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主を仰ぎ見て:ボクのニューヨーク珍道中(8.9千文字)

主を仰ぎ見て:ボクのニューヨーク珍道中

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【注釈】本稿は、筆者個人による調査・読解・考察をもとに構成されたものであり、筆者は本稿で扱う分野における専門家ではありません。内容の作成にあっては、公開されている資料の参照や、近年一般化しているAIを用いた情報収集・整理・ファクトチェックを活用していますが、それらはあくまで理解を助ける補助的な手段であり、記載内容の正確性・完全性・最新性を保証するものではありません。本稿には、事実として確認可能な情報の紹介に加え、比喩的表現、仮説的な推論、個人的な解釈や読み替えが含まれています。これらは特定の立場や結論を断定する意図によるものではなく、読者に思考の材料を提供することを目的としています。最終的な判断や解釈については、必ず一次資料や他の視点も参照したうえで、読者自身で行ってください。

1. ニューヨークへの旅と不安

本稿を執筆するにあたり、まずは筆者自身がこの聖歌によって魂の救済を経験したという、個人的な事象から紐解いていきたい。時は2022年8月である。筆者にとって、生涯初となる海外一人旅の目的地がニューヨークであった。そもそも、ニューヨークという異郷へ赴くこと自体が、極めて巨大な試練であった。かの地で、永年憧憬を抱き続けてきたギタリスト、ロバート・フリップによるギター・サークル合宿が開催されることになったからである。彼の年齢的な背景を鑑みれば、これが直接教えを乞うラスト・チャンスに近いものになるであろうと直感した。筆者自身もまたそれなりの年齢に達しており、夢をこれ以上先送りすることの限界を悟っていた。そこで、定年退職の祝いを兼ねた自分自身へのささやかな恩賞として、この海外旅行を実行に移す決意を固めたのである。加えて、筆者の肉体的な状況における回復も、この決断を後押しする極めて重要な条件となっていた。実は、2020年に発症した頸椎ヘルニア、ならびに神経原性筋萎縮という病魔による症状が、時を経て緩和されつつあったのである。依然として指を完全に自在に動かせる段階には至っていなかったものの、長い苦闘の末、漸くギターが弾けるようになっていたこと。この事実こそが、今このタイミングで海を渡るべきであるという確信を、筆者に与えてくれたのであった。

しかしながら、冷静に顧みれば、筆者はニューヨークの地理的配置はおろか、その輪郭すら把握していなかった。数多のドラマや小説、あるいは敬愛するミュージシャンたちが活動の拠点とする場所として、一種の現代のバビロンのような象徴的な心象風景こそ抱いていた。とはいえ、そこにはどのような列車が運行され、どの空港が近接し、いかなる経路を辿れば到達できるのかといった実用的な事柄には一切の関心がなく、当然ながら全くの無知であった。航空券の手配を済ませた後になってから、慌ててニューヨークの歩き方と題されたガイド・ブックを買い求めたほどである。

事前の準備として、ギターの師匠から往路の同行に関する承諾を得ることはできた。加えて、ギターを安全に輸送するためのパッキングのイロハについても教示を受けた。それでもなお、見知らぬ異国の地を単独で歩行する際、果たして無事にやり遂げることができるのだろうかという深い不安の念を、どうしても払拭することができなかった。

2. ギター・合宿と関連イベント

ここで、筆者が参加を決断した合宿の実態について、その仔細な情報を記しておきたい。2022年、ロバート・フリップの主宰によるザ・ギター・サークルのワーク・ショップ、ならびにそれに付随する関連イベントが、ニューヨーク州グレン・コーブの地で開催される運びとなった。

当時、動画共有サイトであるYouTube上には、フリップ自身が出演する宣伝動画も公開されていた。その映像のなかで、彼はイギリスのブリーデンボロに構える自身のオフィスに佇み、ポール・リード・スミス製の特注アコースティック・ギターを首から提げて視聴者に語りかけている。音楽は世界を変えられるかという極めて哲学的な命題の提示から幕を開け、さらには楽器を演奏しない観客という立場での参加も大いに歓迎する旨が真摯に伝えられていた。

このワーク・ショップの舞台となったのは、ニューヨーク州ロング・アイランドに位置するザ・マンション・アット・グレン・コーブと呼ばれる壮麗なホテルであった。2022年の開催においては、8月22日から26日までの期間が、本質的な実践の場となる本コース、ザ・ギター・サークル・ウィズ・ロバート・フリップと定められていた。なお、過去の開催記録においては、この本コースに先駆けて導入コースが設定された例もあるが、2022年の公式アナウンスではこの期間が中心的な日程として案内されている。

これらの修練の場は、初心を抱く者から熟達したプロフェッショナルに至るまで、極めて幅広い階層の探求者を受け入れる度量を備えていた。そのプログラムの中核には、ニュー・スタンダード・チューニングを駆使したギター指導が存在していたが、それのみに留まらない。アレクサンダー・テクニークや太極拳、そして深く内面へ沈潜する瞑想といった、心身両面を統合的に鍛錬するための修法も包括されていたのである。

さらに付言すれば、このワーク・ショップが閉幕した直後、すなわち2022年9月から10月にかけての期間、フリップはマネージャーを務めるデヴィッド・シングルトンを伴い、北米を巡るトーク・ツアーを敢行している。ニューヨーク市内においても、9月23日にシティ・ワイナリーにて公演が実施された。その内容は、音楽の根源的な本質やビジネスとしての側面、パンデミック下におけるYouTubeを通じた活動の軌跡、そして自身の著書のプロモーションを兼ね合わせた、濃密な対話イベントであった。

関連する出版物に関しても触れておく。2022年9月1日、フリップにとって初となる著書ザ・ギター・サークルが、限定版のハード・カバーという形態で世に送り出された。この書物には、数十年にわたり培われてきたギター・クラフトの深遠な教えとともに、1970年代後半におけるニューヨーク滞在時の克明な日記などが集約されている。

3. ニューヨーク戦略と聖歌

さて、時計の針を旅の準備段階へと戻そう。その時期にはすでに、筆者の内なる生活においてクリスチャンとしての祈りの習慣が深く根を下ろしていた。ゆえに、見えざる試練を前にして、筆者はまず静かに祈りを捧げたのである。それ以前の道のりにおいても、聖なる賛美の調べ、すなわち聖歌によって霊的な救済を与えられる経験や機会に数多く恵まれてきた。そこで今回も、心を覆う暗い不安を払拭すべく、独自の対ニューヨーク戦略としての役割を担い得る聖歌を求めて検索を行った。その折、天の導きのごとく探し当てたのが主を仰ぎ見てという楽曲であった。

これから自身の眼前に立ち塞がるであろう、未知なる次元の困難をありありと想像していた筆者にとって、私に迫るどんな山も越える力与えてくださいという切実な歌詞の響きは、当時の精神的状況に寸分違わず合致するものであった。さっそくゴスペル調にアレンジされた動画を再生し、その魂の底から湧き上がるような熱い歌声に深く心を打たれた。しかしながら、その映像を凝視するうちに、ある種の特異な現象に気がついた。豊かなソウルを湛えた黒人の歌手が、驚くべきことに、流暢な日本語を用いて賛美を歌い上げているではないか。まさにその瞬間を契機として、筆者のこの楽曲に対する尽きせぬ探求心と、そこから得られる多大なる霊的恩恵の日々が幕を開けたのである。

4. キリスト教とゴスペル

キリスト教の教理、あるいは聖歌という文化に対して未だ親しみを持たない方々のために、ここで神秘主義の系譜と神学の基礎的背景を交えつつ、懇切丁寧に位置からご説明させていただきたい。

キリスト教とは、世界において最も多数の帰依者を擁する信仰体系の一つである。その教義の核心は、イエス・キリストを神の独り子として受容し、父なる神、そして聖霊とともに、不可分にして不可解なる三位一体の神として礼拝を捧げることにある。この聖なる礼拝の儀式、あるいは個人的な内的祈祷の場において、神に対する絶対的な賛美と祈念を音の形に昇華させたものを総称して、聖歌、あるいは賛美歌と呼称する。

古典的かつ伝統的な形式を持つ讃美歌は、悠久の昔から信仰の歩みとともに存在し続けてきた。一方で、現代の教会暦においては、ゴスペルと称されるダイナミックな音楽形態や、ワーシップ・ソングと呼ばれる現代的な賛美の手法が広く支持を集めている。ゴスペルの淵源をたどれば、それはアフリカ系アメリカ人が過酷な奴隷制度という煉獄を生き抜く過程で産み落とした、魂の叫びとしての力強い歌に帰着する。言語に絶する苦難の只中において、一筋の希望の光を見出し、絶対者たる神へ向かって放たれた切実な祈念の表現なのである。音楽的な側面としては、フェイクや即興的なアドリブ、幾重にも重なるコーラスといった、人間の情動を極限まで引き出すソウルフルな歌唱法を特徴とする。

翻って我が国の文脈においても、このようなゴスペルの精神と様式を継承し、それを独自の日本語の響きへと定着させたオリジナル楽曲が数多く誕生している。それらは現在、全国各地の教会コミュニティや、信仰を抱く個人の間で広く愛唱されるに至っている。

5. ピアノ・コウジと楽曲情報

さて、この霊感を纏った稀代の楽曲について、その創造の主体である作曲者、ならびに世に出た発表年代などのクレジットの詳細を紐解いていく。

本曲の作詞および作曲という創造の重責を担ったのは、ピアノ・コウジという名で知られる日本のクリスチャン音楽家である。彼は、日本におけるゴスペル・ピアニストの先駆者の一人であり、同時に類まれなる作曲家でもある。その作風は、黒人ゴスペルの持つ原初的な生命力と力強い賛美の精神を色濃く反映したものを多数手がけており、現在も日本全国に点在する教会や、実践的なゴスペル・ワークショップの場において、会衆を導くワーシップ・リーダーとしての重責を担い続けている。

楽曲の公式なクレジットにおいては、作詞作曲ピアノ・コウジという表記が一般的である。一方で、界隈の一部資料や動画においてはMeg Awano氏との共作であると記される事例も確認されているが、本質的にはピアノ・コウジ氏の霊的感性が結実した作品として、広く一般に認知され歌い継がれているのが実情である。

この楽曲がこの世界に顕現した正確な発表年代については、公式な記録としてのリリース年は定かではないものの、インターネット上の記録を辿れば、2010年代の初頭には既に日本の教会コミュニティや個々の信徒の間で、祈りの声として歌われ始めていた痕跡が見受けられる。その後、2010年代中盤から後半にかけて、動画共有サイト上に彼自身のピアノ演奏や、教会の礼拝における実際の歌唱風景がアップロードされた。これを契機として、見えざる霊的な波紋のごとく全国のクリスチャンの間でその認知が拡大し、今日においては日本語による現代ゴスペルを代表する、国内クリスチャン・コミュニティの確固たる定番曲として揺るぎない地位を確立している。

6. 日本語版の歌詞について

ここで、筆者自身の魂を暗闇から引き揚げ、これまで数え切れないほど多くの人々の背中を力強く押し続けてきた、日本語による言霊の結晶とも言うべき歌詞を引用したい。

この詩篇は、人生の途上で避けがたく直面する困難の壁を前にして、ただ絶対者たる神を仰ぎ見ることによってのみ、真なる力と天上の光が授けられるという真理を説いている。一切の恐れを捨て去り、前進を続けるための、極めて純化されたシンプルかつ力強い祈りの形である。ひとつひとつの言葉の響きそのものに、神聖なる力が宿っていることを感じ取っていただけるはずだ。

・主を仰ぎ見て 力を得よ
・主は我が力 我が盾
・主を仰ぎ見て 光を得よ
・主が全てを 成し遂げられる
・私に迫るどんな山も越える力 与えてください
・私が恐れず ただ主を信じ
・進むことができますように
・主を仰ぎ見て 主を仰ぎ見て

7. 英語版の歌詞について

この霊的な賛美の波動は、国境という物理的な障壁を越え、海外のクリスチャンたちの間でも深く愛唱されるに至っている。それに伴い、原曲の真髄を精緻に写し取った英語の対訳歌詞も存在している。黒人音楽の伝統を受け継ぐゴスペルの力強い歌唱とともに、以下のごとき荘厳な英語詞が添えられ、歌い継がれているのである。

・Let us gaze upon the Lord and receive strength
・The Lord is my strength and my shield
・Let us gaze upon the Lord, and receive light
・For God will accomplish all things
・Give me strength to overcome the mountains that come against me.
・And let me not fear, but believe in the Lord to continue advancing.

8. 聖書における関連聖句

この楽曲の根底には、太古より伝わる聖書の深遠なる言葉が、直接的なインスピレーションの源泉として脈打っている。歌詞を構成する各々のフレーズは、特定の聖句に秘められた霊的真理を鮮やかに反映したものである。ここでは、聖書神学の専門的な視座から、旧約聖書の時代から新約聖書の時代へと年代順にテクストを引用し、いかなる箇所がこの祈りの基盤を形成しているのかを仔細に解き明かしていきたい。なお、引用にあたっては新共同訳聖書などの表現を底本として参照している。

第一の柱となるのは、主は我が力我が盾という一節の霊的淵源である。
・詩篇28篇7節(一般にダビデの作と伝承される)
主はわが力、わが盾。わが心は主に依り頼み、助けられた。
これは、絶対的なる神を自らの内なる力であり、外界の脅威から身を守る盾として全き信頼を寄せる、純然たる信仰の告白である。歌詞におけるこの表現は、この古代の詩篇からほぼそのままの形で受肉したものである。

第二の柱は、主を仰ぎ見て光を得よという至高の啓示についてである。
・詩篇34篇5節(一般にダビデの作と伝承される)
主を仰ぎ見る者は、輝きを放ち、顔に恥を被ることがない。
造物主を仰ぎ見ることによって、人間の顔は霊的な輝きを帯び、内なる光を獲得して魂の恥辱から解放されるという、神の聖なる約束がここに投影されている。

第三の柱として、私に迫るどんな山も越える力という魂の祈りが持つ背景を考察する。
・イザヤ書40篇31節(紀元前8世紀頃の預言者イザヤに帰される)
主に望みをおく人は力を新たにし、鷲のように翼を広げて上ることができる。走っても疲れることなく、歩いても疲れ果てることがない。
大預言者イザヤが告げた、この極めて有名な新しい活力を得るという恩寵の約束が、立ち塞がる山のごとき巨大な障害を飛翔して越えゆくイメージと見事に重なり合っている。

第四の柱は、主を仰ぎ見て、山を越えるという象徴的イメージの根源である。
・詩篇121篇1節から2節(捕囚期以降とされる巡礼の歌)
わたしは目を上げて、山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る、主のもとから。
かつて巡礼者たちが物理的な山を仰ぎ見て抱いた畏れや希望が、やがて真の助け主である神そのものを仰ぎ見るという内的次元へと昇華され、究極の救済は神の座からのみ到来するという強固な信仰へと結びついている。

第五の柱として、私に迫るどんな山も越える力というフレーズに対する、より直接的な神の教示を新約聖書の福音書から拾い上げる。
・マタイによる福音書17章20節(紀元1世紀後半頃の成立とされる)
まことに、あなたがたに言います。もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山に向かって、ここからあそこに移れと言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません。

・マルコによる福音書11章23節(紀元1世紀中頃から後半頃の成立とされる)
まことに、あなたがたに言います。だれでも、この山に向かって、動いて、海に入れと言って、心の中で疑わず、自分が言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

第六の終局の柱となるのが、主を仰ぎ見るという絶対的姿勢の強調である。
・ヘブル人への手紙12章2節(紀元1世紀後半頃の成立とされる)
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないようにしましょう。
これは新約聖書神学において、信仰の創始者であり完成者であるイエス・キリストへ霊的な視線を固定し、決して目を逸らさない姿勢を要求する代表的なテーゼである。

これら数千年の時を越えた聖書の言葉たちは、いかなる時代においても一貫して、ただ神を仰ぎ見ることによってのみ、人間は限界を超えた新しい力を授けられるという普遍的なテーマを鳴らしている。聖書学的な解釈において山とは、我々の人生の途上に立ちはだかる、人力ではいかんともしがたい巨大な困難や霊的障害の象徴である。ニューヨークという広大なる未知の土地へ向かう筆者の心中にそびえ立っていた不安という名の山もまた、この教えの通り、ひたすらに神を仰ぎ見ることで越えゆくための超自然的な力を与えられたのである。

9. 世界的な広がりとカバー

歴史の針を進めると、2010年代後半以降、海外に拠点を置くルア・ワーシップと名乗るグループが、この楽曲を重厚なゴスペル風のアレンジで仕立て上げたカバー動画をアップロードした。この試みは、実に35万回を超える再生数を記録するなど、世界規模で途方もない反響を巻き起こした。さらに後続の現象として、UCバークレーのユニバーシティ・ゴスペル・コーラス(University Gospel Chorus)などによる壮麗な演奏の記録も世に出現している。

海外の方々が、一言一言の日本語を噛みしめるように歌う姿。その光景は、鳥肌が立つほど感動的です。この賛美が、国境を超えて響き渡る事実に、筆者は深い畏敬の念を抱かずにはいられません。それはまさに、国境や人種という現世のあらゆる障壁を超越した次元で、普遍的な信仰が共有されていることの生きた証左であった。用いる言語の違いという壁をやすやすと飛び越え、ただひとつの真実なる祈りを共有するという崇高な感動が、今や数百万人の人々の魂へ到達し、世界中の傷ついた者たちを大いに励まし続けている。極東の地である日本でひっそりと産み落とされた現代の祈りの歌、すなわちゴスペルが、一度広大な海を渡り、やがて再び還ってきて我々日本人に生きる勇気を授けるという、神秘的とも言える素晴らしい霊的循環がここに立ち現れているのである。

10. ニューヨーク合宿の結末

この大いなる讃美の歌に魂の勇気を授けられ、ついに決行したニューヨークへの旅であったが、実際のところ、その道程はいかなるものであったのか。最終的に、筆者が現地の物理空間において恐怖を抱いた対象といえば、ホテルでの滞在中に窓の外から響いてきた、大音量のラップ・ミュージックを撒き散らす車両のすさまじい轟音であったり、あるいは夜の街角を彷徨う際、やはり耳をつんざくような大音量で音楽を流す飲食店の前をすり抜ける瞬間程度のものであった。ひとたび地下の迷宮たる地下鉄に足を踏み入れようとも、あるいは絢爛たるブロードウェイの表通りを闊歩しようとも、そこでは何事も起きず、拍子抜けするほど安全に歩を運ぶことができたのである。

また、無事に日本への帰路に就くにあたっては、当時まだ施行されていたcovid-19の現地検査を通過しなければならないという試練が待ち受けていた。見知らぬ街で検査の場所を探索して右往左往し、ようやくのことで無事に陰性の証明書を勝ち取ったり、あるいは空港が要求する複雑な専用アプリの仕様に翻弄され、大いに頭を抱えたりもした。しかしながら、今となって振り返れば、そうした現世の細々とした苦労すらもすべて含有し、実に楽しく充実した時間を過ごすことができたと断言できる。

筆者の内面にそびえ立っていた絶対的な不安という名の山を乗り越え、無事にニューヨークでの過酷な合宿を完遂し、私にとって代替不可能な一生の思い出と、強固なサークルの繋がりを獲得することができたのである。この奇跡的な成就は、まさにあの神聖なる歌が、私というちっぽけな存在に惜しみなく分け与えてくれた恩寵の力にほかならない。

11. 祈りの歌がもたらす希望

結びにあたり、主を仰ぎ見てという楽曲の本質を改めて定義しておきたい。これは、悠久の昔に神が人類と交わした古い約束の数々を、現代の我々が直面する混沌に満ちた日常における切実な祈りとして、見事に蘇らせた霊的な讃美の歌である。

我々が人生という名の巡礼の途上において、絶望的な巨大な山に直面した時、ただ絶対者たる主を仰ぎ見るというその一点の行為だけで、たちまちにして新しい力が上から与えられる。この曲は、そのような確固たる天的な希望を、今を生きる私たちの魂の奥底へと力強く届けてくれるのである。

この記事を読まれているあなたも、人生の重荷に耐えかねた夜には、ぜひ一度この神秘なる調べに耳を傾けてみていただきたい。大いなる主の平安が、あなたの心に絶え間なく満ち溢れんことを、静かに祈り願っている。

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