神様は何もくれなかった。|短編小説
「お疲れ様!!」「お前はよくやってるよ!」
「大丈夫、大丈夫!取れなくても仕方ない。次、頑張ろうぜ」
軽く叩かれた肩が、確かに痛んだ。どこまでが肩で、どこからが心なのか。
痛みが、脳内で混濁した。
うるせぇな。
だったらなんで、神様はなんもくれねぇんだよ。
こっちは、とっくにわかってんだよ。
その薄っぺらい笑顔は、お前の右手の缶コーヒーと同じ味がするんだって。
コーヒーに混じる金属の味を思い出して、よだれが口の中で増えた。
舌が、粘ついていく。
喉が、細くなる。
飲み込むと、ごくりと音が鳴った。
「これ、飲むか?」
「……ありがとう」
口角をいつもの位置まで持ち上げた。頬の筋が一拍遅れた。噛み締めた奥歯が、わずかに痛んだ。
八畳一間のボロアパート。これが俺の全てだった。
やりたくもない営業をやりながら、夜な夜な下手な作品を生み出す。
投稿は500を超えた。
誰も掘り返すこともなく、それらは転がっていた。
フォロワーは8人。
その中の彼女だけが、欠かさずにコメントをくれた。
深夜2時。
ピッタリに投稿する。
2時12分。
スマホが震える。
スキ1。
コメント1。
「最後が最高です。」
たった七文字。
数に入らない句点まで、彼女だった。
煙草に火をつけ換気扇の前に立つ。吐いた煙は、歪な渦を巻きながら吸い込まれていく。煙が消えても、画面はそのままになっていた。
彼女のアイコンを押した。フォローも、フォロワーも四桁だった。
彼女のスキを辿る。何度もスクロールして、やっと見覚えのあるアイコンがあった。
俺の作品より一つ上に並んだ作品を開いた。コメント欄には、彼女の打ち込んだ跡。
それを指先でタップする。
「最後が特に泣けました!」
他人に向けられた彼女のコメントにも、俺はスキを押した。
「クソ……」
最初は、それだけで済んだ。
2時10分を過ぎると、積み重なる言葉。
「今日も来ちゃいました。」
「泣けちゃいました。」
今日はなかった。
腕の毛が一本ずつ逆立った。
身体の方が、先に彼女を待っていた。
まだ、鳴らない。
「……ふっざけんな」
風呂場へ逃げた。白いレバーを捻り、頭から冷水を被った。
冷たさに、脳が先に嫌だと叫んだ。遅れて肌が粟立ち、全身が縮こまった。
水に打たれる外側と、彼女を待ち続ける内側。その間に、くっきりと輪郭が浮かんだ。
浴び続けるうちに、冷たさは皮膚の下へじわじわと染み込んでいく。外と内を分けていた輪郭が滲み、やがて溶けていった。
気づけば、冷たくはなかった。
それでも、頭の奥に貼りついた彼女のアイコンだけは、熱を失わなかった。
風呂から出ると足元もろくに拭かないまま、スマホに飛びつく。
ポタポタと髪から垂れた水が画面を汚した。
2時25分。
「いつも楽しみに待ってます」
その一言だけで、
半分残った缶チューハイを流しに捨てた。
彼女のアイコンの端っこには見覚えのある赤い缶が見えた。あいつの缶コーヒーの味が口の中に広がった。
それなのに、俺は安堵して布団に倒れ込んだ。
今日も2時ピッタリ。
投稿をする。
2時15分。
もう何回、スマホの画面を更新したかわからない。
スマホが震える。
その次の言葉は知っている。
それを誰にでも、書いているのも。
あばずれだな。
優しくすんなよ。
今日も、煙草を一本取り出して火をつける。
「……まず」
箱を開けたのは1週間前だ。
それでも、フィルターのぎりぎりまで吸った。
最後の一息が、喉を焼いた。
灰皿に吸い殻を押し付けた。
