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三原由起子歌集を読む

 三原由起子さんの歌集「ふるさとは赤」を読んだ。
 I「みどり風」とII「ミラーボール」は三原さんが家族や恋人などを中心に青春を詠んでいる作品たちで実に瑞々しい感性だ。
 「サラダ記念日」などで有名な俵万智さんを彷彿とさせる。
 高校生の頃から詠んでいた作品なので本人は気恥ずかしいようだ。

 III「2011年3月11日後のわたし」。ここからは作品の色合いがガラッと変わる。そう3.11-東日本大震災・東京電力福島第一原発事故。三原さんは家族とともに原発が立地する双葉郡浪江町に暮らしていた。
 311後とあるが、浪江町では三原さんたちがまだ幼い頃から原発についての教育がなされていたことが詠まれている。

 諳んじる十月二十六日は原子力の日と幼き日から
 教育と洗脳の違い考えることなくのどかに日々を過ごしき

 そしてその地に暮らしている限り、原発とは無縁ではいられなかった。

 一月の同窓会に集まりし数人は1Fに就く

 1Fとは東電福島第一原発のことをいう。

 地元民でも原発については意見、態度が割れてしまう。
 結果的に原発を巡りコミュニティが分断されてしまうのだ。

 「東電を悪くは言えない」マスターの声に客らは床を見つめる
 福島をFUKUSHIMAと表記する人ら福島にいてはりきっている

 三原さん自身は原発への怒りを隠さない

 国民を難民にして今もなお稼働させたきひとは小愚民
 除染という仕事を与え福島の人らを集めて二度傷つける
 偽りの言葉ならべる〈つながろう、絆、がんばろう、元気です〉

 三原さんは容赦ない、そして鋭い。
 
 この歌集は三原さんが17歳から33歳までの作品をまとめた第一歌集。中学時代の国語の先生に勧められて、高校時代から短歌を作るようになった。311の時、三原さんは30代前半だった。
 本のあとがきにあたる「極私的十年メモ」によると、三原さんの故郷を震度6強の大地震が襲った時、「その瞬間、浮かんだのは原発のことだった」。翌日の三月十二日に福島第一原発から十キロ圏内の三原さんの実家にも避難指示が出され、家業のおもちゃ屋の事実上の廃業の日となった。
 三原さんは東京で暮らしていたが、家族は福島市を経て山形県に避難した。その後、父親の故郷である千葉県に引っ越したことで、東京にいる三原さんと会う頻度が増えたのだという。
 「みんなでテレビを観ている時、「ふくしま」という言葉が聞こえると、自然とそれまでの会話をやめ、耳を傾けてしまう。どこに住んでいても福島を想ってしまう。福島を忘れることなんてできないのだ」。

 国や東電など対して厳しいことばを刺すようにして紡ぎ出す三原さんだが、それは故郷への愛情のまさに裏返しなのだ。
 そして、この歌集が、三原さんが大学卒業後、3年間働いていた本阿弥書店から出版されたことも何かの縁なのだろう。

 ぜひ手に取って頂きたい歌集である。

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