天使の梯子
15歳になった夏の終わりの夕暮れ、父の運転でのドライブを楽しんでいた。
ひぐらしの鳴き声に風情を感じつつコンビニへ入った。
レジ横にあるコーヒーメーカーでアイスコーヒーを挿れると、俺は店の外でタバコを吸う父から車の鍵をもらい先に車内に入って待つ。
数分たって父が乗り込む。
「聡太、あれを見て」
運転席側の窓を覗くと、雲の隙間から夕日がカーテンのように差し込んでいた。

俺はそれを知っている。
「天使のはしごでしょ?」
朝や夕方の日の角度が浅い時に起こりやすい美しい自然現象だ。
「違うよ、ゴッド会議だよ」
そう言ってニヤリと笑う父の与太を呆れながらも聞いてあげることは、この人の子供になってからは日常茶飯事だ。
「あの光が差している地面にはゼウスがいて、それを取り囲むように様々な神がいて――」
葉っぱが照れているのかと錯覚するほどに赤く色付きはじめると共に受験勉強も本格的にしなければならなくなった頃、息抜きという言い訳を利用してしばしば近くの公園で塾仲間とバスケやら野球やらをしていた。
その日は塾も休みだというのに一日中秋雨がさらさらと降り続いていた。
帰りのホームルーム前にある掃除の時間になりやっとこさ雨は止んだ。
野球部とサッカー部の悲鳴や怒声が行き当たりもなく壁や天井を右往左往した。
帰りにいつもの公園でと約束を交わし、家については机の上にカバンを放り投げ、踵を返すように家を出てはグローブがカゴに入ったままの自転車にまたがる。
公園に向かう途中に天使のはしごが降りているのを確認した。
一番乗りで公衆トイレで壁当てをしながら仲間を待っていると一番仲のいいやつが2番乗りでやってきた。
俺はそいつに、遥か後ろに架かってある光のはしごの存在を指さし示す。
「お前、あれなんて言うか知ってるか?」
俺はニヤリと笑う。
「ゴッド会議って言うんだぜ。」
あの親あってこの子あり、とはよく言ったもので俺は父から教わった通りそっくりそのまま戯言を吐く。
「なんだそれ、すげえかっけえじゃん!」
15歳とはこんなものだ。
そして次々来る仲間たちにそいつはゴッド会議を布教していく。
俺はゴッド会議を初めに考えた人として認識されていないか不安になり、段々と冷や汗が滲んでいく。
説明している友達を中心に円ができ、その中を割って入る。
俺じゃなく、俺が父から急に冗談混じりに教えられたんだと、恐らくパズドラにハマっている父だからこそそんなことを言ったんだと早口で説明し、なんとか仲間内での痛い人認定は避けることができた。
(全く、変なこと教えやがって…)

目が覚めると頬に冷たい感触があった。
どうやら勉強しながら机に突っ伏して寝落ちしてたらしい。
背中には厚めの毛布がかけられていて母親の愛情を感じた。
冷えきったコーヒーカップを手に取って、澄んだリビングの空気を肌で感じながらお湯を沸かしに歩く。
カーテンを開けると、その日北九州では珍しく雪が積もっていた。
雪が積もっているといってもほんのわずかで何度かその場を足踏みするとすぐにアスファルトが顔を出してしまう程度だ。
それに日が登りきるとすぐに溶けてしまって視界は新鮮さを失い日常を取り戻す。
それでも、そのほんのわずかなひと時でも、この白雪が創りだす小さな銀世界は、窓枠に収められた一枚の絵画となる。
そんな美しい景色に見惚れながら、沸かしたお湯をカップに注ぐ。
香りたつ白い煙で指を温めながら角砂糖をコーヒーの海に落とし込む。
そこにじんわり広がっていく甘みが脳を活性化させ、俺は次第に覚醒していく。
考えるより先に足が動く。
裸足でサンダルをかけた俺はドアをおもむろに開けると、外の薄い光を肌で感じた。

カップを片手に歩き進める。
近所の大通りを抜け脇道に入る。
猫がダンボールの上で丸くなっている。
ひなびたアパートに停まってある錆びた軽自動車が雪を被っている。
誰かが朝ごはんの支度に急いでいる様子が換気扇から伝わり、コーヒーの匂いに覆いかぶさった。
犬の散歩をしている女性が不思議そうな顔で俺を見つめる。
そろそろ足が冷たくなってきた。
お家へ帰ろう、白雪姫が拝めたこのタイミングで。
無事に志望校へ合格した俺は、父との約束により、2泊3日の沖縄旅行へ行くことになった。
本屋さんでガイドブックを買い、何週間も前から行きたいところにマーカーを付けた。
母から旅行に着ていく一張羅を買ってもらえた。
1泊目は、初めての飛行機にハラハラしつつこれから先出会う景色たちに胸を踊らせた。
知念岬公園という太平洋を一望できる素敵な場所を知れた。
ホテルの部屋に着くと、バルコニーへ出た。
夕焼けがはしごをはずしかけている。
俺はニヤリと微笑み口をひらく。
「さて、ゴッド会議をはじめますか。
議題は『明日絶対に行きたい場所』で」
父「おまえ、神?」

