見出し画像

さよなら腐敗味


砂みたいな味がする。ざらざらとした気色わるい食感。あたしの知らない味。ここに来るたびに1番乗りで頼んでいた390円の大盛りフライドポテト。涙が出るほどマズかった。

「カヨちゃん今日全然食べてないじゃん?」

ポテトを食べるたびに、親友に彼氏を取られたような、そんな裏切られ方をされた気分だった。横にあるケチャップが血に見える。

「うーん、そうかな」
「…ゲンくんはまだ?」

どうしようもない沈黙に、しょうがなくまたポテトを一口食べた。もうすぐ21時をすぎる。ファミレスであたしと彼氏のゲン、そして大学の友達のリコと3人で待ち合わせをしている。早めに着いたあたしとリコは、いつも通りの大盛りフライドポテトを頼んで待っていた。

「わかんない」
「もうすぐ12月だし、忙しいのかな」
「…わかんない」

珍しい小動物を見るかのような、キョトンとした目でリコはあたしを見つめた。

大学4年の春。あたしは嘘みたいに遊んでいた。3年の時に付き合っていた彼氏に「もう会いたくない」と告げられ、リコに心配されながらも夜の街を駆けていた。ダーツが2台ある行きつけのバーで、県内で1番頭の良い大学集団に声をかけられた。その中に居たのがゲンだった。

「お、いた。やっぱもうポテト食ってんじゃん。」

待ち合わせ時間から、40分遅れ。整えかたを忘れたようなボサボサの髪でふらっとゲンは現れた。おつかれさま、と小声で会釈する。

夜の街にいながらも、あの頃は女の子といる方が楽だった。と思い込んでいた。けれどゲンと話しているうちに朝まで盛り上がり、「かわいいね」と押されてだんだんとナメクジのように弱くしぼんでいった。本当は寂しかった。心が弱い時はいつだって異性を求める。それに向き合えていなかったあたしはズブズブとゲンの沼にハマっていった。

細身ながら腹筋が割れているところ、タバコを吸うときの横顔の顎のライン、重たい一重瞼から時折見せる笑顔、ひとつひとつのパーツをなぞりながら寂しさを埋めていた。

あかるいブラウンに染めていた髪色はとっくに落ちて黄色く、根元の黒色が店内の照明の反射でよく目立つ。ジャケットを雑に脱ぎ捨て、リコの横の席に置く。大きく鼻水をすすりながら、あたしの横に座る。右手で鼻先を擦る。そんなゲンにお手拭きを渡した。軽やかに無視されメニューを覗く。

「ゲンくんお疲れ〜〜い!前言ってた営業先の人、どうだった?」

リコが、重たかった空気を無理矢理持ち上げた。

「あんがと。いやあ。相変わらずダルかった笑」

左隣のサラリーマン2人組が、コーヒーをすすって喋り合っている。さらに奥の席の女子高生4人組は、スマホを見つつ、宿題らしきものに取り組んでいる。仕事終わりの新卒1年目3人組、あたしたちの席。ゲンとリコが楽しそうにポテトを食べている。

あたしは机の下で、ぎゅっと手を合わせた。目がぼやける。大盛りにあったポテトがいつの間にか半分以下になっていた。

「…カヨ、なんで今日そんな喋んないの?」

ゲンが、刺すような鋭い目で言う。あたしは強く口を塞いだ。喉元が苦しい。何もかも出てきそうで、全身が震えた。

「ごめんもう帰る。」
「はあ?」
「…待ってカヨちゃん!」

社会人になって半年が過ぎた。お互いに連絡も、会う回数も目に見えるくらい減っていた。心配したリコが「絶対2人とも会った方がいいよ」と声をかけてくれてセッティングしてくれた。まだあたしたちが大学生の頃によく来ていたファミレス。いつも通りの奥側のソファー席。大盛りフライドポテト。なんで砂みたいな味がするんだろう。

埋まりそうで埋まらない2人の間の溝。ゲンと付き合う前の彼氏もそんな感触があったっけ。じわじわと、心の奥から思い出す記憶に無理して背ける。

「無言?何その態度。もう勝手に出れば?」

ゲンの目も見ることなく1000円札を机に投げた。店を出た。カランカラン、と虚しく心に響いた。私を呼び止めるリコの声が聞こえた気がしたけれど、閉まる自動ドアで思い切り遮られた。

11月の風って、こんな体を痛めるように吹くっけな。いつもの道とは逆に進む。あーあ。ゲンにまともなことを言えずに出てしまった。お互い働き始めたら別れることはよくあるよ、なんて聞いてたけど、思っていたよりもあっさりだと思った。22時。ポケットからスマホを取り出し、位置情報確認のアプリを開く。

浦野さんが近くにいた。100メートル先。裏路地の飲み屋街にいる。

誰といるんだろう。ひとりだったりしないかな。今日食べたポテトを忘れたい。なんでもいいから何かで流し込みたい。そしてうんうんって撫でられたい。頭に並べられたやりたいことリストはワガママだ。それでも、あたしの両手は迷いなくLINEを開いて電話マークをタップしていた。

『ん?もしもし?』
「浦野さん!あたしです。」
『カヨちゃん。どした?』
「浦野さん、裏路地で飲んでますよね?あたし1人なので一緒に飲みませんか?」
『急じゃん。俺今日1人の気分だったのに。』
「すみません。。」
『あと30分でラストオーダーだよ。早く来ないと店閉まるよ。』
「急ぎます!」

ちょっとだけ後悔した。一時的な情熱だと分かっていながら、それでも浦野さんに会いに行きたい感情だけが、今のあたしのエンジンだった。100メートル先。裏路地の飲み屋街。タバコとお酒が混じった煙たい空気を切って走る。焦ってスマホを落とした。拾って小石をはらう。微かに香る焼き鳥の匂いに吸い込まれるように、また強く走った。

***

「お疲れ、カヨちゃん。」
「お疲れ様です。となり失礼します。」
「どーぞ。あれ、前髪切った?めっちゃいいじゃん」

あたしの席には、大好きなコークハイが既に置かれていた。その横にお手拭きと箸が礼儀正しく並ぶ。きれいに畳まれたジャケット。そして、走って崩れたはずの前髪を褒めてくれた。カヨちゃん、と言ってやさしく笑ってくれた。

突然、大粒の涙が出た。ゲンは毎度あたしより遅れるから何かを用意されたことはない。ジャケットは雑に脱ぎ捨てる。あたしの変化にも無関心。優しく笑ってくれたのなんて数え切れるほどしかない。

コークハイが胸に響く。あれ。いつもの味じゃない。泥と雨が混じったような味。あたしの知らない味。それでも、無理矢理半分飲む。

「せんぱい、」
「どうした?」
「あたしもうダメです。どうすればいいですか?」

不思議そうな目で涙を見られた。サッと下を向く。浦野さんは、残り少ないハイボールを一気に飲んだ。

「俺はカヨちゃんの話はいくらでも聞いてあげれるけど、カヨちゃんの行動には何も言うことはないかなあ。だってカヨちゃんがどうしたいかだと思うよ。でも忙しいんだよねお互い。別れるっていう選択肢は確かに辛いけど、ひとつ考えることが減るだけで、意外と日常生活が軽くなったりするんだよ。」

浦野さんのアドバイスはいつも的確だった。

新卒向けの3ヶ月間の研修。若いながら課長候補の浦野さんが、あたしの担当だった。ゲンと違って柔らかい口調、広い肩幅、上司や部下に対しても、腰が低い姿勢。ちょっとしたミスで落ち込んでいたあたしをいつもLINEで気にかけてくれた。

責めたりもせず、だからと言って全てを肯定するのではなく、あたしは浦野さんの全てを尊敬していた。

「やっぱり浦野さんは器が大きくて、考えかたの視野が広くて、大人ですよね。」
「いやいや。もうすぐ結婚したい彼女がいるのに、新卒の女の子とサシで飲む男のどこが大人なんだよ〜笑」

ほっぺに冷たい水を掛けられたかのように顔が冷えた。そんなこと言わなくていい。全部、知ってる。

初めてLINEを交換したとき、ホーム画像が彼女とのツーショットだった。しばらくしてからホーム画像は景色の写真になっていた。彼女と居酒屋でばったり会った。これから新歓だって誤魔化していた。一度だけ寝た。またしたいねって頭を撫でてくれた。

そんな哀れな優しさが、1ミリずつ、精神を削っていった。

「浦野さんが断らないのが悪いんですよ。」
「カヨちゃんの誘いに断る理由なんてないよ?」
「そうやって好きでもない女の子を簡単に受け入れないでください!あたしはゲンより浦野さんが好きなんですよ!」

慣れない言葉は勢いで言うもんじゃない。数秒間、黙ったまま浦野さんを見つめた。今すぐ、今すぐここから逃げ出したい。

「ゲンと別れても辛いんです。それは浦野さんと付き合えないことを分かっているから。でも、ほんの少しだけ、少しだけでも望みがあるかなって思ってしまっていました。ごめんなさい。」

浦野さんの瞳は透明で、シャボン玉のように、すこし触ったら弾けそうなくらい儚い色をしていた。今度はゆっくり1000円札を机に置いた。ぎこちなくごちそうさまでしたと言って店を出ようとした。

「カヨちゃん。でも俺は、今日一緒に飲めて嬉しかったけどさ」

それ、余計なひとこと。最後まで聞こうとして、また自動ドアで遮った。グッと冷えた外の空気に耐えれず、急いで裏路地を駆け降りた。

***

「カヨちゃん!」

黙って振り向くと、リコが追いかけてきてくれた。

「大丈夫?」
「ぜーんぜんだよ。全部うまくいかない。2回も失恋しちゃった!」
「もうそれ逆にネタ笑」
「明日からどうしょうかな」
「カヨちゃんの好きなことして、好きなご飯食べて、時間流してこーよ」

いつ食べても美味しかった大盛りフライドポテト。いつ飲んでも美味しかったコークハイ。新しいアルバイトの子が一生懸命揚げたポテトだったのかもしれないし、ベテラン正社員が一生懸命注いだコークハイだったのかもしれない。

でも今日口にしたそれらはすべて腐敗した味で、喉を通るだけでも息苦しかった。人間の感情は簡単に変化して、美味しいものをすぐに裏切る。

「一旦コンビニ寄る?コーヒーとか飲もうよ」
「うあ、めっちゃアリじゃん」

リコはチップスターとアイスコーヒー、あたしはホットの缶コーヒーを買った。両手でコーヒーを握って手を温めながら、イートインに座ってリコに喋った。

ゆっくり駅の方へ向かった。リコが合わせてくれた歩幅が、じわじわと優しさに包まれていく。また缶コーヒーを飲む。喉がやわらかい香りで溶けていく。「美味しい」が戻ってきた。

「ねえリコ、今ならポテトまた食べれそう。」
「時差やばいって〜笑」
「それな!笑」
「また行こ、いつものファミレスで!」

何度、浦野さんへの恋をハサミで切り取ろうと思ったか。何度、ゲンへの苛立ちをボンドで修復しようと思ったか。「美味しい」が戻ってきた今なら分かる。それぞれは切り取れるものでも、修復できるものでもなく、永遠に続く人生の一部でしかない。

冬のはじまりを告げる夜の駅前が、うるさいくらい明るい。酸いも甘いも噛み分ける、なんて言うけれど、酸いと甘いに収まらず、いろんな味を経験して人は強くなるのだろう。

チェーン店が集まる大通りの飲食街。大人が集まる裏路地の飲み屋街。ここに並ぶたくさんの味が、あたしたちを平等に包みこんでいる。

また「美味しい」を探しに明日へ向かう。腐敗を味わった今日へさよならをするために。



いいなと思ったら応援しよう!

きゆか みつけてくれてありがとうございます。 いいね(♡)は元気の源です!サポートはもっと元気になります!笑 定期的に更新していますので、よかったらまた、きゆかの様子を見にきてあげてください!

この記事が参加している募集