第三の波とメガトレンド:20世紀から見た未来の地図(1.1万文字)
第三の波とメガトレンド:20世紀から見た未来の地図
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【注釈】本稿は、筆者個人による調査・読解・考察をもとに構成されたものであり、筆者は本稿で扱う分野における専門家ではありません。内容の作成にあっては、公開されている資料の参照や、近年一般化している人工知能を用いた情報収集・整理・ファクトチェックを活用していますが、それらはあくまで理解を助ける補助的な手段であり、記載内容の正確性・完全性・最新性を保証するものではありません。本稿には、事実として確認可能な情報の紹介に加え、比喩的表現、仮説的な推論、個人的な解釈や読み替えが含まれています。これらは特定の立場や結論を断定する意図によるものではなく、読者に思考の材料を提供することを目的としています。最終的な判断や解釈については、必ず一次資料や他の視点も参照したうえで、読者自身で行ってください。また、本稿では、アルビン・トフラーの『第三の波』、ジョン・ネイスビッツの『メガトレンド』、ジェシカ・リップナックとジェフリー・スタンプスの『ネットワーキング』、ダニエル・ピンクの『ハイ・コンセプト』、大前研一の『新版 第4の波』、そしてユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』および『ホモ・デウス』について、その核心的な内容に深く触れています。もし作品を未体験の方で、先入観なく享受されたい場合は、必ず先に作品そのものに触れてから、本稿をお読みください。
1. 昭和のメディアとCIAの影
筆者が記憶している昭和という時代は、書籍主導型の文化圏を形成していた。あるいは、主要な広告メディアがテレビ主導の時代と言い換えてもいい。テレビで大衆のトレンドを創り出し、書籍で社会証明の基軸となる産業圏、学術圏、イデオロギーのバックボーンを強固に固めていく。そういう時代が確かに存在したのである。
旧約聖書の『伝道の書(コヘレトの言葉)』第1章9節には、「かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何一つない」と記されている。紀元前に記されたこの言葉が示す通り、人間の営みの本質は変わらないのかもしれない。しかし、昭和後期の日本において、筆者の目に映った景色は、かつてないほどの激しい変化の兆しを含んでいた。
当時はまだ新聞もメディアとして、世論形成の絶対的な主役であった。いや、国家そのものと換言してもよかった。なにせ、米国のCIA(中央情報局)が東京に拠点(東京支局/ステーション)を置いていたことをうかがわせる公開記録が存在するのだから。
この事実は長らく公然の秘密とされてきたが、2025年3月18日に公開されたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件に関連する記録、いわゆる「ケネディ文書」によって、改めて注目されることとなった。公開を受け、米情報機関の対日活動や、東京に置かれていた拠点の実態をめぐる議論が再燃したのである。もっとも、そこで取り沙汰されている個別の所在地については、報道や論者のあいだで見解が分かれている。東京都港区虎ノ門の「共同通信会館」の5階や、千代田区大手町の「旧サンケイビル(産経新聞東京本社ビル)」などの名が挙げられることはあるものの、公開資料の解釈にはなお幅があり、現時点で特定の場所を断定的に述べる段階にはない。さらに、公開文書の伏せ字部分についても、その後の読解や照合によって解釈がかなり進んだとする見方はあるが、それらをそのまま確定情報として扱うことには慎重であるべきだろう。本稿では、在京拠点の存在をうかがわせる公開記録が出てきたこと自体は重く見つつも、個別の所在地や伏せ字箇所の読み解きについては、なお議論の余地を残す論点として位置づけておきたい。
当時のCIAは、日本国内における左翼勢力の弱体化や親米世論の形成を目的として、秘密工作や情報操作を積極的に行っていたとされる。日本の報道機関全体が組織ぐるみで動いていたわけではないが、一部の有力な経営者やジャーナリストを協力者として取り込み、メディアを通じて大衆の心理をコントロールしようとしていたのである。1995年の報道状況も背景に、1996年当時の在日米側は、CIAステーションの存在に触れる公開自体に強く反対していた経緯も記録に残されている。
このように、報道機関のすぐそばで大国による巧妙な情報戦が繰り広げられていた。そのような大国の政治的意図や影響がどこまで深く及んでいたかはさておいて、当時紹介された世界情勢に関わる代表的な書籍によって、米国はもとより、日本にまでその新しい時代の潮流が大きく流れ込んできた。
本稿では、当時の社会に多大な影響を与え、現代の礎となった未来予測の書を、年代順に紐解いていきたい。
2. トフラー『第三の波』
1980年に発表されたアルビン・トフラーの『第三の波』(原題: The Third Wave)は、人類の歴史を巨大な変革のうねりである「波」として定義し、文明の交代劇を鮮やかに描き出した名著である。本書は、新しい文明の波が古い文明の波を上書きし、社会構造、経済、家族のあり方、さらには私たちの精神構造までも根本から変えていくプロセスを詳細に記述している。本稿で取り上げる著作のなかでも、文明全体を見渡す最もマクロな視点を提供している。
トフラーは、人類史を捉える三つの波という概念を提唱した。
第一の波は、約1万年前から始まった農業革命による農耕社会への移行である。それまでの狩猟採集という移動型の生活から定住へと変化し、家族単位での自給自足が中心となる社会が形成された。この第一の波の時代にあって、人々の移動手段は徒歩や馬車に限られ、遠方へと思いを馳せる手紙もすべて手書きによるしかなかった。宗教的な真理を伝える聖書でさえ、修道院における修道士たちの途方もない労力による写経によって、細々と継承されていたのである。また、国家間の覇権を争う戦争も、剣と矢、鉾と盾が交錯する局地的な肉弾戦が主流であった。この波は数千年をかけて地球上に広がった。
第二の波は、17世紀後半から始まった産業革命による産業社会への移行である。機械化による大量生産と大量消費が始まり、それまでの職住一体の生活を破壊して職住分離を引き起こした。化石燃料をエネルギー源とし、規格化された製品と教育が社会を支配した。この第二の波は、人類の生活様式と精神世界を劇的に一変させた。蒸気機関を端緒とする鉄道網の敷設によって大陸間を横断する高速移動が可能となり、グーテンベルクの活版印刷技術(1450年頃)から飛躍的に発展した輪転機によって、出版された書籍の大規模な大量配布が実現したのである。注目すべきは、この技術的恩恵がクリスチャンと聖書の歴史にも決定的な変革を与えたことだ。神の言葉が特権階級の独占物から大衆へと解放され、誰もが母国語で印刷された聖書を手にできるようになった。その結果として宗教改革の火蓋が切られ、プロテスタントという新たな信仰のうねりが生まれたのである。しかし一方で、戦争の形態も恐るべき進化を遂げた。火薬を用いた鉄砲や大砲から始まり、近代的な戦車やミサイルといった大量破壊兵器の応酬を経て、最終的には人類そのものを滅亡させかねない核兵器という、決して触れてはいけない禁忌にまで人間は到達してしまったのである。
第三の波は、20世紀半ばから始まった情報革命による情報化社会への移行である。コンピューターと通信技術が核となり、産業社会の論理を破壊しながら新しい文明を築いている。情報の価値が物質やエネルギーを凌駕し、非中央集権的な社会へと変貌を遂げている。
トフラーは、産業社会(第二の波)を支える六つの原理を整理した。これらは、私たちの社会の基盤を規定してきた。
第一は規格化である。同じ製品、同じ教育、同じ手順を良しとする考え方である。
第二は専門化であり、労働を細分化し、特定のスキルに特化させる仕組みを指す。
第三は同時化である。ベルや時計の合図で、全員が一斉に働き、一斉に休む時間管理である。
第四は集中化であり、巨大な工場や大都市へ、人、物、資本を一点に集める傾向を強めた。
第五は極大化である。規模の経済を追求し、大きいことこそが価値であるとする拡大志向である。
第六は中央集権化であり、ピラミッド型の組織構造により、トップがすべてを決定する管理体制を構築した。
第三の波がもたらした社会変革の核心は、産業社会の「大量(マス)」からの脱却にある。
メディアや製品が多様化し、個人の嗜好に合わせた情報提供や生産が行われる「非マス化」が進展する。また、消費者が自ら生産者としての役割も果たす「生産消費者」、すなわち「プロシューマー」という存在が重要になる。さらに、通信技術の発達により、職場が家庭に戻る在宅勤務の形態である「エレクトロニック・コテージ」が普及すると予見した。これらにより、巨大な権力が解体され、小さなコミュニティやネットワークが力を持つ「分散化」が加速する。
本書の功績とメリットは、その圧倒的な先見性にある。インターネットが一般に普及するはるか前に、現在のリモートワークやSNSによる発信、多品種少量生産の重要性を完璧に言い当てた。また、複雑な歴史を「三つの波」というシンプルな対比で整理した強力なフレームワークは、一般の人々が社会の大きな流れを直感的に理解することを助けた。さらに、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズといったITの先駆者のみならず、各国の政治指導者に「情報の価値」を再認識させ、政策の指針を与えた影響力は計り知れない。「プロシューマー」などの新しい概念を提示し、言語化したことも大きなメリットである。
一方で、現代の公正な目線からは批判的な視点も存在する。
一つは技術楽観主義への偏りである。情報化が進めば社会はより良く、自由になると信じすぎていた側面があり、実際には監視社会の構築やデジタル格差といった負の側面が深刻化している。
また、新たな中央集権の出現も指摘される。トフラーは中央集権が崩壊すると予測したが、現実には巨大プラットフォーム企業による、産業時代とは異なる形での情報の独占が起きている。
さらに、西洋中心的な進歩史観への批判や、在宅勤務による人間関係の希薄化への過小評価といった課題も残されている。
3. ネイスビッツ『メガトレンド』
1982年に発表されたジョン・ネイスビッツの『メガトレンド』(原題: Megatrends)は、単なる未来の予想図ではなく、当時の社会がどのような変化の渦中にあるかを浮き彫りにした知の体系である。彼は未来を予測するために、全米各地の数千に及ぶ地方新聞の記事を詳細に追跡する「内容分析」という独自の手法を採用し、社会の底流で起きている構造的な変化を的確に捉えた。流行のような一時的な現象ではなく、社会の深層で進行する確実な潮流を見出したのである。
本書で提示された10の潮流は、現代社会の基礎となる概念を数多く含んでいる。
第一に、工業社会から情報社会への移行である。経済の主軸がモノの製造から、知識や情報の生成と流通へ移行するという予測である。
第二に、強制された技術からハイテク・ハイタッチへの移行である。技術が高度化するほど、人間は対面での接触や精神的な充足を求めるようになるという法則だ。
第三に、国内経済から世界経済への移行である。国家単位の経済活動は終わり、地球規模での相互依存が進むグローバル化を指す。
第四に、短期から長期への移行である。目先の利益だけでなく、長期的な視点に立った戦略の重要性が増すと説いた。
第五に、中央集権から地方分権への移行である。巨大な政府や組織による統治から、地域や個別のコミュニティへの権限委譲が進む。
第六に、制度的救済から自助への移行である。国や企業に依存するのではなく、個人が自らの責任で管理する時代への変化である。
第七に、代表民主主義から参加型民主主義への移行である。市民が直接意思決定のプロセスに関与する動きが強まる。
第八に、階層秩序からネットワークへの移行である。上意下達のピラミッド型組織から、水平的なつながりへと組織の形が変わる。
第九に、北から南への移行である。人口と富が、旧来の工業地帯から新しい成長地域へと移動する現象を捉えた。
第十に、二者択一から多様な選択への移行である。個人の選択肢が爆発的に増える社会を予測した。
この著作のメリットと歴史的功績は、圧倒的な先見性に集約される。インターネット普及以前に情報社会やグローバル経済の本質を突いた驚異的な的中率である。「ハイテク・ハイタッチ」という概念は、現代のデジタル技術と人間性の調和を考える上で今なお不可欠な視点となっている。ビジネス戦略への影響も大きく、世界中の経営者に、社会の大きな変化に合わせて事業を定義し直すことの重要性を浸透させた。
一方で、デメリットと批判的見地も存在する。
一つは楽観主義への偏りである。変化がもたらす恩恵を強調するあまり、格差の拡大やプライバシーの侵害といった技術や経済成長の負の側面に対する考察が不十分であった。
二つ目に、地政学的な対立の過小評価である。経済がグローバル化すれば世界は一つになると説いたが、実際にはナショナリズムの台頭という事態が再燃した。
三つ目に、環境問題の欠落である。現代の最大の課題である気候変動や資源の制約については、当時の分析の主眼には置かれていなかった。
ジョン・ネイスビッツ氏は、2021年に92歳でこの世を去った。彼は晩年まで中国の台頭やアジアの世紀といった新たな潮流を追い続けた。彼の仕事は、私たちが今どのような時代を生きているのかを自覚させることにあった。彼が示したトレンドの多くは、現代においてはもはや「予測」ではなく、私たちが活動するための「前提」となっている。
4. リップナック夫妻と竹村健一
1984年に(邦訳が)出版されたジェシカ・リップナックとジェフリー・スタンプスの夫妻による『ネットワーキング。ヨコ型情報社会への潮流』(原題: Networking)は、通信技術の解説にとどまらず、人類がどのように繋がり、組織を作っていくべきかという新しい社会の設計図を提示した。この思想は、ピラミッド型のタテ社会から、自律した個がつながるヨコ社会への転換を説く画期的なものであった。
著者たちは、優れたネットワーク組織には共通する5つの特徴があると説いた。
第一に、共通の目的である。参加者が何のために集まっているのかという明確なビジョンがあることを指す。
第二に、自律的なメンバーである。組織に依存せず、自分自身で立っている個人が参加していることである。
第三に、多重のリンクである。特定の誰かを経由しなくても、多様なルートで情報が流れることである。
第四に、分散したリーダーシップである。一人のカリスマが支配するのではなく、必要に応じて誰もが先頭に立てることを指す。
第五に、重層的な構造である。ネットワークの中にさらに小さなネットワークが存在し、入れ子状になっている構造である。
この本の内容を日本で最も強力に推進し、お茶の間やビジネス界に浸透させたのが竹村健一氏である。竹村氏は「ネットワーキング研究会」を主宰し、異業種交流の場を数多く提供した。竹村氏の影響力は絶大であり、彼のパイプをくゆらせながら「大体ね」と切り出す独特の語り口とともに、新しい時代の知恵を日本人に届けた。
竹村健一氏は、テレビ番組「竹村健一の世相を斬る」や数々の企業コマーシャルに出演し、「日本の常識は世界の非常識」といった名言で当時の社会に強烈なインパクトを与えた。親しみやすい関西弁の語り口はお茶の間の人気を集める一方で、彼の背後には深い教養と鋭い国際感覚が横たわっていた。彼は単なるテレビの評論家にとどまらず、最先端の思想を日本の風土に合わせて翻訳し、大衆に伝道する類まれな役割を担っていたのである。
竹村氏が主宰した「ネットワーキング研究会」は、終身雇用と年功序列という日本型の企業風土に浸かりきっていたビジネスマンたちに対する、一種の精神的な道場のようなものであった。彼が「会社の名刺ではなく、個人の名刺を持て」と強く呼びかけたことは、当時のサラリーマンにとって、文字通り天地がひっくり返るような衝撃であった。会社の看板を外した一人の人間として、自分の価値を社会に問うことができるのか。この問いかけは、組織への帰属意識に縛られていた人々に、個人の自律を促す強いメッセージとなった。
さらに竹村氏は、情報を独占するのではなく、自分から積極的に発信することで、より質が高く有益な情報を引き寄せるという「情報の受発信理論」を提唱した。惜しみなく他者に与えることで、結果的にネットワーク全体が豊かになり、自分自身も恩恵を受けるというこの精神は、竹村氏の精力的な活動を通じて多くの人々の血肉となった。
このムーブメントがもたらした最大のメリットは、個人の自律を促したことである。組織の壁を越えて対等に語り合うヨコ型のコミュニケーションは、新しいビジネスのアイデアや社会活動を生む豊かな土壌となった。竹村氏が蒔いた「個の時代」の種は、インターネット普及以前の日本において、情報の共有という新しい価値観を定着させる大きな役割を果たした。
一方で、いくつかの負の側面も指摘された。最も大きな問題は、言葉の混同である。「ネットワーキング」という言葉が、マルチ商法を指すネットワークビジネスという用語と混同され、不適切な勧誘の口実に悪用されるケースがあった。また、人脈作りが目的化してしまい、表面的な名刺交換ばかりが増えて実質的な成果が伴わないといった批判もあった。一部の層からは、既存の信頼関係を利害関係に変えてしまう手法であるという道徳的な反発も存在した。
リップナック夫妻はその後も、場所を選ばない働き方である「バーチャルチーム」の権威として活躍した。竹村健一氏が主導した熱狂的なネットワーキングの運動は、形を変えながら現代のフリーランスや起業家、オンラインコミュニティの活動の中に脈々と息づいている。
5. ピンク『ハイ・コンセプト』
2005年に米国で発表され、翌2006年に大前研一氏の翻訳によって日本に紹介されたダニエル・ピンクの『ハイ・コンセプト』(原題: A Whole New Mind)は、過去の未来予測とは決定的な違いを持つ新しい見取り図を提示した。それは、情報の時代から「概念の時代(コンセプトの時代)」への移行を力強く説くものであった。
ピンク氏は、論理的で分析的な左脳型のスキルは、低賃金国へのアウトソーシングや、急速に進化する人工知能によっていずれ代替されると予見した。そこで人間が生き残るために必要なのは、機械には決して模倣できない右脳型の資質であると主張した。具体的には、共感、デザイン、物語といった、人間の内面や感性に根ざした能力を指す。
トフラーやネイスビッツが予測を行った1980年代においては、論理的思考やデータの処理こそが高度な特殊技能であり、付加価値の最大の源泉であった。彼らは知識労働者を社会の主役として称賛した。しかし、物質が飽和し、効率性が極限まで追求された現代社会においては、消費者は単なる機能的な利便性ではなく、そこに込められた物語や意味を求めるようになっている。情報の伝達という物理的かつ論理的な価値から、意味の創造という精神的価値への転換が宣言されたのである。
6. 大前研一『第4の波』
大前研一氏は、ダニエル・ピンク氏が予見した感性の重要性に深く共鳴しつつ、近年の著作『新版 第4の波』等において、現代の人工知能やスマートフォンがもたらす巨大な革命を「第4の波」として再定義した。トフラーが提唱した第三の波がインターネットによって極限まで深化し、人工知能が人間の左脳的な業務を完全に代替しつつある現在、人間が担うべき役割は根本から問い直されている。
大前氏は、ピンク氏の理論をより実務的かつ技術的な文脈でアップデートした。あらゆる知識労働さえも人工知能がやすやすと代替する時代においては、もはや知識の蓄積だけではいかなる価値も生み出せない。現代において真に求められるのは、無から有を生み出すゼロイチの構想力である。人工知能は既存のデータを一から百へと拡大することは極めて得意だが、新しいルールそのものを創り出すことはできない。大前氏は、日本社会がいまだに第三の波における効率化や情報化の段階で足踏みしている間に、世界はすでに人工知能を使いこなし、人間にしかできない構想を描く第4の波へと突入していると強い危機感をもって警告している。
さらに大前氏は、人工知能によって生み出された余暇、すなわちアイドルタイムをいかにして付加価値に変えるかというアイドルエコノミーの活用を説いている。労働から解放された時間を新たな創造や精神的な探求に充てる「アイドルエコノミー」の活用こそが、次なる波を乗りこなす鍵となると提唱しているのである。
7. ハラリ『サピエンス全史』
2011年に発表され、2016年に邦訳されたユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』、およびそれに続く『ホモ・デウス』は、人工知能の台頭という文脈において、ピンク氏や大前氏が説いた右脳的資質や構想力の重要性を、人類史という壮大なスケールでアップデートし、世論に多大な影響を与えた。
ハラリ氏は、人工知能が知能の面で人間を追い越す時代にあって、人間に残された最後の砦は「虚構を信じる力(虚構を操る力)」であると喝破した。これは、ピンク氏が説いた物語の重要性を、宗教や国家、貨幣といった人類を広域に統合してきた巨大な概念を操る力へと昇華させたものである。
神が全知全能であるように、人工知能があらゆる知識を瞬時に引き出せる現代にあっては、人間が正しい答えを出すことの価値は限りなく無に近づいている。そこで新たに重要となるのが、深淵に向かって意志や好奇心に基づいた「問いを立てる力」である。何を解決すべきか、何が人間の心を打つのかという、機械には持ち得ない意志こそが新たな価値の源泉となる。
また、文章や絵画の表現スキルそのものは人工知能が容易に代替できるため、大量の生成物の中から真に美しいものを見極める審美眼やキュレーション能力が問われる。さらに、社会の効率化が極まるほど、人々は人工的でない不完全なもの、すなわちその人の実体験や身体性に裏打ちされた泥臭い真実味を強烈に求めるようになる。不完全だが真実味のある実体験や身体性に裏打ちされたストーリーこそが、人々が強烈に求める価値の源泉となるのである。
8. 複数の知見の統合的考察
これまで見てきた1980年代の三つの著作は、いずれも激動の入り口において、未来を鮮やかに予見していた。アルビン・トフラー、ジョン・ネイスビッツ、そしてリップナック夫妻と竹村健一氏が提示した視点は、互いに補完し合いながら現代社会の輪郭を描き出している。
新約聖書の『マタイによる福音書』第16章3節には、「あなたたちは空の模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしを見分けることはできないのか」というイエス・キリストの厳しい問いかけが記録されている。1980年代の著述家たちは、まさにこの「時代のしるし」を誰よりも早く見分け、私たちに提示してくれた先覚者であった。
1980年の『第三の波』が文明の交代という壮大なマクロの視点を与え、1982年の『メガトレンド』が具体的な社会現象の変化を統計的に裏付け、そして1984年の『ネットワーキング』が個人の繋がり方というミクロの実践論を提示した。この流れを追うことで、私たちは単なる技術革新ではなく、文明、社会、そして組織という多層的なレベルでの変革を理解することができる。
トフラーの説いた「プロシューマー」は現代のSNSにおける発信者として完全に現実のものとなり、ネイスビッツの説いた「ハイテク・ハイタッチ」はデジタル社会における共感価値の爆発として明確に証明された。また、リップナック夫妻と竹村氏が推進した「ヨコ型社会」や、竹村氏が強調した「個人の名刺」を持つという精神は、現代のギグエコノミーにおける働き方やパーソナルブランディングの必須性へと直結している。
しかし、これらの先駆者たちが期待した未来には、新たな課題も生じている。分散化が進む一方で、情報のプラットフォームを握る少数の主体が巨大な権力を持つという逆説的な現象が起きている。ヨコ型の繋がりが広がる一方で、志を同じくする者同士だけで固まる分断の懸念も深まっている。
そして現代、これら1980年代の三つの知見に加え、ピンク氏、大前氏、ハラリ氏が提示した新たな視座を統合することで、私たちの現在地はより一層明確になる。ハラリ氏が指摘するように、知識を持つこと自体が力であった時代は終焉した。トフラーが予見した情報の波は人工知能によって極まり、ネイスビッツが説いたハイタッチの重要性は、虚構や真実味を求める人間の本質へと深く接続されている。私たちは人工知能を強力な道具として使いこなしながら、自らは物語を紡ぐ哲学者であり、新しい概念を提示する芸術家として振る舞わなければならない。
これらの著作を読み解く意義は、単に過去の的中した予言を称えることではない。それらが提示した文明の基盤システムへの洞察を学び、現代の私たちが直面している歪みを修正するための知恵として活用することにある。彼らが描いた、個人が自律し、自由に繋がり、創造性を発揮できる社会。その理想を現代の技術と知見でいかに実現していくか。そのための羅針盤として、これらの知の遺産は今なお鮮烈な輝きを放っている。
ここで突然、聖書の話になることをお許しいただきたい。
旧約聖書の『創世記』第4章には、アダムとエバの長男カインの子孫たちが、人類のさまざまな文明の祖となったことが記されている。弟アベルを殺害したカインは、神から「地をさまよう者(放浪者)となる」という呪いを受けたと記されている(創世記 4:11-12)。しかし、カインはその直後、皮肉にも「エノク」という名の都市を建設した(創世記 4:17)。聖書はカインが都市を建てた事実を淡々と記しているが、これはしばしば、人類が初めて定住生活と都市文明を築いた瞬間であると解釈される。
そして、この都市から、現在の第二次産業の従事者たちの開祖となる者たちが生まれた。カインの末裔であるレメクの子ら、すなわち家畜を飼う者の祖「ヤバル」(創世記 4:20)、竪琴と笛を奏でる者の祖「ユバル」(創世記 4:21)、そして銅や鉄のあらゆる刃物を鍛える者の祖「トバル・カイン」(創世記 4:22)である。彼らは神から直接与えられる実りに頼るのではなく、自らの手で加工し、創造し、組織化することで生き抜く術を確立した。
聖書の記述によれば、カインの子孫たちはノアの洪水によってすべて死に絶えたとされている。ならば、彼らが築いた第二次産業の開祖たちの血脈もそこで途絶えたのだろうか。そうではない。カインとアベルの直系は途絶えたが、アダムとエバの第三子であるセツの子孫が現在の人類の祖先となった。そして驚くべきことに、このセツの系図(創世記 5章)にも、カインの子孫たちと同じ名前(エノクやレメクなど)を持つ者たちが刻まれている。この符合は、アダムとエバから受け継がれた人間の性質が、セツの血筋にも脈々と流れており、カインの子孫と同様の、加工し創造する第二次産業の遺伝子が現代に至るまで継承されていると筆者は読める。
神は悪を創られず、罪も創られなかった。それは被造物である人間の選択によって生じたというのが、一般的なクリスチャンの聖書解釈である。しかし、第二次産業そのものが悪であり罪であるとは、筆者には到底思えない。
つまり、神は人類に、第二の波において輪転機を与えたもうたのである。
第三の波においてインターネットを与えたもうたのである。
そして、第四の波において人工知能を与えたもうたのである。
それらを偶像として崇めるか、あるいは神の恩寵として受け取るかは、ひとえに人間次第である。そうとしか、筆者には思えないのである。かつての先覚者たちが描いた「波」の行き着く先で、筆者は今、カインが直面した「自らの知恵をどう用いるか」という根源的な問いの前に立ち尽くしている。















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