もうスフィンクスでよくね:クレー、パルナッソスへ(7千文字)



もうスフィンクスでよくね:クレー、パルナッソスへ
v1.6
【注釈】本稿は、筆者個人による調査・読解・考察をもとに構成されたものであり、筆者は本稿で扱う分野における専門家ではありません。内容の作成にあっては、公開されている資料の参照や、近年一般化しているAIを用いた情報収集・整理・ファクトチェックを活用していますが、それらはあくまで理解を助ける補助的な手段であり、記載内容の正確性・完全性・最新性を保証するものではありません。本稿には、事実として確認可能な情報の紹介に加え、比喩的表現、仮説的な推論、個人的な解釈や読み替えが含まれています。これらは特定の立場や結論を断定する意図によるものではなく、読者に思考の材料を提供することを目的としています。最終的な判断や解釈については、必ず一次資料や他の視点も参照したうえで、読者自身で行ってください。
1. はじめに
著名な絵画を前にして、公式の解説とは全く違う、しかし自分の中では確信に近いイメージを抱いた経験はないでしょうか。「これは絶対に〇〇のはずだ」。そう感じた時、多くの人はそれを「素人の錯覚」として片付けてしまうかもしれません。しかし、その直感こそが、作品に隠された新たな層を開く鍵である可能性はないでしょうか。
本稿では、20世紀を代表する画家パウル・クレーの傑作『パルナッソスへ』(1932年)を題材に、ある一つの「個人的な確信」を掘り下げていきます。それは、この絵の象徴的なシルエットを「逆向きのスフィンクス」と読み解く、これまでほとんど語られてこなかった視点です。
私が『パルナッソスへ』に強く引きつけられたのは、最初に見た瞬間から、この絵が単なる山のイメージには思えなかったからです。無数の点描によって形づくられた巨大な三角形は、私には、まるで無数のレンガを積み上げて築かれたピラミッドのように見えました。しかもその集積は、ただ重厚なだけではありません。点の群れが区画をなし、反復し、色面として呼応しあうことで、画面全体がタイル状の意匠のような、きわめて洗練されたグラフィックとしても成立している。古代建築を思わせる重量感と、モダンデザインのような軽やかな装飾性が、同じ画面の中で矛盾なく同居している。そのこと自体が、まず驚きでした。
しかし、私にとってさらに決定的だったのは、その下にある形です。線と色の輪郭を追っていくと、そこにはどうしても、上下反転したスフィンクスの姿が現れてくる。最初のうちは見間違いかもしれないと思いましたが、何度見返しても、その印象は消えませんでした。門のように見えると同時に、伏せた身体にも見える。建築の一部であると同時に、守護者の像にも見える。私にとって『パルナッソスへ』とは、まさにその二重の像によって忘れがたい作品になったのです。ところが信じられないことに、このスフィンクスの気配について語っても、誰からもほとんど理解してもらえない。作品の美しさや構成については同意が得られても、その下部に潜む像については受け入れられないことが多かった。だからこそ私は、この感覚を曖昧な直観のまま放置せず、きちんと言葉にしてみたいと思ったのでした。
2. 『パルナッソスへ』の一般的な解釈
本題に入る前に、まず『パルナッソスへ』について一般的に語られる解釈を確認しておきましょう。この作品はクレーの代表作の一つとして、多くの美術史家によって分析されてきました。
音楽的構成: この作品は、しばしば音楽的・多声的な構成として論じられます。複数の旋律が独立しつつ調和する「ポリフォニー(多声音楽)」を絵画で表現しようとした試みとされ、点描のように配置された無数の色面が、まるで音符のように画面上で響きあう構成は、音楽家でもあったクレーならではの発想です。
パルナッソス山: 題名が示す通り、画面上部の大きな三角形は、ギリシャ神話におけるアポロンとミューズが住まう芸術の聖地「パルナッソス山」を象徴しているとされます。芸術の高みを目指すという、クレー自身の意志表明とも読み取れます。
エジプト旅行の影響: クレーが1928年末から1929年初頭にかけてエジプトを旅しており、その体験が作品に反映されているという指摘も広く知られています。古代の壮大なピラミッドへの感動が、神話の山というテーマと融合していると考えられます。
建築的なシルエット: 画面下部にあるアーチ状のシルエットは、建築的な要素や入口を思わせる形として見ることができます。多くの解説は作品全体を山・ピラミッド・建築的構成として捉えますが、本稿ではこの部分に、さらに別の像を読み取る可能性を考えます。
3. 仮説:逆向きのスフィンクス
ここで提示したいのが、件のアーチ状のシルエットが「逆向きのスフィンクス」に見えるという仮説です。この直感は単なる空想ではありません。クレーの制作背景をたどると、この読みを補強するいくつかの状況証拠が浮かび上がってきます。
根拠1:エジプトの記憶と守護者のイメージ
古代エジプトにおいてスフィンクスは、神殿や聖域、王権を守護する象徴として広く用いられました。クレーは1928年末から1929年初頭にかけてエジプトを旅しており、その体験は後年の作品世界に影響を与えたと考えられています。さらに晩年にはスフィンクスを主題とする作品も現れます。こうした背景を踏まえると、『パルナッソスへ』の入口を思わせる形態に、聖域の守護像としてのスフィンクスを連想すること自体は不自然ではありません。
4. 補助線として見ておきたい関連作品
ここで、この「逆向きのスフィンクス」という見方を、作品そのものの内部だけでなく、クレーの他の作例との関係からも見ておきたい。というのも、『パルナッソスへ』に現れている大きな三角形や、その下に置かれたアーチ状の形は、単独で突然出現したものというより、クレーの中で長く反復されてきた「山」「ピラミッド」「建築」「記号的な形態」の蓄積の中に置いて見るほうが、むしろ自然だからである。
まず重要なのは、《Mount Niesen》(1915年)である。ニーゼン山はスイスのベルナー・オーバーラントにある特徴的な山で、その鋭い三角形の山容で知られているが、クレーはこの山を主題とした作品を描いている。この作例を見ると、クレーにとって「山」は単なる風景の一部ではなく、ひと目で全体を支配する強い形として把握されていたことがよく分かる。山は細部の集積というより、まず何よりも一つの輪郭、一つの量塊、一つの傾斜として捉えられている。『パルナッソスへ』の巨大な三角形を前にしたときに感じられる、あの圧倒的に単純で、しかも象徴的な山の存在感は、すでにこの《Mount Niesen》の段階からクレーの中に育っていたと考えてよいだろう。『パルナッソスへ』の三角形をパルナッソス山と読むことはもちろん自然だが、それは同時に、クレーが以前から親しんでいた「山の形」そのものの記憶とも重なっているように見える。
しかし、『パルナッソスへ』の三角形は、単なる山では終わらない。ここで次に見ておきたいのが、《Monuments at G.》(1929年)である。この作品はエジプト旅行の直後の文脈に置かれることが多く、メトロポリタン美術館の説明でも、画面下部に置かれた二つの三角形はギザの三つのピラミッドのうち二つを表している可能性が高いとされている。つまりクレーは、エジプトの印象を受けたのち、三角形の形をきわめて直接的にピラミッドの連想へ結びつける作品を実際に描いていたことになる。この点は『パルナッソスへ』を考えるうえで非常に重要である。なぜなら、『パルナッソスへ』の大三角形を前にしたとき、そこに「山」と同時に「ピラミッド」の気配を感じることは、決して鑑賞者の勝手なこじつけではなく、クレー自身の造形語彙の中にすでに十分存在していた可能性が高いからである。パルナッソスというギリシャ神話上の山を主題にしながら、その形の感覚の中にはエジプトの記憶が沈んでいる。そう考えると、この作品の三角形は、神話の山であると同時に、古代の記念建築でもあるような、二重の顔を帯びて見えてくる。
さらに、この補助線を一段強めてくれるのが、《Pyramid》(1932年)である。これは『パルナッソスへ』と同じ年に制作された作品であり、題名そのものが「ピラミッド」である。この一点だけでも、1932年前後のクレーが三角形の量塊をピラミッドという主題として意識的に扱っていたことは明白である。しかも、『パルナッソスへ』もまた、無数の小さな色面の集積によって一つの巨大な三角形が立ち上がる構造を持っているため、両者のあいだには単なる偶然以上の響き合いがある。同年に《Pyramid》を描いている画家が、『パルナッソスへ』においてまったくピラミッドを連想させない純粋な山だけを描いていた、と考えるほうが、むしろ不自然かもしれない。もちろん両作を単純に同一視する必要はない。しかし、少なくとも『パルナッソスへ』の三角形の内部に、ピラミッド的な量感や古代建築の記憶が流れ込んでいると考えることには、十分な根拠がある。
このように並べて見ると、《Mount Niesen》が「山の形」の原型を示し、《Monuments at G.》がエジプト旅行後における「ピラミッドの形」の明確な出現を示し、《Pyramid》が『パルナッソスへ』と同じ年におけるその主題の持続を示していることになる。つまり、『パルナッソスへ』の大三角形は、単独の意味に閉じているのではなく、クレーの中で長く生きていた山の記憶と、旅によって活性化したピラミッドの記憶とが重なって成立している、と見たほうがはるかに豊かである。パルナッソス山であると同時に、ニーゼン山のような鋭い山容の記憶でもあり、またエジプトのピラミッドのような建築の記憶でもある。その重なりが、この作品の大三角形を単なる背景や風景ではなく、作品全体を支配する象徴的な構造体にしているのである。
そして、ここからようやく下部のアーチ状の形に戻ることができる。上部の巨大な三角形が、山であり、ピラミッドであり、建築でもあるような多義的な形であるならば、その足元に置かれた形もまた、単なる説明的な「門」としてだけ見る必要はない。むしろ、上の三角形を支え、受け止め、入口のようにも、伏せた身体のようにも見えるこの形には、建築と生き物のあいだを揺れるクレー的な曖昧さが凝縮されている。ここで本稿の主題である「逆向きのスフィンクス」という見方が生きてくる。ピラミッドの気配を帯びた巨大三角形の下に、伏せた守護像のような形がある――そう見ると、『パルナッソスへ』は単なる山の絵ではなく、聖域とその守り手とが一体化した画面として立ち現れはじめる。
さらに細部に目を凝らすと、この像は単純に「スフィンクス」と呼ぶだけでは収まりきらないニュアンスを帯びているようにも思える。とりわけ頭部の輪郭は、一般に想像される獣的な頭というより、むしろ古代エジプトの王像、すなわちファラオの頭部を思わせる端正な輪郭に近い。そう見えてくると、この下部形態は、単なる神獣ではなく、王権的な威厳を帯びた守護像として立ち上がってくる。
興味深いのは、その顔の輪郭が一様な線で閉じられているのではないことである。線描によって示される輪郭は、あたかも鼻先のあたりでいったん尽きるように見え、その先の鼻から口、そして顎へと至る面は、明確な描線ではなく、色彩の境界によって補われている。つまり、顔の下半は線で説明されるのではなく、色面の接触と重なりによって、見る者の中に立ち上がってくるのである。この点は重要だ。なぜなら、この形は単純に輪郭線で記号化された図像ではなく、線と色とが役割を分担しながら、半ば潜像のように顔貌を成立させているからである。『パルナッソスへ』における逆向きのスフィンクス像は、ここでさらに精妙になる。それは「描かれている」というより、「浮かび上がってくる」像なのだ。
この読みをさらに支えるものとして、クレーの造形態度そのものにも触れておきたい。たとえば《Temple Gardens》(1920年)については、メトロポリタン美術館が、クレーは構図を対称的すぎると感じ、画面を三つに切り分けて中央部分をずらした可能性があると説明している。ここで重要なのは、彼が文字どおり「上下反転」を多用したと証明することではない。そうではなく、クレーが形を固定されたものとして扱わず、必要に応じて移し替え、切り分け、再配置し、別の見え方へ変換していく作家であったという事実である。そうした制作感覚を踏まえるなら、一つの形が建築であると同時に生き物でもありうること、正立したものが別の角度から見れば別の像として立ち現れること、ある輪郭が反転的に読まれることは、彼の作品世界において決して異例ではない。『パルナッソスへ』の下部形態を、ただの門ではなく、逆向きに身を伏せたスフィンクスとして感知することも、そうしたクレーの造形感覚の延長線上に置くことができるだろう。
要するに、『パルナッソスへ』を取り巻く関連作品を見渡すと、そこには三つの重要な流れがある。第一に、《Mount Niesen》に見られるような、山を一つの強い三角形として把握する感覚。第二に、《Monuments at G.》や《Pyramid》に見られるような、三角形をピラミッドや古代建築へと接続する感覚。第三に、《Temple Gardens》に示されるような、形を固定せず、構成をずらし、読みを変換しうる制作感覚である。これらを踏まえれば、『パルナッソスへ』において、上部の三角形が山とピラミッドの両義性を帯び、その下部形態が門であると同時に逆向きのスフィンクスにも見えてくる、という本稿の見方は、孤立した思いつきではなく、クレーの作品世界そのものの中から立ち上がってくる読みとして受け止めることができる。
根拠2:晩年のスフィンクス・モチーフ
さらに、クレーの晩年には「スフィンクス」を主題とする作例も見られ、このモチーフが彼の想像力の射程に入っていた可能性を示す傍証にはなります。ただし、これだけで『パルナッソスへ』の下部形態を直接スフィンクスと断定することはできません。本稿は、その断定ではなく、あくまで有力な読みの一つとしてこの仮説を提案するものです。根拠3:クレー的な造形思考
クレーは、具体的なモチーフを抽象化し、回転させたり反転させたりする「形の遊び」に長けた作家でした。「逆向き」という視点は、このクレーの造形思考とよく響き合います。横長の獣の身体を持つスフィンクスのシルエットを上下反転させ、建築的な形態として画面に溶け込ませる。このような知的な暗号や遊び心を作品に仕掛けることは、十分にクレー的であると言えるでしょう。
5. 定説と個人の解釈
これだけの状況証拠がありながら、なぜ著名な美術解説者でさえ、この「スフィンクス説」に言及しないのでしょうか。
その理由は、美術史の解説が、作家自身の言葉や手紙といった「一次資料」を重視し、客観的な事実に基づいた定説を中心に語る傾向にあるからだと考えられます。クレー自身が明言していない以上、この説はあくまで蓋然性の高い「解釈の一つ」に留まります。
しかし、クレーの作品が多義的な読解を許すことで知られているのもまた事実です。以下は筆者の解釈ですが、彼は、自分の仕掛けた謎を誰かが解き明かすのを、天上でこっそり楽しんでいるのかもしれません。誰も指摘しないからこそ、それはクレーが隠した「秘密の扉」であり、気づいた者だけが味わえる喜びなのです。
6. さらなる連想:天使の気配
この「逆向きのスフィンクス」という視点を持つと、作品はさらに別の顔を見せ始めます。連想は翼を広げ、クレーの別のモチーフへと繋がっていきます。威厳のある神秘的な守護者スフィンクスのイメージは、やがてクレーが晩年に描いた、あの不器用で愛らしい「天使シリーズ」の姿と重なってくるのです。
厳かな「門の守護者」と、人間を見守る「守護天使」。全く異なる二つのイメージですが、聖域を守り、人間を見守るという点で共通しています。この絵の中では、その両者が不思議な共存を遂げているように感じられます。大作としての理知的な構成の中に、後の天使たちに通じる、どこか人間的で温かいユーモアの気配が隠れているのかもしれません。
7. おわりに
芸術鑑賞とは、用意された正解をなぞるだけの行為ではありません。本稿で論じてきたように、作品と真摯に向き合い、自分自身の目と心で対話し、そこに独自の物語を見つけ出す創造的な営みです。
『パルナッソスへ』に潜む「逆向きのスフィンクス」は、公式の解説書には載らないかもしれません。しかし、それは間違いなく、この作品の深遠な世界へと通じる有効な「鍵」の一つです。もしあなたが作品から何か特別なメッセージを受け取ったなら、どうかそれを「錯覚」だと軽んじないでください。それこそが、画家があなただけに用意した、最高の贈り物なのですから。
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