ロジャー・ゼラズニイ:アサシンたちのダンディズム(8千文字)
ロジャー・ゼラズニイ:アサシンたちのダンディズム
v2.0
【注釈】本稿は、筆者個人による調査・読解・考察をもとに構成されたものであり、筆者は本稿で扱う分野における専門家ではありません。内容の作成にあっては、公開されている資料の参照や、近年一般化しているAIを用いた情報収集・整理・ファクトチェックを活用していますが、それらはあくまで理解を助ける補助的な手段であり、記載内容の正確性・完全性・最新性を保証するものではありません。本稿には、事実として確認可能な情報の紹介に加え、比喩的表現、仮説的な推論、個人的な解釈や読み替えが含まれています。これらは特定の立場や結論を断定する意図によるものではなく、読者に思考の材料を提供することを目的としています。最終的な判断や解釈については、必ず一次資料や他の視点も参照したうえで、読者自身で行ってください。また、本稿では、ロジャー・ゼラズニイ『伝道の書に捧げるバラ』、『復讐の女神』、『わが名はコンラッド』、『光の王』、フィリップ・ホセ・ファーマー『恋人たち』、および芥川龍之介『犬と笛』について、その核心的な内容(物語の真実や結末)に深く触れています。もしこれらの作品を未体験の方で、先入観なく享受されたい場合は、必ず先に作品そのものに触れてから、本稿をお読みください。
1. 語り出し
皆さんは、こんな出だしの小説を読んだことがあるでしょうか。
「あなたはカリカンジャロス(Kallikantzaros)よ」だしぬけに彼女は宣言した。私は笑った「ツノもヒヅメも役所に置いてきてしまった」
それから、クリスマスに生まれた子は、すべてカリカンジャロイの血が流れてるだの、ノミコス(Nomikos)、コンスタンチン・カリカンジャロスは今はコンラッド(Conrad)だの、カラギオシス(Karaghiosis)だの、いくつもの名前をもっている男が話題になっていて「今度は世界を破壊するつもりなの」なんて物騒なセリフが飛び出してくる。
あるいは、次のような出だしです。
「サンドール・サンドール(Sandor Sandor)はすでに四歳の時から銀河系149の居住惑星の名を悉く諳んじていた。後年では隠す惑星の主要陸塊の名前を言い当て真っ黒な球の表面にその陸塊の輪郭をチョークで書き込むことができた」
「ベネディック・ベネディクト(Benedick Benedict)は水の多いクジャムという世界で生まれ育った。彼の特殊能力は会う人間を片っ端から敵に回すような性質のものだった。なぜなら人生の最高の楽しみがある者にとっては酒でありあるいは大食であり又別の者にとっては怠惰あるいは好色あるいは不倫することがこの世の喜びであるのに対してベネディックのそれはゴシップであるからだ。彼は歩く放送局なのだ。ゴシップは彼にとって食事であり酒であり又セックスであり宗教であった。彼と握手するのは間違いで、それが致命的な間違いになることが多かった。なぜなら、君の手を握りしめ上下に振ってニコニコしているうちに彼は突然目を潤ませ太った頬に涙をこぼし始めるからだ。こうなったときの彼は悲しいのではない。その正反対。それは、超常反応からくる身体的症状である。彼は君の過去の生活を透視しているところなのだ」
「リンクス・リンクス(Lynx Links)は一見顎髭を生やしたビーチボールか片目に眼帯をしたデブの家父長そっくりだった。うまい料理と酒。肩の凝らない服装と気取らない人間との付き合いが好きな男に見えた。いつもニコニコして物柔らかな響きのいい声でしゃべる男だった。若い頃の彼はインターステラー(Interstellar)情報局にこれまで雇われた秘密情報部員の誰よりも華々しい殺しの記録を打ち立てた」
この三人が、かつて銀河を焼き払うような残虐行為を働き、心臓を奪われた男として語られながら生き続ける怪人ヴィクター・コーゴ(Victor Corgo)討伐に雇われるお話です。こうした、一度読んだら忘れられない強烈な個性、すなわち「忘れがたい人物の顔」こそが、ゼラズニイ文学の入り口なのです。
SFというジャンルにおいて、これほどまでに人物の個性を鮮やかに、かつ冷徹なまでに際立たせて描き出す作家は稀です。ゼラズニイの描く男たちは、皆一様に孤独で、自らの内に消えない傷を抱え、それでもなお、自らの美学に従って行動します。筆者はこれらの作風に、シェイクスピア(Shakespeare)的な古典文学のダンディズムと、一人称ハードボイルドのニヒリズムを感じ取ってしまうのです。
2. 生涯と文体
ロジャー・ゼラズニイ(Roger Zelazny)は、1937年5月13日、アメリカのオハイオ州ユークリッドで誕生しました。
1960年代、SF界には「ニュー・ウェーヴ(New Wave)」という大きなうねりが起きました。それまでのSFが宇宙船やロボットといった「外側」の科学技術ばかりに注目していたのに対し、人間の心、社会の悩み、宗教といった「内側」の世界を、美しい文学的な言葉で描こうとする新しい動きです。
ゼラズニイはその動きの中心人物として現れました。彼の書く文章は、まるで詩のように美しく、うっとりするような表現に溢れています。古い神話や言葉の歴史にとても詳しかった彼は、神話の物語を、遠い未来や宇宙の設定の中に魔法のように溶け込ませるのがとても得意でした。
SFの世界で最も名誉ある賞を何度も受賞した彼の仕事は、単なるSF作家という枠を超えて、今のファンタジー小説やアニメなどの世界にも、非常に大きな影響を与え続けています。
3. 伝道の書に捧げるバラ
1963年に発表された名作短編『伝道の書に捧げるバラ』(A Rose for Ecclesiastes)は、SF史上に残る美しくも残酷な愛の物語です。
舞台は、滅びようとしている古い文明が残る火星。主人公ガリンジャー(Gallinger)は、傲慢で皮肉屋の天才詩人・言語学者です。父親が厳格な聖職者であったため、彼は宗教に対して強い反発心を抱いています。彼は火星の古代寺院で最高の高等語の聖典を翻訳する任務に就きました。そこで出会ったのが、赤い髪を持ち、ローカーの聖なる舞を舞う美しい舞姫ブラクサ(Braxa)でした。
火星文明は過去の核戦争による放射能の影響で男性が不妊化しており、種族は儀式的な滅亡を選ぼうとしていました。ガリンジャーは聖典翻訳を通じて、火星の宗教が旧約聖書の「伝道の書」と酷似していることに気づきます。彼はブラクサと結ばれますが、彼女の誘惑は愛ゆえではなく、すべては予言を果たす義務でした。彼女は予言通り彼を誘惑し、妊娠します。
火星人たちは妊娠を知っても自決を進めようとします。ガリンジャーは地球から密かに取り寄せた一輪のバラを持って寺院に乗り込みました。彼は伝道の書の一節を高等語で朗読し、虚無の言葉を逆手に取って、絶望の淵にある火星人たちへ生を肯定することを説きました。火星の女家長マックワイ(M'Cwyie)たちは動揺し、自決を中止します。こうして種は救われました。
しかし、ブラクサは「私はあなたを愛していない」と彼を拒絶します。ガリンジャーは子を火星に残し、地球への帰還船の窓から涙し、「バラは火星に、伝道の書は地球に」という形で静かに終わるこの物語は、傲慢な主人公が本物の愛と絶望で変わる過程を詩的に描き出しています。
4. 復讐の女神
1965年に発表された初期の傑作短編『復讐の女神』(The Furies)は、ゼラズニイがずっと描き続けた「過去の罪から逃げられない男の姿」を詰め込んだ作品です。
この物語に登場するのは、昔、銀河中で恐ろしい罪を犯した、討伐対象である怪人ヴィクター・コーゴ(Victor Corgo)です。彼は心臓を奪われた男として語られ、異形の怪人として追われる身となっています。物語で重要なのは、この怪物を追い詰める三人のハンター(Furies)です。彼らはギリシャ神話に出てくる、親殺しなどの大罪を犯した者をどこまでも追い詰める復讐の女神「エリニュス」を、SFの世界に作り変えたような存在です。これは、三人のハンターの造形やタイトルから見ても、非常に妥当な解釈と言えるでしょう。
サンドール・サンドール(Sandor Sandor)は、見たもの全てを覚える記憶力を持ち、それが銀河中のどこにコーゴが隠れているかを突き止める助けとなります。ベネディック・ベネディクト(Benedick Benedict)は、握手するだけで相手の人生を見抜く能力があり、隠された過去を暴くことで追跡に貢献します。リンクス・リンクス(Lynx Links)は、情報局において凄絶な殺しの記録を持つ戦士です。
この三人が、まさに「復讐の女神」となって、逃げ回るコーゴを銀河の果てまで追い詰めていく様子は、ゼラズニイらしい鮮やかなキャラクター描写と、ピンと張り詰めた緊張感に満ちています。
コーゴがどんなに名前を変えて隠しても、過去の罪は「復讐の女神」の姿をして、必ず彼の胸を貫きにやってくる。この壮絶な追いかけっこは、かっこいい男の意地とニヒリズムの極致と言えるでしょう。
5. わが名はコンラッド
1966年に発表された代表作『わが名はコンラッド』(This Immortal)は、核戦争でボロボロになった地球を舞台にした、壮大で神話のような物語です。
主人公コンラッド・ノミコス(Conrad Nomikos)は、死ぬことができない呪いのような体質を持つ永遠の旅人です。見た目は30歳くらいの逞しい男ですが、実は何百年も生きていて、古いギリシャ神話の神様のような不思議な雰囲気を持っています。髪がとても濃く、左右の目の色が違い、片足を引きずって歩くという少し変わった見た目をしています。これが、予言にある「カリカンジャロス」という怪物の姿と重なり、物語に深い謎を与えています。
コンラッドの心は、過去に犯した間違いへの深い後悔でいっぱいです。かつては革命家として戦っていましたが、今は地球の古い遺跡を守る仕事をしています。かつての破壊者が今の守護者になっているという心の矛盾が、永遠の命を生きる苦しみとして描かれています。凄腕の暗殺者であるハッサン(Hassan)は、物語に強烈な緊張感を与える重要なキャラクターです。彼はコンラッドと一緒に戦った昔の仲間であり、コンラッドの過去を知る数少ない人間の一人です。
ハッサンは、地球を狙う勢力から「コンラッドを殺せ」という依頼を受けますが、その奥底には、かつての革命の日々へのこだわりや、何百年も変わらない体を持つコンラッドに対して、自らの力で決着をつけたいという熱い想いがありました。ハッサンは、死ぬことができないコンラッドを相手に、互角の死闘を繰り広げるほど、恐ろしく高い身体能力と戦闘技術を持ったプロ中のプロです。このハッサンとコンラッドの決闘は、エジプトの遺跡という特別な場所で起こりました。
この二人の争いは、いってみればハイスクールドラマの主人公が意地の張り合いで本気で喧嘩するのとマインドセットは大差ないのかもしれません。しかし、人類の管理者と人類史上最強の戦士の意地の張り合いともなれば、彼らの背負う十字架の重みと、争いの動機のほとんどを占めている「どっちが強いか」という単なる好奇心のバカバカしさの意味の乖離に、つい野次馬的に面白がってしまう自分がいます。
ことほどさように、人間という生物は二律背反した何かが共存した存在なのだと痛感させられるのです。激しいぶつかり合いの末、二人は共にボロボロになり、身動き一つ取れないほど疲れ果て、絶体絶命のピンチに陥ります。その時、動けない二人を狙って、第三の敵たちが襲いかかってきました。
もうダメかと思われたその瞬間、主人の危機を察して戦場に飛び込んできたのが、巨大な犬のボルタン(Bortan)です。ボルタンの乱入は、実はコンラッドの抜かりのない計画の一部でした。放射能の影響で馬のように巨大になったボルタンは、体の横には硬い鉄板のような皮膚が張り付き、目は赤く光り、その牙は電動ノコギリのように恐ろしい武器になります。ボルタンは神域を守るライオンのような激しさで敵に飛びかかり、圧倒的な強さで敵を蹴散らし、二人を救い出しました。
百戦練磨の戦士であるハッサンは、このボルタンの凄まじい戦いぶりと、コンラッドの事前の準備の凄さを目の当たりにして、プロの戦士としての深い敬意をコンラッドに抱きます。ボルタンは恐ろしい怪物のような見た目ですが、コンラッドにはものすごく甘える、とても可愛い一面も持っています。その激しさと健気な忠誠心が組み合わさった、他に類を見ない魅力的なキャラクターです。
6. 光の王
1967年に発表された最高傑作が『光の王』(Lord of Light)です。すごい科学技術で「神様のような力」を手に入れた人間たちが、インドの神様になりきって支配している世界で、仏陀の役割を引き受けた主人公サム(Sam)の戦いを描いています。
この物語に出てくるリルド(Rild)は、物語の心を支えるキャラクターです。もともとリルドは、死の女神カーリーの命令で、サムを殺しにやってきた冷酷な暗殺者でした。しかし、旅の途中で重い病に倒れた時、ターゲットであるはずのサムに命を救われます。この時受けた優しさが、リルドの人生をガラリと変えてしまいました。
命を救われた恩を感じたリルドは、殺しの仕事を捨てて、サムの教えを学ぶようになります。そしてついには、サムよりも先に本物の「悟り」を開き、仏陀としての名前「スガタ(Sugata)」を継ぐことになるのです。物語のクライマックス、丸太の橋の上での死闘において、リルドはたった一人で強敵ヤマ(Yama)の前に立ちはだかります。勝てるはずがないと分かっていても、彼は剣を抜き、挑んでいきます。
「王よ、娘たちも馬も舞いも歌もお受け取りください。私は求めたものだけを望みます。死よ、生命の彼方に何があるのか、教えてください。人間も神々も疑うものを。」
リルドの死は、主人公サムの心に深い傷と変化を与え、彼を本当の意味で「仏陀」へと変えていきます。暗殺者が悟りを開き、人を殺す者が人を救うために命を捧げる。この変化こそが、人間が持つ素晴らしい可能性と慈悲の心を象徴しているのです。
7. 犬と笛
ボルタンの連想というつながりで、ここで芥川龍之介の短編小説『犬と笛』を紹介します。芥川の作品も、伝統的な神話や物語をベースにしており、忠実な従者としての犬が主人公を助けるという共通点があります。
・登場人物
髪長彦(かみながひこ):主人公。葛城山の麓に住む若い木樵。女のような優しい顔立ちと長い髪が特徴。笛の名手で、自然や動物を魅了する力を持つ。
三柱の神:足一つの神(白犬「嗅げ」)、手一つの神(黒犬「飛べ」)、目一つの神(斑犬「噛め」)を授ける。
嗅げ・飛べ・噛め:嗅覚抜群、空を飛ぶ、一噛みで鬼神を倒す超能力を持つ忠実な犬たち。
駒姫・笠姫:鬼神にさらわれた飛鳥の大臣の美しい姫君。
食蜃人・土蜘蛛:姫君たちをさらった悪者。
二人の侍:大臣の使い。功績を横取りしようとする欲深い人間。
・あらすじ
髪長彦は神々から授かった三匹の犬を連れ、鬼神にさらわれた姫君たちの救出に向かります。生駒山の食蜃人、笠置山の土蜘蛛を退治して姫君を救いますが、帰り道に大臣の侍たちに裏切られ、犬と姫君を奪われてしまいます。しかし髪長彦は笛を吹いて形勢を逆転させ、最終的に真実が明らかになり、侍たちは逃げ出し、髪長彦は大臣の婿となります。
・作品の魅力
笛と犬で鬼神を倒す爽快な冒険譚であり、悪者の策略が簡単にひっくり返される逆転劇には痛快な感触があります。芥川の繊細な文体で描かれるファンタジーが新鮮な佳作です。
8. 暗殺者とオリジナリティ
ゼラズニイの物語におけるハッサンとリルドは、最初は主人公を殺すために送り込まれた冷酷なアサシンとして同じ役割を担っています。彼らは主人公と命をかけてぶつかり合うことで、その孤独な心を誰よりも理解し、物語をより深い場所へと導く鏡のような役割を果たしています。
しかし、その内実には明確な差異が存在します。ハッサンとの死闘の最中、窮地を救ったボルタンの出現はコンラッドの周到な計画によるものでした。これによってハッサンのマインドが根本的に変わったわけではなく、コンラッドへの畏敬の念が一段階深まったに過ぎません。ここに、真の不死の人間としてのコンラッドと、科学の力でブッダを模倣しているに過ぎないサムとの役者の違いが鮮明に現れています。コンラッドは、サムよりも一段上の領域にある存在といえます。
一方で、リルドという存在は、ある意味でコンラッドの域に達していたと見ることができます。リルドは単なる刺客であることを超え、真のブッダとしての悟りを開いていました。彼は自身の殉教が、模倣者であるサムの内面に決定的な変化を引き起こすことを予見していたはずです。自らの命を捧げることで相手の精神構造を根底から組み替える。
その精神的な高潔さと先見性において、リルドはサムを凌駕し、真の神話的存在へと昇華されました。コンラッドの計略に畏怖するハッサンと、サムの内面を殉教で変革するリルド。この差異こそが、ゼラズニイが描く人間像の奥行きなのです。
また、これらの物語には常に神話の構造が隠されています。登場人物たちは単なるキャラクターではなく、神話的な意味を背負った特別な存在として屹立しています。対峙するハッサン、リルド、あるいは忠実な犬たちのような存在が記憶に残るのは、彼らが壮大な神話の流れの中に位置づけられているからです。人間が運命に立ち向かうとき、神話のような巨大な物語を必要とする。その真理が、暗殺者の変容や忠実な従者の献身を通じて描き出されています。
なぜ現代の映像作家たちは、この時代の稀有な作品群を映画化しないのでしょうか。筆者はかねてからこのことが不可解でなりませんでした。映像に限らず、小説や絵画においても、果てしなく拡大していくクリエイターたちの世界は、その末端に至るほどエントロピーが増大し、本質的なオリジナリティを維持できなくなっていく宿命にあるのかもしれません。
その証左として、クラシックやジャズの歴史を振り返れば、表現は常に「スタンダードの再演」という地平へと収斂していきます。つまり、独自の世界観を構築するストーリーテリングや楽曲の創造(コンポーズ)というフェーズから、既成の素材をいかに読み解くかというアレンジや解釈の段階へと、パラダイムが移行しているように見えるのです。
近年の映像作品におけるリメイクの氾濫は、まさにこの現象を象徴しています。その点、SFやプログレッシブ・ロックというジャンルは、推理小説やポップスに比して、そもそもがハイブリッドな性質を前提としています。引用やオマージュを血肉とするその構造は、現代のクリエイティブ・シーンに極めて馴染みやすいはずです。
しかし、それゆえにこそ、ゼラズニイ作品のような「オリジン(始源)」の強度を持つテクストへのカヴァーバージョンが、依然として寡少であるという事実、現代の表現者たちが直面しているある種の「解釈の限界」を示唆しているのかもしれません。しかし、今こそ私たちは立ち返るべきではないでしょうか。これらのオリジンが放つ、抗いがたい力強さに。そこには、安易なリメイクやアレンジでは到達し得ない、人間の根源的な矛盾と美学が刻まれているのです。











