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車折神社で河津桜、広隆寺では国宝第1号を愛でる!

つい先日まで「梅が、梅が!」と喜んでいたのに、いつの間にか河津桜も見ごろに!
毎年のことながら、春は忙しいですね!。
今回は桜の名所として有名な車折(くるまざき)神社へ河津桜を、その帰りには太秦広隆寺(うずまさこうりゅうじ)で数十年ぶりに弥勒菩薩様に再会してきました。


「桜の宮」として知られている車折神社

車折神社表参道の社柱

京都市右京区にある車折神社は、嵐電なら終点「嵐山」の2つ手前の「車折神社」駅を下車してすぐの場所にあります。
本当にすぐで、改札を出るともうそこが車折神社の裏参道で、その近さにびっくりしました。

裏参道鳥居

裏参道から表参道までは1本道でつながっていて、その両脇に車折神社の摂末社・本殿・社務所が並んでいます。
せっかくなら正面からお参りしたいと思い、一旦境内を通り抜け、表参道へ。
では改めて車折神社へお参りしましょう!

車折神社の由緒

車折神社が創建されたのは文治5年(1189)で、御祭神である清原頼業(きよはらののりなり)が亡くなった年です。
清原頼業は、平安時代後期の有名な和学・漢学者で、大外記(だいげき)という職を24年間も勤めました。
大外記とは、政務を担当し、公文書の作成も担う太政官トップで、今で言うなら事務方・記録担当として官庁のトップを支える総責任者です。
晩年には、博学で有職故実や和歌に通じた九条兼実(くじょうかねざね)から「その才、神というべく尊ぶべし」と称えられたほどの人物でした。
現在の社地にあった頼業の領地に廟が設けられ、のちに頼業の法名にちなんだ「宝寿院」という寺院が建立されます。

車折神社本殿

頼業は桜をとても愛した人で、境内に多くの桜が植えられたことから「桜の宮」とも呼ばれていたそうです。

社名「車折神社」の由来

大変珍しい「車折」という社名が付けられたのは、鎌倉時代の後嵯峨天皇のある逸話に由来しています。
御嵯峨天皇が嵐山の大堰川に遊幸された際、社前で突然牛車の轅(ながえ)が折れて進めなくなりました。

その地が頼業のお祀りされた社であることを知った天皇は「車折大明神」の神号と「正一位」の神階を送り、以後車折神社と称することになったそうです。

車折神社の御神徳

車折神社は、頼業の学徳により学業成就・試験合格の御神徳があるとされているほか、特に「約束を違えないこと」を守る霊験あらたかな神様として広く信仰されています。

梅と河津桜のお出迎え

表参道の入口左には、見ごろは過ぎていましたが紅梅が咲いていました。
その奥、愛染社の側にあるのが河津桜。
まさに今が見ごろでした。

ピンク色が鮮やかで、とても可愛らしい花たち。樹の下から見上げると空が見えないくらい桜だらけです。

ひとしきり河津桜を楽しんでから、参道を進むと今度は神門の向こうに淡い桜色を発見!
どうやら早咲きの桜のようです。

両側に並ぶ玉垣が美しい参道と桜、それに青い空の組み合わせはパーフェクト!
またまた立ち止まって桜を愛でました。

有名人が勢ぞろい!芸能神社

参道の少し先には、芸能神社があります。
天宇受売命(あめのうずめのみこと)がお祀りされている神社で、芸能・芸術の神様です。
周囲には、有名な俳優さんやアイドルなど、芸事に携わっている方々が奉納された玉垣がずらっと並んでいました。
噂には聞いていましたが、確かによく知っている名前がたくさん!
基本ミーハーなので、静かにテンションが上がりました。

芸能神社のお向かいには、清少納言社があります。清少納言は車折神社の御祭神と同じ清原氏ということでお祀りされているそうです。

本殿大鳥居脇のしだれ梅

大鳥居の脇にはしだれ梅もあります。
タイミングが良ければしだれ梅と河津桜の両方とも見頃を楽しめるはずだったのですが、しだれ梅はすでに見ごろ過ぎ。

その上夕べの雨で散ってしまった花も多めでした。
とはいえまだ頑張っている花もあります。
ピークのしだれ梅はさぞきれいだったろうな、と想像しながら眺めました

近づいて見ると、まだまだ可愛い花をつけている枝もありました。

本殿の裏には八百万の神々をお祀りする八百万(やおよろず)神社があります。

こちらは人脈拡大の御利益があるそうで、夫婦で営んでいるお店のパートさんを探している最中の私は、本殿と共にしっかりとお参りしておきました。
人手不足のため、良い人が全然見つからないのです。困った困った!

参道をさらに進みます。

本殿脇にある清めの社は、悪縁・悪運や厄さい浄化の御利益があるとされる有名なパワースポット。

ご祈願済みのパワーストーンをお守りとして持ち歩くと運が向いてくるかもです。

弁天神社の河津桜

市杵島姫命(いちきしまひめのみこと):弁天様をお祀りする弁天神社の側にも河津桜がありました。

社に寄り添うように咲く美しい花たち。

はんなりとした桜に比べて、華やかさが魅力的な河津桜。
まだ肌寒い日もあるけれどもうすぐ春が来るよと教えてくれるようで、河津桜を見ると心が浮き立ちます。
弁天神社の向かい側にはあまり聞きなれない桜の名前「観月桜」が。

まだ小さな桜の木の横には「観月ありささん献木の桜」とありました。その横には土屋太鳳さん姉妹が献木された桜も!さすが芸能神社です。

次は桜満開の車折神社にお参りしようと決め、裏参道から嵐電に乗り込みました。

魅惑の微笑に会うため太秦広隆寺へ

嵐電「車折神社」から3つ目の駅「太秦広隆寺」で下車すると、すぐそこに広隆寺の楼門が見えます。

いつも思いますが、電線と信号で風情が台無し!
楼門の両脇には大きな仁王さん!

眼を見開いた怒りの表情は迫力満点です。
車折神社とはうって変わって静かな境内へ入りましょう。

広隆寺の由緒

広隆寺の正確な創建年はわかっていませんが、推古天皇11年(603)に秦河勝(はたのかわかつ)が、弥勒菩薩を御本尊として建てた寺院が始まりという説が有力です。
もともとは北区金閣寺の西南にある平野神社周辺にあったとされていますが、平安京遷都の際に現在地に移転したと考えられています。
広隆寺の本堂にあたる上宮王院には現在の御本尊である聖徳太子像が安置されていることから、推古天皇30年(622)に聖徳太子の供養のために建立されたのではないかという説もあります。

上宮王院
薬師堂
講堂。正面の扉が朱色に塗ってあることから赤堂とも呼ばれています。

近くには東映太秦映画村がありますが、現在はリニューアル真っ最中!
どんなふうに変わるのか密かに楽しみにしています。

映画村は、高校生の頃には友の会に入るほどに好きだった場所なのです。
村内にあった中村座では、若い頃の真田広之さんや千葉真一さんたちがアクションを披露してくださるイベントなどもあって、高校生だった私もよく見に行っていました。
真田さん、今も格好良いですが当時もすごく素敵で、イベント後の握手会を心待ちにしていたことを思い出します。

美しい姿形を心ゆくまで鑑賞

映画村…ではなく広隆寺!
広隆寺と言えば、弥勒菩薩像。
ほっそりとした体形にわずかに微笑む表情、物思いにふけっているように頬に触れる指。
国宝彫刻第1号の宝冠弥勒菩薩は、教科書にも掲載される有名な仏像で、その美しさに魅了される方も多いとか。

広隆寺には宝冠弥勒菩薩像がもう1体あり、少し小ぶりで憂いを帯びた表情から「泣き弥勒」と呼ばれています。

新霊宝殿への小道

新霊宝殿に納められた弥勒菩薩像の前にはじっくりと拝するための畳敷きの台が設置されています。
私が訪れたときも、静かに像の前に座っている方がいらっしゃいました。
殿内には、千手観音像や十二神将像、聖徳太子像に阿弥陀如来坐像、不動明王像など飛鳥、藤原、平安、鎌倉時代など数十点の仏像が安置されていました。
拝観されている方は数人いらっしゃいましたが、どなたも静かに仏像と語り合っているような雰囲気。
私も心静かに拝観しました。
造られた時代により、仏像の表情や体形も異なっていたり、長い歴史の中で、指が欠けている仏像もあります。
いろいろな思いを持ちながら仏像を拝する貴重なひとときとなりました。

新霊宝殿前の庭。見頃は過ぎていましたが、蝋梅や椿が咲いていました。

新霊宝殿から出てくると、まるで夢からさめたようなスッキリした気分。
改めて境内をめぐり、再び嵐電に乗りました。

おまけ:三条大橋の河津桜

いろいろと寄り道をしつつ、京阪三条駅へ向かう途中、せっかくなので三条大橋の河津桜も愛でようと最後の寄り道。

まあまあ雑然とした三条河原沿いの道を彩る河津桜。
そこだけにピンスポットが当たっているように華やかでした。

三条大橋から見た河津桜。この右側にもう1本河津桜があるのですが、大きな木に隠れて見えませんでした。

これから始まる桜シーズンの先触れのように華やかに京都の街を彩る河津桜。
まだ寒い日もありますが、どんどんと春が近づいています。
花粉症対策をしつつ、今年も春を楽しみましょう!

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