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不思議ハンター:観音さま(アヴァローキテーシュヴァラ)のレスキューものがたり(2万文字)



不思議ハンター:観音さま(アヴァローキテーシュヴァラ)のレスキューものがたり

ボクの名前は、常世 藤四郎(とこしえ とうしろう)。「不思議ハンター」さ。
世界は不思議であふれていて、ボクはそれを集めている。なぜ不思議を集めているのかって? だって世界の不思議には、しっかりとした理由があるように、ボクには見えるから、その理由を求めているのさ。
でも、何よりも不思議なのは、みんなが不思議を不思議と思わないことかな。それが、ボクが不思議ハンターになった大きな理由かもしれない。

今日の不思議は、みんなが知ってる「観音さま」の、誰も知らない本当のすごさが描かれた、観音経の物語!

実はこれ、一人の菩薩が問いかけ、ブッダがそれに答える形で進んでいく、壮大な対話劇。その中には、ボクたちをあらゆるピンチから救い出してくれる、とんでもないパワーの秘密が隠されている。

今回は、この観音経という不思議な物語の背景から登場人物、そして物語の全文まで、ボクの調査結果をすべて公開する。さあ、君もこの冒険に参加して、観音さまの本当の力をその目で確かめてみてね!

1.観音経、時を超えた旅の記録

まず、この観音経がどこから来たのか、そのルーツを探ってみよう。
このお経の正式名称は『妙法蓮華経』(法華経)という、全28章からなる超大作サーガの、クライマックスの一つ、第二十五章「観世音菩薩普門品」。この章があまりに素晴らしくて人気が出たから、後にはこの部分だけが抜き出されて、独立した『観音経』として多くの人に読まれるようになった。まるで、アルバムの中の名曲がシングルカットされて大ヒットしたみたいで、面白いよね。

この物語をボクたちが読めるようにしてくれたのが、伝説の超翻訳家、**鳩摩羅什(くまらじゅう)**さ。彼は、遥か昔のインドの言葉(サンスクリット語)で書かれていたこの物語を、漢字の世界に紹介してくれた。彼の翻訳がまた詩的で美しかったから、たくさんの人の心に響いた。

そして、この物語の構造には、もう一つ不思議なウワサがある。「鳩摩羅什の初訳には詩の部分(偈文)がなく、後から別の翻訳から合体された」という話。でも、ボクの調査によれば、それはちょっと違う。鳩摩羅什が訳した『妙法蓮華経』(406年)には、ちゃんと物語(長行)と詩(偈頌)の両方が備わっている。後代に訳された『添品妙法蓮華経』(7世紀)という、いわば“別監督バージョン”もあって、それと内容を比べることで、さらに深い謎に迫れる。これも不思議ハンターの醍醐味さ!

ちなみに、物語の前にある「開経偈」は、法華経の本文じゃない。これは、これから始まるすごい物語への敬意と感謝を込めて、後世の人たちが唱えるようになった、いわば「開演前のファンファーレ」みたいなものさ。

2.失われた「始まり」と「結び」の謎

ここで一つの大きな不思議に迫ろう。多くのお経が「如是我聞(にょぜがもん)」で始まり、「善哉善哉(ぜんざいぜんざい)」といった言葉で終わるのに、なぜ観音経にはそれがないのか?

「如是我聞」というのは、ブッダの弟子アーナンダが「私は、ブッダからこう聞きました」と、教えの正当性を証明する、いわば「公式記録」のサインだ。そして「善哉善哉」は、ブッダが弟子の理解を「素晴らしい!」と認める、感動のフィナーレを飾る言葉。

観音経にこれらがないのは、まるで物語のプロローグとエピローグが失われてしまったかのようで見える。でも、真実はこうさ。観音経は、もっと壮大な物語である『法華経』という全28章のサーガの、第25章なのさ。

つまり、『法華経』全体の第1章の冒頭に、一度だけ「如是我聞」と記されている。そして、物語全体のフィナーレである第28章で、すべての聴衆が歓喜するという大団円が描かれている。

例えるなら、連続ドラマの第25話の冒頭に、いちいち「この物語は…」という前置きが入らないのと同じさ。観音経に「始まり」と「結び」の言葉がないことこそが、この物語がもっと大きな世界の一部であることの、何よりの証拠なのさ。ね、この不思議、ワクワクしないかい?

3.物語を紡ぐ者たち

  • 著者(説法者): 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ) / ブッダ
    この壮大な物語を語ってくれる、マスター・ストーリーテラーさ。インドの聖なる山、霊鷲山で、弟子たちの問いに答える形で、観音菩薩の秘密を解き明かしていく。

  • 翻訳者: 鳩摩羅什(くまらじゅう)
    この物語を時空を超えてボクたちに届けてくれた、伝説の翻訳家だ。彼がいなければ、この不思議な物語は、遠い異国の言葉の中に眠ったままだったかもしれない。

4.物語の登場人物たち

観音経の物語は、ブッダと二人の「菩薩」の対話で進んでいく。「菩薩」というのは、自分も悟りを目指しながら、ボクたちみんなを救うために戦う、慈悲のスーパーヒーローのことさ。

  • 無尽意菩薩(むじんにぼさつ)
    この物語の、ボクたちの代表質問者だ。彼は歴史上の人物じゃなくて、教えを明らかにするために登場する、理想の探求者。その名前は「尽きることのない意志」。彼の尽きることのない好奇心と慈悲の心が、「なぜ観音さまは『観世音』と呼ばれるんですか?」という、核心に迫る問いを生み出した。彼がいなければ、この物語は始まらなかった。

  • 観世音菩薩(かんぜおんぼさつ) / 観音さま
    この物語の主人公にして、慈悲の象徴たるスーパーヒーローさ。彼の本当の名前は、古代インドの言葉でアヴァローキテーシュヴァラ(Avalokiteśvara)。実はこの名前にも不思議な歴史があってね。もともとはAvalokita-svara(アヴァローキタ・スヴァラ)、つまり「音を観る者」という意味だったけれど、後にはAvalokiteśvara(アヴァローキテーシュヴァラ)、つまり「自在に観る主」という、もっとパワフルな意味で解釈されるようになった。どちらにしても、ボクたちの「助けて!」という声を聞きつけて、光の速さで駆けつけてくれるということさ。
    彼のすごいところは、救う相手に合わせて**33の姿に自在に変身(応現身)できること。王様から子供まで、どんな姿にもなってボクたちの前に現れてくれる、まさに救いの「変装の名人」**だね。
    ちなみに、インドやチベットでは男性の姿だけど、中国や日本では、その母のような優しさから女性の姿で描かれることが多い。特にチベット仏教では、ダライ・ラマ法王こそが観音さまの生まれ変わりだと信じられている。これって、ものすごい不思議じゃないかい?

  • 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ) / 世尊(せそん)
    物語の語り手である偉大な賢者。無尽意菩薩の問いに、一つ一つ丁寧に、そしてドラマチックに答えてくれる。

5.物語の構造を解き明かす!

この物語は、見事な三部構成になっている。

  • 序幕:謎の提示
    無尽意菩薩が「なぜ観世音?」と問いかける。それに対してブッダが「その名を呼ぶ者の声を聞き、苦しみから解放するからだ」と答え、物語の核心が示される。

  • 本編:観音さまの七変化レスキュー!
    ここからが本番だ。火の中、洪水の中、海賊に囲まれても(経典に出てくる“黒風”は嵐のことさ!)、処刑されそうになっても、「観音さま!」と念じれば、絶対絶命のピンチから救われるという、具体的な救出劇が次々と語られる。
    さらにすごいのは、外的なピンチだけじゃない。ボクたちの心の中にある「欲」「怒り」「愚かさ」という**三つの毒(三毒)**からも解放してくれる。まさに、心と体の両方を救うパーフェクト・ヒーローだね。

  • 終幕:詩でうたう、感動のフィナーレ!
    物語の最後は、「偈文」という詩の形で、これまでの観音さまの功徳が、高らかに、そして美しく歌い上げられる。リズミカルな言葉で、観音さまの偉大さが心に刻み込まれるようになっている。

6.観音経 原文

【開経偈】
無上甚深微妙法
百千萬劫難遭遇
我今見聞得受持
願解如来真実義

【妙法蓮華経 序品第一(序分冒頭)】
如是我聞。
一時仏住王舎城。耆闍崛山中。与大比丘衆万二千人倶。皆是阿羅漢。諸漏已尽。無復煩悩。逮得己利。尽諸有結。心得自在。其名曰。阿若憍陳如。摩訶迦葉。優楼頻螺迦葉。伽耶迦葉。那提迦葉。舎利弗。大目犍連。摩訶迦旃延。阿㝹楼駄。劫賓那。憍梵波提。離婆多。畢陵伽婆蹉。薄拘羅。摩訶拘絺羅。難陀。孫陀羅難陀。富楼那弥多羅尼子。須菩提。阿難。羅睺羅。如是衆所知識。大阿羅漢等。
復有学無学二千人。摩訶波闍波提比丘尼。与眷属六千人倶。羅睺羅母耶輸陀羅比丘尼。亦与眷属倶。
菩薩摩訶薩八万人。皆於阿耨多羅三藐三菩提。不退転。皆得陀羅尼。楽説弁才。転不退転法輪。供養無量百千諸仏。於諸仏所。植衆徳本。常為諸仏之所称歎。以慈修身。善入仏慧。通達大智。到於彼岸。名称普聞無量世界。能度無数百万衆生。其名曰。文殊師利菩薩。観世音菩薩。得大勢菩薩。常精進菩薩。(…以下、菩薩や諸天善神の名が続く)

(第二品~第二十四品は省略)

【妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五】

爾時無盡意菩薩。即從座起。偏袒右肩。合掌向仏。而作是言。

世尊。観世音菩薩。以何因縁。名観世音。

仏告無盡意菩薩。善男子。若有無量百千萬億衆生。受諸苦悩。聞是観世音菩薩。一心称名。観世音菩薩。即時観其音声。皆得解脱。

若有持是観世音菩薩名者。設入大火。火不能焼。由是菩薩威神力故。
若為大水所漂。称其名号。即得浅処。
若有百千萬億衆生。為求金銀瑠璃。硨磲瑪瑙。珊瑚琥珀。真珠等宝。入於大海。仮使黒風吹其船舫。飄墮羅刹鬼国。其中若有乃至一人。称観世音菩薩名者。是諸人等。皆得解脱羅刹之難。以是因縁。名観世音。

若復有人。臨当被害。称観世音菩薩名者。彼所執刀杖。尋段段壊。而得解脱。
若三千大千国土。満中夜叉羅刹。欲来悩人。聞其称観世音菩薩名者。是諸悪鬼。尚不能以悪眼視之。況復加害。
設復有人。若有罪。若無罪。杻械枷鎖。検繋其身。称観世音菩薩名者。皆悉断壊。即得解脱。
若三千大千国土。満中怨賊。有一商主。将諸商人。齎持重宝。経過険路。其中一人。作是唱言。諸善男子。勿得恐怖。汝等応当一心称観世音菩薩名号。是菩薩能以無畏。施於衆生。汝等若称名者。於此怨賊。当得解脱。衆商人聞。倶発声言。南無観世音菩薩。称其名故。即得解脱。

無盡意。観世音菩薩摩訶薩。威神之力。巍巍如是。

若有衆生。多於淫欲。常念恭敬観世音菩薩。便得離欲。
若多瞋恚。常念恭敬観世音菩薩。便得離瞋。
若多愚癡。常念恭敬観世音菩薩。便得離癡。
無盡意。観世音菩薩。有如是等大威神力。多所饒益。是故衆生。常応心念。

若有女人。設欲求男。礼拝供養観世音菩薩。便生福徳智慧之男。
設欲求女。便生端正有相之女。宿植徳本。衆人愛敬。
無盡意。観世音菩薩。有如是力。

若有衆生。恭敬礼拝観世音菩薩。福不唐捐。
是故衆生。皆応受持観世音菩薩名号。
無盡意。若有人。受持六十二億恒河沙菩薩名字。復尽形供養飲食。衣服。臥具。医薬。於汝意云何。是善男子。善女人。功徳多不。

無盡意言。甚多。世尊。

仏言。若復有人。受持観世音菩薩名号。乃至一時礼拝供養。是二人福。正等無異。於百千萬億劫。不可窮尽。
無盡意。受持観世音菩薩名号。得如是無量無辺福徳之利。

無盡意菩薩白仏言。世尊。観世音菩薩。云何遊此娑婆世界。云何而為衆生説法。方便之力。其事云何。

仏告無盡意菩薩。善男子。若有国土衆生。応以仏身得度者。観世音菩薩。即現仏身。而為説法。
応以辟支仏身得度者。即現辟支仏身。而為説法。
応以声聞身得度者。即現声聞身。而為説法。
応以梵王身得度者。即現梵王身。而為説法。
応以帝釈身得度者。即現帝釈身。而為説法。
応以自在天身得度者。即現自在天身。而為説法。
応以大自在天身得度者。即現大自在天身。而為説法。
応以天大将軍身得度者。即現天大将軍身。而為説法。
応以毘沙門身得度者。即現毘沙門身。而為説法。
応以小王身得度者。即現小王身。而為説法。
応以長者身得度者。即現長者身。而為説法。
応以居士身得度者。即現居士身。而為説法。
応以宰官身得度者。即現宰官身。而為説法。
応以婆羅門身得度者。即現婆羅門身。而為説法。
応以比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷身得度者。即現比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷身。而為説法。
応以長者。居士。宰官。婆羅門婦女身得度者。即現婦女身。而為説法。
応以童男。童女身得度者。即現童男。童女身。而為説法。
応以天。龍。夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩睺羅伽。人。非人等身得度者。即皆現之。而為説法。
応以執金剛神得度者。即現執金剛神。而為説法。
無盡意。是観世音菩薩。成就如是功徳。以種種形。遊諸国土。度脱衆生。
是故汝等。応当一心供養観世音菩薩。是観世音菩薩摩訶薩。於怖畏急難之中。能施無畏。是故此娑婆世界。皆号之為施無畏者。

無盡意菩薩白仏言。世尊。我今当供養観世音菩薩。
即解頸衆宝珠瓔珞。価直百千両金。而以与之。作是言。仁者。受此法施。珍宝瓔珞。
時観世音菩薩。不肯受之。
無盡意。復白観世音菩薩言。仁者。愍我等故。受此瓔珞。

爾時仏告観世音菩薩。当愍此無盡意菩薩。及四衆。天。龍。夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩睺羅伽。人。非人等故。受是瓔珞。
即時観世音菩薩。愍諸四衆。及於天。龍。人。非人等。受其瓔珞。分作二分。一分奉釈迦牟尼仏。一分奉多宝仏塔。

無盡意。観世音菩薩。有如是自在神力。遊於娑婆世界。

爾時無盡意菩薩。以偈問曰。

世尊妙相具 我今重問彼
仏子何因縁 名為観世音

具足妙相尊 偈答無盡意
汝聴観音行 善応諸方所
弘誓深如海 歴劫不思議
侍多千億仏 発大清浄願

我為汝略説 聞名及見身
心念不空過 能滅諸有苦
仮使興害意 推落大火坑
念彼観音力 火坑変成池

或漂流巨海 龍魚諸鬼難
念彼観音力 波浪不能没
或在須弥峰 為人所推墮
念彼観音力 如日住虚空

或被悪人逐 墮落金剛山
念彼観音力 不能損一毛
或値怨賊繞 各執刀加害
念彼観音力 咸即起慈心

或遭王難苦 臨刑欲寿終
念彼観音力 刀尋段段壊
或囚禁枷鎖 手足被杻械
念彼観音力 釈然得解脱

呪詛諸毒薬 所欲害身者
念彼観音力 還著於本人
或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等
念彼観音力 時悉不敢害

若悪獣圍繞 利牙爪可怖
念彼観音力 疾走無辺方
蚖蛇及蝮蠍 気毒煙火然
念彼観音力 尋声自回去

雲雷鼓掣電 降雹澍大雨
念彼観音力 応時得消散
衆生被困厄 無量苦逼身
観音妙智力 能救世間苦

具足神通力 広修智方便
十方諸国土 無刹不現身
種種諸悪趣 地獄鬼畜生
生老病死苦 以漸悉令滅

真観清浄観 広大智慧観
悲観及慈観 常願常瞻仰
無垢清浄光 慧日破諸闇
能伏災風火 普明照世間

悲体戒雷震 慈意妙大雲
澍甘露法雨 滅除煩悩焔
諍訟経官処 怖畏軍陣中
念彼観音力 衆怨悉退散

妙音観世音 梵音海潮音
勝彼世間音 是故須常念
念念勿生疑 観世音浄聖
於苦悩死厄 能為作依怙

具一切功徳 慈眼視衆生
福聚海無量 是故応頂礼

(第二十六品~第二十七品は省略)

【妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品第二十八(流通分結び)】
仏説是普賢勧発品時。恒河沙等無量菩薩。得百万億旋陀羅尼。三千大千世界微塵等諸菩薩。具普賢道。
仏説是経時。普賢菩薩等。及舎利弗等諸声聞。及諸比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。天龍。夜叉。乾闥婆。人非人等。一切大会。皆大歓喜。受持仏語。作礼而去。

7.現代語訳 全文

【開経偈】
この上なく深く、言葉では表し尽くせない素晴らしい仏の教えは、百万回、千万回と生まれ変わりを繰り返しても、出会うことは難しいものです。私は今、幸運にもこの教えを見聞きし、心に受け止めることができました。どうか、仏が説かれた真実の意味を、正しく理解することができますように。

【妙法蓮華経 序品第一(序分冒頭)】
私は、このように聞きました。
ある時、仏は王舎城の霊鷲山という山におられ、一万二千人の偉大な修行僧たちと共におられました。彼らは皆、最高の悟りを得た阿羅漢であり、全ての汚れは尽き果て、もはや煩悩はなく、自らの修行を完成させ、あらゆる束縛から解き放たれて、心が自由自在の境地に達していました。
また、修行中の者と修行を終えた者二千人、仏の養母である摩訶波闍波提とその弟子六千人、仏の妃であった耶輸陀羅とその弟子たちも共におりました。
さらに、八万人の偉大な菩薩たちも集まっていました。彼らは皆、この上ない悟りの境地から後退することがなく、仏の教えを記憶し、自在に説き明かす力を得ていました。その中には、文殊師利菩薩、そして私たちがよく知る観世音菩薩などの名もありました。

(第二品~第二十四品は省略)

【妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五】

その時、無尽意菩薩が、すっと席から立ち上がり、敬意を表す作法に則って右肩の衣を脱ぎ、仏に向かって合掌して、このようにお尋ねしました。
「世尊、観世音菩薩は、どのような理由で『観世音』とお呼びするのでしょうか」

仏は、無尽意菩薩にこうお告げになりました。
「善良な人々よ、よくお聞きなさい。もし、数えきれないほど多くの人々が、様々な苦しみや悩みを抱えている時に、この観世音菩薩の存在を聞き、一心にその名を唱えるならば、観世音菩薩は、ただちにその声を聞きつけ、その全ての人々を苦しみから解放してくださるであろう」

「もし観世音菩薩の名を心に保つ者がいれば、たとえ燃え盛る大きな火の中に落ちたとしても、火はその者を焼くことはできない。これは観世音菩薩の偉大な神通力によるものである。
もし大水に流されたとしても、その名を唱えれば、すぐに足の着く浅瀬にたどり着くことができるであろう。
もし数えきれない人々が、金、銀、瑠璃、硨磲、瑪瑙、珊瑚、琥珀、真珠といった宝物を求めて大海原に乗り出した時、仮に嵐(黒風)が吹いて船が羅刹という鬼の国に流されてしまったとしても、その中にたった一人でも観世音菩薩の名を唱える者がいれば、全ての人々が鬼の災難から逃れることができる。このような理由で、この菩薩を『観世音』と名付けるのである」

「また、もし誰かが殺されそうになった時に、観世音菩薩の名を唱えるならば、その相手が振り上げた刀や杖は、たちまちバラバラに折れてしまい、難を逃れることができる。
もし、この世界に満ち溢れるほどの夜叉や羅刹といった鬼が人々を悩まそうとしてやって来ても、彼らが観世音菩薩の名を唱えるのを聞けば、その鬼たちは恐れ多くて悪い眼で睨むことすらできない。ましてや、害を加えることなどできるはずがない。
また、もし罪がある者もない者も、手かせや足かせ、首かせで身体を縛り付けられたとしても、観世音菩薩の名を唱えるならば、それらは全て粉々に壊れ、自由の身となることができる。
もし、この世界に盗賊が満ち溢れているとしよう。ある隊商のリーダーが多くの商人たちを引き連れ、高価な宝物を持って危険な道を通る時、その中の一人がこう言った。『皆さん、恐れることはありません。ひたすら一心に観世音菩薩の名をお唱えしなさい。この菩薩は、人々に恐怖のない安らかな心を与えてくださる方です。皆でその名を唱えれば、必ずこの盗賊から逃れることができるでしょう』。商人たちはそれを聞き、皆で一緒に『南無観世音菩薩』と声高らかに唱えた。その名を唱えた功徳によって、彼らは無事に盗賊から逃れることができたのである。
無尽意よ、偉大なる菩薩である観世音菩薩の神通力は、このように非常に気高く、偉大なものであるのだ」

「もし、男女間の欲望に心を乱されることが多い人がいるならば、常に観世音菩薩を心に念じ、敬うことで、その欲望から離れることができるであろう。
もし、怒りの心が多い人がいるならば、常に観世音菩薩を心に念じ、敬うことで、その怒りから離れることができるであろう。
もし、真理が分からず愚かな迷いが多い人がいるならば、常に観世音菩薩を心に念じ、敬うことで、その愚かさから離れることができるであろう。
無尽意よ、観世音菩薩には、このような偉大な神通力があり、多くの人々を豊かに益してくださる。だからこそ、人々は常に観世音菩薩を心に念じるべきなのである」

「もし、ある女性が男の子を授かりたいと願い、観世音菩薩を礼拝し、供養するならば、福徳と智慧に恵まれた男の子を授かるであろう。
もし、女の子を授かりたいと願うならば、心も姿も美しく、人々に敬われる相を持った女の子を授かるであろう。その子が多くの人々に愛され、尊敬されるのは、前世において徳の根本を植えてきたからである。
無尽意よ、観世音菩薩には、このような力があるのだ」

「もし、観世音菩薩を敬い、礼拝する者がいるならば、その福徳は決して無駄にはならない。
だからこそ、人々はみな、観世音菩薩の名を心に受け、保つべきなのである。
無尽意よ、仮にここに一人の人がいて、ガンジス川の砂の数ほどの六十二億もの菩薩の名を心に保ち、さらに命が尽きるまで、食事や衣服、寝具、医薬品をその菩薩たちに供養したとしよう。あなたはどう思うか。この人の得る功徳は多いと思うかね?」

無尽意菩薩は答えました。「はい、世尊。それは非常に多いことでしょう」

仏は言われました。「もし、また別の一人の人がいて、ただ観世音菩薩一人の名を心に保ち、ほんの少しの時間でも礼拝し供養したとするならば、この二人の得る福徳は全く同じであり、違いはない。その功徳は、百千万億劫という永遠に近い時間をかけても、尽きることはない。
無尽意よ、観世音菩薩の名を心に保つならば、このような計り知れない福徳の利益を得ることができるのだ」

無尽意菩薩は、仏にお尋ねしました。「世尊、観世音菩薩は、どのようにしてこの苦しみの多い世界を巡り歩かれるのでしょうか。どのようにして人々のために教えを説かれるのでしょうか。その人々を導く力とは、具体的にどのようなものなのでしょうか」

仏は無尽意菩薩にお告げになりました。
「善良な者よ、もしある世界の人が、仏の姿によって救われるべきであれば、観世音菩薩は即座に仏の姿を現して、その人のために教えを説かれる。
もし、独力で悟りを開く聖者の姿によって救われるべきであれば、辟支仏の姿を現して教えを説かれる。
もし、仏の教えを聞いて悟る聖者の姿によって救われるべきであれば、声聞の姿を現して教えを説かれる。
(※以下、人々を救うために最もふさわしい33の姿――王、大臣、少年少女、神々や鬼神、仏法を守る神など――に自在に変化して、教えを説かれることが述べられます)
このように、救われるべき相手に応じて、即座にその姿を現し、教えを説かれるのだ。
無尽意よ、この観世音菩薩は、このような功徳を完成させ、様々な姿となって、あらゆる世界を巡り歩き、人々を苦しみから救い出される。
だからこそ、あなたたちは一心に観世音菩薩を供養すべきなのである。この偉大なる観世音菩薩は、人々が恐怖や畏れの中にある時に、恐怖のない安らかな心を与えてくださる。そのため、この世界では、観世音菩薩は**『無畏(むい)、つまり恐れなき心を施す者』**と呼ばれる」

無尽意菩薩は、仏に申し上げました。「世尊、私は今、観世音菩薩に供養を捧げたいと存じます」
そう言って、自らの首にかけていた、百千両もの価値がある様々な宝石でできた首飾りを外し、観世音菩薩に差し出してこう言いました。「慈悲深き方よ、どうかこの教えへの感謝の印である、宝の首飾りをお受け取りください」
しかし、その時、観世音菩薩はそれを受け取ろうとはされませんでした。
無尽意菩薩は、重ねて観世音菩薩にお願いしました。「慈悲深き方よ、どうか私たちを憐れむと思って、この首飾りをお受け取りください」
その時、仏が観世音菩薩にこう言われました。「この無尽意菩薩と、ここにいる全ての僧侶や信者たち、そして神々や人々などのために、その首飾りを受け取りなさい」
そこで観世音菩薩は、その場にいる全ての者を憐れんで、その首飾りを受け取られました。そして、それを二つに分けると、一つは仏に捧げ、もう一つは多宝如来の塔に捧げられました。
仏は言われました。「無尽意よ、観世音菩薩は、このような自由自在な神通力をもって、この苦しみの世界を巡り歩いておられるのだ」

その時、無尽意菩薩は、詩の形でこのようにお尋ねしました。
「素晴らしいお姿をそなえた世尊よ、私は今、重ねてお尋ねします。
仏の子であるかの菩薩は、どのような理由で、『観世音』と名付けられたのでしょうか」

仏は答えられました。
素晴らしいお姿をそなえた世尊は、詩をもってお答えになった。
「さあ、観音菩薩の行いを聴きなさい。いかに巧みに、あらゆる場所の人々の求めに応じられるかを。
その広大な誓いは海のように深く、永遠の時を経ても計り知ることはできない。
幾千億もの仏に仕え、『すべてを清らかにする』という偉大な願いを立てられたのだ。

私はあなたのために要点を説こう。その名を聞き、またその姿を見、
心を込めて念じるならば、その行いは決して無駄にはならず、あらゆる世界の苦しみを滅することができる。
たとえ誰かがあなたを害そうとして、燃え盛る火の穴に突き落としたとしても、
その観音の力を心に念じれば、火の穴はたちまち池に変わるだろう。

あるいは大海を漂流し、竜や化け物、鬼たちの危険に襲われたとしても、
その観音の力を心に念じれば、波に飲み込まれることはない。
あるいは世界の中心である須弥山の頂から、誰かに突き落とされたとしても、
その観音の力を心に念じれば、太陽のように虚空にとどまることができるだろう。

あるいは悪人に追われ、金剛山から突き落とされたとしても、
その観音の力を心に念じれば、髪の毛一本すら傷つくことはない。
あるいは盗賊に囲まれ、それぞれが刀を抜いて襲いかかってきても、
その観音の力を心に念じれば、彼らは皆、たちまち優しい心を起こすだろう。

あるいは王の命令で罪に問われ、処刑され命が尽きようとする時も、
その観音の力を心に念じれば、振り下ろされた刀は次々と粉々に折れてしまうだろう。
あるいは牢獄につながれ、手足に枷をはめられたとしても、
その観音の力を心に念じれば、たちまち解き放たれ自由の身となるだろう。

呪いや様々な毒薬で、その身を害されそうになったとしても、
その観音の力を心に念じれば、その災いは、害そうとした本人に返っていくだろう。
あるいは恐ろしい羅刹や毒龍、様々な鬼に出会ったとしても、
その観音の力を心に念じれば、その時、彼らは決して害を加えることはできない。

もし獰猛な獣に囲まれ、鋭い牙や爪が恐ろしくても、
その観音の力を心に念じれば、獣たちはたちまち遠くへ走り去るだろう。
まむしや毒蛇、サソリなどが、毒の煙を吐きかけてきても、
その観音の力を心に念じれば、こちらの声を聴いて自ら去っていくだろう。

雷雲がとどろき、稲妻が光り、雹や大雨が降り注いでも、
その観音の力を心に念じれば、その災いはたちまち消え去るだろう。
人々が困難や災厄に見舞われ、計り知れない苦しみがその身に迫った時、
観音菩薩は、その不思議な智慧の力で、この世の苦しみを救ってくださるのだ。

完全な神通力をそなえ、広く智慧と人々を導く方便を修めて、
十方のあらゆる世界に、その身を現さない場所はない。
人々が陥りがちな様々な悪い世界――地獄、餓鬼、畜生――や、
生・老・病・死といった苦しみを、少しずつ全て滅してくださるのだ。

(観音菩薩の眼差しは)真実を見抜く眼、清らかな眼、広大な智慧の眼、
人々を憐れむ悲しみの眼、そして人々を慈しむ慈しみの眼である。常にその存在を願い、常に仰ぎ見るべきである。
その穢れのない清らかな光、智慧の太陽は、あらゆる闇を打ち破り、
災いをもたらす風や火を鎮め、あまねくこの世を明るく照らしてくださる。

その慈悲の身体は、人々を諭す雷鳴のようにとどろき、その慈しみの心は、恵みの雨を降らせる大きな雲のようである。
甘露という最高の法の雨を降らせて、人々の煩悩の炎を消し去ってくださる。
人と争い役所で裁かれたり、戦場で恐怖に震えたりする時も、
その観音の力を心に念じれば、全ての怨みを持つ敵は退散するだろう。

その声は、妙なる音、世の音を観じる音、清らかな音、そして潮騒の音。
この世のいかなる音よりも勝れている。だからこそ、常にその名を念じるべきなのだ。
一瞬一瞬たりとも、疑いの心を持ってはならない。観世音菩薩は清らかな聖者であり、
人々が苦しみ、悩み、死の恐怖に直面した時、頼るべき拠り所となってくださる。

全ての功徳をそなえ、慈しみの眼差しで全ての人々を見守っておられる。
その福徳の集まりは、広大な海のように計り知れない。
だからこそ、私たちは心から観世音菩薩を礼拝すべきなのである」

(第二十六品~第二十七品は省略)

【妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品第二十八(流通分結び)】
仏がこの「普賢菩薩勧発品」をお説きになった時、ガンジス川の砂の数ほどの無数の菩薩たちが、百万億もの陀羅尼(教えを記憶し理解する力)を得て、この世界の全ての塵の数ほどの菩薩たちが、普賢菩薩の道を体得しました。
仏がこの『妙法蓮華経』を説き終えられた時、普賢菩薩をはじめとする菩薩たち、舎利弗などの弟子たち、そして全ての修行僧、信者、さらには天の神々、竜、鬼神、人間、人間ならざるものまで、その大会に集った全ての者たちが、皆、大いに歓喜しました。そして、仏の言葉を心にしっかりと受け止め、教えの通りに実践することを誓い、丁寧に礼拝をして、それぞれの場所へと去っていったのでした。

8.よみがな 全文

【開経偈(かいきょうげ)】
無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)
百千萬劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)
我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ)
願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)

【妙法蓮華経 序品第一(みょうほうれんげきょう じょほん だいいち)】(序分冒頭)
如是我聞(にょぜがもん)。
一時仏住王舎城(いちじぶつじゅうおうしゃじょう)。耆闍崛山中(ぎしゃくっせんちゅう)。与大比丘衆万二千人倶(よだいびくしゅうまんにせんじんく)。皆是阿羅漢(かいぜあらかん)。諸漏已尽(しょろいじん)。無復煩悩(むぶぼんのう)。逮得己利(たいとくこり)。尽諸有結(じんしょうけつ)。心得自在(しんとくじざい)。其名曰(ごみょうわつ)。阿若憍陳如(あにゃきょうじんにょ)。摩訶迦葉(まかかしょう)。優楼頻螺迦葉(うるびらかしょう)。伽耶迦葉(がやかしょう)。那提迦葉(なだいかしょう)。舎利弗(しゃりほつ)。大目犍連(だいもっけんれん)。摩訶迦旃延(まかかせんねん)。阿㝹楼駄(あぬるだ)。劫賓那(こっひんな)。憍梵波提(きょうぼんはだい)。離婆多(りはた)。畢陵伽婆蹉(ひつりょうがばしゃ)。薄拘羅(ばっくら)。摩訶拘絺羅(まかくちら)。難陀(なんだ)。孫陀羅難陀(そんだらなんだ)。富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)。須菩提(しゅぼだい)。阿難(あなん)。羅睺羅(らごら)。如是衆所知識(にょぜしゅうしょちしき)。大阿羅漢等(だいあらかんとう)。
復有学無学二千人(ぶうがくむがくにせんじん)。摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)。与眷属六千人倶(よけんぞくろくせんじんく)。羅睺羅母耶輸陀羅比丘尼(らごらもやしゅだらびくに)。亦与眷属倶(やくよけんぞくく)。
菩薩摩訶薩八万人(ぼさつまかさつはちまんにん)。皆於阿耨多羅三藐三菩提(かいおあのくたらさんみゃくさんぼだい)。不退転(ふたいてん)。皆得陀羅尼(かいとくだらに)。楽説弁才(ぎょうせつべんざい)。転不退転法輪(てんふたいてんぼうりん)。供養無量百千諸仏(くようむりょうひゃくせんしょぶつ)。於諸仏所(おしょぶっしょ)。植衆徳本(じきしゅとくほん)。常為諸仏之所称歎(じょういしょぶつししょしょうたん)。以慈修身(じししゅしん)。善入仏慧(ぜんにゅうぶつえ)。通達大智(つうだつだいち)。到於彼岸(とうおひがん)。名称普聞無量世界(みょうしょうふもんむりょうせかい)。能度無数百万衆生(のうどむしゅひゃくまんしゅじょう)。其名曰(ごみょうわつ)。文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。得大勢菩薩(とくだいせいぼさつ)。常精進菩薩(じょうしょうじんぼさつ)。

(第二品~第二十四品は省略)

【妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五(みょうほうれんげきょう かんぜおんぼさつふもんぼん だいにじゅうご)】

爾時無盡意菩薩(にじむじんにぼさつ)。即從座起(そくじゅうざき)。偏袒右肩(へんだんうけん)。合掌向仏(がっしょうこうぶつ)。而作是言(にさぜごん)。

世尊(せそん)。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。以何因縁(いがいんねん)。名観世音(みょうかんぜおん)。

仏告無盡意菩薩(ぶつごうむじんにぼさつ)。善男子(ぜんなんし)。若有無量百千萬億衆生(にゃくうむりょうひゃくせんまんのくしゅじょう)。受諸苦悩(じゅしょくのう)。聞是観世音菩薩(もんぜかんぜおんぼさつ)。一心称名(いっしんしょうみょう)。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。即時観其音声(そくじかんごおんじょう)。皆得解脱(かいとくげだつ)。

若有持是観世音菩薩名者(にゃくうじぜかんぜおんぼさつみょうしゃ)。設入大火(せつにゅうだいか)。火不能焼(かふのうしょう)。由是菩薩威神力故(ゆぜぼさついじんりきこ)。
若為大水所漂(にゃくいだいすいしょひょう)。称其名号(しょうごみょうごう)。即得浅処(そくとくせんしょ)。
若有百千萬億衆生(にゃくうひゃくせんまんのくしゅじょう)。為求金銀瑠璃(いぐこんごんるり)。硨磲瑪瑙(しゃこめのう)。珊瑚琥珀(さんごこはく)。真珠等宝(しんじゅとうほう)。入於大海(にゅうおだいかい)。仮使黒風吹其船舫(けしこくふうすいごせんぼう)。飄墮羅刹鬼国(ひょうだらせつきこく)。其中若有乃至一人(ごちゅうにゃくうないしいちにん)。称観世音菩薩名者(しょうかんぜおんぼさつみょうしゃ)。是諸人等(ぜしょにんとう)。皆得解脱羅刹之難(かいとくげだつらせつしなん)。以是因縁(いぜいんねん)。名観世音(みょうかんぜおん)。

若復有人(にゃくぶうにん)。臨当被害(りんとうひがい)。称観世音菩薩名者(しょうかんぜおんぼさつみょうしゃ)。彼所執刀杖(ひしょしっとうじょう)。尋段段壊(じんだんだんね)。而得解脱(にとくげだつ)。
若三千大千国土(にゃくさんぜんだいせんこくど)。満中夜叉羅刹(まんちゅうやしゃらせつ)。欲来悩人(よくらいのうにん)。聞其称観世音菩薩名者(もんごしょうかんぜおんぼさつみょうしゃ)。是諸悪鬼(ぜしょあっき)。尚不能以悪眼視之(しょうふのういあくげんしし)。況復加害(きょうぶかがい)。
設復有人(せつぶうにん)。若有罪(にゃくうざい)。若無罪(にゃくむざい)。杻械枷鎖(しゅかいかさ)。検繋其身(けんけごしん)。称観世音菩薩名者(しょうかんぜおんぼさつみょうしゃ)。皆悉断壊(かいしつだんね)。即得解脱(そくとくげだつ)。
若三千大千国土(にゃくさんぜんだいせんこくど)。満中怨賊(まんちゅうおんぞく)。有一商主(ういちしょうしゅ)。将諸商人(しょうしょしょうにん)。齎持重宝(さいじじゅうほう)。経過険路(きょうかけんろ)。其中一人(ごちゅういちにん)。作是唱言(さぜしょうごん)。諸善男子(しょぜんなんし)。勿得恐怖(もつとくくふ)。汝等応当一心称観世音菩薩名号(にょとうおうとういっしんしょうかんぜおんぼさつみょうごう)。是菩薩能以無畏(ぜぼさつのういむい)。施於衆生(せおしゅじょう)。汝等若称名者(にょとうにゃくしょうみょうしゃ)。於此怨賊(おしおんぞく)。当得解脱(とうとくげだつ)。衆商人聞(しゅしょうにんもん)。倶発声言(くほっしょうごん)。南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)。称其名故(しょうごみょうこ)。即得解脱(そくとくげだつ)。

無盡意(むじんに)。観世音菩薩摩訶薩(かんぜおんぼさつまかさつ)。威神之力(いじんしりき)。巍巍如是(ぎぎにょぜ)。

若有衆生(にゃくうしゅじょう)。多於淫欲(たおいんよく)。常念恭敬観世音菩薩(じょうねんくぎょうかんぜおんぼさつ)。便得離欲(べんとくりよく)。
若多瞋恚(にゃくたしんに)。常念恭敬観世音菩薩(じょうねんくぎょうかんぜおんぼさつ)。便得離瞋(べんとくりしん)。
若多愚癡(にゃくたぐち)。常念恭敬観世音菩薩(じょうねんくぎょうかんぜおんぼさつ)。便得離癡(べんとくりち)。
無盡意(むじんに)。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。有如是等大威神力(うにょぜとうだいいじんりき)。多所饒益(たしょにょうやく)。是故衆生(ぜこしゅじょう)。常応心念(じょうおうしんねん)。

若有女人(にゃくうにょにん)。設欲求男(せつよくぐなん)。礼拝供養観世音菩薩(らいはいくようかんぜおんぼさつ)。便生福徳智慧之男(べんしょうふくとくちえしなん)。
設欲求女(せつよくぐにょ)。便生端正有相之女(べんしょうたんじょううそうしにょ)。宿植徳本(しゅくじきとくほん)。衆人愛敬(しゅにんあいきょう)。
無盡意(むじんに)。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。有如是力(うにょぜりき)。

若有衆生(にゃくうしゅじょう)。恭敬礼拝観世音菩薩(くぎょうらいはいかんぜおんぼさつ)。福不唐捐(ふくふとうえん)。
是故衆生(ぜこしゅじょう)。皆応受持観世音菩薩名号(かいおうじゅじかんぜおんぼさつみょうごう)。
無盡意(むじんに)。若有人(にゃくうにん)。受持六十二億恒河沙菩薩名字(じゅじろくじゅうにおくごうがしゃぼさつみょうじ)。復尽形供養飲食(ぶじんぎょうくようおんじき)。衣服(えぶく)。臥具(がぐ)。医薬(いやく)。於汝意云何(おにょいうんが)。是善男子(ぜぜんなんし)。善女人(ぜんにょにん)。功徳多不(くどくたふ)。

無盡意言(むじんにごん)。甚多(じんだ)。世尊(せそん)。

仏言(ぶつごん)。若復有人(にゃくぶうにん)。受持観世音菩薩名号(じゅじかんぜおんぼさつみょうごう)。乃至一時礼拝供養(ないしいちじらいはいくよう)。是二人福(ぜににんぷく)。正等無異(しょうとうむい)。於百千萬億劫(おひゃくせんまんのくこう)。不可窮尽(ふかぐうじん)。
無盡意(むじんに)。受持観世音菩薩名号(じゅじかんぜおんぼさつみょうごう)。得如是無量無辺福徳之利(とくにょぜむりょうむへんふくとくしり)。

無盡意菩薩白仏言(むじんにぼさつびゃくぶつごん)。世尊(せそん)。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。云何遊此娑婆世界(うんがゆししゃばせかい)。云何而為衆生説法(うんがにいしゅじょうせっぽう)。方便之力(ほうべんしりき)。其事云何(ごじうんが)。

仏告無盡意菩薩(ぶつごうむじんにぼさつ)。善男子(ぜんなんし)。若有国土衆生(にゃくうこくどしゅじょう)。応以仏身得度者(おういぶっしんとくどしゃ)。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。即現仏身(そくげんぶっしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以辟支仏身得度者(おういびゃくしぶつしんとくどしゃ)。即現辟支仏身(そくげんびゃくしぶっしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以声聞身得度者(おういしょうもんしんとくどしゃ)。即現声聞身(そくげんしょうもんしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以梵王身得度者(おういぼんのうしんとくどしゃ)。即現梵王身(そくげんぼんのうしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以帝釈身得度者(おういたいしゃくしんとくどしゃ)。即現帝釈身(そくげんたいしゃくしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以自在天身得度者(おういじざいてんしんとくどしゃ)。即現自在天身(そくげんじざいてんしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以大自在天身得度者(おういだいじざいてんしんとくどしゃ)。即現大自在天身(そくげんだいじざいてんしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以天大将軍身得度者(おういてんだいしょうぐんしんとくどしゃ)。即現天大将軍身(そくげんてんだいしょうぐんしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以毘沙門身得度者(おういびしゃもんしんとくどしゃ)。即現毘沙門身(そくげんびしゃもんしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以小王身得度者(おういしょうおうしんとくどしゃ)。即現小王身(そくげんしょうおうしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以長者身得度者(おういちょうじゃしんとくどしゃ)。即現長者身(そくげんちょうじゃしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以居士身得度者(おういこじしんとくどしゃ)。即現居士身(そくげんこじしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以宰官身得度者(おういさいかんしんとくどしゃ)。即現宰官身(そくげんさいかんしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以婆羅門身得度者(おういばらもんしんとくどしゃ)。即現婆羅門身(そくげんばらもんしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以比丘(おういびく)。比丘尼(びくに)。優婆塞(うばそく)。優婆夷身得度者(うばいしんとくどしゃ)。即現比丘(そくげんびく)。比丘尼(びくに)。優婆塞(うばそく)。優婆夷身(うばいしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以長者(おういちょうじゃ)。居士(こじ)。宰官(さいかん)。婆羅門婦女身得度者(ばらもんぶにょしんとくどしゃ)。即現婦女身(そくげんぶにょしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以童男(おういどうなん)。童女身得度者(どうにょしんとくどしゃ)。即現童男(そくげんどうなん)。童女身(どうにょしん)。而為説法(にいせっぽう)。
応以天(おういてん)。龍(りゅう)。夜叉(やしゃ)。乾闥婆(けんだつば)。阿修羅(あしゅら)。迦楼羅(かるら)。緊那羅(きんなら)。摩睺羅伽(まごらが)。人(にん)。非人等身得度者(ひにんとうしんとくどしゃ)。即皆現之(そくかいげんし)。而為説法(にいせっぽう)。
応以執金剛神得度者(おういしゅこんごうしんとくどしゃ)。即現執金剛神(そくげんしゅこんごうしん)。而為説法(にいせっぽう)。
無盡意(むじんに)。是観世音菩薩(ぜかんぜおんぼさつ)。成就如是功徳(じょうじゅにょぜくどく)。以種種形(いしゅじゅぎょう)。遊諸国土(ゆしょこくど)。度脱衆生(どだつしゅじょう)。
是故汝等(ぜこにょとう)。応当一心供養観世音菩薩(おうとういっしんくようかんぜおんぼさつ)。是観世音菩薩摩訶薩(ぜかんぜおんぼさつまかさつ)。於怖畏急難之中(おふいきゅうなんしちゅう)。能施無畏(のうせむい)。是故此娑婆世界(ぜこししゃばせかい)。皆号之為施無畏者(かいごうしいせむいしゃ)。

無盡意菩薩白仏言(むじんにぼさつびゃくぶつごん)。世尊(せそん)。我今当供養観世音菩薩(がこんとうくようかんぜおんぼさつ)。
即解頸衆宝珠瓔珞(そくげきょうしゅほうしゅようらく)。価直百千両金(けじきひゃくせんりょうこん)。而以与之(にいよし)。作是言(さぜごん)。仁者(じんじゃ)。受此法施(じゅしほっせ)。珍宝瓔珞(ちんぽうようらく)。
時観世音菩薩(じかんぜおんぼさつ)。不肯受之(ふこうじゅし)。
無盡意(むじんに)。復白観世音菩薩言(ぶびゃくかんぜおんぼさつごん)。仁者(じんじゃ)。愍我等故(みんがとうこ)。受此瓔珞(じゅしようらく)。

爾時仏告観世音菩薩(にじぶつごうかんぜおんぼさつ)。当愍此無盡意菩薩(とうみんしむじんにぼさつ)。及四衆(ぎゅうししゅ)。天(てん)。龍(りゅう)。夜叉(やしゃ)。乾闥婆(けんだつば)。阿修羅(あしゅら)。迦楼羅(かるら)。緊那羅(きんなら)。摩睺羅伽(まごらが)。人(にん)。非人等故(ひにんとうこ)。受是瓔珞(じゅぜようらく)。
即時観世音菩薩(そくじかんぜおんぼさつ)。愍諸四衆(みんしょししゅ)。及於天(ぎゅうおてん)。龍(りゅう)。人(にん)。非人等(ひにんとう)。受其瓔珞(じゅごようらく)。分作二分(ぶんさにぶん)。一分奉釈迦牟尼仏(いちぶんぶしゃかむにぶつ)。一分奉多宝仏塔(いちぶんぶたほうぶっとう)。

無盡意(むじんに)。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。有如是自在神力(うにょぜじざいじんりき)。遊於娑婆世界(ゆおしゃばせかい)。

爾時無盡意菩薩(にじむじんにぼさつ)。以偈問曰(いげもんわつ)。

世尊妙相具(せそんみょうそうぐ) 我今重問彼(がこんじゅうもんぴ)
仏子何因縁(ぶっしがいんねん) 名為観世音(みょういかんぜおん)

具足妙相尊(ぐそくみょうそうそん) 偈答無盡意(げっとうむじんに)
汝聴観音行(にょちょうかんのんぎょう) 善応諸方所(ぜんのうしょほうしょ)
弘誓深如海(ぐぜいじんじょかい) 歴劫不思議(りゃっこうふしぎ)
侍多千億仏(じたせんのくぶつ) 発大清浄願(ほつだいしょうじょうがん)

我為汝略説(がいにょりゃくせつ) 聞名及見身(もんみょうぎゅうけんしん)
心念不空過(しんねんふくうか) 能滅諸有苦(のうめつしょうく)
仮使興害意(けしこうがいい) 推落大火坑(すいらくだいかきょう)
念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 火坑変成池(かきょうへんじょうち)

或漂流巨海(わくひょうるこかい) 龍魚諸鬼難(りゅうぎょしょきなん)
念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 波浪不能没(はろうふのうもつ)
或在須弥峰(わくざいしゅみぶ) 為人所推墮(いにんしょすいだ)
念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 如日住虚空(にょにちじゅうこくう)

或被悪人逐(わくひあくにんちく) 墮落金剛山(だらくこんごうせん)
念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 不能損一毛(ふのうそんいちもう)
或値怨賊繞(わくちおんぞくにょう) 各執刀加害(かくしっとうかがい)
念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 咸即起慈心(げんそくきじしん)

或遭王難苦(わくそうおうなんく) 臨刑欲寿終(りんぎょうよくじゅじゅう)
念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 刀尋段段壊(とうじんだんだんね)
或囚禁枷鎖(わくしゅうごんかさ) 手足被杻械(しゅそくひしゅかい)
念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 釈然得解脱(しゃくねんとくげだつ)

呪詛諸毒薬(しゅそしょどくやく) 所欲害身者(しょよくがいしんしゃ)
念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 還著於本人(げんじゃくおほんにん)
或遇悪羅刹(わくぐあくらせつ) 毒龍諸鬼等(どくりゅうしょきとう)
念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 時悉不敢害(じしつぷかんがい)

若悪獣圍繞(にゃくあくじゅういにょう) 利牙爪可怖(りげそうかふ)
念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 疾走無辺方(しっそうむへんぼう)
蚖蛇及蝮蠍(がんじゃぎゅうぶっかつ) 気毒煙火然(けどくえんかねん)
念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 尋声自回去(じんしょうじえこ)

雲雷鼓掣電(うんらいくせいでん) 降雹澍大雨(ごうばくじゅだいう)
念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 応時得消散(おうじとくしょうさん)
衆生被困厄(しゅじょうひこんやく) 無量苦逼身(むりょうくひっしん)
観音妙智力(かんのんみょうちりき) 能救世間苦(のうくせけんく)

具足神通力(ぐそくじんずうりき) 広修智方便(こうしゅうちほうべん)
十方諸国土(じっぽうしょこくど) 無刹不現身(むせつふげんしん)
種種諸悪趣(しゅじゅしょあくしゅ) 地獄鬼畜生(じごくきちくしょう)
生老病死苦(しょうろうびょうしく) 以漸悉令滅(いぜんしつりょうめつ)

真観清浄観(しんかんしょうじょうかん) 広大智慧観(こうだいちえかん)
悲観及慈観(ひかんぎゅうじかん) 常願常瞻仰(じょうがんじょうせんごう)
無垢清浄光(むくしょうじょうこう) 慧日破諸闇(えにちはしょあん)
能伏災風火(のうぶくさいふうか) 普明照世間(ふみょうしょうせけん)

悲体戒雷震(ひたいかいらいしん) 慈意妙大雲(じいみょうだいうん)
澍甘露法雨(じゅかんろほうう) 滅除煩悩焔(めつじょぼんのうえん)
諍訟経官処(じょうしょうきょうかんしょ) 怖畏軍陣中(ふいぐんじんちゅう)
念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 衆怨悉退散(しゅうおんしつたいさん)

妙音観世音(みょうおんかんぜおん) 梵音海潮音(ぼんのんかいちょうおん)
勝彼世間音(しょうひせけんおん) 是故須常念(ぜこしゅじょうねん)
念念勿生疑(ねんねんもつしょうぎ) 観世音浄聖(かんぜおんじょうしょう)
於苦悩死厄(おくのうしやく) 能為作依怙(のういさえこ)

具一切功徳(ぐいっさいくどく) 慈眼視衆生(じげんじしゅじょう)
福聚海無量(ふくじゅかいむりょう) 是故応頂礼(ぜこおうちょうらい)

(第二十六品~第二十七品は省略)

【妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品第二十八(みょうほうれんげきょう ふげんぼさつかんぼつほん だいにじゅうはち)】(流通分結び)
仏説是普賢勧発品時(ぶっせつぜふげんかんぼつほんじ)。恒河沙等無量菩薩(ごうがしゃとうむりょうぼさつ)。得百万億旋陀羅尼(とくひゃくまんのくせんだらに)。三千大千世界微塵等諸菩薩(さんぜんだいせんせかいみじんとうしょぼさつ)。具普賢道(ぐふげんどう)。
仏説是経時(ぶっせつぜきょうじ)。普賢菩薩等(ふげんぼさつとう)。及舎利弗等諸声聞(ぎゅうしゃりほつとうしょしょうもん)。及諸比丘(ぎゅうしょびく)。比丘尼(びくに)。優婆塞(うばそく)。優婆夷(うばい)。天龍(てんりゅう)。夜叉(やしゃ)。乾闥婆(けんだつば)。人非人等(にんひにんとう)。一切大会(いっさいだいえ)。皆大歓喜(かいだいかんぎ)。受持仏語(じゅじぶつご)。作礼而去(さらいにこ)。

9.観音経と七支分の不思議なつながり

さて、ここでもう一つの不思議を解き明かす鍵、「七支分(しちしぶん)」の話をしよう。これは大乗仏教で広く用いられる礼拝の儀式で、とくにチベット仏教で体系的に実践される、七つのステップからなる修行法のことさ。心をキレイにして、良いエネルギー(功徳)を貯めるための、いわば「心のコンパス」みたいなものだね。
その七つのステップはこんな感じだ。

  1. 礼拝:仏や菩薩に敬意を表し、心を捧げる。

  2. 供養:花や灯明、心の讃嘆といった贈り物を捧げる。

  3. 懺悔:過去の過ちや心の迷いを悔い改めて、心をクリーンにする。

  4. 随喜:仏や他の人の善い行いを、自分のことのように喜んで讃える。

  5. 勧請(かんじょう):仏や師に「どうか、教えを説いてください」とお願いする。

  6. 請仏住世(しょうぶつじゅうせ):仏や師に「どうか、この世に長くいてください」とお願いする。

  7. 回向(えこう):自分が積んだ良いエネルギーを、みんなの幸せや悟りのために捧げる。

七支分のすごいところはさ、このステップを踏むことで、儀式の前に心を整えて、聖なる空間に入り、みんなのために祈るという流れが自然にできること。そして…ここからが本題だ。**観音経という物語を読むこと自体が、この七支分の要素をギュッと凝縮した実践になっているんじゃないか?**という話さ。
じゃあ、具体的に観音経の物語に沿って検証していこうか。

まず、物語の始まり、無尽意菩薩が問いかける場面
ここには、七支分でいうところの「礼拝」と「勧請(かんじょう)」が、見事に描かれている。考えてもみてね。無尽意菩薩は、ただ質問したんじゃない。彼は「即ち座より起ち、右の肩を偏袒し、合掌して仏に向かい」、つまり**最上級の敬意(これが礼拝!)**を示した上で、「なぜ観世音と名付けるのですか?」と問いかける。この問いこそが、お釈迦様に教えを説いてくださいとお願いする「勧請」そのものとしか思えないのさ。

次に、物語の中心、観音菩薩の様々な功徳が説かれる場面だ。
ここでは、観音菩薩が人々を苦しみから救う力が語られるけど、これは同時に、ボクたちが救いを求める心、つまり「懺悔」の精神と深くつながっている。例えば、三毒(貪り・怒り・愚かさ)から解放されるという功徳。これは、ボクたちが自分の心の中にある汚れを認め、観音様、どうかこの苦しみを取り除いてください、と願う「懺悔」の心に、観音菩薩が応えてくれる姿を描いている。
さらに、観音菩薩が33の姿に変化して、常にこの苦しみの世界(娑婆世界)に留まって人々を救い続けているという教え。これこそ、ボクたちの「どうか、この世に長くいてください」という「請仏住世」の願いが、まさに実現している姿じゃないか?

そして、物語の結び、無尽意菩薩が宝を捧げる感動的なフィナーレだ。
ここには「随喜」「供養」「回向」という、クライマックスにふさわしい三つの実践が凝縮されている。
お釈迦様の説法を聞いた無尽意菩薩は、観音菩薩の偉大な力に心から感動し、喜びを抑えきれなくなる(これが随喜!)。そして、その感謝と喜びの気持ちを行動で示すために、自分の最も大切な宝である瓔珞を捧げる(これが供養!)。
でも、物語はそこで終わらない。供養を受けた観音菩薩は、その宝を自分のものにせず、二つに分けてお釈迦様と多宝仏塔に捧げ直す。これこそ、得られた功徳を自分だけのものにせず、さらに尊い存在や、すべての生き物たちのために捧げ直す「回向」の精神そのものなのさ。

どうだい? つまりさ、観音経という物語は、こういう構造になっていると考えることもできるんじゃない?

  • 始まりで、敬意を表し(礼拝!)、教えを請う(勧請!)。

  • 物語の中心で、心の汚れを清めることを願い(懺悔!)、常にこの世にいてくださることに感謝する(請仏住世!)。

  • 結びで、教えを喜び(随喜!)、感謝を形にし(供養!)、その功徳をみんなに捧げる(回向!)。

まるで、ボクたちが観音経を読むことで、無尽意菩薩と一緒に、この壮大な七支分の儀式を追体験しているみたいだろ?
だから、観音経を読むことは、ただ物語を知るだけじゃない。観音菩薩の慈悲の世界に触れながら、心を浄め、功徳を積むための、一つの完成された実践の道筋を示してくれているのさ。これこそが、今日の不思議の核心だよ。

今日の報告は、ここでおしまい。まだまだ、世界には不思議がいっぱいだ。そして、ボクの冒険は続くのさ。

#SF小説が好き #創作小説

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