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文語訳『阿弥陀経』— 究極の他力と、信仰の階梯


文語訳『阿弥陀経』――究極の他力と、信仰の階梯

目次

1.『阿弥陀経』の紹介
  登場人物
  あらすじ

2.『阿弥陀経』の思想的深層――「一念」と「専修」の対立を超えて

3.翻訳ポリシーについて

4.『仏説阿弥陀経』 文語調翻訳

5.【探求者への最後の問い】

【注】

付録
  付録1:文語訳(ふりがな付)
  付録2:原文(CBETA準拠)
  付録3:原文(ふりがな付)
  付録4:現代語訳

【主要語の読法メモ】

【公開用メタデータ】

1.『阿弥陀経』の紹介

『仏説阿弥陀経』(以下『阿弥陀経』)は、大乗仏教の中でも特に浄土思想の核心をなす経典であり、『無量寿経』『観無量寿経』と共に「浄土三部経」の一つに数えられる。その特徴は、極めて短い本文の中に、阿弥陀仏の仏国土である「極楽浄土」の荘厳な情景と、そこに往生するための道筋が、簡潔かつ断定的に説かれている点にある。

多くの経典が弟子からの問いに釈迦が答える形式(問答体)をとるのに対し、本書は誰に問われることもなく釈迦が自ら説き始める**「無問自説(むもんじせつ)」**という、異例の形式を持つ。多くの注釈では、この形式が人為を超えた真理の自ずからの発露を象徴すると解されてきた。

登場人物

  • 説法者:釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)
    この世界の教主。舎衛国の祇樹給孤独園にて、大いなる慈悲から、凡夫が救われるための究極の道を自ら説き明かす。

  • 聞き手:舎利弗(しゃりほつ)
    釈迦の十大弟子の一人で、「智慧第一」と称された聖者。釈迦はこの智慧第一の弟子を名指しで呼びかけ、教えを説く。しかし、その教えのあまりの超越性の前に、舎利弗はただの一度も問いを発することができない。

  • 中心主題:阿弥陀仏(あみだぶつ)
    西方・極楽浄土の教主。「無量の光(アミターバ)」と「無量の寿命(アミターユス)」を意味する名の仏。その名を称えるという実践のもと、善悪や能力の如何を問わず救い取ると誓った、絶対的慈悲の象徴。

  • 証人:六方諸仏(ろっぽうしょぶつ)
    東方・南方・西方・北方・下方・上方、あらゆる世界に存在する、ガンジス河の砂の数ほどの仏がた。釈迦が説くこの教えが真実であることを、それぞれの世界で証明し、保証する。

あらすじ

物語は、釈迦が多くの弟子たちを前に、舎利弗に向かって語りかける形で進む。
まず、この世界から遥か西方に、一切の苦しみがなく安楽に満ちた「極楽」という仏国土が実在し、そこには阿弥陀という仏が今も法を説いていることが明かされる。
次に、その極楽浄土の荘厳な情景――七つの宝でできた池や大地、常に奏でられる天上の音楽、仏法を説く美しい鳥たち――が、詩的に描写される。
そして、本経が示す中核的実践として、この浄土に生まれるための道筋が示される。それは、**「阿弥陀仏の名号を、一日、あるいは七日間、一心不乱に称え続けること(執持名号:しゅうじみょうごう)」**である。そうすれば、その者の臨終に際し、阿弥陀仏が聖者たちと共に現れ、その者を極楽浄土へと迎え入れると約束される。
最後に、この教えが釈迦一人の言葉ではなく、宇宙のあらゆる仏がた(六方諸仏)によって保証された、絶対の真実であることが宣言されて、物語は終わる。

2.『阿弥陀経』の思想的深層――「一念」と「専修」の対立を超えて

『阿弥陀経』が提示する救済論は、そのシンプルさゆえに、私たちの心を深く揺さぶります。そして後世、その解釈をめぐり、二つの優しい眼差しが生まれました。

一つは、「ただ一度でも心から信じ称えれば、その瞬間に救いは定まる」という**「一念義(いちねんぎ)」**の眼差し。これは、どのような状況にある人をも見捨てない、究極の慈悲の現れです。
しかし、そのあまりの優しさが、かえって私たちに「これで十分だ」という心の油断を生ませ、一声のお念仏を形式的なお守りのように捉えてしまうことはないでしょうか。せっかくの深い教えが、自らの心を省みる旅の始まりではなく、ただの安心材料で終わってしまうとしたら、それはとても寂しいことです。

もう一つは、「できるだけ多く、ひたすらに称え続ける生活(一向専修)こそが大切だ」という**「多念義(たねんぎ)」**の眼差し。これもまた、仏との絆を常に感じていたいと願う、篤い心の現れです。
しかし、その熱心さが、いつしか「これだけ称えたのだから」という、自らの努力を頼りにする心(自力)へと、知らず知らずのうちにすり替わってしまう危険はないでしょうか。

この、どちらもが優しさから出発しているように見える二つの道が、なぜ対立するかのように語られてきたのでしょうか。この不毛な対立を超克する鍵は、信仰を静的な「資格」ではなく、動的な「プロセス」として捉え直す視点にあります。例えば、空海の『十住心論』や、**大乗仏教に広がる「十地」思想(チベット仏教でも重視され、『十地経(Daśabhūmika-sūtra)』や『入中論(Madhyamakāvatāra)』などで体系的に論じられる)[注1]**が示すように、人間の心は、より低い階梯から高い階梯へと、方便に導かれながら発達・深化していくのです。

この普遍的な「心の階梯」というモデルを適用する時、『阿弥陀経』の真の射程が明らかとなる。

3.翻訳ポリシーについて

本翻訳は、『阿弥陀経』の逐語訳ではなく、その精神を**日本の古典文学が持つ格調高い文語の響きの中に「再創作」した芸術的試み(意訳・脚色を含む)**である。原典が持つ荘厳さと、阿弥陀仏の絶対的な慈悲を、独自の様式で表現することを目的とする。

翻訳にあっては、以下のポリシーを遵守した。

  • 簡潔さと律動感: 俳句や和歌が持つ言葉の経済性を範とし、不要な装飾を極限まで削ぎ落とした。

  • 格調高き文語: 「~き」「~ぬ」「~べし」「~なり」といった、歴史的に正しい文語の文法と語彙のみを使用した。

  • 厳格な様式: ひらがなは古風なものを含め極力漢字に置き換え、尊敬語・謙譲語を一切用いないことで、仏と凡夫の絶対的な関係性をより直接的に表現した。

4.『仏説阿弥陀経』 文語調翻訳

我、是くの如く聞きぬ。
一時、仏、舎衛国、祇樹給孤独園に在りき。大比丘衆、千二百五十人と偕なり。皆、名高き阿羅漢、長老舎利弗、摩訶目乾連、摩訶迦葉、摩訶迦栴延、摩訶拘絺羅、離婆多、周梨槃陀迦、難陀、阿難陀、羅睺羅、憍梵波提、賓頭盧頗羅墮、迦留陀夷、摩訶劫賓那、薄俱羅、阿㝹樓馱、斯くの如き諸の大弟子、并びに諸の大菩薩、文殊師利法王子、阿逸多菩薩、乾陀訶提菩薩、常精進菩薩、斯くの如き諸の大菩薩と、亦、釈提桓因等の無量の諸天大衆と偕なりき。

時に仏、長老舎利弗に告げて曰く。
『此処より西方、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽と曰ふ。其の土に仏あり、阿弥陀と号す。今、現に在りて法を説く。
舎利弗よ、彼の土、何故に極楽と名づくるや。其の国の衆生、衆苦無く、但だ諸楽を受くる故、極楽と名づく。
又、舎利弗よ。極楽国土は七重の欄楯、七重の羅網、七重の行樹あり。皆、四宝もて周匝圍繞す[注2]。故に彼の国を極楽と名づく。
又、舎利弗よ。極楽国土に七宝の池あり。八功徳水、其の中に充満せり。池の底、純らに金沙を以て地に布けり。四辺の階道は金、銀、琉璃[注3]、頗梨[注4]もて合成す。上に楼閣あり、亦、金、銀、琉璃、頗梨、車璩[注5]、赤珠、馬瑙[注6]もて之を厳飾す。池中の蓮華、大さ車輪の如し。青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光、微妙香潔なり。舎利弗よ、極楽国土は斯くの如き功徳荘厳を成就せり。
又、舎利弗よ。彼の仏国土には常に天楽を作す。地は黄金なり。昼夜六時、天より曼陀羅華[注7]を雨らす。其の土の衆生、常に清旦を以て、各々衣裓[注8]に衆妙華を盛り、他方の十万億仏を供養す。即ち食時に及び、本国に還り、飯食し、経行す。舎利弗よ、極楽国土は斯くの如き功徳荘厳を成就せり。
復、舎利弗よ。彼の国に常に種々の奇妙雑色なる白鵠、孔雀、鸚鵡、舎利、迦陵頻伽、共命の鳥あり。是の諸鳥、昼夜六時に和雅の音を出だす。其の音、五根、五力、七菩提分、八聖道分、斯くの如き法を演暢す。其の土の衆生、此の音を聞き已りて、皆、悉く仏を念じ、法を念じ、僧を念ず。舎利弗よ、汝、是の鳥を謂ふこと勿れ、実に罪報の生ぜし所と。所以は何ん、彼の仏国土に三悪趣無し。舎利弗よ、其の仏国土には尚ほ悪趣の名無し、何ぞ況や実あらんや。是の諸鳥は皆、阿弥陀仏の、法音を宣流せしめんと欲して、変化[注9]の作す所なり。舎利弗よ、彼の仏国土には、微風、諸の宝行樹及び宝羅網を吹き動かし、微妙の音を出す。譬へば百千種の楽、同時に倶に作すが如し。此の音を聞く者は、自然に皆、仏を念じ、法を念じ、僧を念ずる心を生ず。舎利弗よ、其の仏国土は斯くの如き功徳荘厳を成就せり。

舎利弗よ、汝が意に於て云何。彼の仏、何故に阿弥陀と号くるや。
舎利弗よ、彼の仏の光明は無量にして、十方の国を照らすに障礙無し。是の故に号して阿弥陀と曰ふ。
又、舎利弗よ。彼の仏の寿命及び其の人民、無量無辺阿僧祇劫なり。故に阿弥陀と名づく。舎利弗よ、阿弥陀仏、成りてより已来、今に十劫なり。
又、舎利弗よ。彼の仏に無量無辺の声聞弟子あり。皆、阿羅漢にして、算数の能く知る所に非ず。諸の菩薩衆も亦、復、是くの如し。舎利弗よ、彼の仏国土は斯くの如き功徳荘厳を成就せり。
又、舎利弗よ。極楽国土に生ずる衆生は、皆、是れ阿鞞跋致[注10]なり。其の中に多く一生補処[注11]あり。其の数甚だ多く、是れ算数の能く知る所に非ず。但だ無量無辺阿僧祇を以て説く可し。
舎利弗よ、衆生、聞く者は、当に発願し、彼の国に生ぜんと願ふべし。所以は何ん、斯くの如き諸の上善人と倶に一処に会するを得ればなり。

舎利弗よ、少善根福徳の因縁を以て、彼の国に生ずることを得可からず。
若し善男子、善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞き、名号を執持すること、若しは一日、若しは二日、若しは三日、若しは四日、若しは五日、若しは六日、若しは七日、一心不乱ならば、其の人、命終の時に臨み、阿弥陀仏、諸の聖衆と与に、現に其の前に在らん。是の人、終わる時、心、顛倒せず、即ち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得ん。

舎利弗よ、我、是の利を見る故に、此の言を説く。若し衆生ありて、此の説を聞く者は、当に発願し、彼の国土に生ずべし。

舎利弗よ、我が今、諸仏の不可思議功徳を称讃するが如く、東方にも亦、阿閦鞞仏、須弥相仏、大須弥仏、須弥光仏、妙音仏……斯くの如き恒河沙数の諸仏あり。各々其の国に於て、広長の舌相を出だし、三千大千世界に遍覆し、誠実の言を説く。『汝等衆生、当に此の、称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経を信ずべし』と。
舎利弗よ、南方世界にも日月燈仏、名聞光仏、大焔肩仏、須弥燈仏、無量精進仏……斯くの如き恒河沙数の諸仏あり。各々其の国に於て、広長の舌相を出だし、三千大千世界に遍覆し、誠実の言を説く。『汝等衆生、当に此の、称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経を信ずべし』と。
舎利弗よ、西方世界にも無量寿仏、無量相仏、無量幢仏、大光仏、大明仏、宝相仏、浄光仏……斯くの如き恒河沙数の諸仏あり。各々其の国に於て、広長の舌相を出だし、三千大千世界に遍覆し、誠実の言を説く。『汝等衆生、当に此の、称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経を信ずべし』と。
舎利弗よ、北方世界にも焔肩仏、最勝音仏、難沮仏、日生仏、網明仏……斯くの如き恒河沙数の諸仏あり。各々其の国に於て、広長の舌相を出だし、三千大千世界に遍覆し、誠実の言を説く。『汝等衆生、当に此の、称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経を信ずべし』と。
舎利弗よ、下方世界にも師子仏、名聞仏、名光仏、達摩仏、法幢仏、持法仏……斯くの如き恒河沙数の諸仏あり。各々其の国に於て、広長の舌相を出だし、三千大千世界に遍覆し、誠実の言を説く。『汝等衆生、当に此の、称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経を信ずべし』と。
舎利弗よ、上方世界にも梵音仏、宿王仏、香上仏、香光仏、大焔肩仏、雑色宝華厳身仏、娑羅樹王仏、宝華徳仏、見一切義仏、如須弥山仏……斯くの如き恒河沙数の諸仏あり。各々其の国に於て、広長の舌相を出だし、三千大千世界に遍覆し、誠実の言を説く。『汝等衆生、当に此の、称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経を信ずべし』と。

舎利弗よ、汝が意に於て云何。何故に之を一切諸仏所護念経と名づくるや。
舎利弗よ、若し善男子、善女人ありて、是の経を聞き受持する者、及び諸仏の名を聞く者は、是の善男子、善女人、皆、一切諸仏の共に護念する所と為り、皆、阿耨多羅三藐三菩提に於て不退転なるを得ん。是の故に舎利弗よ、汝等、皆、当に我が語及び諸仏の説く所を信受すべし。
舎利弗よ、若し人ありて、已に発願し、今、発願し、当に発願して、阿弥陀仏の国に生ぜんと欲する者は、是の諸人等、皆、阿耨多羅三藐三菩提に於て不退転なるを得ん。彼の国土に於て、若しは已に生じ、若しは今、生じ、若しは当に生ず。是の故に舎利弗よ、諸の善男子、善女人、若し信ある者は、当に発願し、彼の国土に生ずべし。
舎利弗よ、我が今、諸仏の不可思議功徳を称讃するが如く、彼の諸仏等も亦、我が不可思議功徳を称讃して言を成さく。『能く、極めて難き希有の事を為せり。釈迦牟尼仏、能く、娑婆国土の五濁悪世—劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁—の中に於て、阿耨多羅三藐三菩提を得、諸の衆生の為に、此の一切世間、信じ難き法を説けり』と。
舎利弗よ、当に知るべし。我、五濁悪世に於て、此の難事を行じ、阿耨多羅三藐三菩提を得、一切世間の為に此の信じ難き法を説くは、是れ、甚だ難しと為すなり。』

仏、此の経を説き已れば、舎利弗及び諸の比丘、一切世間の天、人、阿修羅等、仏の説く所を聞き、歓喜し、信受し、礼を作して去りぬ。

5.【探求者への最後の問い】

……だが、もし『阿弥陀経』が、単なる来世での救済を約束した物語ではないとしたら?
もし、「阿弥陀仏の名を称える」という行為が、我々が考える宗教的実践の範疇を、遥かに超えたものであったとしたら?

最後の問いは、これだ。

もし、『阿弥陀経』が提示する「一念(一声称える)」と「多念(ひたすら称える)」の対立が、二者択一の教義論争ではなく、**人間の霊的発達を描いた、一つの「階梯(ステージ)」**であったとしたら?

第一階梯:方便としての「一念」
それは、自力の絶望の淵に沈む凡夫を、信仰の旅へと誘うための、究極の招待状。この経が無問自説、すなわち問われることなく差し出された**「呼び声」であるように、「ただ一度でいい」**という無条件の応答への促しは、固く閉ざされた自我の門を叩く、他力からの最初の衝撃。

第二階梯:関係性の深化としての「多念」
その呼び声に応答し、一声でも名を呼んだ瞬間、孤独な「私」と絶対的な「他者」との間に、初めて関係性が生まれる。そして、その関係性を育み、維持し、深化させるための実践が、継続的な称名、すなわち**「多念(一向専修)」**となる。

第三階梯:必然の帰結としての「報恩」
そして、その関係性が極まる時、人は気づく。「私が称えている」のではなく、「向こうからの呼び声が、私を通して響いている」のだ、と。
この主客が転倒した境地において、念仏はもはや救いを求める「手段」ではなく、すでに救われていることへの、尽きることのない「感謝(報恩)」の応答
そのものへと変容する。

ならば、『阿弥陀経』が本当に語っていることとは何か。
それは、「資格」の有無を問う教義ではなく、「関係性」の深化を促す、実践の地図なのではないか。

あなたはまだ、信仰を「一度きりの取引」として、安易な救いのチケットを握りしめているのか。
それとも、その一声を始まりとして、他者との関係性を育む、終わりなき**「応答の旅」**へと、すでに出発しているのか。

『阿弥陀経』は、あなたに安楽な終着点を約束しているのではない。
それは、あなたの孤独なモノローグが、壮大な「対話(ダイアローグ)」へと変わる、その始まりの瞬間を、ただ静かに指し示しているのかもしれない。

【注】

[注1]『十地経論』とチベット仏教:『十地経論(Daśabhūmika-vibhāṣā)』は現存が主に漢訳で、チベット語訳は未詳とされる。他方、十地の教説自体はチベット仏教でも『十地経』や『入中論』第6章、関連注釈群を通じて重視・展開される。
[注2]周匝圍繞(しゅうそういにょう):匝(そう)は「めぐる」の意。幾重にも取り囲んでいる様。
[注3]琉璃(るり):ラピスラズリ。仏典用語としては宝玉名の総称的に使われることもあり、異説としてガラス(鉛ガラス)説もある。
[注4]頗梨(はり):水晶(クリスタル)。
[注5]車璩(しゃこ):シャコ貝を含む宝玉名として扱われる。仏典では硨磲(同音)の表記も一般的。
[注6]馬瑙(めのう):瑪瑙(アゲート)。
[注7]曼陀羅華(まんだらけ):天上に咲くとされる純白の美しい花。見る者の心を喜ばせるという。
[注8]衣裓(えこう):古代インドの僧侶が用いた衣の端や裾。これを袋状にしたり、包んだりして物を入れた所作を指す。
[注9]変化(へんげ):仏が人々を導くために、神通力によって仮に作り出した存在(化現した存在)のこと。
[注10]阿鞞跋致(あびばっち):不退転の位。一度得た悟りの境地から、決して後退しない聖者の段階。
[注11]一生補処(いっしょうふしょ):あと一度だけこの世に生まれれば、仏の位を継ぐことが約束された、最高の菩薩の段階。

付録

付録1:文語訳(ふりがな付)

【ふりがな読解のルール】本稿のふりがなは、原文(漢文)を日本語として訓読する際の、伝統的な読み方を優先しています。

我(われ)、是(か)くの如(ごと)く聞(き)きぬ。
一時(いちじ)、仏(ほとけ)、舎衛国(しゃえこく)、祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)に在(あ)りき。大比丘衆(だいびくしゅ)、千二百五十人(せんにひゃくごじゅうにん)と偕(とも)なり。皆(みな)、名高(なだか)き阿羅漢(あらかん)、長老(ちょうろう)舎利弗(しゃりほつ)、摩訶目乾連(まかもっけんれん)、摩訶迦葉(まかかしょう)、摩訶迦栴延(まかせんねん)、摩訶拘絺羅(まかくちら)、離婆多(りはた)、周梨槃陀迦(しゅりはんだか)、難陀(なんだ)、阿難陀(あなんだ)、羅睺羅(らごら)、憍梵波提(きょうぼんばだい)、賓頭盧頗羅墮(びんずるはらだ)、迦留陀夷(かるだい)、摩訶劫賓那(まかこっぴんな)、薄俱羅(ばっくら)、阿㝹樓馱(あぬるだ)、斯(か)くの如(ごと)き諸(もろもろ)の大弟子(だいでし)、并(なら)びに諸(もろもろ)の大菩薩(だいぼさつ)、文殊師利法王子(もんじゅしりほうおうじ)、阿逸多菩薩(あいったぼさつ)、乾陀訶提菩薩(けんだかだいぼさつ)、常精進菩薩(じょうしょうじんぼさつ)、斯(か)くの如(ごと)き諸(もろもろ)の大菩薩(だいぼさつ)と、亦(また)、釈提桓因(しゃくだいかんいん)等(とう)の無量(むりょう)の諸天大衆(しょてんだいしゅ)と偕(とも)なりき。

時に仏(ほとけ)、長老(ちょうろう)舎利弗(しゃりほつ)に告(つ)げて曰(いわ)く。
『此処(ここ)より西方(さいほう)、十万億(じゅうまんのく)の仏土(ぶつど)を過(す)ぎて世界(せかい)あり、名(な)づけて極楽(ごくらく)と曰(い)ふ。其(そ)の土(ど)に仏(ほとけ)あり、阿弥陀(あみだ)と号(ごう)す。今(いま)、現(げん)に在(あ)りて法(ほう)を説(と)く。
舎利弗(しゃりほつ)よ、彼(か)の土(ど)、何故(なにゆえ)に極楽(ごくらく)と名(な)づくるや。其(そ)の国(くに)の衆生(しゅじょう)、衆苦(しゅく)無(な)く、但(ただ)だ諸楽(しょらく)を受(う)くる故(ゆえ)、極楽(ごくらく)と名(な)づく。
又(また)、舎利弗(しゃりほつ)よ。極楽国土(ごくらくこくど)は七重(しちじゅう)の欄楯(らんじゅん)、七重(しちじゅう)の羅網(らもう)、七重(しちじゅう)の行樹(ぎょうじゅ)あり。皆(みな)、四宝(しほう)もて周匝圍繞(しゅうそういにょう)す。故(ゆえ)に彼(か)の国(くに)を極楽(ごくらく)と名(な)づく。
又(また)、舎利弗(しゃりほつ)よ。極楽国土(ごくらくこくど)に七宝(しちほう)の池(いけ)あり。八功徳水(はっくどくすい)、其(そ)の中(うち)に充満(じゅうまん)せり。池(いけ)の底(そこ)、純(ひと)らに金沙(こんじゃ)を以(も)て地(ち)に布(し)けり。四辺(しへん)の階道(かいどう)は金(こん)、銀(ごん)、琉璃(るり)、頗梨(はり)もて合成(ごうじょう)す。上(かみ)に楼閣(ろうかく)あり、亦(また)、金(こん)、銀(ごん)、琉璃(るり)、頗梨(はり)、車璩(しゃこ)、赤珠(しゃくしゅ)、馬瑙(めのう)もて之(これ)を厳飾(ごんしょく)す。池中(ちちゅう)の蓮華(れんげ)、大(おおき)さ車輪(しゃりん)の如(ごと)し。青色青光(しょうしきしょうこう)、黄色黄光(おうしきおうこう)、赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)、白色白光(びゃくしきびゃっこう)、微妙香潔(みみょうこうけつ)なり。舎利弗(しゃりほつ)よ、極楽国土(ごくらくこくど)は斯(か)くの如(ごと)き功徳荘厳(くどくしょうごん)を成就(じょうじゅ)せり。
又(また)、舎利弗(しゃりほつ)よ。彼(か)の仏国土(ぶっこくど)には常(つね)に天楽(てんがく)を作(な)す。地(ち)は黄金(おうごん)なり。昼夜六時(ちゅうやろくじ)、天(てん)より曼陀羅華(まんだらけ)を雨(ふ)らす。其(そ)の土(ど)の衆生(しゅじょう)、常(つね)に清旦(しょうたん)を以(も)て、各々(おのおの)衣裓(えこう)に衆妙華(しゅみょうけ)を盛(も)り、他方(たほう)の十万億仏(じゅうまんのくぶつ)を供養(くよう)す。即(すなわ)ち食時(じきじ)に及(およ)び、本国(ほんごく)に還(かえ)り、飯食(ぼんじき)し、経行(きんひん)す。舎利弗(しゃりほつ)よ、極楽国土(ごくらくこくど)は斯(か)くの如(ごと)き功徳荘厳(くどくしょうごん)を成就(じょうじゅ)せり。
復(また)、舎利弗(しゃりほつ)よ。彼(か)の国(くに)に常(つね)に種々(しゅじゅ)の奇妙雑色(きみょうざっしき)なる白鵠(びゃっこう)、孔雀(くじゃく)、鸚鵡(おうむ)、舎利(しゃり)、迦陵頻伽(かりょうびんが)、共命(ぐみょう)の鳥(とり)あり。是(こ)の諸鳥(しょちょう)、昼夜六時(ちゅうやろくじ)に和雅(わげ)の音(おん)を出(いだ)す。其(そ)の音(おん)、五根(ごこん)、五力(ごりき)、七菩提分(しちぼだいぶん)、八聖道分(はっしょうどうぶん)、斯(か)くの如(ごと)き法(ほう)を演暢(えんちょう)す。其(そ)の土(ど)の衆生(しゅじょう)、此(こ)の音(おん)を聞(き)き已(おわ)りて、皆(みな)、悉(ことごと)く仏(ぶつ)を念(ねん)じ、法(ほう)を念(ねん)じ、僧(そう)を念(ねん)ず。舎利弗(しゃりほつ)よ、汝(なんじ)、是(こ)の鳥(とり)を謂(い)ふこと勿(なか)れ、実(じつ)に罪報(ざいほう)の生(しょう)ぜし所(ところ)と。所以(ゆえ)は何(いかん)、彼(か)の仏国土(ぶっこくど)に三悪趣(さんなくしゅ)無(な)し。舎利弗(しゃりほつ)よ、其(そ)の仏国土(ぶっこくど)には尚(な)ほ悪趣(あくしゅ)の名(な)無(な)し、何(なん)ぞ況(いわん)や実(じつ)あらんや。是(こ)の諸鳥(しょちょう)は皆(みな)、阿弥陀仏(あみだぶつ)の、法音(ほうおん)を宣流(せんる)せしめんと欲(ほっ)して、変化(へんげ)の作(な)す所(ところ)なり。舎利弗(しゃりほつ)よ、彼(か)の仏国土(ぶっこくど)には、微風(びふう)、諸(もろもろ)の宝行樹(ほうぎょうじゅ)及(およ)び宝羅網(ほうらもう)を吹(ふ)き動(うご)かし、微妙(みみょう)の音(おん)を出(いだ)す。譬(たと)へば百千種(ひゃくせんしゅ)の楽(がく)、同時(どうじ)に倶(とも)に作(な)すが如(ごと)し。此(こ)の音(おん)を聞(き)く者(もの)は、自然(じねん)に皆(みな)、仏(ぶつ)を念(ねん)じ、法(ほう)を念(ねん)じ、僧(そう)を念(ねん)ずる心(こころ)を生(しょう)ず。舎利弗(しゃりほつ)よ、其(そ)の仏国土(ぶっこくど)は斯(か)くの如(ごと)き功徳荘厳(くどくしょうごん)を成就(じょうじゅ)せり。

舎利弗(しゃりほつ)よ、汝(なんじ)が意(い)に於(お)て云何(いかん)。彼(か)の仏(ほとけ)、何故(なにゆえ)に阿弥陀(あみだ)と号(ごう)くるや。
舎利弗(しゃりほつ)よ、彼(か)の仏(ほとけ)の光明(こうみょう)は無量(むりょう)にして、十方(じっぽう)の国(くに)を照(て)らすに障礙(しょうげ)無(な)し。是(こ)の故(ゆえ)に号(ごう)して阿弥陀(あみだ)と曰(い)ふ。
又(また)、舎利弗(しゃりほつ)よ。彼(か)の仏(ほとけ)の寿命(じゅみょう)及(およ)び其(そ)の人民(じんみん)、無量無辺阿僧祇劫(むりょうむへんあそうぎこう)なり。故(ゆえ)に阿弥陀(あみだ)と名(な)づく。舎利弗(しゃりほつ)よ、阿弥陀仏(あみだぶつ)、成(な)りてより已来(このかた)、今(いま)に十劫(じっこう)なり。
又(また)、舎利弗(しゃりほつ)よ。彼(か)の仏(ほとけ)に無量無辺(むりょうむへん)の声聞弟子(しょうもんでし)あり。皆(みな)、阿羅漢(あらかん)にして、算数(さんじゅ)の能(よ)く知(し)る所(ところ)に非(あら)ず。諸(もろもろ)の菩薩衆(ぼさつしゅ)も亦(また)、復(ま)た、是(か)くの如(ごと)し。舎利弗(しゃりほつ)よ、彼(か)の仏国土(ぶっこくど)は斯(か)くの如(ごと)き功徳荘厳(くどくしょうごん)を成就(じょうじゅ)せり。
又(また)、舎利弗(しゃりほつ)よ。極楽国土(ごくらくこくど)に生(しょう)ずる衆生(しゅじょう)は、皆(みな)、是(こ)れ阿鞞跋致(あびばっち)なり。其(そ)の中(うち)に多(おお)く一生補処(いっしょうふしょ)あり。其(そ)の数(かず)甚(はなは)だ多(おお)く、是(こ)れ算数(さんじゅ)の能(よ)く知(し)る所(ところ)に非(あら)ず。但(ただ)だ無量無辺阿僧祇(むりょうむへんあそうぎ)を以(も)て説(と)く可(べ)し。
舎利弗(しゃりほつ)よ、衆生(しゅじょう)、聞(き)く者(もの)は、当(まさ)に発願(ほつがん)し、彼(か)の国(くに)に生(しょう)ぜんと願(ねが)ふべし。所以(ゆえ)は何(いかん)、斯(か)くの如(ごと)き諸(もろもろ)の上善人(じょうぜんにん)と倶(とも)に一処(いっしょ)に会(え)するを得(う)ればなり。

舎利弗(しゃりほつ)よ、少善根福徳(しょうぜんごんふくとく)の因縁(いんねん)を以(も)て、彼(か)の国(くに)に生(しょう)ずることを得可(うべ)からず。
若(も)し善男子(ぜんなんし)、善女人(ぜんにょにん)ありて、阿弥陀仏(あみだぶつ)を説(と)くを聞(き)き、名号(みょうごう)を執持(しゅうじ)すること、若(も)しは一日(いちにち)、若(も)しは二日(ににち)、若(も)しは三日(さんにち)、若(も)しは四日(しにち)、若(も)しは五日(ごにち)、若(も)しは六日(ろくにち)、若(も)しは七日(しちにち)、一心不乱(いっしんふらん)ならば、其(そ)の人(ひと)、命終(みょうじゅう)の時(とき)に臨(のぞ)み、阿弥陀仏(あみだぶつ)、諸(もろもろ)の聖衆(しょうじゅ)と与(とも)に、現(げん)に其(そ)の前(まえ)に在(あ)らん。是(こ)の人(ひと)、終(お)わる時(とき)、心(こころ)、顛倒(てんどう)せず、即(すなわ)ち阿弥陀仏(あみだぶつ)の極楽国土(ごくらくこくど)に往生(おうじょう)することを得(う)ん。

舎利弗(しゃりほつ)よ、我(われ)、是(こ)の利(り)を見(み)る故(ゆえ)に、此(こ)の言(げん)を説(と)く。若(も)し衆生(しゅじょう)ありて、此(こ)の説(せつ)を聞(き)く者(もの)は、当(まさ)に発願(ほつがん)し、彼(か)の国土(こくど)に生(しょう)ずべし。

舎利弗(しゃりほつ)よ、我(わ)が今(いま)、諸仏(しょぶつ)の不可思議功徳(ふかしぎくどく)を称讃(しょうさん)するが如(ごと)く、東方(とうほう)にも亦(また)、阿閦鞞仏(あしゅくびぶつ)、須弥相仏(しゅみそうぶつ)、大須弥仏(だいしゅみぶつ)、須弥光仏(しゅみこうぶつ)、妙音仏(みょうおんぶつ)……斯(か)くの如(ごと)き恒河沙数(ごうがしゃしゅ)の諸仏(しょぶつ)あり。各々(おのおの)其(そ)の国(くに)に於(お)て、広長(こうちょう)の舌相(ぜっそう)を出(いだ)し、三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)に遍覆(へんぷ)し、誠実(じょうじつ)の言(ごん)を説(と)く。『汝等衆生(なんじらしゅじょう)、当(まさ)に此(こ)の、称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経(しょうさんふかしぎくどくいっさいしょぶつしょごねんきょう)を信(しん)ずべし』と。
舎利弗(しゃりほつ)よ、南方世界(なんぽうせかい)にも日月燈仏(にちがっとうぶつ)、名聞光仏(みょうもんこうぶつ)、大焔肩仏(だいえんけんぶつ)、須弥燈仏(しゅみとうぶつ)、無量精進仏(むりょうしょうじんぶつ)……斯(か)くの如(ごと)き恒河沙数(ごうがしゃしゅ)の諸仏(しょぶつ)あり。各々(おのおの)其(そ)の国(くに)に於(お)て、広長(こうちょう)の舌相(ぜっそう)を出(いだ)し、三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)に遍覆(へんぷ)し、誠実(じょうじつ)の言(ごん)を説(と)く。『汝等衆生(なんじらしゅじょう)、当(まさ)に此(こ)の、称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経(しょうさんふかしぎくどくいっさいしょぶつしょごねんきょう)を信(しん)ずべし』と。
舎利弗(しゃりほつ)よ、西方世界(さいほうせかい)にも無量寿仏(むりょうじゅぶつ)、無量相仏(むりょうそうぶつ)、無量幢仏(むりょうどうぶつ)、大光仏(だいこうぶつ)、大明仏(だいみょうぶつ)、宝相仏(ほうそうぶつ)、浄光仏(じょうこうぶつ)……斯(か)くの如(ごと)き恒河沙数(ごうがしゃしゅ)の諸仏(しょぶつ)あり。各々(おのおの)其(そ)の国(くに)に於(お)て、広長(こうちょう)の舌相(ぜっそう)を出(いだ)し、三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)に遍覆(へんぷ)し、誠実(じょうじつ)の言(ごん)を説(と)く。『汝等衆生(なんじらしゅじょう)、当(まさ)に此(こ)の、称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経(しょうさんふかしぎくどくいっさいしょぶつしょごねんきょう)を信(しん)ずべし』と。
舎利弗(しゃりほつ)よ、北方世界(ほっぽうせかい)にも焔肩仏(えんけんぶつ)、最勝音仏(さいしょうおんぶつ)、難沮仏(なんそぶつ)、日生仏(にっしょうぶつ)、網明仏(もうみょうぶつ)……斯(か)くの如(ごと)き恒河沙数(ごうがしゃしゅ)の諸仏(しょぶつ)あり。各々(おのおの)其(そ)の国(くに)に於(お)て、広長(こうちょう)の舌相(ぜっそう)を出(いだ)し、三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)に遍覆(へんぷ)し、誠実(じょうじつ)の言(ごん)を説(と)く。『汝等衆生(なんじらしゅじょう)、当(まさ)に此(こ)の、称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経(しょうさんふかしぎくどくいっさいしょぶつしょごねんきょう)を信(しん)ずべし』と。
舎利弗(しゃりほつ)よ、下方世界(げほうせかい)にも師子仏(ししぶつ)、名聞仏(みょうもんぶつ)、名光仏(みょうこうぶつ)、達摩仏(だるまぶつ)、法幢仏(ほうどうぶつ)、持法仏(じほうぶつ)……斯(か)くの如(ごと)き恒河沙数(ごうがしゃしゅ)の諸仏(しょぶつ)あり。各々(おのおの)其(そ)の国(くに)に於(お)て、広長(こうちょう)の舌相(ぜっそう)を出(いだ)し、三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)に遍覆(へんぷ)し、誠実(じょうじつ)の言(ごん)を説(と)く。『汝等衆生(なんじらしゅじょう)、当(まさ)に此(こ)の、称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経(しょうさんふかしぎくどくいっさいしょぶつしょごねんきょう)を信(しん)ずべし』と。
舎利弗(しゃりほつ)よ、上方世界(じょうほうせかい)にも梵音仏(ぼんのんぶつ)、宿王仏(しゅくおうぶつ)、香上仏(こうじょうぶつ)、香光仏(こうこうぶつ)、大焔肩仏(だいえんけんぶつ)、雑色宝華厳身仏(ぞうしきほうけごんしんぶつ)、娑羅樹王仏(しゃらじゅおうぶつ)、宝華徳仏(ほうけとくぶつ)、見一切義仏(けんいっさいぎぶつ)、如須弥山仏(にょしゅみせんぶつ)……斯(か)くの如(ごと)き恒河沙数(ごうがしゃしゅ)の諸仏(しょぶつ)あり。各々(おのおの)其(そ)の国(くに)に於(お)て、広長(こうちょう)の舌相(ぜっそう)を出(いだ)し、三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)に遍覆(へんぷ)し、誠実(じょうじつ)の言(ごん)を説(と)く。『汝等衆生(なんじらしゅじょう)、当(まさ)に此(こ)の、称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経(しょうさんふかしぎくどくいっさいしょぶつしょごねんきょう)を信(しん)ずべし』と。

舎利弗(しゃりほつ)よ、汝(なんじ)が意(い)に於(お)て云何(いかん)。何故(なにゆえ)に之(これ)を一切諸仏所護念経(いっさいしょぶつしょごねんきょう)と名(な)づくるや。
舎利弗(しゃりほつ)よ、若(も)し善男子(ぜんなんし)、善女人(ぜんにょにん)ありて、是(こ)の経(きょう)を聞(き)き受持(じゅじ)する者(もの)、及(およ)び諸仏(しょぶつ)の名(な)を聞(き)く者(もの)は、是(こ)の善男子(ぜんなんし)、善女人(ぜんにょにん)、皆(みな)、一切諸仏(いっさいしょぶつ)の共(とも)に護念(ごねん)する所(ところ)と為(な)り、皆(みな)、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)に於(お)て不退転(ふたいてん)なるを得(う)ん。是(こ)の故(ゆえ)に舎利弗(しゃりほつ)よ、汝等(なんじら)、皆(みな)、当(まさ)に我(わ)が語(ご)及(およ)び諸仏(しょぶつ)の説(と)く所(ところ)を信受(しんじゅ)すべし。
舎利弗(しゃりほつ)よ、若(も)し人(ひと)ありて、已(すで)に発願(ほつがん)し、今(いま)、発願(ほつがん)し、当(まさ)に発願(ほつがん)して、阿弥陀仏(あみだぶつ)の国(くに)に生(しょう)ぜんと欲(ほっ)する者(もの)は、是(こ)の諸人等(しょにんとう)、皆(みな)、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)に於(お)て不退転(ふたいてん)なるを得(う)ん。彼(か)の国土(こくど)に於(お)て、若(も)しは已(すで)に生(しょう)じ、若(も)しは今(いま)、生(しょう)じ、若(も)しは当(まさ)に生(しょう)ず。是(こ)の故(ゆえ)に舎利弗(しゃりほつ)よ、諸(もろもろ)の善男子(ぜんなんし)、善女人(ぜんにょにん)、若(も)し信(しん)ある者(もの)は、当(まさ)に発願(ほつがん)し、彼(か)の国土(こくど)に生(しょう)ずべし。
舎利弗(しゃりほつ)よ、我(わ)が今(いま)、諸仏(しょぶつ)の不可思議功徳(ふかしぎくどく)を称讃(しょうさん)するが如(ごと)く、彼(か)の諸仏等(しょぶつとう)も亦(また)、我(わ)が不可思議功徳(ふかしぎくどく)を称讃(しょうさん)して言(ことば)を成(な)さく。『能(よ)く、極(きわ)めて難(かた)き希有(けう)の事(こと)を為(な)せり。釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、能(よ)く、娑婆国土(しゃばこくど)の五濁悪世(ごじょくあくせ)—劫濁(こうじょく)、見濁(けんじょく)、煩悩濁(ぼんのうじょく)、衆生濁(しゅじょうじょく)、命濁(みょうじょく)—の中(うち)に於(お)て、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)、諸(もろもろ)の衆生(しゅじょう)の為(ため)に、此(こ)の一切世間(いっさいせけん)、信(しん)じ難(がた)き法(ほう)を説(と)けり』と。
舎利弗(しゃりほつ)よ、当(まさ)に知(し)るべし。我(われ)、五濁悪世(ごじょくあくせ)に於(お)て、此(こ)の難事(なんじ)を行(ぎょう)じ、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)、一切世間(いっさいせけん)の為(ため)に此(こ)の信(しん)じ難(がた)き法(ほう)を説(と)くは、是(こ)れ、甚(はなは)だ難(かた)しと為(な)すなり。』

仏(ほとけ)、此(こ)の経(きょう)を説(と)き已(おわ)れば、舎利弗(しゃりほつ)及(およ)び諸(もろもろ)の比丘(びく)、一切世間(いっさいせけん)の天(てん)、人(にん)、阿修羅(あしゅら)等(とう)、仏(ほとけ)の説(と)く所(ところ)を聞(き)き、歓喜(かんぎ)し、信受(しんじゅ)し、礼(らい)を作(な)して去(さ)りぬ。

付録2:原文(CBETA準拠)

姚秦龜茲三藏鳩摩羅什譯

如是我聞。一時佛在舍衛國。祇樹給孤獨園。與大比丘僧千二百五十人俱。皆是大阿羅漢。衆所知識。長老舍利弗。摩訶目乾連。摩訶迦葉。摩訶迦栴延。摩訶拘絺羅。離婆多。周梨槃陀迦。難陀。阿難陀。羅睺羅。憍梵波提。賓頭盧頗羅墮。迦留陀夷。摩訶劫賓那。薄俱羅。阿㝹樓馱。如是等諸大弟子。并諸菩薩摩訶薩。文殊師利法王子。阿逸多菩薩。乾陀訶提菩薩。常精進菩薩。與如是等諸大菩薩。及釋提桓因等。無量諸天大衆俱。

爾時佛告長老舍利弗。從是西方。過十萬億佛土。有世界名曰極樂。其土有佛。號阿彌陀。今現在說法。
舍利弗。彼土何故名為極樂。其國衆生。無有衆苦。但受諸樂。故名極樂。
又舍利弗。極樂國土。七重欄楯。七重羅網。七重行樹。皆是四寶周匝圍繞。是故彼國名為極樂。
又舍利弗。極樂國土。有七寶池。八功德水。充滿其中。池底純以金沙布地。四邊階道。金銀琉璃頗梨合成。上有樓閣。亦以金銀琉璃頗梨車璩赤珠馬瑙而嚴飾之。池中蓮華。大如車輪。青色青光。黃色黃光。赤色赤光。白色白光。微妙香潔。舍利弗。極樂國土。成就如是功德莊嚴。
又舍利弗。彼佛國土。常作天樂。黃金為地。晝夜六時。雨天曼陀羅華。其土衆生。常以清旦。各以衣裓。盛衆妙華。供養他方十萬億佛。即以食時。還到本國。飯食經行。舍利弗。極樂國土。成就如是功德莊嚴。
復次舍利弗。彼國常有種種奇妙雜色之鳥。白鵠孔雀鸚鵡舍利迦陵頻伽共命之鳥。是諸衆鳥。晝夜六時。出和雅音。其音演暢五根五力七菩提分八聖道分如是等法。其土衆生。聞是音已。皆悉念佛念法念僧。舍利弗。汝勿謂此鳥。實是罪報所生。所以者何。彼佛國土。無三惡趣。舍利弗。其佛國土。尚無惡趣之名。何況有實。是諸衆鳥。皆是阿彌陀佛。欲令法音宣流。變化所作。舍利弗。彼佛國土。微風吹動諸寶行樹。及寶羅網。出微妙音。譬如百千種樂。同時俱作。聞是音者。自然皆生念佛念法念僧之心。舍利弗。其佛國土。成就如是功德莊嚴。

舍利弗。於汝意云何。彼佛何故號為阿彌陀。
舍利弗。彼佛光明無量。照十方國。無所障礙。是故號為阿彌陀。
又舍利弗。彼佛壽命。及其人民。無量無邊阿僧祇劫。故名阿彌陀。舍利弗。阿彌陀佛成佛已來。於今十劫。
又舍利弗。彼佛有無量無邊聲聞弟子。皆阿羅漢。非是算數之所能知。諸菩薩衆。亦復如是。舍利弗。彼佛國土。成就如是功徳莊嚴。
又舍利弗。極樂國土。衆生生者。皆是阿鞞跋致。其中多有一生補處。其數甚多。非是算數所能知之。但可以無量無邊阿僧祇說。
舍利弗。衆生聞者。應當發願。願生彼國。所以者何。得與如是諸上善人。俱會一處。

舍利弗。不可以少善根福德因緣。得生彼國。
舍利弗。若有善男子善女人。聞說阿彌陀佛。執持名號。若一日。若二日。若三日。若四日。若五日。若六日。若七日。一心不亂。其人臨命終時。阿彌陀佛。與諸聖衆。現在其前。是人終時。心不顛倒。即得往生阿彌陀佛極樂國土。

舍利弗。我見是利。故說此言。若有衆生。聞是說者。應當發願。生彼國土。

舍利弗。如我今者。稱讚阿彌陀佛不可思議功德之利。東方亦有阿閦鞞佛、須彌相佛、大須彌佛、須彌光佛、妙音佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等衆生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舍利弗。南方世界有日月燈佛、名聞光佛、大焰肩佛、須彌燈佛、無量精進佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等衆生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舍利弗。西方世界有無量壽佛、無量相佛、無量幢佛、大光佛、大明佛、寶相佛、淨光佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等衆生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舍利弗。北方世界有焰肩佛、最勝音佛、難沮佛、日生佛、網明佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等衆生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舍利弗。下方世界有師子佛、名聞佛、名光佛、達摩佛、法幢佛、持法佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等衆生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舍利弗。上方世界有梵音佛、宿王佛、香上佛、香光佛、大焰肩佛、雜色寶華嚴身佛、娑羅樹王佛、寶華德佛、見一切義佛、如須彌山佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等衆生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。

舍利弗。於汝意云何。何故名為一切諸佛所護念經。
舍利弗。若有善男子善女人。聞是經受持者。及聞諸佛名者。是善男子善女人。皆為一切諸佛之所共護念。皆得不退轉於阿耨多羅三藐三菩提。是故舍利弗。汝等皆當信受我語。及諸佛所說。
舍利弗。若有人已發願。今發願。當發願。欲生阿彌陀佛國者。是諸人等。皆得不退轉於阿耨多羅三藐三菩提。於彼國土。若已生。若今生。若當生。是故舍利弗。諸善男子善女人。若有信者。應當發願。生彼國土。
舍利弗。如我今者。稱讚諸佛不可思議功德。彼諸佛等。亦稱讚我不可思議功德。而作是言。釋迦牟尼佛。能為甚難希有之事。能於娑婆國土。五濁惡世。劫濁。見濁。煩惱濁。衆生濁。命濁中。得阿耨多羅三藐三菩提。為諸衆生。說是一切世間難信之法。
舍利弗。當知我於五濁惡世。行此難事。得阿耨多羅三藐三菩提。為一切世間。說此難信之法。是為甚難。

佛說此經已。舍利弗。及諸比丘。一切世間天人阿修羅等。聞佛所說。歡喜信受。作禮而去。

付録3:原文(ふりがな付)

【ふりがな読解のルール】本稿のふりがなは、仏教用語の伝統的な音読み(呉音・漢音)を優先しており、日本語としての訓読(付録1)とは読み方が異なる場合があります。

姚秦(ようしん)龜茲(きじ)三藏(さんぞう)鳩摩羅什(くまらじゅう)譯(やく)

如是我聞(にょぜがもん)。一時(いちじ)佛(ぶつ)在(ざい)舍衛國(しゃえこく)。祇樹給孤獨園(ぎじゅぎっこどくおん)。與(よ)大比丘僧(だいびくそう)千二百五十人(せんにひゃくごじゅうにん)俱(く)。皆(かい)是大阿羅漢(ぜだいあらかん)。衆所知識(しゅしょちしき)。長老(ちょうろう)舍利弗(しゃりほつ)。摩訶目乾連(まかもっけんれん)。摩訶迦葉(まかかしょう)。摩訶迦栴延(まかせんねん)。摩訶拘絺羅(まかくちら)。離婆多(りはた)。周梨槃陀迦(しゅりはんだか)。難陀(なんだ)。阿難陀(あなんだ)。羅睺羅(らごら)。憍梵波提(きょうぼんばだい)。賓頭盧頗羅墮(びんずるはらだ)。迦留陀夷(かるだい)。摩訶劫賓那(まかこっぴんな)。薄俱羅(ばっくら)。阿㝹樓馱(あぬるだ)。如是等(にょぜとう)諸大弟子(しょだいでし)。并(びょう)諸菩薩摩訶薩(しょぼさつまかさつ)。文殊師利法王子(もんじゅしりほうおうじ)。阿逸多菩薩(あいったぼさつ)。乾陀訶提菩薩(けんだかだいぼさつ)。常精進菩薩(じょうしょうじんぼさつ)。與(よ)如是等(にょぜとう)諸大菩薩(しょだいぼさつ)。及(ぎゅう)釋提桓因(しゃくだいかんいん)等(とう)。無量(むりょう)諸天大衆(しょてんだいしゅ)俱(く)。

爾時(にじ)佛(ぶつ)告(ごう)長老(ちょうろう)舍利弗(しゃりほつ)。從是(じゅうぜ)西方(さいほう)。過(か)十萬億(じゅうまんのく)佛土(ぶつど)。有(う)世界(せかい)名曰(みょうわつ)極樂(ごくらく)。其土(ごど)有(う)佛(ぶつ)。號(ごう)阿彌陀(あみだ)。今(こん)現在(げんざい)說法(せっぽう)。
舍利弗(しゃりほつ)。彼土(ひど)何故(かこ)名為(みょうい)極樂(ごくらく)。其國(ごこく)衆生(しゅじょう)。無有(むう)衆苦(しゅく)。但受(たんじゅ)諸樂(しょらく)。故名(こみょう)極樂(ごくらく)。
又(う)舍利弗(しゃりほつ)。極樂國土(ごくらくこくど)。七重(しちじゅう)欄楯(らんじゅん)。七重(しちじゅう)羅網(らもう)。七重(しちじゅう)行樹(ぎょうじゅ)。皆是(かいぜ)四寶(しほう)周匝圍繞(しゅうそういにょう)。是故(ぜこ)彼國(ひこく)名為(みょうい)極樂(ごくらく)。
又(う)舍利弗(しゃりほつ)。極樂國土(ごくらくこくど)。有(う)七寶池(しっぽうち)。八功德水(はっくどくすい)。充滿其中(じゅうまんごちゅう)。池底(ちてい)純(じゅん)以(い)金沙(こんじゃ)布地(ふじ)。四邊(しへん)階道(かいどう)。金銀(こんごん)琉璃(るり)頗梨(はり)合成(ごうじょう)。上有(じょうう)樓閣(ろうかく)。亦(やく)以(い)金銀(こんごん)琉璃(るり)頗梨(はり)車璩(しゃこ)赤珠(しゃくしゅ)馬瑙(めのう)而(に)嚴飾之(ごんしょくし)。池中(ちちゅう)蓮華(れんげ)。大如(だいにょ)車輪(しゃりん)。青色(しょうしき)青光(しょうこう)。黃色(おうしき)黃光(おうこう)。赤色(しゃくしき)赤光(しゃっこう)。白色(びゃくしき)白光(びゃっこう)。微妙(みみょう)香潔(こうけつ)。舍利弗(しゃりほつ)。極樂國土(ごくらくこくど)。成就(じょうじゅ)如是(にょぜ)功德(くどく)莊嚴(しょうごん)。
又(う)舍利弗(しゃりほつ)。彼佛國土(ひぶっこくど)。常作(じょうさ)天樂(てんがく)。黃金(おうごん)為地(いじ)。晝夜(ちゅうや)六時(ろくじ)。雨(う)天(てん)曼陀羅華(まんだらけ)。其土(ごど)衆生(しゅじょう)。常以(じょうい)清旦(しょうたん)。各(かく)以(い)衣裓(えこう)。盛(じょう)衆妙華(しゅみょうけ)。供養(くよう)他方(たほう)十萬億(じゅうまんのく)佛(ぶつ)。即以(そくい)食時(じきじ)。還到(げんとう)本國(ほんごく)。飯食(ぼんじき)經行(きんひん)。舍利弗(しゃりほつ)。極樂國土(ごくらくこくど)。成就(じょうじゅ)如是(にょぜ)功德(くどく)莊嚴(しょうごん)。
復次(ぶつじ)舍利弗(しゃりほつ)。彼國(ひこく)常有(じょうう)種種(しゅじゅ)奇妙(きみょう)雜色(ざっしき)之鳥(しちょう)。白鵠(びゃっこう)孔雀(くじゃく)鸚鵡(おうむ)舍利(しゃり)迦陵頻伽(かりょうびんが)共命(ぐみょう)之鳥(しちょう)。是諸(ぜしょ)衆鳥(しゅちょう)。晝夜(ちゅうや)六時(ろくじ)。出(しゅつ)和雅音(わげおん)。其音(ごおん)演暢(えんちょう)五根(ごこん)五力(ごりき)七菩提分(しちぼだいぶん)八聖道分(はっしょうどうぶん)如是等法(にょぜとうほう)。其土(ごど)衆生(しゅじょう)。聞(もん)是音(ぜおん)已(い)。皆悉(かいしつ)念佛(ねんぶつ)念法(ねんぽう)念僧(ねんそう)。舍利弗(しゃりほつ)。汝勿(にょもつ)謂(い)此鳥(しちょう)。實是(じつぜ)罪報(ざいほう)所生(しょしょう)。所以者何(しょいしゃが)。彼佛國土(ひぶっこくど)。無(む)三惡趣(さんなくしゅ)。舍利弗(しゃりほつ)。其佛國土(ごぶっこくど)。尚無(しょうむ)惡趣之名(あくしゅしみょう)。何況(かきょう)有實(うじつ)。是諸(ぜしょ)衆鳥(しゅちょう)。皆是(かいぜ)阿彌陀佛(あみだぶつ)。欲令(よくりょう)法音(ほうおん)宣流(せんる)。變化(へんげ)所作(しょさ)。舍利弗(しゃりほつ)。彼佛國土(ひぶっこくど)。微風(びふう)吹動(すいどう)諸寶(しょほう)行樹(ぎょうじゅ)。及(ぎゅう)寶羅網(ほうらもう)。出(しゅつ)微妙音(みみょうおん)。譬如(ひにょ)百千種(ひゃくせんしゅ)樂(がく)。同時(どうじ)俱作(くさ)。聞(もん)是音者(ぜおんしゃ)。自然(じねん)皆生(かいしょう)念佛(ねんぶつ)念法(ねんぽう)念僧(ねんそう)之心(ししん)。舍利弗(しゃりほつ)。其佛國土(ごぶっこくど)。成就(じょうじゅ)如是(にょぜ)功德(くどく)莊嚴(しょうごん)。

舍利弗(しゃりほつ)。於汝意(おにょい)云何(うんが)。彼佛(ひぶつ)何故(かこ)號為(ごうい)阿彌陀(あみだ)。
舍利弗(しゃりほつ)。彼佛(ひぶつ)光明(こうみょう)無量(むりょう)。照(しょう)十方國(じっぽうこく)。無所(むしょ)障礙(しょうげ)。是故(ぜこ)號為(ごうい)阿彌陀(あみだ)。
又(う)舍利弗(しゃりほつ)。彼佛(ひぶつ)壽命(じゅみょう)。及其(ぎゅうご)人民(じんみん)。無量無邊(むりょうむへん)阿僧祇劫(あそうぎこう)。故名(こみょう)阿彌陀(あみだ)。舍利弗(しゃりほつ)。阿彌陀佛(あみだぶつ)成佛(じょうぶつ)已來(いらい)。於今(おこん)十劫(じっこう)。
又(う)舍利弗(しゃりほつ)。彼佛(ひぶつ)有無量無邊(うむりょうむへん)聲聞弟子(しょうもんでし)。皆(かい)阿羅漢(あらかん)。非是(ひぜ)算數(さんじゅ)之所能知(ししょのうち)。諸菩薩衆(しょぼさつしゅ)。亦復(やくぶ)如是(にょぜ)。舍利弗(しゃりほつ)。彼佛國土(ひぶっこくど)。成就(じょうじゅ)如是(にょぜ)功徳(くどく)莊嚴(しょうごん)。
又(う)舍利弗(しゃりほつ)。極樂國土(ごくらくこくど)。衆生(しゅじょう)生者(しょうしゃ)。皆是(かいぜ)阿鞞跋致(あびばっち)。其中(ごちゅう)多有(たう)一生補處(いっしょうふしょ)。其數(ごすう)甚多(じんだ)。非是(ひぜ)算數(さんじゅ)所能(しょのう)知之(ちし)。但可(たんか)以(い)無量無邊(むりょうむへん)阿僧祇(あそうぎ)說(せつ)。
舍利弗(しゃりほつ)。衆生(しゅじょう)聞者(もんしゃ)。應當(おうとう)發願(ほつがん)。願生(がんしょう)彼國(ひこく)。所以者何(しょいしゃが)。得與(とくよ)如是(にょぜ)諸上善人(しょじょうぜんにん)。俱會(くえ)一處(いっしょ)。

舍利弗(しゃりほつ)。不可以(ふかい)少(しょう)善根(ぜんごん)福德(ふくとく)因緣(いんねん)。得生(とくしょう)彼國(ひこく)。
舍利弗(しゃりほつ)。若有(にゃくう)善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)。聞說(もんせつ)阿彌陀佛(あみだぶつ)。執持(しゅうじ)名號(みょうごう)。若一日(にゃくいちにち)。若二日(にゃくににち)。若三日(にゃくさんにち)。若四日(にゃくしにち)。若五日(にゃくごにち)。若六日(にゃくろくにち)。若七日(にゃくしちにち)。一心(いっしん)不亂(ふらん)。其人(ごにん)臨(りん)命終時(みょうじゅうじ)。阿彌陀佛(あみだぶつ)。與(よ)諸聖衆(しょしょうじゅ)。現在(げんざい)其前(ごぜん)。是人(ぜにん)終時(じゅうじ)。心(しん)不顛倒(ふてんどう)。即得(そくとく)往生(おうじょう)阿彌陀佛(あみだぶつ)極樂國土(ごくらくこくど)。

舍利弗(しゃりほつ)。我見(がけん)是利(ぜり)。故說(こせつ)此言(しごん)。若有(にゃくう)衆生(しゅじょう)。聞(もん)是說者(ぜせっしゃ)。應當(おうとう)發願(ほつがん)。生(しょう)彼國土(ひこくど)。

舍利弗。如我今者讚歎阿彌陀佛不可思議功德之利。東方亦有阿閦鞞佛、須彌相佛、大須彌佛、須彌光佛、妙音佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等衆生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舍利弗。南方世界有日月燈佛、名聞光佛、大焰肩佛、須彌燈佛、無量精進佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等衆生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舍利弗。西方世界有無量壽佛、無量相佛、無量幢佛、大光佛、大明佛、寶相佛、淨光佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等衆生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舍利弗。北方世界有焰肩佛、最勝音佛、難沮佛、日生佛、網明佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三-千大千世界。說誠實言。汝等衆生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舍利弗。下方世界有師子佛、名聞佛、名光佛、達摩佛、法幢佛、持法佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等衆生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舍利弗。上方世界有梵音佛、宿王佛、香上佛、香光佛、大焰肩佛、雜色寶華嚴身佛、娑羅樹王佛、寶華德佛、見一切義佛、如須彌山佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等衆生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。

舍利弗(しゃりほつ)。於汝意(おにょい)云何(うんが)。何故(かこ)名為(みょうい)一切諸佛(いっさいしょぶつ)所護念經(しょごねんきょう)。
舍利弗(しゃりほつ)。若有(にゃくう)善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)。聞(もん)是經(ぜきょう)受持者(じゅじしゃ)。及(ぎゅう)聞(もん)諸佛名者(しょぶつみょうしゃ)。是(ぜ)善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)。皆為(かい い)一切諸佛(いっさいしょぶつ)之所共(ししょく)護念(ごねん)。皆得(かいとく)不退轉(ふたいてん)於(お)阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)。是故(ぜこ)舍利弗(しゃりほつ)。汝等(にょとう)。皆當(かいとう)信受(しんじゅ)我語(がご)。及(ぎゅう)諸佛(しょぶつ)所說(しょせつ)。
舍利弗(しゃりほつ)。若人(にゃくにん)有(う)已發願(いほつがん)。今發願(こんほつがん)。當發願(とうほつがん)。欲生(よくしょう)阿彌陀佛國者(あみだぶっこくしゃ)。是(ぜ)諸人等(しょにんとう)。皆得(かいとく)不退轉(ふたいてん)於(お)阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)。於(お)彼國土(ひこくど)。若(にゃ)已生(いしょう)。若(にゃ)今生(こんしょう)。若(にゃ)當生(とうしょう)。是故(ぜこ)舍利弗(しゃりほつ)。諸(しょ)善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)。若有(にゃくう)信者(しんしゃ)。應當(おうとう)發願(ほつがん)。生(しょう)彼國土(ひこくど)。
舍利弗(しゃりほつ)。如我(にょが)今者(こんじゃ)。稱讚(しょうさん)諸佛(しょぶつ)不可思議(ふかしぎ)功德(くどく)。彼(ひ)諸佛等(しょぶつとう)。亦(やく)稱讚(しょうさん)我(が)不可思議(ふかしぎ)功德(くどく)。而作(にさ)是言(ぜごん)。釋迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)。能為(のうい)甚難(じんなん)希有(けう)之事(しじ)。能於(のうお)娑婆國土(しゃばこくど)。五濁(ごじょく)惡世(あくせ)。劫濁(こうじょく)。見濁(けんじょく)。煩惱濁(ぼんのうじょく)。衆生濁(しゅじょうじょく)。命濁中(みょうじょくちゅう)。得(とく)阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)。為(い)諸衆生(しょしゅじょう)。說(せつ)是一切世間(ぜいっさいせけん)難信(なんしん)之法(しほう)。
舍利弗(しゃりほつ)。當知(とうち)我(が)於(お)五濁(ごじょく)惡世(あくせ)。行(ぎょう)此難事(しなんじ)。得(とく)阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)。為(い)一切世間(いっさいせけん)。說(せつ)此難信(しほう)之法(しほう)。是為(ぜい)甚難(じんなん)。

佛(ぶつ)說此經(せっしきょう)已(い)。舍利弗(しゃりほつ)。及(ぎゅう)諸比丘(しょびく)。一切(いっさい)世間(せけん)天人(てんにん)阿修羅(あしゅら)等(とう)。聞(もん)佛所說(ぶっしょせつ)。歡喜(かんぎ)信受(しんじゅ)。作禮(さらい)而去(にこ)。

付録4:現代語訳

このように、私は聞きました。
ある時、お釈迦様は、舎衛国の祇樹給孤独園におられました。そこには、1250人の偉大な修行僧たちが集まっており、彼らは皆、世に広く知られた、煩悩が尽きた聖者(阿羅漢)でした。長老である舎利弗、摩訶目乾連、摩訶迦葉……といった方々をはじめとする、多くの偉大な弟子たちでした。
さらに、文殊師利法王子、阿逸多菩薩、乾陀訶提菩薩、常精進菩薩といった偉大な菩薩たち、そして帝釈天をはじめとする、数えきれないほどの天の神々も、皆その場に集っていました。

その時、お釈迦様は、長老である舎利弗にこう語りかけられました。
『ここから西の方角へ、十万億もの仏の国を過ぎた先に、一つの世界があり、それを「極楽」と名づける。その国には、阿弥陀という名の仏が今もおられ、法を説いておられる。

舎利弗よ。その国は、なぜ『極楽』と呼ばれるのだと思うか。その国に生きる人々には、いかなる苦しみもなく、ただ様々な楽しみだけを受けるからである。だから、その国を『極楽』と呼ぶのだ。
また、舎利弗よ。極楽国土には、七重の欄干、七重の網飾り、七重の並木があり、それらはすべて、四つの宝で幾重にも美しく取り囲まれている。だから、その国を『極楽』と呼ぶのだ。
また、舎利弗よ。極楽国土には、七つの宝でできた池がある。その池は、八つの功徳を備えた水で満たされており、池の底は一面、金の砂で覆われている。池の四方には、金、銀、琉璃(瑠璃)、頗梨(水晶)でできた階段がある。そして池の上には楼閣があり、それもまた金、銀、琉璃、頗梨、車璩(シャコ貝の宝玉)、赤珠、瑪瑙で美しく飾られている。池の中には、車輪のように大きな蓮の花が咲いており、青い花には青い光、黄色い花には黄色い光、赤い花には赤い光、白い花には白い光があり、それぞれが実に美しく、清らかな香りを放っている。舎利弗よ。極楽国土は、このような素晴らしい功徳と荘厳さで満ちているのだ。
また、舎利弗よ。その仏の国では、常に天上の音楽が奏でられ、大地は黄金でできている。そして、一日に六回、昼と夜に、曼陀羅華という天上の花が雨のように降り注ぐ。その国の人々は、毎朝、清らかな時間になると、衣の端でその美しい花々を包み持ち、他の世界の十万億の仏がたを供養しに行く。そして食事時には自分の国に戻り、食事を済ませて散策をする。舎利弗よ。極楽国土は、このような素晴らしい功徳と荘厳さで満ちているのだ。
さらに、舎利弗よ。その国には、白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥(共命鳥)といった、色とりどりの美しい鳥たちがいる。この鳥たちは、一日に六回、昼と夜に、美しく調和のとれた声で鳴く。その鳴き声は、五根・五力・七菩提分・八聖道分といった、尊い仏の教えそのものである。その国の人々がこの鳥の声を聞くと、皆、仏を念じ、法を念じ、僧を念じる気持ちになるのだ。
舎利弗よ。この鳥たちが、罪の報いによって鳥として生まれたなどと思ってはならない。なぜなら、その仏の国には、三つの悪しい世界(三悪趣)は存在しないからだ。舎利弗よ、その仏の国には、悪趣という名前すらないのだ。ましてや、実際に存在することがあろうか。この鳥たちは皆、仏の教えを広く伝えるために、阿弥陀仏が神通力によって仮に作り出された存在(変化所作)なのである。
舎利弗よ。その仏の国では、そよ風が吹くと、宝の並木や網飾りが揺れて、かすかな素晴らしい音を立てる。その音は、まるで百千種類もの楽器が同時に奏でられているかのようである。この音を聞く者は皆、自然と仏を念じる気持ちになるのだ。舎利弗よ。その仏の国は、このような素晴らしい功徳と荘厳さで満ちているのだ。

舎利弗よ。そなたはどう思うか。その仏は、なぜ『阿弥陀』と名づけられたのだと思うか。
舎利弗よ。その仏の光明は無限であり、あらゆる世界の国々を照らしても、何の妨げもない。だから、『阿弥陀』と名づけられたのだ。
また、舎利弗よ。その仏の寿命、そしてその国の人々の寿命も、数えきれないほど無限の年月(無量無辺阿僧祇劫)である。だから、『阿弥陀』と名づけられたのだ。
舎利弗よ。阿弥陀仏が仏となってから、今まですでに十劫という長い時間が経っている。
また、舎利弗よ。その仏には、数えきれないほどの弟子たちがおり、彼らは皆、煩悩が尽きた聖者(阿羅漢)であって、その数は算数で知ることができないほどである。菩薩たちの数もまた同様である。舎利弗よ。その仏の国は、このような素晴らしい功徳と荘厳さで満ちているのだ。
また、舎利弗よ。極楽国土に生まれる人々は皆、不退転の位にあり、その中には、あと一度この世に生まれれば仏となるという位の者も数多くいる。その数は、算数で知ることができるものではなく、ただ、数えきれないほど無限の年月をもって数えるしかないほどである。
舎利弗よ。この教えを聞いた人々は、まさに、かの国に生まれたいと願いを立てるべきである。なぜなら、そこに行けば、今述べたような、この上なく優れた人々と同じ場所に集うことができるからだ。

舎利弗よ。わずかな善行や功徳を積んだだけでは、かの国に生まれることはできない。
もし、善なる男性や女性が、阿弥陀仏の名を聞いて、その名号を心に保ち、一日、あるいは二日、三日、四日、五日、六日、七日の間、一心不乱に称え続けるならば、その人の命が終わる時に、阿弥陀仏が多くの聖者たちと共に、その人の目の前に現れるであろう。その人が命を終える時、その心は乱れることなく、ただちに阿弥陀仏の極楽国土に往生することができるのである。

舎利弗よ。私はこの利益があるのを見るからこそ、この言葉を説くのだ。この教えを聞いた人々は、まさに、かの国に生まれたいと願いを立てるべきである。

舎利弗よ。私が今、阿弥陀仏の計り知れない功徳を讃えているように、東方にもまた、阿閦鞞仏(阿閦如来)、須弥相仏、大須弥仏、須弥光仏、妙音仏……といった、ガンジス河の砂の数ほど多くの仏がたがおられる。それぞれの国で、広くて長い舌の相(偽りを言わない証)を示され、全世界に向かって、この真実の言葉を説いておられる。『そなたたち衆生は、この、一切の諸仏がたに護られている、計り知れない功徳を説いた経典を、信じなさい』と。
(※以下、南方、西方、北方、下方、上方世界についても、同様に数限りない仏がたが、この教えが真実であることを証明していると説かれます)

舎利弗よ。そなたはどう思うか。なぜこの経典が、『一切の諸仏がたに護られている経』と名づけられるのだと思うか。
舎利弗よ。もし、善なる男性や女性で、この経典の名を聞き、また、諸仏がたの名を聞く者がいるならば、この人々は皆、一切の諸仏がたに共に護られ、この上ない正しい悟りの道から退くことがないからである。
だから、舎利弗よ。そなたたち皆は、私の言葉と、諸仏がたが説かれた言葉を、信じ受けなさい。

舎利弗よ。もし、かの国に生まれたいとすでに願いを立てた人がいるならば、その人はすでに、この上ない正しい悟りの道から退かない位にいる。あるいは、これから願いを立てる人がいるならば、皆、この位に至るであろう。だから、舎利弗よ。信仰心のある善なる男性や女性は、まさに、かの極楽国土に生まれたいと願いを立てるべきなのである。
舎利弗よ。私が今、諸仏がたの計り知れない功徳を讃えたように、かの諸仏がたもまた、私の計り知れない功徳を讃えて、こう言われる。『釈迦牟尼仏は、実に困難で、稀有なことを成し遂げられた。この、時代の濁り、見解の濁り、煩悩の濁り、衆生の濁り、寿命の濁りという、五つの濁りに満ちた汚れた世界(五濁悪世)において、この上ない正しい悟りを得て、世のすべての人々のために、この、世の誰もが信じ難い教えを説かれたのだから』と。

舎利弗よ。まさに知るべきである。私がこの五濁悪世において、この困難な事を成し遂げ、この上ない正しい悟りを得て、世のすべての人々のために、この信じ難い教えを説いたことは、実に、甚だ困難なことなのである。』

お釈迦様がこの経典を説き終えられると、舎利弗をはじめとする、すべての弟子たち、そして、世のすべての人々、神々、阿修羅などは、仏の説く所を聞き、歓喜し、信受し、礼拝して去って行きました。

【主要語の読法メモ】

  • 皆(かい):原文パートでは漢音読み「かい」を採用していますが、「みな」と訓読するのが一般的です。

  • 於今(おこん):「今(いま)に於(お)いて」の意。漢文特有の読法です。

【公開用メタデータ】

  • タイトル:文語訳『阿弥陀経』――究極の他力と、信仰の階梯

  • 著者:チャカ

  • :v1.0(校了日:2025-10-11)

  • 底本:大正新脩大蔵経 T12, No.366『仏説阿弥陀経』(鳩摩羅什訳)

  • 電子底本:CBETA(中華電子佛典協會)〔取得日:2025-10-11〕

  • 権利表記:本文訳・解説 © 2025 チャカ(原典は公有、CBETA利用規約準拠)