「書く」と結婚って、どういうこと?
書くことを続けたい。
だからわたしは「書く」と結婚した。(へ?)
未完成でもいい。とりあえず進む。
続けることでしか見えない景色がある。それを知ってしまったから、もう離れられなくなった。
いままで芽が出なくて3年も続けてこれたものなんて、わたしにあっただろうか。
書くという行為は、ただの作業じゃない。思っている以上に忍耐がいる。
すぐに結果を求める人間のわたしには“続ける”という、そんな地道な積み重ねは、やる前から向いてないだろうな、と決めつけていた。
コツコツは苦手。けど、「書く」は特別だった。絶対に離れたくなかったし、まずは3年だけでも向き合ってみようと思った。3年やれたら、それはもうずっとだと思えた。
だから、毎日当たり前のように継続するには、どうしたらいいのだろう?と、必死に考えた。その結果が「書く」と結婚だった。

だって、結婚って病める時も、健やかなる時も、ずっといっしょでしょ?
“結婚”と考えてからは、仕事でもないのに、どうして書いているんだろう?とか、思うことが減った。そして、上手になりたいと焦っても、わたしと「書く」のふたりのペースで楽しめばいいと思えるように。
どうしてこんなにもいっしょにいたいのだろう?そう考えてみると、すぐに思い浮かぶ。心に余裕をくれたり、気づきを与えてくれたり、そして、本音と出会わせてくれる。「書く」は、わたしにとって、人生の先導者だ。
「書く」といっしょにいると、時間なんてあっという間に溶けてなくなる。
わたしは、非効率的なことが苦手。いわゆるせっかち。
エレベーターを待つ時間が無駄に感じて、走って階段を登る。最短距離で行きたい。物事を始める前には、いかに効率よく行うか、しっかり計画を立てて、無駄な時間を過ごすことを嫌った。
「書く」と結婚した、いまのわたしはどうだろう?
待たされることが、大嫌いだった。病院の番号札を見ては、ため息ばかり。でもいまは違う。「少々お時間かかりますね」──そう言われると、ちょっとワクワクしてしまう。頭の中が「書く」でいっぱいになる、待ち時間が、いまのわたしにはうれしい。
近道ばかりを求めていたわたしに、「遠回りもいいもんだよ」と教えてくれた。遠回りしながら、ゆっくり人生を歩む。ゆっくりだからこそ見えるものがあって、丁寧に切り取る作業の楽しさを教えてくれた。
朝起きるとまず「書く」を想う。今日は「書く」と、どんないちにちを過ごそう?そう考える時間がたまらなく大好きだ。
どこにいても考えている。あ〜、これ、書いたら楽しそう、とか。嫌なことがあった日も、「書く」に癒してもらえばいいや、って。どうやって「書く」と、この出来事を料理しようか──そんなふうに想像するのが、すでにわたしの日常。
ほんとうに「書く」と結婚したわたし。結婚して、生まれてきた「エッセイちゃん」や「日記ちゃん」、「創作くん」、「イラストちゃん」。

もう手を離せない。一生つないで生きていく。だって、「書く」とわたし、まだまだ子どもが生まれる予定だし。ほら、またアイデアが泣いてる。ミルク(=ことば)あげなきゃ。
旦那さまの「書く」、大親友の「描く」といっしょに、にぎやかで、ややカオスな家庭を、今日も全力で楽しんでいくつもり。
これからもよろしくね、書くと描く。そして、子どもたち。
