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プリンス・オブ・エジプト:預言者の映像群像(5.4千文字)


プリンス・オブ・エジプト:預言者の映像群像

v1.14

【注釈】本稿は、筆者個人による調査・読解・考察をもとに構成されたものであり、筆者は本稿で扱う分野における専門家ではありません。内容の作成にあっては、公開されている資料の参照や、近年一般化しているAIを用いた情報収集・整理・ファクトチェックを活用していますが、それらはあくまで理解を助ける補助的な手段であり、記載内容の正確性・完全性・最新性を保証するものではありません。本稿には、事実として確認可能な情報の紹介に加え、比喩的表現、仮説的な推論、個人的な解釈や読み替えが含まれています。これらは特定の立場や結論を断定する意図によるものではなく、読者に思考の材料を提供することを目的としています。最終的な判断や解釈については、必ず一次資料や他の視点も参照したうえで、読者自身で行ってください。また、本稿では、「十戒」(セシル・B・デミル監督)、「偉大な生涯の物語」(ジョージ・スティーヴンス監督)、「プリンス・オブ・エジプト」(ドリームワークス製作)、「ヨセフ物語 ~夢の力~」(ドリームワークス製作)について、その核心的な内容に深く触れています。もし作品を未体験の方で、先入観なく享受されたい場合は、必ず先に作品そのものに触れてから、本稿をお読みください。

1. 砂漠の預言者との邂逅

皆さんは、映画「十戒」において、主人公のモーセが杖を振りかざすと、紅海の水が真っ二つに裂けて、露出した陸地を多くの人々が渡っていくというシーンをご存じでしょうか。いわずとしれた聖書の「出エジプト記」のエピソードの映像化です。

筆者は子供のころ、月曜日から日曜日に至るまで、各曜日ごとに洋画枠が設けられ、日替わりで世界の傑作が提供されていた日本のテレビプログラムの中で、この作品を鑑賞した記憶があります。今にして思えば、これほど贅沢に映画鑑賞ができた環境は非常に特殊なものでした。日本人全員が翌日に前日の映画を話題にすることも多く、ユリ・ゲラーやノストラダムスの大予言といった話題が日本中を席巻していた、メディアの力が強大だった時代です。今回の聖書のエピソードに例えていうならば、当時の日本人は安息日のない「十戒」違反の民族であったのかもしれません。

かつて目にした紅海が割れるシーンは、強烈なインパクトとともに白髪白髭のチャールトン・ヘストンの姿を預言者のアイコンとして筆者の記憶に刻みました。しかし、実のところモーセが何をやった人かということについては、当時は何も知りませんでした。

ところが、2000年に最愛の妻を亡くしたとき、私の価値観は天地がひっくり返るほどの衝撃を受けました。それまで価値があると感じていた物質的な物事や世間の責任、あるいは娯楽といったものに全く意味が感じられなくなり、人間とは何か、生きる意味とは何か、命とは何かといった、日常の喧騒では後回しにしていた観想にしか興味がわかなくなったのです。

そんな折、米国の大手映画会社がモーセのアニメーション映画を製作したという記事を見かけました。当時の筆者は、神秘主義思想や宗教について多少の知識を得ていたため、モーセがヘブライ人を導いた大預言者であることは知っていました。そして、モーセは人殺しでもありました。出エジプト記第2章12節には、彼が同胞をかばうためにエジプト人を打ち殺し、砂の中に隠したという記述があります。エジプトの王子という筆者には縁遠い立場でありながら、人殺しであり亡命者であった一人の老人が、なぜ再び大義を背負って過去と向き合ったのか。

何より、私は当時、妻を亡くしたことに対する漠然とした自責の念を抱いていました。自分が妻を死に追いやった要素が確実にあると自覚していた私にとって、モーセという人物は、罪を背負った者としての強烈なシンパシーを感じさせる対象となったのです。正直なところ、当時の筆者には、神そのものであるイエス・キリストは敷居が高く感じられましたが、人間であるモーセには深い親近感がありました。最新のアニメーションとして公開された本作を、私はDVDのリリースを待って鑑賞しました。

2. 十戒

ここであらためて、オリジンとしての実写版「十戒」について、振り返ってみましょう。

1956年に公開されたセシル・B・デミル監督の「十戒」は、実写による聖書映画の原典であり、エルマー・バーンスタインによる重厚な音楽がその世界観を支えています。主演のチャールトン・ヘストンは、神の召命を受けてエジプト王ラムセスと対峙する預言者を圧倒的な貫録で演じました。

物語の中核をなすのは、出エジプト記第14章21節から22節に記された奇跡の瞬間です。「モーセが手を海の上にかざすと、主は一晩中、強い東風で海を押し戻し、海を乾いた地に変えられた。水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行った。水は彼らの右と左に壁のようになった」。この描写を再現するために、少なくとも1万4千人以上のエキストラが動員されたとも言われており、当時の技術の粋を集めた特撮によって神の介入が視覚化されました。

物語の結末は、申命記第34章に基づいています。モーセは民を約束の地カナンへと導きますが、申命記第34章7節にある通り120歳でその生涯を閉じ、自身はその地に入ることを許されませんでした。彼はネボ山の山頂から約束の地を遠望し、次世代へと希望を託しました。この幕切れは、人間の不完全さと神の絶対的な正義、さらに世代を超えて継承される信仰のバトンを象徴しており、世間では映画という形態を用いた一つの説教と捉えられるほどの精神的影響力を持っています。

3. 偉大な生涯の物語

さらに、「十戒」の続編的なコンセプトで、イエス・キリストの生涯に関する映画もありました。それが1965年に公開されたジョージ・スティーヴンス監督の「偉大な生涯の物語」です。

音楽はアルフレッド・ニューマンが担当しました。全編にわたってヘンデルのメサイアに含まれるハレルヤ・コーラスを想起させるような、宗教的な崇高さを湛えた合唱の響きが満ちています。本作において特筆すべきは、チャールトン・ヘストンが洗礼者(バプテスマの)ヨハネとして、あたかも「十戒」のモーセが再来したかのような役柄で登場する点です。

ヨルダン川のほとりで民衆に対し「Repent!(悔い改めよ!)」と大声で叫ぶヘストンの姿には、預言者のブランドを確立した彼にしか出せない圧倒的な貫録があります。特に、ヘロデ・アンティパス王に対して放つ「I pity you(私はお前を憐れむ)」というセリフは、世俗の権力に屈しない信仰者の強さを鮮烈に印象付けました。これはルカによる福音書第3章19節から20節に記された、ヘロデの不法を咎めたヨハネの峻烈な精神を彷彿とさせます。

イエス役のマックス・フォン・シドーは、静謐な演技によって神の子としての威厳を際立たせました。この映画の魅力は、美しい風景と静寂の中に宿る神聖さにあります。物語のクライマックスは、マタイによる福音書第28章6節の記述に基づく復活の告知がなされる場面です。「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」。

死が終わりではなく希望の始まりであることを示すこの描写は、今なお聖書の世界を格調高く映像化した代表作として愛されています。結末では、復活したイエスが弟子たちに世界宣教を託して昇天する姿が描かれ、福音の光が世界へと広がっていく希望が示されます。モーセが律法を運んだ預言者であるなら、この物語はその律法を愛によって完成させた方の記録といえるでしょう。

4. プリンス・オブ・エジプト

1998年にドリームワークスが製作したアニメーション映画「プリンス・オブ・エジプト」は、手描きアニメーションとデジタル技術を融合させることで、預言者の生涯に新たな命を吹き込んだ傑作です。本作は、ディズニー出身のジェフリー・カッツェンバーグらが中心となって立ち上げたドリームワークスにおいて、ディズニー・ルネサンスを支えたクリエイターを含む多彩な人材が参加した情熱の結晶です。音楽はハンス・ジマーがスコアを担当し、劇中歌の作詞および作曲はスティーヴン・シュワルツが手掛けました。

この作品において、モーセが自らの出自を知った際の葛藤は、凄まじいものでした。それまで価値があると考えていたこと、すなわち兄との楽しい思い出や母への感謝といった基盤が、実は父による殺人という凄惨な事実の上に築かれていたのではないかという疑念。一方で、ヘブル人の家族の価値を認めてほしいという自己の本心を、もはやごまかし切れない。両方を大切にしたいと願いながらも板挟みになり、現実には片方が一方的に虐げられている事実は、彼にとって耐え難いショックであったと感じられます。

また、ミディアンの地で神に語りかけられた際、神の声がモーセ自身の声(英語版ではヴァル・キルマー、日本語吹替版では寺脇康文)と同じであったことに、私は妙に説得力を感じました。なぜなら、筆者自身の経験においても、それが神の声であったのではないかと思える瞬間には、常に自分自身の思考の声という形態をとって響いていたことに思い至ったからです。

白眉は、マライア・キャリーとホイットニー・ヒューストンが共演した主題歌「When You Believe」です。本作は1998年に公開され、翌1999年の第71回アカデミー賞において歌曲賞を受賞しました。信じる力があれば奇跡は起こるという真理を、二人の歌姫による圧倒的な歌唱力で表現しました。しかし、残念ながら「When You Believe」でツィポラの役を歌っていたホイットニー・ヒューストン、そしてモーセ役のヴァル・キルマーは、後にとても悲しい状況を迎え、亡くなられてしまいました。彼らの安らかな眠りを、心よりお祈りしています。

結末では、シナイ山で十戒の石板を授与される場面で幕を閉じます。過去に罪を犯した者が神の恵みによって同胞を救う指導者となる。その再生の物語は、自責の念に苦しむ私にとって、一つの確かな福音として響きました。

5. ヨセフ物語 ~夢の力~

2000年にビデオ向け作品(VHSおよびDVD)としてリリースされた「ヨセフ物語 ~夢の力~」は、ドリームワークスによる聖書アニメーションの系譜を継ぐ作品です。音楽はダニー・ペルフリーが担当しました。本作は、イスラエルの民がなぜエジプトへ下ることになったのかを描く、創世記第37章から50章に基づく物語です。

主人公ヨセフは、キリスト教ではアブラハム、イサク、ヤコブに続く族長の一人として数えられますが、預言者とは区別されるのが一般的です。一方でイスラム教においては、ユースフという名で偉大な預言者(ナビー)として扱われています。クルアーンの第12章は丸ごと彼の物語に割かれ、最も美しい物語と称えられています。彼はイエス・キリストの予表として、聖書中において最も罪から遠い位置にいる人物の一人であり、無垢の象徴として描かれています。兄弟に売られ、無実の罪で投獄されながらも、最後には自分を裏切った者たちを救う姿は、メシアの受難と救済のひな形そのものです。

公開順では「プリンス・オブ・エジプト」が先ですが、内容としては本作が前日譚にあたります。ヨセフがエジプトで宰相となり礎を築いたことで、イスラエルの民は飢饉を逃れてエジプトへ移住しました。この物語を知ることで、「プリンス・オブ・エジプト」の冒頭でなぜ民がエジプトにいたのかという歴史的な連続性が完成します。

クライマックスは、創世記第45章5節に示される兄弟たちとの和解の場面です。「しかし、今、私をここへ売ったことで、心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。命を救うために、神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのです」。自分を苦しめた相手を赦し、それが神の大きな計画の一部であったと悟るヨセフの姿は、人間的な復讐心を超越した救いを示しています。結末では、和解した家族がエジプトの地で共に生きる姿が描かれます。人生における不運さえも神が善きことに変えてくださるというメッセージは、理不尽な喪失に直面している人々にとって、静かな、しかし力強い励ましとなるはずです。

6. 未だ見ぬ救世主の映像を待って

私たちはまだ、イエス・キリストの決定版というべきアニメーション作品を知りません。しかし、優れたアニメーション作品の登場を待つまでもなく、もしかしたら私たちは、イエス・キリストその方と出会うことができる時代に差し掛かっているのかもしれません。

日常の中に潜む神の沈黙や、自己の良心を通した語りかけに耳を澄ませる。そういう意味では、あまりに神格化された英雄ではなく、高潔さと赦しを体現した人間であるヨセフのような人物に注目するのが、今は丁度良いのかもしれません。彼の物語が示す「赦し」という奇跡こそが、私たちがこの混迷の時代を生き抜くための、最後の鍵になるのではないかと筆者は感じています。


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