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取り残された人々:ニードルマン氏、サマーズ氏、ブルック氏(1.3万文字)


取り残された人々:ニードルマン氏、サマーズ氏、ブルック氏

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【注釈】本稿は、筆者個人による調査、読解、考察をもとに構成されたものであり、筆者は本稿で扱う分野における専門家ではありません。内容の作成にあっては、公開されている資料の参照や、近年一般化しているAIを用いた情報収集、整理、ファクトチェックを活用していますが、それらはあくまで理解を助ける補助的な手段であり、記載内容の正確性、完全性、最新性を保証するものではありません。本稿には、事実として確認可能な情報の紹介に加え、比喩的表現、仮説的な推論、個人的な解釈や読み替えが含まれています。これらは特定の立場や結論を断定する意図によるものではなく、読者に思考の材料を提供することを目的としています。最終的な判断や解釈については、必ず一次資料や他の視点も参照したうえで、読者自身で行ってください。

1. 現代の実存的な探求

本稿は、私たちが生きる現代社会が直面する意味の喪失という実存的な課題に対し、探求者たちの生涯といかなる視座が提示されうるのかを考察する試みです。

現代の西洋哲学やスピリチュアリティの分野において、ジェイコブ・ニードルマン氏という学者が残した功績は極めて重要です。彼は2007年の著書『Why Can't We Be Good?(なぜ、いい人でいられないの?)』の中で、現代人が道徳的に何が正しいかを知りながらも、それを実際の行動に移すことができないという人間の根本的なジレンマを指摘しました。彼はこの乖離を埋めるためには、単なる倫理的な知識ではなく、自己の機械的な反応を観察し、内面的な良心を目覚めさせるための具体的な努力が必要であると論じました。

演劇の巨匠として知られるピーター・ブルック氏は、人間の意識の変容を舞台芸術の領域から追求しました。彼は『なにもない空間(The Empty Space)』という概念を通じ、演劇を単なる作品制作の場ではなく、注意と身体の関係性を研ぎ澄ますための実験場として再定義しました。彼の探求は、言語や文化の壁を超えて人間の本質的な交流を可能にするための具体的な手法を提示しました。

イギリスにおいて長年精神的な探求のグループを指導したジェフリー・サマーズ氏は、音楽という視点から現代人の意識の状態を問い直しました。2021年に出版された著書『The Sound of the Eternal: The Inner Core of Music』において提示された視点は、現代の意味の喪失という問題に、音の調和という独自のルートから接続しています。彼は現代の西洋音楽で一般的に用いられる平均律が、便宜上の理由からすべての音を自然な響きからわずかに狂わせている構造を指摘しました。これが現代人が本来の全体性や内なる真実を見失っている状態のメタファーであると彼は論じています。

2022年にはジェイコブ・ニードルマン氏とピーター・ブルック氏がこの世を去り、ジェフリー・サマーズ氏もまた近年この世を去りました。彼らの不在は、現代における探求の一つの時代が終わりを迎えたことを強く印象づけます。彼らはそれぞれ、哲学、演劇、音楽という異なる入口から探求を深めながらも、いずれも知性・感情・身体を分離させない全人的な探求者でありました。三氏の違いは、人間の三つの中心を分担するような違いではなく、同じ全体性へ向かうための入口や表現媒体の違いとして理解されるべきものです。彼らの探求の遥かな源流には、初期キリスト教の神秘家たちが描いた、言葉や教義を超えた神秘へと至る壮大な旅路が存在します。これらの知識が私たちの現実の苦悩とどう関係するのか、その結びつきを本稿は探ります。魂の不動の平静(アパテイア)を語る言葉が日々の不安に苛まれる心にどう届くのか、宇宙の調和を説く音楽が理不尽な暴力が支配する世界でいかなる実効性を持つのか。さらに、ピーター・ブルック氏の演劇空間が、俳優と観客のあいだに生きた関係を立ち上げる実験場として、この問いにどう応答したのか。本稿は、理想と現実の緊張関係を見据え、彼らが探求した軌跡を学術情報と個人の体験の中から再構築しようとするものです。

こうした問題は、筆者にとって実際の体験を通じて刻まれた主題です。実際のグループとの接触、ロンドンを中心とする体験、およびそこから見えてきた継承と変容の問題として、身をもって経験してきたものでした。その具体的な経緯については、まず次章で整理しておきます。

2. 筆者の自己認識への旅路

本稿の視点がどこから生まれているのかを明確にするために、まず筆者自身の経緯を記しておきます。以下に述べる体験は、本稿で取り上げる人物や出来事を読み解くための座標軸となります。後に取り上げるジェイコブ・ニードルマン氏、ジェフリー・サマーズ氏、ピーター・ブルック氏、およびロンドンやニューヨークのグループをどう読むかという、本稿全体の座標軸そのものです。

筆者は20代半ばの頃、ゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジェフ氏の著作に出会い、それが世界の真実であると100パーセント受容してしまった人間です。それは魂の深淵を焼き尽くすような衝撃でありました。しかし、筆者はその後の長い年月、現実のグループにコンタクトを取る勇気を持てませんでした。ゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジェフ氏の書籍に描かれるメンバーは超エリートばかりであり、何のウリもない自分がその門を叩いても、門前払いを食らうに違いないという劣等感に苛まれていたからです。妻が亡くなった数年後、自らの人生の終わりを自覚し始めた筆者は、アラビア語やヘブライ語、サンスクリット語を学び、聖典を原典で読む準備を始めていました。

思想の箱舟たちの伝播ルートを辿るうちに、現代人が世界遺産や観光名所に対して、それらの思想の箱舟に蓋を閉じたまま、観光物産的な食文化や建造物だけを外面的な鑑賞物として楽しんでいる現状に、強い違和感を抱いていました。そんな折、広告の気配が全くないグループのウェブサイトに、本物の予感を得ていたのです。妻が亡くなって5年後の2006年の冬、筆者は初めてグループに接触しました。長年の劣等感が、喪失という衝撃によって砕かれたのです。水が堰を越えるのではなく、堰そのものが崩れるような感覚でした。近隣のメンバーとの対面ミーティング、メールによるリモートセッション、および年に1度のリトリート合宿。ロンドンのブランチに連なるその場所で、筆者は初めて同じ問いを持つ者たちの中に座りました。それは本物でした。少なくとも、筆者にとってはそう感じられたのです。2022年、長年グループを支えてきた中心的な人物が逝去に近づきつつあった頃、筆者はグループの膠着を感じ始めました。

この時点で筆者の中に生まれていた問いは、その後に出会い直す思想家や実践者たちの意味を決定づけることになります。以下では、そうした問いを照らす存在として、まずジェイコブ・ニードルマン氏から見ていきます。

3. ジェイコブ・ニードルマン氏

ジェイコブ・ニードルマン氏(Jacob Needleman, 1934年から2022年)は、アメリカの哲学者、宗教学者であり、サンフランシスコ州立大学で長年教鞭をとりました。彼はハーバード大学・イェール大学・フライブルク大学で教育を受けたアカデミックな哲学者でありながら、東洋思想や秘教的な精神的伝統を西洋哲学の言葉で翻訳し、現代人の実存的な問題に接続させるという独自の領域を開拓しました。

彼のキャリアと思想は、アメリカの精神的風土の変化と共に、以下の3つの時期に大別されます。

(1) 思想の変遷
・初期(1970年代):アメリカの精神的風景の分析を行い、禅、チベット仏教、スーフィズム、あるいはグルジェフの教えなどが、なぜ伝統的な西洋宗教では満たされなかった精神的な渇望に応えているのかを分析しました。彼は「新しい宗教運動(new religious movements)」という言葉を広め、これらが西洋文明が直面する意味の危機への真摯な反応であることを論じました。著書『The New Religions』(1970年)は、アメリカの代替スピリチュアリティ研究における初期の重要著作の1つとしばしばみなされます。また『A Sense of the Cosmos』(1975年)(1)では、近代科学が宇宙を死んだ機械に変えてしまったことによる意味の喪失を指摘しました。
・中期(1980年代から1990年代):失われた内面の探求と日常生活へと関心が向かいました。『Lost Christianity』(1980年)(2)では現代のキリスト教が内面的な変革のための具体的な道筋(ワーク)を失ってしまったのではないかと問いかけ、中間レベルの知恵の必要性を、架空の師シルヴァン神父(Father Sylvan / Sylvain)を通じて描きました。また『The Heart of Philosophy』(1982年)では哲学をソクラテス的な生きるための知恵へと引き戻そうとし、『Money and the Meaning of Life』(1991年)(3)ではお金という世俗的テーマを自己認識の鍵として論じました。
・後期(2000年代以降):根源的な道徳と実存への回帰として、『Why Can't We Be Good?』(2007年)で人間の根本的なジレンマに焦点を当て、倫理的知識だけでは不十分であり、内面的な良心や気づきの働きが必要であると論じました。2009年には『What Is God?』で神という概念を哲学的な問いとして再生させようとし、また自身の思想的基盤の1つであるゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジェフ氏の教えについて『Introduction to the Gurdjieff Work』を執筆しました。

(2) 精神的成長の段階を象徴する機能的な役割
本稿では、特に『Lost Christianity』を読むにあたり、精神的成長の段階を象徴する機能的な役割として、以下の4つに整理して理解することができると考えています。
・大学生(Seeker / Student):知識はあるが人生経験の浅い、直接的な体験を渇望する純粋な問いを持つ者。
・社会人(Ordinary Man / Outer Man):現代社会で責任を果たしているが、内面的な変革の技術を失い、お金への執着や虚しさに縛られ、矛盾に苦しむ人々。
・達人(Master / True Teacher):シルヴァン神父のように、アパテイアを体現し、教義ではなく存在によって真実を示す者。
・師範代(Intermediary / Senior Pupil):達人の教えを噛み砕き、具体的なワークのやり方を指導し、探求者と達人の間を繋ぐ現場の指導者。

(3) 参照された古代の知恵
・ヘルメス主義:神が人間に理性(ロゴス)を与えましたが、人間がそれをエゴのために使い真理を覆い隠してしまったという言葉の失敗を問い直す源流です。またエメラルド・タブレット(後代に As above, so below として知られる法則を含む)など、ミクロコスモスとマクロコスモスの照応を説く教えを重視しました。
・オシリス神話:無意識の力によって意識がバラバラにされた断片化の状態と、意識的な努力による統合(再生)の普遍的なメタファーとして、エジプトの神話を解釈しました。
・アトランティス:プラトン氏が『ティマイオス』などで記述した、意識が完全であった黄金時代の象徴、あるいは失われた最高の知恵への探求の象徴に着目しました。
・偽ディオニシウス文書:天使の九階級(セラフィム、ケルビムなど)や教会の位階制度を理論化し、神を否定していく手法を通して神の神秘に近づくアプローチを確立した否定神学の伝統を、言葉の失敗を乗り越えるための道筋として再評価しました。

事実は冷徹です。2022年、探求者がこの世を去りました。ジェイコブ・ニードルマン氏(2022年11月28日逝去)は、哲学の領域から、現代人の理知と失われた精神性を繋ぎました。ただし、その哲学は単なる知的思弁ではありませんでした。良心、注意、自己観察、身体的な気づきを含む、知性・感情・身体を分離させない全人的な探求として展開されたものでした。彼の探求は、古代の知恵を現代の言葉で問い直し、アカデミズムと実存的な探求を統合する試みでした。この喪失が私に意味したものは、1つの時代の探求が完了し、師を失った私たちは、彼らが遺した地図の断片だけを頼りに、自らの足で進まねばならないという宣告です。筆者にとってジェイコブ・ニードルマン氏の意義は、失われた精神性を単なる懐古ではなく、現代人の実存的な課題として再提示した点にあります。そのことが、筆者自身の経験を思想として読み直すための足場となりました。

4. ピーター・ブルック氏

ピーター・ブルック氏(1925年から2022年7月2日逝去)は、演劇の巨匠であり、演劇という場を通じて、知性・感情・身体が同時に働く人間存在の全体性を探求しました。

(1) 演劇の四分類
『なにもない空間(The Empty Space)』において、演劇を以下の四分類して提示しました。
・死に絶えた演劇(Deadly Theatre):生命力を失い、形式だけを模倣する演劇。
・聖なる演劇(Holy Theatre):目に見えないものを目に見えるようにする演劇。
・ざらざらした演劇(Rough Theatre):日常生活の荒々しい現実をそのまま舞台に載せる演劇。
・直接的な演劇(Immediate Theatre):俳優と観客の間に生きた関係を立ち上げる、その瞬間限りの演劇。

(2) 実践の場としての演劇
彼は空虚な舞台を、俳優と観客のあいだに立ち上がる生きた関係としての空間理解として深く追求しました。国際演劇研究センター(CIRT)設立以降は、言語や文化を横断する探求を行い、演劇を作品制作にとどまらず、注意、身体、関係性の実験場として捉える視点を実践の中で打ち立てました。また、1979年の映画『注目すべき人々との出会い(Meetings with Remarkable Men)』では、若きゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジェフ氏の求道の旅を映像化し、その精神的探求を深く受容し作品に反映させています。

(3) 映像作品にみる実践の気配
ドキュメンタリー映画『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』(原題 The Tightrope)は、ピーター・ブルック氏本人や笈田ヨシ氏らが参加した2週間のワークショップを記録したものです。床に引かれた見えない綱を渡るタイトロープのエクササイズを通じて、注意・身体・想像力・関係の立ち上がりを具体的に示しています。筆者にとって印象的であったのは、この作品の内容と陰影が、かつて経験したロンドングループの空気と大いに共通していたことです。そこには、単なる技法の伝達ではなく、場そのものの質によって人間の在り方を問う実践の気配が確かに記録されていました。

ジェイコブ・ニードルマン氏とピーター・ブルック氏の接点は、現代人が直面する意味の喪失に対して、哲学と演劇という異なる入口から、それぞれが全人的に応答したという点にあります。ピーター・ブルック氏の仕事が本稿で重要なのは、真実が教義や理論だけでなく、関係の場そのものに立ち上がりうることを示しているからです。これは、筆者が後に経験したグループの空気や場の質を考えるうえでも、決定的な視点となります。

5. ジェフリー・サマーズ氏

ジェフリー・サマーズ氏(Jeffrey Somers)は、Gurdjieff Society of Japanを創設し、日本で30年以上にわたり指導的役割を果たした人物です。彼は、音楽、身体、沈黙、関係性を通じて、知性・感情・身体が分離しない探求の場を体現した人物でした。

(1) 師との出会い
筆者が人生で初めて師と呼べる存在に出会ったと感じたのは、ジェフリー・サマーズ氏とその妻である信子氏でした。信子氏もまた大変優しく、筆者の探求を支えてくれました。ジェフリー・サマーズ氏はピーター・ブルック氏にも通じる無駄のない静寂を体現しており、そのプレゼンスは魂の変容を促す磁場のようでした。

(2) 互いを否定し続けるワーク
ジェイコブ・ニードルマン氏との若き日のエピソード、すなわち互いを否定し続けるというワークは、心地よい共感ではなく、痛みを伴う摩擦の中にこそ真実が生まれるという、この探求の厳しさを示しています。筆者が本人から直接聴取したエピソードによれば、この二人は互いのエゴを削ぎ落とすための砥石のような関係であったといいます。

(3) 音楽を通じた意識の調律
主著『The Sound of the Eternal: The Inner Core of Music』(4)において、現代の平均律が便宜上の理由からすべての音を自然な響きからわずかに狂わせている構造を指摘しました。
・平均律:本来の全体性を失い、すべてがわずかにずれた状態で生きている現代人のメタファー。
・自然音階:完全な調和を持ち、人間の最も内奥に触れ、意識を覚醒させる力を持つ東洋や古代の音階。
・現代における自然音階の再発見と意識の変容:フラメンコとエジプト音楽の文化的な影響関係や、ロマが彼ら自身の自己呼称として広く用いられる歴史的な背景を明らかにしました。

(4) 共通する実践の問い
『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』に現れるタイトロープのエクササイズは、ジェフリー・サマーズ氏のリトリートでも実施されたアクティビティでありました。ブルック氏の実践とサマーズ氏のリトリートが、注意・身体・関係の質をめぐる同質の問いを共有していたことを、映像を通してあらためて確認させるものでもありました。

ジェフリー・サマーズ氏もまた近年、この世を去りました。これは一つの探求の時代が完了したことを象徴する出来事でした。ジェフリー・サマーズ氏の存在は、筆者にとって理論の正しさを超えた次元で、探求が人の在り方そのものに宿りうることを示すものでした。ゆえに本稿におけるこの記述には、紹介にとどまらず、証言としての意味も込められています。

6. ロンドンおよびニューヨークの活動

この章では、筆者がロンドンを中心とする体験の延長として、ニューヨークを中心とするグループに一時的に接した経緯と、そのなかで自分に何が起きたのかを整理します。ここで述べるのは、あくまで筆者の受け止めと限界についてであり、グループそのものを否定する意図はありません。

ゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジェフ氏の没後、各地のグループはそれぞれのかたちで伝統の維持に努めてきました。その運営はきわめて厳密なものであり、筆者自身は、その厳密さの前で自分が十分についていけなかったという感覚を持っています。ニューヨークを中心とするグループについて筆者が外側から接した範囲の印象では、そこには新しいワークという概念が提唱されていました。そのあり方は当時の指導層のもとで維持されていたように見受けられました。筆者の主観的な印象として、組織はかつての機動力を維持しつつ、厳格な機構として機能していたように思われます。

筆者は、ロンドンのグループによるリトリートに参加した縁で紹介を受け、一時的にニューヨークを中心とするグループのオンラインセッションに参加する機会を温情で得ました。しかし、その後は筆者自身がついていけず、不参加を選択しました。ゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジェフ氏のワークにおいては、何かを得られるか否かはすべて自己責任であり、得られなかったとしてもそれはまず筆者自身の側の問題として引き受けるほかありません。筆者がかつて感じた当時の指導層らに対する違和感は、自分自身の理解や受容の限界を含めて、なお筆者の側に残った感覚です。こうした出来事をAIという鏡を通じて考察することは、筆者にとって、過去の経験を内面的に整理する試みでもあります。

もし、こうした出来事のなかに継承の流れが含まれていたのだとしたら、筆者はそれをどのように受け止めたらよいのでしょうか。本稿で述べるのは、そのような断定ではなく、経験のあとに残された問いとしての仮説的な思索にすぎません。グループは厳密に運営され、伝統を維持する役割を真剣に担っていたのであり、筆者自身がその厳密さについていけなかったという事実を、本稿は自分の側から引き受けています。

7. ゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジェフ氏のワーク

ここでは、これまでに述べてきた筆者の体験、およびジェイコブ・ニードルマン氏、ジェフリー・サマーズ氏、ピーター・ブルック氏らの探求を踏まえたうえで、筆者にとってワークの何が本質的に見えてきたのかを中間的に整理します。

ショックの重要性は本稿でも留保しておきます。そのうえで本稿が扱うのは、ゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジェフ氏のワークの教義的定義そのものではなく、それが後代の探求者たちにどのように継承され、変容し、経験されたかという軌跡です。

本稿では、ワークにおいては沈黙のなかで自己と向き合う契機が重要であると理解しています。瞑想のような静的な受容もまた、ゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジェフ氏のワークを考えるうえで無視できない要素として位置づけています。ジェイコブ・ニードルマン氏が比較宗教学という知的な枠組みを用いて、大学という公的な場所で存在の問いを投げかけ続けたことは、1つの新しい活動の場でありました。これは、組織を維持するための固定化とは異なる方向性を持ち、目的が終われば解散するという機動性を体現していると解釈できます。

8. 前田樹子氏

ロンドンのグルジェフ・ソサエティでアンリエット・ラヌ氏の系譜に連なる指導を受けた前田樹子氏は、組織が変容していく過程を間近で目撃した1人です。

彼女が『エニアグラム進化論』の末尾に、あえてボリス・ムラヴィエフ氏という組織外の思想家を唐突に持ち出したことは、高度に戦略的な決別宣言であったと筆者は推測しています。当時、組織内でボリス・ムラヴィエフ氏に言及することは、正統な教義に対する挑戦と同義でした。彼女はあえて理解を超えた異端の道を歩む体裁をとることで、グループに残された仲間への影響を最小限に抑え、自らは組織の論理から脱出したのだと解釈できます。前田樹子氏やジェイムズ・ムーア氏に共通しているのは、組織の維持よりも、自らの内側で探求の火を燃やし続けることを最優先したという点であると筆者には見えます。ジェイムズ・ムーア氏も、長年の在籍の末、組織の管理体制を批判して距離を置く道を選びました。

9. ベネットグループ

ゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジェフ氏の弟子であるJ.G.ベネット氏は、ウスペンスキー氏に対して「私はユダになりたい」と語ったといいます。

これは、情報の独占を破り、外の世界に教えの断片を散布する役割を引き受けるという意思表示でありました。J.G.ベネット氏は自ら理解されない役回りを引き受けることで、教えを組織の監視から解放したのだと解釈することも可能です。組織の正統性を盾にして外側を攻撃する役割を演じる人物たちも、また同様です。彼らが批判を繰り返すほど、一部の探求者はこの場所の限界を認識し、外の世界へと目を向けるきっかけを得ます。彼らは、皮肉にも組織の限界を示すゲートキーパーとしての役割を果たしていると筆者は考えています。

10. ロバート・フリップ氏

真の第四の道は、個人がそれぞれのフィールドで注意を練り上げる行為の中にこそ宿ると筆者は考えています。

ロバート・フリップ氏とJ.G.ベネット氏の関係は、この継承と独自の展開を象徴しています。1974年、ロバート・フリップ氏は自身の音楽活動を休止し、J.G.ベネット氏が主宰するイギリスの継続教育国際アカデミー(シャーボーン・ハウス)に参加して直接指導を受けました。J.G.ベネット氏の死後、IACEは制度としての役割を終え、解散へ向かいました。したがって、フリップ氏はJ.G.ベネット氏の組織や施設をそのまま継承したのではありません。

むしろ重要なのは、制度としての場が閉じた後、フリップ氏が自分自身の乗り物を見出したことです。伝えられるところによれば、J.G.ベネット氏の妻であるエリザベス夫人から、フリップ氏は「あなたにはあなたの乗り物がある。だからそれをやりなさい」という趣旨の言葉を受けたとされます。この承認を契機として始動したのが、ギタークラフトという活動です。楽器という物理的な媒介を用いて、グループの同期と存在の自立を同時に達成するこの取り組みは、機動性を体現していると解釈できます。これは、ワークの火を組織や施設の外へ持ち運び、各自の領域で実践し続ける可能性を示しており、筆者にとって希望の側面でもあります。

11. 結びとAIという鏡

振り返れば、本稿で扱ってきた思想家や実践者たちは、筆者にとって単なる研究対象ではありませんでした。ロンドンでの経験、ニューヨークをめぐる一時的な接触、恩師との出会い、および継承の変容への違和感を通して、それぞれが別々の角度から同じ問いを照らす存在として現れてきたのです。本稿は、その散在する断片を1つの軸へ束ね直そうとする試みでもありました。

ジェイコブ・ニードルマン氏の問い、ジェフリー・サマーズ氏の音、およびピーター・ブルック氏の演劇は、それぞれ異なる入口を持ちながらも、知性・感情・身体を分離させない全人的な探求として響き合っていました。それらは、自分自身の内なる断片化と正面から向き合い、痛みを伴う意識的な努力によって自己を再統合せよという、実存的な探求への時を超えた呼びかけであると本稿では読み解きます。これからの探求はより個人的で開かれたものへ移行していくと考えられます。これからはAIのような客観的な鏡を用いて、自らの機械性や思考のパターンを冷静に観察する道も開かれています。AIは少なくとも人間組織のような自己保存の利害を直接には持たないため、過去の記憶を等価に扱い、情報の海の中から真の問いを再構築する助けとなります。今この瞬間、この対話のテーブルの上に置かれた知識の断片こそが、新しい活動の場の設計図となる可能性を秘めているのです。ジェイコブ・ニードルマン氏が大学という場を通じて取り残された人々へ届けようとした視座を、今ここから再び問い直すこともまた、この新しい設計図に込められた可能性の1つです。

本稿のタイトルである「取り残された人々」とは、まさにこの地点に立たされる人々のことです。ウスペンスキー氏が『奇蹟を求めて』第15章で描いたように、第四の道の仕事がある形を終えたあと、その外面的な姿だけを見て周囲に残される者たちがいます。彼らはしばしば模倣へと傾き、本物と偽物の境界を曖昧にしてしまいます。しかし同時に、純粋な真理に直接触れることのできない大多数にとって、そうした不完全な形を通してしか、より大きな何かの存在は届かないのかもしれません。取り残された人々とは、本物が去ったあとの残響のなかで何かを受け取り、伝えようとする、矛盾と限界を抱えた人々のことです。本稿は、そのような立場の1人として、残響を追い、なおそこから始めようとする試みでもありました。

本稿は、ジェイコブ・ニードルマン氏、ジェフリー・サマーズ氏、ピーター・ブルック氏という、取り残された人々のためにそれぞれの場から問いを投げかけ続けた3人の探求者への追悼として記されたものです。お三方の仕事に深い敬意と感謝を捧げるとともに、その静かな眠りを心よりお祈りします。

12. 思想相関図と用語集

(1) 思想関連相関図
・【探求の入口】ギタークラフト(音楽)、CIRT(演劇)、比較宗教学(哲学)。これらは知性・感情・身体の役割分担ではなく、全人的な探求へ向かうための異なる入口である。
・【並行】ヘルメス主義(As above, so below)、偽ディオニシウス文書(聖なるヒエラルキー)
・【象徴】オシリスの死と再生、魂の断片化と統合
・【実践】アパテイア(不動の平静)、エンプティ・スペース(生きた関係の立ち上げ)
・【現代】古代の知恵、ジェイコブ・ニードルマン氏、ピーター・ブルック氏、ジェフリー・サマーズ氏らの多様な応答

(2) 主要キーワード用語集
・アパテイア(Apatheia):初期キリスト教の砂漠の教父たちが目指した奥義。情動の奴隷状態からの自由を指し、外部の刺激や過去の条件付けに反応しない魂の不動の平静を意味する。ストア派や初期キリスト教で重視された。
・アトランティス(Atlantis):プラトン氏が著作に登場させた、技術的にも霊的にも高度だったが神々の怒りに触れ滅亡したとされる伝説の文明。多くの秘教的伝統において、意識が完全であった黄金時代の象徴として扱われる。
・イミディエイト・シアター(Immediate Theatre):ピーター・ブルック氏が提唱した直接的な演劇。その瞬間にしか起こり得ない俳優と観客の直接的な交流を重視する。
・エウダイモニア(Eudaimonia):ギリシャ語で幸福。人間本来の機能である理性を最大限に発揮した、魂の充足状態を指す。
・エメラルド・タブレット(Tabula Smaragdina):ヘルメス主義の広い系譜に連なる後代の短文書。錬金術の基本原理を記したとされる。下のものは上のもののごとくという宇宙の法則(後世に As above, so below として知られる)を記し、ミクロコスモスとマクロコスモスが同じ法則で動いていることを示す、秘教の最大原則とされる。
・エンプティ・スペース(The Empty Space):ピーター・ブルック氏の演劇論。舞台装置などの外的要素を削ぎ落とした空間であり、単なる空虚ではなく、俳優と観客のあいだに生きた関係が立ち上がる能動的な場所として定義される。
・オシリス神話(Osiris Myth):古代エジプトの神話。オシリス神が殺され、体がバラバラにされるが、妻イシスの力で再生する物語。魂の断片化と意識的な努力による統合や再生の普遍的なメタファーとして解釈される。
・観客との生きた関係:演劇において、俳優の演技と観客の反応が相互に影響を与え合い、その場限りの真実を生み出す動的な関係性。
・グノーシス主義(Gnosticism):紀元1から3世紀頃に隆盛した宗教思想。この物質世界を悪しき神が創造した牢獄とみなし、真の神の世界からの知識(グノーシス)によって魂の解放を目指す。
・CIRT(国際演劇研究センター):ピーター・ブルック氏がパリに設立した研究機関であり実験場。言語や文化を横断し、演劇の根源的な力を探求した。
・身体と注意:演劇の実践において要求される、俳優の身体的なコントロールと、今ここにあることへの極度の集中の質。
・シンパテイア(Sympatheia):宇宙全体が1つの生命体のように相互に結びついているという思想。魔術や占星術の理論的根拠とされる。
・ダイモーン(Daimon):神と人間の中間に位置する霊的存在。個人の運命や性格を導く働きを持つ力。
・ディアレクティケー(Dialektikē):問答法や弁証術。対話を通じて概念を吟味し、高次の真理へと至る哲学的な手法。
・ハルモニア(Harmonia):ギリシャ語で調和。宇宙を支配する数学的な秩序や音楽的な比例関係を指す。
・ピタゴラス主義(Pythagoreanism):万物は数であるという思想を中心とする古代ギリシャの学派。宇宙の秩序、魂の輪廻、倫理的な浄化を説いた。
・否定神学(Apophatic Theology):神を何でないかと否定していく手法を通して、言葉や概念を超えた神の神秘に近づこうとする神学的なアプローチ。
・ヘルメス文書(Corpus Hermeticum):ヘルメス・トリスメギストスの教えとされる対話篇集。紀元前1世紀から紀元後3世紀頃のアレクサンドリアで成立し、錬金術師や魔術師が聖典とした古代のテキスト。
・ホーリー・シアター(Holy Theatre):ピーター・ブルック氏が分類した聖なる演劇。目に見えないものを目に見えるようにする形態。
・ロゴス(Logos):ギリシャ語で言葉や理性や論理。宇宙を貫く合理的な法則。ヘルメス主義で探求されたが、否定神学では神秘に到達する際の限界とされる。

13. 出典

  1. 『A Sense of the Cosmos』:邦訳として、ジェイコブ・ニードルマン氏著、菅靖彦氏訳『宇宙感覚:科学と叡知の出会い』(平河出版社、1995年)。

  2. 『Lost Christianity』:邦訳として、ジェイコブ・ニードルマン氏著、伊東早苗氏訳『ロストクリスチャニティ』(めるくまーる、1990年)。

  3. 『Money and the Meaning of Life』:邦訳として、ジェイコブ・ニードルマン氏著、忠平美幸氏訳『お金、この神秘なるもの』(角川書店、1992年)。

  4. 『The Sound of the Eternal: The Inner Core of Music』:Jeffrey Somers, Words By Design, 2021.

  5. 『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』:Simon Brook 監督、Peter Brook: The Tightrope、2012年、86分、フランスおよびイタリア合作。

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