小学校高学年から中学1年生まで不登校だった次男が、学校に行けるようになるまで。
noteのテーマを求めて迷走中(初記事からはやくも4か月経過)。
すこし自分や家族のことを書きたいと思います。
私:広島県福山市在住、岡山県倉敷市の旅行代理店で勤務
家内:近所のマクドナルドでアルバイト
長男:自宅から通える範囲の大学に昨年合格。
次男:自宅から通える範囲の公立中学校の2年生
私たち一家は7年ほど前に東京から引っ越してきました。
当時長男も次男も小学生。
コロナ禍、そして不登校
2020年のコロナ禍で生活様式も仕事も大きな影響を受けました。
そのことについては説明不要ですね。私は勤務日数が週2日になり、アルバイトを転々としました(飲食店ウェイトレス、テレアポ、軽貨物ドライバー、フードデリバリー)。
タイミ―やシェアフルのお世話になったのもこの頃です。
そういう方たちは結構たくさんいらっしゃると思います。
でも私たち大人同様、いや私たち以上に子供たちが受けたダメージというものがありました。通学や授業、大好きな部活などすべてにおいてままならなくなり、心身の不調にも陥ったことを覚えています。
そして一番小さかった次男もその影響を被りました。
社会的にコロナがひと段落したあとも、次男が学校に行けなくなりました。
私も家内も理由がさっぱりわかりません。いじめやクラスメイトとのトラブルがあるわけでも無いようです。ときどき「お腹の調子が悪い」など、理由らしい現象が起きますが、それも聞くたびに変わります。
どう向き合ったか
私は男親として何ができたのでしょうか。ただ心配が募るばかり。
どこかで心の転換が起きたら、きっとまた元通りに学校に行ける、なんて明るい展開を想像できないぐらいに心の余裕を失っていました。
文部省の定義で不登校とは;
「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席」
(※病気や経済的な理由を含みません)
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/futoukou/03070701/002.pdf
しかも、次男はその定義をはるかに上回るペースで自宅を出ることができません。焦燥にかられて、私はある日半ばむりやり学校に自家用車で送ったことがありました。ちょっと怒りに近い感情が半分ぐらいあったかも…。
そんな風に無理にでも学校に送り出せば改善したのかもしれません。でも、そうだとするなら、私は毎朝次男を叱らないといけないこと(次男にとって相当なストレスになることは言うまでもありません)、またそのことが家内をものすごく追い詰めてしまうことに気が付きました。
結局、小学校高学年から中学1年生までの数年間、やっと週に2~3回学校に通う、という日々が続きました。
降参したこと、そして萩の地で触れたこと。
次男を責めないため、そして家内を追い詰めないために「子供は毎日学校に行くもの、という常識」をひとまず手放さないといけない。私にとっては事実上の降参というか、お手上げの状態に至りました。
次男の気持ちが沈まないように、私は家では明るく陽気な父親を演じていました。今ではそれが演技だったのか、もともとの性格なのか自分でもわからないぐらいですが。
でも、ある時は食卓を囲んで家内と彼と3人でこれからのことを話しました。愛していること、彼が大事であるがゆえに伝えないといけないこと。
彼の頬に涙が流れるのを見て、何かが伝わったかと祈るような気持でした。
次男の不登校を私がそこまで問題視しなくなったころ、山口県萩市に数日間次男と旅行に行きました。
萩といえば、吉田松陰の私塾である松下村塾で有名な場所です。ふとしたことから、その地を訪れて松陰神社や墓所、吉田松陰が幽閉されていた獄などを見学して回りました。旅行というよりもある意味の巡礼でした。
その時は中学1年の春休みでしたので、萩から帰宅してまもなく2年生に進級しました。
萩から帰ってきて
萩から帰ってきて、どういうわけかわかりませんが、次男が学校に行くようになりました。
何が幸いしたのか?何がきっかけになったのか?疑問だらけです。
実は本人に尋ねたこともありません。そのことが引き金になってまた元の状態になったらと思うと…怖くて聞けませんでした。
でも、きっと彼は何かに触れたんだと思います。
それは、過去吉田松陰やその周囲の人々が明治維新前に何かをなした、という知識もそうですが、強いて言うなら「永遠」というものに触れたと思っています。反面、社会や国、私たちが所属するすべてのものは永遠である保証はありません。戦争や自然災害が起きるときに、たやすく日常が壊れ、失われていくことは明らかです。
でも、日本を永遠ならしめようとした人々の生き様の上に、今の自分の生があること。このことの気づきは、単に学校に行けるようになった程度のものではないのかも。
いつかまた、次男と萩に行きたいと思っています。
その時は、彼は自分の言葉で何かを語ってくれるでしょうか。
私のひそかな楽しみの一つです。
