることがあります。

僕はnoteを含め、すべてのSNSを本名で運用しています。顔も出しています。これは、「リアルの自分」と「バーチャルの自分」をあえて分けずに生きたいから。もちろんリスクはあるし、全員にこの方法をすすめるわけではありません。でも、僕自身はその方がラクなんです。違う人格を使い分けたりすると、自分の軸がブレてきてしまう気がして。

たとえば、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』に登場する五反田くんという人物。彼は俳優としての自分と、素の自分とのギャップに苦しみ、やがて自己コントロールができなくなってしまいます。これはフィクションの話ですが、「表の顔」と「裏の顔」のギャップが広がりすぎると、人はどこかで破綻してしまうのかもしれません。

SNSでは、どうしても“よく見せたい自分”を投稿しがちです。キラキラした日常、美しい景色、充実した仕事、仲間との楽しい時間。もちろん、それらが悪いわけではありません。でも、「本当の自分」とあまりにかけ離れてしまうと、心がついていかなくなる。

だから僕は、noteで文章を書くときにも、自分の弱さや悩み、失敗談なんかも、なるべくそのまま出すようにしています。そのほうが、自分自身にとっても、読んでくれる誰かにとっても、誠実なのかなと。

ペルソナもシャドーも、どちらも自分。SNSはその“両方”をじょうずに扱うためのツールとして使っていけばいいですね。
人間なんだから、光だけじゃなく、必ず影も抱えている。
そんなふうに、自分を「ひとりの人間」として大切にしてあげたいですね。


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