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歌人・三原由起子に聞く福島

 作家・渡辺一枝さんのトークの会「福島の声を聞こうVol. 52」がゲストに福島県浪江町出身の歌人・三原由起子さんを迎えて、2026年1月31日(土)にセッションハウス・ガーデン(東京都新宿区矢来町158 2F)で開かれた。
 由起子さんの自己紹介の後、一枝さんが選んだ由起子さんの短歌を題材にして話を進めていった。
 その前に一枝さんが今月浪江に行った時の印象を話した。「駅を降りると、家に帰る前に一杯飲んで行こうかっていうような飲み屋さんがあったのですが、なくなっており、それを見て、こういう所から解体されていくんだなぁって思ったんです。そして今や浪江はアパートの町になってます」。
 そして浪江駅が隈研吾氏による設計で新たに建てられるということに触れて、「作り直すなら東西のエレベーター通路だけあればいいのに、広い広い屋根を作って、新しい商店街を全部覆うようにするなんて必要ない」。
 「住む人のための設計でなく、自分の名前を残したいための設計だと思っています」と一枝さんは話した。
 「万博も何とかルーフだったので流行っているのかな。オシャレな感じにして復興してますってしたいのかなって。みせかけの言葉って問題だと思っています」と由起子さんも述べた。

 さて、最初の短歌は:

 阿武隈の山並み、青田が灰色に霞む妄想 爆発ののち

 由起子さんは震災からすぐに作った歌だという。
 一枝さんは「かつて田んぼだったところが灰色に霞んでいくところの気持ちを詠んだのだと思うんです」と述べて、もう一首阿武隈を詠んだ短歌も印象に残っていると述べた。
 それは:

 あぶくまの山なみ太平洋の海近くにありき生まれしところ

 由起子さんは「ありき」の「き」と過去形のところが大切だという。
 「今まで綺麗だと思っていたのに、放射能や汚染水などによってどうしてもひっかかってしまうようになりました」と由起子さん。
 一枝さんは阿武隈の山並みが今や上のほうは何十本もの白い風車に覆われてしまっていると話す。「風車一本建てるのに、羽根が一枚50メートルもあるので、運ぶためにも大きな道路を作らないといけないし、そのために山林があちらこちらで伐採されてしまう」。
 「出来た後も振動が地中の生き物にどんな影響を与えるか、風車が回ることによる電磁波の影響はどうなのか。また風車に鳥たちがぶつかって死んだり、ものすごく影響があるんではないか」と一枝さんは心配する。

渡辺一枝さん

 由起子さんは今、阿武隈の山に風車を建てる必要があるのかと疑問を呈する。「原発がだめなら風力って、でもなぜ福島なのかってそもそもの疑問があります。駅前の開発は住友だし、風力発電所も住友が絡んでいる。商社って恐ろしいなあって、すごく怖い会社だと最近特に思っています」。
 
 この角を左に曲がれば実家(うち)があると思った通りにまだ実家はある

 一枝さんは「形としては家はもうないんですよね。いろいろなものが出来ていって、いったいどこに家があったのかと。デラシネというか家なき子というか、初めてこれを読んだ時に思ったのは、今更地になってしまっているというのが切ないということですよね」という。
 由起子さんは「建物というのはみんなの心の中に記憶としてあったもので、それを壊してしまうというのは感覚としても消えてしまうと思いました」とこの短歌について語った。

 構造は崩れることなくふるさとにゼネコンのロゴ強くはためく

 由起子さんが震災から3年後、車で現地を通った時に富岡ならば鹿島建設とか、浪江なら安藤ハザマのように地域ごとにゼネコンが割り振られているのに気づいた。
 「ショックドクトリンのように、震災をきっかけに食い物にするって、そうした構図が変わらないということにすごくショックを受けました」。

 気が付けば工事計画進み行くふるさとの未来描く間もなく

 由起子さんの出身校浪江小学校の校舎もいつの間にか解体されることになった。彼女たちは反対の署名運動をしたが、浪江町議会に否決され、計画は進められた。
 「人々の意見を聞いて真剣に町が向き合ってくれたとは感じられない」。
 一枝さんによると、浪江小は解体されずにしばらくはそのままだったが、東京五輪の聖火リレーの浪江町の出発点が浪江小で、リレーが終わるとほどなくして、解体が始まった。聖火リレーの出発地点のための建物保存だった。
 由起子さんは教育委員会に電話して解体の予定について訊ねても分からないはずがないのに「分からない」との答えだったそうだ。「同じ町民だったはずなのに、町の中で人々がひとつになれないと思い知りました」と由起子さん。

 東京で暮らして気付くふるさとの「何もない」という豊かさに

 一枝さんは年二回ほど福島被災地ツアーを行っているが、この前初めて行った人が訪れた津島について次のように話していたという。
 「原発っていうのは何もない貧しいところに作ればおカネが落ちるって思っていたけど、実際に見ると、放射能さえなければ、こんなにも豊かな所だったんですね」。
 一枝さんは「おカネで代えられない豊かさがいっぱいあったんですね。多くの日本人は大地の持つ豊かさに気づかないままおカネ、貨幣価値だけが豊かさだと思うようになってしまったんだなと、その人の言葉を思い出していました」と語った。
 由起子さんも「昔は東京に憧れていたけど、上京してみると、地に足がついていない自分がいた」ことに気づいたという。
 「自分が東京に疲れたときに帰省して、浪江の海を見たいとか、阿武隈の山並みとか自然に惹かれたし、野菜、魚などを浪江では当たり前に食べていたけれど、東京ではそんなに新鮮ではなくて、何もないってことが自然の豊かさだって分かりました。だから放射能さえなければ、こんなに苦労しないのにって思います」。

三原由起子さん

 一枝さんが「今復興って言って更地にして何か作ってこれで故郷戻ったといわれても、この歌の通りだと思います」というと、由起子さんは「戻すといっても新しくするわけで、復興が演出されていると思います」と話す。
 「地元の人にとっては以前と違うのだから復興じゃないと思います。広告代理店は言葉を言い換えたり横文字を使ったりして、なじみやすくオシャレにする言葉のまやかしによって、この15年、(私たちは)翻弄され続けていると思います」と由起子さん。
 
 解体の進みし町に変わらずの浪江駅舎にふるさとがある

 由起子さんによると、新しい駅舎は2027年に完成予定だったが、建築資材の高騰などで2030年に延びたという。「私が生まれた頃から変わらないあの素朴な駅舎を見ることでふるさとを感じることが出来たんです。隈研吾の設計って、ふるさとはどこなんだろうって、町の面影をどこに見出したらいいのかってすごく悩みますよね」。
 「みんな故郷を追い出されたわけで、思い出深い駅まで壊す必要があったのか」と由起子さんは問う。
 一枝さんは浪江駅を隈研吾の設計で立て直したとして、「以前の駅を使って生活していた人の心が収まるのかって疑問なんです」と話した。

 痕跡を消すということわれわれのその存在を消すということ

 浪江駅の工事が始まった時、ある移住者がプロレスラーの橋本真也の「破壊なくして創造なし」と引用してSNS投稿していたが、由起子さんは「やっぱりそういう意識があるんだな」と残念に思ったそうだ。
 「そういう人たちに浪江を任せられるのかってすごく不安になりました。そういう言葉に地元の人たちは傷つき、ショックを受けるのに、平気でそういう言葉を使って浪江駅の開発工事を表現したことにショックを受けました」。
 由起子さんは「こういうことで、地元の人々と移住者がぶつかっているんじゃないかと感じることがある」とコメントした。
 
 棚塩(たなしお)に水素工場現れて「浪江のわれ」はわれに戻れず

 棚塩というのは地名で、かつてその地に東北電力が浪江・小高原発を建てようとしていたが、東京電力福島第一原発事故によって、その計画はなくなった。
 棚塩地域は町が使えるようになって、そこに水素工場を作ったり、2000頭の乳牛を飼育する牧場を作っていると一枝さんはいう。
 それだけでなく、帰還困難区域内の特定復興再生拠点に競走馬のトレーニングセンターも予定されているといい、「やりたい放題」で「虚しさを感じました」と由起子さんは語った。

 最後の短歌は:

 沈黙は日ごとに解(ほど)けていくように一人ひとりと声を束ねて

 第2部のタイトルは「腫れ物に触ろう」で、このイベントに参加している人たちの中から福島県出身者らに率直に意見や思いを語ってもらった。
 浪江町津島、大熊町、双葉町出身で今は首都圏に避難している人、南相馬の人たちが発言していった。また東京生まれ育ちの参加者も発言した。


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