それが僕らだーー『スパイダーマン:ノーウェイホーム』|2026:映画の旅 vol.78

スパイダーマン、20年の歴史の総決算
公開前の当時、どんなに噂されようと時にはリークされようと、それがアメコミ映画のファンであればあるほどに、「まさかそこまでするわけ、いやできるわけないだろう」ーーをもれなく全部やり遂げた映画。いやはやIFの可能性とは無限大である。(東映のアレを含めたら、もう少し歴史があるんだけど、まぁいいか。)

"ほぼ"全ヴィラン集合!
ドクオックにグリーンゴブリン、サンドマン、リザード、エレクトロ、そして黒のドロドロ。(ちなみにマルチバースの切れ目にサイのロシア人もいるらしい)。ちなみにサンドマンやドクオックがグリーンゴブリンがオズボーンって知ってたり、次元を超える条件である"スパイダーマンの正体を知ってる"を満たさないエレクトロがいたり、と意外とツッコミどころもあるけど、そんなことはどうでもいい。

それに当時救えなかった彼たちを救う物語にしたのは、神采配すぎる。20年の中で描かれてきた、不本意に力を手にしてしまった者たちの数多くの哀しい別れをこういう形で昇華するとは。

しかも、このMCU版スパイダーマンのキャラクターとも合っていて、(サノスをはじめとしたヴィランとの戦いでの世界を救ったことで)誰でも救えるという自負や若さと優しさを感じるいい決断。でも、若さは未熟さとも言える。自分の正体がバレてこんなめちゃくちゃになってるのに、あの人もあの人も、と止まらないシーンからもとにかくまだまだ未熟(当たり前だけどね)。

そして、この決断がーー今まで描かれることのなかった、MCU版スパイダーマン(ピーター・パーカー)のオリジンのはじまり。

大切な人の死
ただ軽快なトーンと明るいタッチのお祭り映画かと思わせてからの後半一転。いわゆるカノンイベント。トニーの死を克服したばかりのピーターにこれはあまりにも惨すぎるし、ここで始まりのヴィランであるグリーン・ゴブリンがただのゲストではなくメインヴィランになるのも見事。(実は操っていた誰かがいて、ヴィランとヒーローで協力だ!にならないのがいい。)

それとグリーン・ゴブリン
ウィレム・デフォーの怪演がサム・ライミ版の当時以上に進化していて、本当に作品をグッと引き締める。心優しき科学者の一面をしっかりと表現してくれているからこその、極悪非道のグリーンゴブリンに人格を乗っ取らたというこの哀愁と悲哀の演技のギャップが本当に。

そしてーー
もう流石に公開から4年も経ったのでネタバレするけれど、2人のピーターの登場。メイおばさんを失った哀しみなんて他の誰でもない自分しかわかるはずのない痛みのはずなのに、他の誰でもない自分が来る(しかも、2人も)という激ヤバ展開。当時ヴィランが集合するのは知ってたけど、2人が出てきたときには…そりゃ、もう。

もちろんトビー・マグワイアのスパイダーマン好きだけど、俺はアメイジングスパイダーマン好きすぎる。アンドリュー・ガーフィールドの表情ひとつひとつが涙腺に直接アタックしてくる。ベンおじさんのことやグウェンのこと語るシーンも、そして何よりMJを救ったときのあの表情。救ったはずの彼が誰よりも救われた表情してるし、そんな表情見せられたら、私が一番救われる。はやくMJを見つけて、幸せになってくれ(3作目作れください!)。

(それと、サム・ライミ版のMJとの恋路を"ちょっと"複雑で…、で片付けられるの大人すぎるやろ。)

思えば長い回り道。
彼の最後の決断は鉄の意志を継ぐものでもなく、2人のスパイダーマンと出会い、そして多くの大切なものを失い孤独を背負うことで、ようやく一人のスパイダーマンになること。その悲哀と宿命を背負ったラストのスイングシーンはスパイダーマン史に、これからも永遠に残ることだろう。

余談
ここでも度々出てくるスパイダーマンの名言「大いなる力には、大いなる責任が伴う」。やっぱり今年スパイダーノワールで"力がなければ責任はともわない"と、これをひっくり返したのはとんでもない瞬間だったのでは。


『スパイダーマン:ノーウェイホーム』でした。
というわけで、スパイダーマンウィークも3日目。いよいよ明日は"新たなる一日(Brand New Day)"のはじまり。

先輩たちはスパイダーマンに必要な何かを渡したぞ。それはスーパーパワーといった特別な何かじゃない、それでも、ヒーローにとって最も大切な何かを託され、1人のスパイダーマンとなった彼の"新たなる一日(Brand New Day)"のはじまりを。残り3時間と少しーー最速上映で確認してくる!

そして、ストレンジを巡るマルチバースの狂気と脅威の物語についても、また後日…。

最後まで読んでいただきありがとうございます!

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集