ここがわたしの生きづらさ、に寄稿するにあたり

ふと目についた春野ましゃこ様のこちらの企画。
一発達障害者、自閉症スペクトラム(ASD/HD)患者としては語らぬわけにもいかない!と筆を執りました。

僕の生きづらさ、それは
「家族や社会が『発達障害の療育を受けて外に出て働く安定した職に就いて、家族や社会に迷惑をかける事もない自立した生活の基盤を手に入れ一人暮らしをして生活保護の利用を回避する』という現実的な勝利のみを許容し、それ以外の生き方、生を認めない」
という圧力そのものです。

僕は様々なサブカルチャーの趣味を経由してきましたが現在は主だった趣味はそれを精神の支持医療と位置づけかなり絞っている状態です。
障害年金も受けており、明確な時間制限を仮として設定し少なくともその時期までは綿密に計算した予算内でやる。それ以後は基本的に予算を減らして支持医療の維持に注力する、という方向で長期医療計画の意見書を病院の先生に依頼する算段を立てています。
これは現状の僕の精神の安定・公費による入院や希死念慮による病状の悪化を防ぐためにその支持医療に含まれる趣味が必要不可欠だからです。
行政は生活保護を申請する際厳しくチェックをしてきますので自分の浪費を単なる趣味で片づけさせず、税金を使っての入院や希死念慮を防ぐために必要な計画的な予算配分だった、それはこの時期から証明されていたという医者の権威という盾を貰うための計画的な生活保護受給を視野に入れた計画です。

ただ、僕自身あまり無意味に長生きすることには興味がないたちでして、認知症の悪化などで自己を失い無意味に生かされ続けるだけになるくらいならそうなる前に尊厳的な終末を迎えたい、という願いがあります。
死ぬのは怖いです。勿論。
ですが、自分を失ってなおただ病院で機器に繋がれ生かされ続けるという苦痛に比べたら…という想いもあります。
正直今の僕の精神状態は現状の支持療法が機能している事で維持されている部分が大きいです。何せ僕の根本的な傷はニッチな名もメジャーに知られていないゲームや創作の分野でおおよそ30人以上の女性に捨てられ、見放され、裏切られ続けてきたという深い傷だからです。これを現代医療の文脈だけで治療しようとするのはかなり非現実的で困難です。
その趣味をただの遊びとか趣味としてカウンセラーに断じられればその時点でラポールが崩壊します。
そしてその趣味に精通しているカウンセラーはこの国には恐らく存在しない…という事情もあり、カウンセリングは拒んでいる状況です。
家族や社会がこのような態度である以上、なんとしてでも考えうる安全圏まで生き延び尊厳ある死を迎える。それが僕の目指す人生のゴールです。
まあ、生涯の伴侶に恵まれなかったというのは残念ですが。

僕が行っている支持療法の1つに小説の依頼がありますが、これは僕は物語の中で絶対的に愛され、肯定され続けた存在である、という証明を得るための一種の儀式です。今の自分にとって欠かせない心の柱です。
僕が僕のままでいるうちに尊厳ある死を迎えたい。人間そんな都合よく事は運びませんが。それを真っ向から否定し、一般的な社会的役割に縛り付けようとする家族の圧力や現在の社会の空気そのものが僕にとっての生きづらさそのものと言っていいでしょう。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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