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不思議ハンター:フラットランドものがたり(6千文字)


不思議ハンター:フラットランドものがたり

ボクの名前は、常世 藤四郎(とこしえ とうしろう)。「不思議ハンター」さ。世界は不思議であふれていて、ボクはそれを集めている。なぜ不思議を集めているのかって? だって世界の不思議には、しっかりとした理由があるように、ボクには見えるから、その理由を求めているのさ。でも、何よりも不思議なのは、みんなが不思議を不思議と思わないことかな。それが、ボクが不思議ハンターになった大きな理由かもしれない。

今日は、1884年にエドウィン・A・アボットが紡いだ『フラットランド』の世界から始まる。

1. 二次元の世界:寓話に潜む社会の檻

『フラットランド』とは、タテとヨコしかない、完全に平らな二次元の世界さ。そこに住んでいるのは三角形や四角形といった図形で、主人公は正方形の「スクエア」。彼らにとって、世界には上下がなくて、すべてのものが「線」にしか見えない。
そんなフラットランドで、ある日、一つの事件が起きる。ボクたちのような三次元の「球体」が、彼らの世界を通り抜けた。スクエアにとって、それは信じがたい光景だった。何もない空間に突如「点」が現れ、それが「円」に膨らみ、またしぼんで「点」になり消えてしまった。それはスクエアには「奇跡」としか映らなかった。だが、彼が語っても他の住人には理解されなかった。彼らの常識では、自分たちの知らない高次元の世界など、理解できるはずもなかった。
でも、この寓話が世に知られた本当の理由は別にある。フラットランドでは、角の数が多いほど身分が高く、女性はただの「線」として扱われる。新しいアイデアを全く受け入れない、まるで檻に閉じ込められたような硬直した社会として描かれている。そう、作者のアボットは、この世界を通して、当時のビクトリア朝の社会を鋭く風刺したのさ。これが第一の秘密。この寓話がボクたちに突きつけるのは、「自分たちの見ている世界が全てだ」と信じ込むことの危うさ。ボクたちが認識している世界の裏には、気づかぬ社会のルールや偏見が、影のように潜んでいるのかもしれない。
そして、ボクはもう一つの不思議に気づいた。このときのスクエアの「驚き」は彼らの知覚の限界を示しているはずなのに、そこには奇妙な矛盾が潜んでいる。作者のアボットは、住人が互いの形を識別する方法として「霧」や「触覚」を用意した。だが冷静に考えれば、二次元の住人が角を触って確かめるという行為そのものが、すでに上から見下ろす“高さ”という三次元的自由度を暗黙に前提しているのではないか。もし彼らが純粋に「線」としてしか世界を知覚できないなら、円が近づいても、見えるのはただの線分の長さの変化に過ぎない。そうであれば、通過する円も、両端が尖ったレンズ形──ヴェシカ・ピスキスのような像として現れてもおかしくない。にもかかわらずアボットは、それを「球」と断じて描いた。ここにこそ、寓話の奥底にしのび込んだアボット自身の無意識がある。二次元的な論理では到達できない「全体像を捉える高さの視点」が、作者の想像力に自然と入り込んでいたのだろう。ボクには、これこそが後に説明する「創発的知覚」の萌芽に見える。限られた一次元的な情報(線の長さの変化)を、時間を通じて組み合わせることで、脳がより高次の像(面や立体)を勝手に立ち上げてしまう。その“無意識の創発”こそが、『フラットランド』に隠された本当のテーマではないかと、ボクには思えるのさ。
低次元の情報(線)という限定された知覚から、時間の経過による変化を基に、脳が高次元の像(面)として認識する。この「無意識の創発」こそが、フラットランドに隠された本当のテーマだとボクには思えたのさ。

2. 三次元の世界:知覚に潜む思い込みの檻

フラットランドの住人のあり方は、ボクたちの世界を映す鏡かもしれない。
ここからは、いくつかの定説を組み合わせた、ボク自身の仮説を話そう。
ボクたちは、タテ・ヨコ・高さを知覚できる。だから、自分たちのことを、三次元空間を自由に行き来できる三次元生物だと考えているはず。でも、果たしてそうだろうか。「高さ」と呼ぶものは、せいぜい地球の大気圏、約100キロメートルに過ぎない。観測可能な宇宙の直径約930億光年と比べると、その比はおよそ10のマイナス22乗。ボクたちの高さ方向の自由は、宇宙スケールでは取るに足らない。
つまり、ボクたちは三次元生物と称するにはあまりにも限定的だ。ボクはこの状態を「2.1次元生物」と呼ぶことにした。本当は、むしろ「2.000...1次元生物」と呼ぶのがふさわしいと思ってるけどね。
確かに、ボクたちには両目による立体視の機能がある。しかし、その「本当の3D感覚」が正確に働くのは近距離で、距離が伸びるにつれて急速に弱まってしまう。遠くの景色になると、脳はあたかも絵画を読み解くように、さまざまな手掛かりから奥行きを推定しているにすぎない。例えば、「奥にあるものほど小さく、霞んで見える」といった絵画のルールを使って、平面的な情報から立体感を再構築しているのだ。遠くの山々や星々は、実際にはボクたちの網膜には二次元の絵としてしか映らない。遠景が立体的に感じられるのも、脳が過去の経験や学習に基づいて三次元像を補完しているからにほかならない。この状態は、インド哲学の「マーヤ」、つまり幻覚という概念のアナロジーとして捉えることができるかもしれない。このマーヤというのは、古代ウパニシャッド哲学に原型のあった「幻影」が、シャンカラによって、世界を無明の投影とみなす厳密な体系として完成された哲学的概念のことさ。
この「実質的に平らな世界に住んでいる」というボクの仮説には、二つの興味深い傍証がある。
一つは、「フラットアース説」。
地球は平らな円盤だという、その主張の真偽を問うつもりはない。注目すべきは、彼らの主張する「物理的に平らな世界」と、ボクが提唱する「実質的に平らな世界」との間に、不思議な類似点があることだ。
二つ目は、人類の知性の産物、「非ユークリッド幾何学」。
非ユークリッド幾何は曲がった空間そのもの(球面・双曲)を扱う。本質は平面化ではないけれど、便宜上、平面モデルへ写して表現することはある。つまり、ボクたちの脳の働きと似ているときがあるということさ。

3. 第三の推論手法:思考の檻

ここで少し、ボクたちの「思考の道具」でもある知の論理の進化を、三つの段階で見てみよう。
第一段階は、古代ギリシャのアリストテレスが作った「演繹法」が、ときに思考を縛る檻となるときもある。その事例を、人類が長く真実としてきたこの美しい三段論法で説明してみよう。

  • 大前提:すべての人は、自分の心臓の機能が恒久的に停止すれば死ぬ。

  • 小前提:この人の心臓は摘出手術により恒久的に停止した。

  • 結論:ゆえに、この人は死んだ。

これ以上に確実な論理はないように見えるし、この論理の檻から逃れるのは、長い間難しかったと思う。
第二段階は、フランシス・ベーコンが提示した「帰納法」。彼はアリストテレスの静的な論理に、「時間」と「変化」という盲点があることを指摘した。演繹法は、前提が正しければ結論も正しい。でも、その前提が未来永劫通用するという保証はない。ベーコンはこの盲点に気づき、その対策として「観察し、実験せよ」と唱えた。彼の方法は、過去の経験から一般則を導き、それを未来に試すという動的な試みとして「帰納法」と呼ばれた。
かつて「心臓が止まれば人は死ぬ」という前提は、ほとんど揺るぎない真理とされていた。けれども20世紀後半、医学の進歩によって心臓移植(1967年)や人工心肺の技術が確立され、さらに補助循環装置や人工心臓が開発されると、この前提は条件付きのものに変化した。つまり「自分の心臓が止まっても、人は必ずしも即座に死ぬとは限らない」と言えるようになった。もちろんこれは比喩であって、アリストテレスの古典論理学そのものを否定するものではない。ただ、このような事例を通じて、帰納法による観察と実験が、演繹法の大前提を相対化し、その檻を破ることがあると確認できると思うのさ。
でも、そんな演繹法や帰納法でさえも「既成事実に拘泥する」という手ごわい檻をまだ持っている。つまり、いまだに現れていない未来を扱うのが苦手ということさ。だから、コペルニクスやアインシュタインといった、世界を変えた常識外れの異才たちの前では、固定観念、先入観の檻として大きく立ちはだかった。そして、少数派の異才たちは、その時代の常識や既成事実に反証ができたときだけ、世界を塗り替えてきた、という歴史がある。
ここで必要になるのが、第三段階の推論方法、アブダクションだ。
アブダクションとは、「もし〜ならば、すべてが説明できるのではないか?」という「跳躍的な仮説」を立てることで、未知の現象や矛盾に対して仮の説明を与える推論方法。
演繹が前提から結論を導き、帰納が観察から法則を導くのに対し、アブダクションはその両者を行き来する。つまり、その提唱者であるチャールズ・サンダース・パース自身の言葉によると、この方法を「アブダクション」とも「レトロダクション」とも呼んでいて、観察→仮説(つまりアブダクション)→結果の導出(つまり演繹)→照合(つまり帰納)の循環だと説明している。
そして重要な点は「跳躍的な仮説」というところ。これが演繹と帰納だけでは「既成事実に拘泥する」という檻を突破する鍵になりえるし、事実これまでの歴史上の異才たちはそうやってその檻を突破してきたように見えるのさ。
P.D.ウスペンスキーは『ターシャム・オルガヌム』の中で、「非理性的な直観が『心理的方法』として高次真理に導く」と述べている。彼の立場は、理性による分析だけでは捉えきれない領域に、直観的な跳躍で踏み込む必要があるというもの。ボクは、これがアブダクションの本質を言い当てていると思う。
その一例として提示されたのが、「AはAであり、かつ非Aである」という命題。これは、通常の論理では矛盾とされる関係を、より高次の視点から同時に成立しうるものとして捉える試みなのさ。
たとえば、「愛」という言葉を考えてみよう。現代日本語では「愛」は、人を思いやる尊い感情として語られることが多い。一方、仏教思想、例えば十二支縁起の「愛」は「執着」を意味し、人生の苦しみの原因であるといわれる。
これは、歴史と背景が異なる思想の間の言葉の差異という、ほんの些末な一例でしかないが、「AはAであり、かつ非Aである」という命題が、実際にありえる証左として、紹介した。
でも、こんな一例だけをとってみても、世界には、この種の言葉の揺らぎが充満しているという事実を受け入れる余地が出てくるんじゃないかな。つまり、少しクールダウンして、「A=not Aなんて非論理的だ」と反射的に固定観念を押し付けるというような、思い込みの檻をひっくり返すには十分じゃないかな。そしてきっと、本当の「非理性的な直観」の本質っていうのは、きっとこんなレベルじゃないと思うのさ。
そして最後に、「ホログラフィック原理」という現代物理学の理論を紹介しよう。これは、ブラックホールの研究から動機づけられた「境界面への符号化」という仮説だ。我々の宇宙への一般化や、“重力=量子もつれ起源”はまだ活発に研究中の仮説段階のものだけど、AdS/CFT対応のように、特定時空に限っては、「宇宙の中の重力の世界」と「宇宙の端っこの粒子の世界」が、鏡のように同じ情報を持っているという理論物理の革命的なアイデアが有名。この理論の過激な点は、重力さえも、より低次元の法則から「結果として生まれてくる」創発的な現象だとしていること。
そして、「重力が今までみんなが思ってたような宇宙の代表的な力ではなくて、創発的な現象だ」なんていうホログラフィック原理こそ、まさにアブダクションだと思わない?
さっき説明した2.1次元生物という不思議がこの理論と同じ構造を持っていることに、ボクは気づいた。だからホログラフィック原理から、「創発」という呼び名を拝借して「創発的知覚」という言葉をつくったのさ。物理学が、二次元の情報から三次元の宇宙が生まれる可能性を探るように、ボクの仮説では、1次元や二次元の感覚データから、ボクたちの三次元的な空間認識が生まれると考えている。でもこれは、ボクたちが、三次元生物になれないと嘆いてるわけじゃない。例えば、ボクたちが魂や霊体のようなものを手に入れて、地球の表面から解放されて、太陽系や銀河系を自由に移動できるようになったとしたらどうだろう?そのときにこそ、ボクたちは堂々と「ボクらは三次元生物さ」と断言できると思わない?
そして、これこそがボクがこれから探求するアブダクションさ。
この物語が教えてくれた3つの檻──社会の偏見、知覚のマーヤ、思考の呪縛は、いまもなおボクたちを囲い込んでいる。だから、ボクはその檻の向こうへ踏み出す冒険を続けるのさ。




この冒険で参照した、知の古地図

今回のハントで、ボクが道しるべにした偉大な知の冒険者たちと、彼らが残した地図(文献)を記しておく。このリスト自体が、新たな不思議への入り口になるかもしれない。

  • 次元の寓話: Abbott, E.A. (1884). Flatland: A Romance of Many Dimensions.

  • 第一の道具: Aristotle. (c. 4th century BCE). Organon.

  • 第二の道具: Bacon, F. (1620). Novum Organum.

  • 第三の道具への示唆: Ouspensky, P.D. (1912). Tertium Organum.

  • アブダクションの提唱者: Peirce, C.S. (1903). Pragmatism and Abduction.

  • パラダイムシフトの探求者: Kuhn, T.S. (1962). The Structure of Scientific Revolutions.

  • ホログラフィック原理の先駆者: 't Hooft, G. (1993); Susskind, L. (1995).

  • 幻影(マーヤ)の概念: Rigveda; Upanishad; Śaṅkara.

  • 愛のパラドックス: Plato. (c. 360 BCE). Symposium; Saṃyutta Nikāya.

  • AdS/CFT対応: Maldacena, J. (1998).


【注記】
この物語は次の書籍へのオマージュ、リスペクト、インスパイアとして作成されました。

1)奇蹟を求めて: グルジェフの神秘宇宙論
2)ターシャム・オルガヌム:第三の思考規範 世界の謎の鍵へ
3)新しい宇宙像(上/下)
P.D.ウスペンスキー

二次元の世界:平面の国のふしぎな物語(ブルーバックス315)
E・A・アボット

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