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311語る歌人三原由起子

 歌人・三原由起子さんが2025年3月28日(金)、かながわ県民ホールで始まった「福島原発事故14年展」の一環として「声を束ねて~短歌作品から語り合うふくしま~」と題して講演を行った。
 三原さんにとって東日本大震災・東京電力福島第一原発事故が起こった2011年3月11日は彼女の短歌の作風の転機となったことにとどまらず、彼女の生き方にも大きな影響を与えることになった。
 三原さんは中学時代、不登校となったことがあった。高校が進学校だったためついて行けなくなり保健室に入りびたりだった時期もあったという。
 中学時代の国語の恩師から勧められて短歌を作り始めた三原さん。すでに中学時代に福島県文学賞詩部門で青少年奨励賞を受賞していたが、高校に入ってからも同賞短歌部門で青少年奨励賞、また全国詩歌コンクールでも優秀賞を受賞、「自信をつけることが出来た」という。

三原由起子さん


 当時詠んでいた歌は若者らしく、彼氏のことや家族のことなどが主で、瑞々しい感性で初々しい心持ちが詠まれた、爽やかな作品だ。

 波のうねり車窓に顔寄せ眺めいる広く大きなれそうな夏
 ふるさとを凱旋するよう夕方の商店街を二人歩みぬ

 それが変化していく大きなきっかけとなった311。当時、三原さんは33歳直前だった。その日、憧れていた東京・原宿で働いていた三原さんは大きな地震に襲われた時、ビルの6階にいた。
 同僚とともに階段で外に避難した。その際、同僚が震度を調べようと、持って見ていたiPadを肩越しに見たその光景が次のような歌に結実した。
 
 iPad片手に震度を探る人の肩越しに見るふるさとは 赤

 これはそのまま第一歌集のタイトルにもなった。

歌集「ふるさとは赤」(本阿弥書店)

 311後、三原さんは「当然のように脱原発デモに参加するようになった。それまでそうしたデモに参加することあるのかなと思っていた。自分が主張したいことって何だろうと考えてみると、我が事になってみないと分からないことってあるんだなと実感しました」という。
 「いったい誰が代わりに声を上げてくれるんだろうと思ってデモに参加しました」と三原さんはいうが、「副作用」も生んだという。
 原発を巡り、知り合いたちと立場や考え方をめぐっての分断が生じたというのだ。三原さんによると、同級生同士でも集まりづらくなったそうだ。


 「原発マネーは人を思考停止にしてしまいます。でも豊かな自然など失うものがあまりにも大きい原発事故なのに、再稼働とか老朽原発を動かすとかそれほどまでに人の心が卑しくなっていると思います」。
 三原さんは「汚染水」を「処理水」あるいは「汚染土」を「除染土」などとするような言葉の言い換えが横行していることを指摘した。
 また「復興という言葉の罪深さ」にも言及、次のような短歌を紹介した。

 商店街の更地を指して復興という人われの心を知らず
 復興といわれてしまえば本当のことを言葉にできない空気
 復興と同じくらいに復讐という語おそろし人が恐ろし
 復興は「なかったこと」の連続で拠り所なきふるさとになる

 「復興ということばが免罪符のように使われています。それが使われているのを打ち破りたい気持ちがふつふつと沸いてきたのです」と三原さん。
 「国家権力が推進する復興の象徴」といえる福島イノベーション・コースト構想だが、「これは原発事故の本質から目をそむけさせるやり方で、それに私は異を唱えています。私たちの知っているふるさとは今どこにあるんだろうと思っています」と三原さんはいう。
 311のような大惨事を経た非日常を経験したことによって三原さんは何気ない日常の大切さに改めて気づかされたという。
 そして三原さんは沈黙することは同罪になると思っている。

 沈黙は日ごとに解けていくように一人ひとりの声を束ねて

 「同じ東北の女川原発まで再稼働となって、沈黙は賛成しているのと同じだといわれます。この14年の間は沈黙との闘いでした。周りの沈黙との闘いであり、自分との闘いでもありました」。
 もちろん、三原さんは引き続き闘い続けるだろう。
 ことばの力を信じて・・・

第二歌集「土地に呼ばれる」(本阿弥書店) 
三原由起子さんはNHKのど自慢で鐘を鳴らしたこともある



  
 

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