中国🇨🇳北宋皇帝、徽宗
鄭州から洛陽に向かう途中にある宋の陵墓を訪れるべきか迷った所、調べてみた事例をまとめたものです。
北宋滅亡の概要(靖康の変)
金との同盟と裏切り
北宋は新興勢力の金と結び、長年の宿敵であった遼を滅ぼしました。しかし、約束した報酬の支払いを巡るトラブルや北宋側の不誠実な外交が金の怒りを買い、侵攻を招くことになりました。
首都開封の陥落(1127年)
金の軍勢は北宋の首都・開封を包囲。時の皇帝・欽宗とその父である上皇・徽宗は抵抗を試みるも力及ばず、ついに降伏しました。
皇族の連行
金軍は徽宗・欽宗の両皇帝をはじめ、皇后、皇太子、後宮の女性たち、職人など数千人を捕虜として北方の地へ連れ去りました。これにより北宋は事実上滅亡しました。
文化財の散逸
芸術を愛した徽宗が収集していた膨大な書画や骨董、宮廷の財宝もことごとく金に奪われ、漢民族にとって歴史的な屈辱の事件となりました。
滅亡前夜の北宋の繁栄ぶりを表した有名な絵画が清明上河図です。
清明上河図
北宋の首都・開封の賑わいを描いた名画。この変において金軍に接収されましたが、後に南宋や後世の王朝へと伝わりました。繁栄の象徴として知られています。
特徴
緻密な写実性: 北宋の都・開封(汴京)の賑わいを、全長約5メートルにわたって細密に描いています。
当時の風俗資料
橋、商店、運河、人々の服装や職業、運搬手段などが克明に描写されており、12世紀の中国の社会経済を知る貴重な歴史資料となっています。
散点透視法
視点を移動させながら描く中国絵画独特の技法により、パノラマのような連続的な風景を実現しています。
現在の所在
北京・故宮博物院: 作者の張択端による真作(オリジナル)は、現在北京の故宮博物院に所蔵されています。なお、非常に有名な作品であるため、後世(明代や清代)に描かれた模本やアレンジ作品が、台北の国立故宮博物院など世界各地の美術館に複数存在しています。
徽宗
徽宗の絵画(院体画)は、鎌倉時代以降の日本の水墨画や狩野派などの画風に多大な影響を与えており、現在も日本の美術館に国宝級の作品が伝わっている点は特筆すべき事項です。
日本美術界への影響
東山御物と院体画: 室町幕府の将軍家(足利家)が収集した「東山御物」には、徽宗の真筆とされる作品や、彼の指導下で発展した院体画が多く含まれていました。これらは日本の水墨画や後の狩野派の画風に決定的な影響を与えました。
日本における評価: 中国では「亡国の暗君」としての批判が強い一方、日本では純粋に「美の極致を追求した芸術家」として高く評価される傾向にあります。
現存する名品: 徽宗の真筆とされる『桃鳩図』(国宝・個人蔵)や、徽宗の画風を継承した作品が日本の美術館に大切に保管されており、日本の茶の湯や鑑賞文化の中で特別な地位を占めています。
中国での歴史的評価(悪評)
「風流天子」と政治の混迷
芸術への過度な没頭と大規模な造園事業(花石綱)は国家財政を圧迫し、民衆の困窮と方臘の乱などの反乱を招きました。
政治的失敗
金との外交における不誠実な対応が靖康の変の引き金となり、北宋を滅亡に導いた「亡国の暗君」として、中国史上では厳しい批判されています。水滸伝の時代設定として捉えると、哀れみの余地なし。
日中の認識の違いです。
中国を旅行していて、日本での評価、認識と異なる事例は多々あります。旧日本軍の所業など、中国が日本高市発言に怒るのは理解できます。
