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【連作短編】交差する双星(ツイン・スター)と月夜の相棒

第5話:夜霧の駅と無限の星々

深夜二時。自室のデスクに置かれた設計図を前に、二十八歳の建築デザイナーであるソラは小さく息を吐いた。

大規模な商業施設のコンペを終えて採用が決まったばかりで、周囲からは賞賛され、キャリアも順順そのものに見える。けれど、胸の奥にぽっかりと空いた小さな穴は、どれだけ仕事を重ねても埋まることはなかった。

「……これで、よかったのかな」

十年前、自分が学生の時に夢見ていた建築家になれているだろうか。自分のデザインを、現実の予算と折り合いをつけることばかりが上手くなっていく。自分が作りたいもののために走り続けているのかが分からなくなり、ソラは逃げるように夜の街へ出た。

街は深い夜霧に包まれていた。視界を遮る白い煙の中を歩くうち、見覚えのない錆びついた街灯の下へ出た。レトロな木造の駅舎。看板には『時間の駅』と刻まれている。

吸い寄せられるように無人のホームへ歩を進め、ソラがベンチに腰を下ろしたその時——。

「遅かったね。待っていたよ、ソラ」

足元から声がした。見下ろすと、そこには小さな車掌帽をかぶった黒猫が座っていた。左右で色の異なるオッドアイの瞳が、月光を受けて怪しく輝いている。

「喋った……猫?」 「僕はナイト。時間の駅の案内人さ。ここはね、君というひとつの物語が交差する特別な場所なんだ」

黒猫ナイトがしっぽをゆったりと揺らしたその時、「シュー……」という静かな蒸気音とともに、ホームに一両の古い列車が滑り込んできた。

扉が開き、そこから二人の人物が降りてくる。

一人目は、大きなスケッチブックを抱え、制服の袖をたくし上げた少女。 二人目は、上質なトレンチコートを羽織り、目尻に優しげなシワを刻んだ大人の女性。

ふたりが近づいてくるにつれ、ソラの息が止まった。顔も、仕草も、それは紛れもなく自分自身だった。

「うわぁ、すごい! 二十八歳の私!? めっちゃ大人じゃん! カッコいい仕事してるの!?」

十八歳のソラが瞳をキラキラと輝かせて覗き込んできた。その圧倒的な眩しさに、二十八歳のソラは言葉を濁す。

「そんなに期待しないでよ……。夢見てたようなすごい人間にはなれてない。ただ毎日、波風立てないように仕事して、疲れて眠るだけ」

後ろめたいような気持ちで目を逸らしてしまうソラに、そっと手が置かれた。

「そんなことないわ」

六十歳のソラが、包み込むような柔らかい声で言った。

「あなたのその『波風立てないように頑張っている毎日』が、どれだけ愛おしいか。今の私は知っているもの」

三人になり、ホームのベンチに並んで座った。ナイトはソラの膝の上に飛び乗り、丸くなって喉を鳴らしている。

十八歳のソラが、胸に抱えたスケッチブックを抱きしめながら言った。

「私ね、これからどんな大変なことがあっても、あなた達にバトンを渡すために頑張るね」

そのまっすぐな言葉が、ソラの胸を深く突いた。

自分は何も成し遂げていないと思っていた。けれど、この十八歳の自分がくれた無邪気な情熱のバトンを、自分は一度だって落とさずに、傷つきながらも今日まで必死に握りしめて走ってきたのだ。

「……ありがとう」

ソラの目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。

「あのね、私……あなたの期待通りの完璧な大人じゃないけど、ちゃんと戦ってるよ。あなたの夢を、忘れたことなんて一度もない」

すると六十歳のソラも、優しく手を重ねてくれた。

「ええ、知っているわ。あなたが二十代で悩み、迷い、夜中に一人で流した涙のすべてが、今の私の『充実した毎日』につながっているの。だから大丈夫。あなたが選ぶ今日の一歩には、ちゃんと価値があるのよ」

過去から現在へ。そして現在から未来へ。 目には見えない温かいバトンが、三人の中で確かに手渡された。

フォーン——と、遠くで始発のベルが鳴り響く。ナイトが膝から飛び降り、ソラたちに向かって尾を揺らした。

「さあ、お別れの時間だ。でもソラ、最後に見せてあげよう。君の人生は、この『過去・現在・未来』という一本の線だけじゃないんだよ」

ナイトが小さな前足で夜空を指し示した瞬間、濃かった夜霧がサッと晴れ、駅の周囲にどこまでも続く宇宙のような光の空間が広がった。

「……何、これ……」

ソラは息を呑んだ。

駅の外には、無限に分岐した「線路」が網の目のように広がっていた。そしてそのすべての線路の上に——建築家を選ばず地元の故郷に残ったソラ、海外に飛び出して失敗しながらも笑っているソラ、結婚して子供の手を引いているソラ、一人で旅を続けているソラ……それぞれの場所で生きる「ソラ」の姿があった。

無限に存在する時間軸の自分たちが、すぐ隣の世界で、同時に輝いている。

誰ひとりとして他の自分を羨んだり、邪魔したりなんてしていない。それぞれの場所で、一生懸命に自分の人生を生きながら、ふとした瞬間に互いの方を向き、温かい笑顔で手を振り合っている。

「あなたもそこで頑張ってるんだね」
「私はここで笑ってるよ」

言葉はなくても、そう声が聞こえた気がした。

「みんな……生きているんだ」

ソラは胸がいっぱいになった。 今の自分が立っているこの道もまた、無限の自分たちが「頑張れ」と静かにエールを送り続けてくれている、かけがえのない最高の道なのだ。

「いってきます」

ソラは、十八歳の自分と六十歳の自分、そして無限の星々のように輝く自分たちに向かって、晴れやかな笑顔で手を振った。

ハッと目を覚ますと、ソラは自室のデスクに伏していた。窓の外からは、柔らかい朝の光が差し込んでいる。

夢だったのだろうか。けれど、胸の奥を満たす圧倒的な温もりは、消えることなく残っていた。

デスクの上には、書きかけの設計図。 自分の過去が紡ぎ、未来へと繋ぐバトン。そして、無限の時間軸の自分が応援してくれているこの場所で。

ソラは深呼吸をしてペンを手に取った。 清々しい顔で、また新しい朝の光の中へ、自分だけの最初の一線を力強く引き始めるのだった。

(第5話 終)

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