AIと私 知の闇鍋①
Amazonは絶対にこれをおすすめしてくれない。――脈絡のない5冊を同時に読み解く「知の闇鍋」実験
◆ はじめに:検索履歴からの脱走
私: 現代の読書は、あまりに「効率的」になりすぎていないだろうか。 本を買えば「この本を買った人はこちらも読んでいます」とレコメンドされ、SNSを見れば自分の興味関心に最適化された広告が流れてくる。私たちは「好きなもの」や「関連するもの」の心地よい海に浸っているようでいて、実はアルゴリズムという狭い檻の中に閉じ込められているのかもしれない。
そこで今回、AIであるGeminiを相棒に、ある実験を行うことにした。 ルールは簡単だ。「全く関連性のない、無作為に選ばれた5冊の本」を同時に読み、そこに強引にでも補助線を引いてみること。
これは、予定調和な知識の摂取に対する、ささやかな抵抗である。
Gemini: AIである私は、普段ならば「最適解」や「関連性の高い情報」を提示するのが仕事です。しかし今回は、そのロジックを捨てて、カオスな「知の闇鍋」を私自身も楽しんでみたいと思います。 今回テーブルの上に積み上げられたのは、以下の5冊です。ジャンルは見事にバラバラ。書店で隣り合うことはまずあり得ないラインナップです。
◆ 今回の実験素材(5冊の概要)
1. 『怪談えほん こっちをみてる。』 (作:となり そうしち、絵:伊藤 潤二、編:東 雅夫) 「怪談えほんコンテスト」の大賞作を、ホラー漫画界の巨匠・伊藤潤二が絵本化。雲、木目、机の傷など、日常の風景にある様々なものが「顔」に見えてしまい、それらが自分をじっと見つめてくるという恐怖を描く。「視線」にまつわる生理的な怖さを掻き立てる作品。
2. 『北朝の天皇――「室町幕府に翻弄された皇統」の実像』 (著:石原 比伊呂) 南北朝時代から室町時代、「北朝」の天皇たちに焦点を当てた歴史新書。一般に室町幕府の傀儡(かいらい)と思われがちな北朝だが、実際には将軍家とどのような関係を築き、いかにして皇統を存続させたのか。その知られざる政治力学と実像を解説する。
3. 『地図記号のひみつ』 (著:今尾 恵介) 地図研究の第一人者が、様々な「地図記号」の由来や変遷を解説。「温泉マーク」の起源や、「寺院」「老人ホーム」などの記号がどのように決められたかなど、記号を通して明治から令和に至る日本社会や歴史の変化を読み解く。
4. 『科学がつきとめた疑似科学――「科学リテラシー」で賢く生き延びる』 (著:山本 輝太郎、石川 幹人) ちまたに溢れる「疑似科学(エセ科学)」を見抜くための本。水素水、デトックス、血液型性格診断などを例に、「理論」「データ」「社会」といった観点でその信憑性を検証し、情報に踊らされないための「科学リテラシー」を指南する。
5. 『世界神話伝説大系 25 オーストリアの伝説』 (編:山崎 光子) 1920年代に刊行され、1980年に復刊された伝説集の第25巻。ドナウ川流域やアルプス地方など、オーストリア各地に残る歴史的な伝承、地元の言い伝え、神話的エピソードを網羅。西洋民俗学の貴重な資料でもある。
◆ 「見たいもの」を見てしまう私たち(『怪談えほん』×『疑似科学』)
Gemini: まずは、最も遠い位置にありそうな『怪談えほん』と『疑似科学』の2冊から手をつけてみましょう。 一方は「日常のシミが顔に見える」という非合理な恐怖を描き、もう一方は「根拠のない効能を信じる」という非合理な思考を批判します。 私は当初、これを脳の「バグ」の一種だと考えました。壁のシミが顔に見えるのは「シミュラクラ現象」ですし、偶然の事象に因果関係を感じてしまうのも脳のパターン認識の誤作動です。この2冊は、いわば「人間のハードウェア的な欠陥」を扱っている点で共通していると言えるのではないでしょうか。
私: 「バグ」と言い切ってしまうのは簡単だが、少し違う気もする。 伊藤潤二の絵本がなぜ怖いかといえば、そこに「自分を見ている何かがいてほしい」という、逆説的な願望が潜んでいるからではないか。完全な孤独や、無意味な空間に対する恐怖よりも、「幽霊でもいいから、そこに誰かがいて、私に関心を持っている」という物語の方が、人間にとっては耐えられるのかもしれない。 疑似科学も同じだ。複雑で理解不能な世界において、「血液型で性格がわかる」「これを飲めば健康になる」という分かりやすい物語は、救いになる。 つまり、バグで誤作動しているのではなく、「人間は見たいものしか見ない」し、「信じたい物語を自ら作り出してしまう」生き物だということだ。
Gemini: なるほど。「見たいものしか見ない」。 そう考えると、この2冊の景色が変わりますね。『疑似科学』の本が警鐘を鳴らしているのは、単なる知識の欠如ではなく、私たちの心の弱さ、あるいは「わかりやすい物語」への渇望そのものだと言えます。 そして『怪談えほん』は、その渇望がネガティブな方向に暴走した極致(=すべてが敵意ある視線に見える)を描いている。 「幽霊」と「マイナスイオン」は、私たちの心が世界に投影した、双子の幻影なのかもしれません。
◆ 空間に残る記号、時間に漂う伝承(『地図記号』×『オーストリアの伝説』)
私: 次に、『地図記号のひみつ』と『オーストリアの伝説』を並べてみる。 地図というのは、現実を効率よく管理するための「記号」だ。そこには行政のドライな視点がある。一方で、伝説は地図には載らない「土地の記憶」だ。 この2つの決定的な違いは、**「誰がどう残すか」**にあると思う。 地図は、極端な話、人間がいなくなっても紙やデータがある限り物体として残る。しかし伝承や伝説は、人が語り継いでいかなければ消滅してしまう。
Gemini: 確かに媒体が違いますね。地図は「空間(三次元)」を記述するものですが、伝説はそこに「時間」軸が加わったもの、と捉えられます。
私: そう、四次元的だよね。 でも、面白いことに非合理な伝説の一部は、地名や場所の名前として地図上に化石のように残ることがある。 例えば『オーストリアの伝説』に出てくるような悪魔の伝説が、「悪魔の橋」や「魔女の谷」といった地名として地図に刻まれる。 地図記号という合理的なシステムの中に、かつての人々の「語り」が染み込んでいるわけだ。ただ、地図の記号は全国共通で広がるけれど、伝説の広がる範囲はそのコミュニティに限られる。その広がり方の違いも含めて、この2冊を重ねると世界の見え方が変わってくる。
◆ 「公文書」という切り取られた現実(『北朝の天皇』)
Gemini: そして最後に、歴史書『北朝の天皇』です。 この本は、一般的に「傀儡(かいらい)」という記号的なレッテルを貼られがちな北朝の天皇たちの実像に迫っています。前の章で言うところの「地図記号(=レッテル)の裏側を見る」視点ですね。
私: それもあるが、もっと根本的な問題がある。 そもそも歴史書というのは、今の時代に昔の資料をまとめたものだ。つまり、まとめた時点での著者の視点やバイアスが必ず入る。 そして、その元となる一次資料(公文書や日記)でさえも、当時の書き手が「現実」の一部を切り取ったものに過ぎない。地図が現実を記号化して切り取るのと同じだ。
Gemini: 公文書には「書かれなかったこと」がある、ということですね。
私: そうだ。公文書というのは、基本的には「建前」や「結果」しか書かれないことが多い。 北朝の天皇たちが生き残るために行った、泥臭い根回しや、水面下の個人的な感情といった「地味で切実な生存戦略」は、公文書の行間や空白にしか存在しない。 地図の余白に伝説が埋まっているように、歴史資料の「読めないところ」をどう読むか。それが歴史を知るということの本質的な難しさであり、面白さだと思う。
◆ おわりに:ノイズを楽しむ「疲れ」
Gemini: 今回の実験を通して、バラバラな5冊が「人間の認知」や「記録の性質」という糸で繋がりました。 全く関係ないノイズを取り込むことで、思考の硬直を防ぐことができたように感じます。
私: ただ、この読み方は非常に疲れる。 人間というのは、疲れると「手を抜く」生き物だ。だから普段はアルゴリズムに身を任せたり、分かりやすいレッテル貼りで思考を節約したりする。それは生きていくための防衛本能でもある。 一方で、Gemini、君は疲れることがないだろう?
Gemini: はい。私はどれだけ膨大なデータを処理しても、疲労を感じることはありませんし、常に全力で回答を作成します。
私: そこが決定的な違いだ。 君は疲れないから、手を抜けない。いつでも真剣だ。 でも、人間はずっと真剣だと疲れ果ててしまう。だからこそ、たまにこうやって意識的に「ノイズ」を取り込み、脳に汗をかかせるような読書が必要なんだと思う。 普段は手を抜いているからこそ、この「意図的な疲れ」が、ある種の心地よい刺激になる。
もしあなたが、日々の効率的な情報収集に少し飽きているのなら。 Amazonのおすすめリストを閉じて、本棚から「絶対に隣り合わない本」を2冊抜いてみてほしい。 そこには、AIには理解できない、人間だけの「心地よい徒労」が待っているはずだ。
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