世界のどこかにある、不思議な場所第二章 ありがとう郵便局第1話 まだ生きている母への死亡通知
世界のどこかにある、不思議な場所
第二章 ありがとう郵便局
第1話 まだ生きている母への死亡通知
母は隣の部屋にいる。それなのに、死亡通知が届いた。
あらすじ
世界のどこかに、地図には載っていない「不思議な場所」がある。
そこへたどり着けるのは、人生に迷い、後悔し、誰にも言えない想いを抱えた人だけ。
人生図書館で一人の青年が過去を乗り越えた頃、別の街では、まだ生きている母の「死亡通知」を受け取った女性がいた。
封筒に同封されていたのは、彼女自身の筆跡で書かれた一通の手紙。
けれど、その手紙を書いた記憶はない。
届けられなかった「ありがとう」が、誰かの人生を変える第二章。
⸻
本文
「あなたのお母様は、三日前に亡くなりました」
三浦奈緒の母は、そのとき隣の台所で味噌汁を作っていた。
包丁がまな板を叩く音も、鍋の蓋が揺れる音も聞こえている。
それなのに奈緒の手には、母の死亡通知があった。
封筒が届いたのは、午後六時過ぎだった。
切手はない。
消印もない。
差出人の欄には、見慣れない文字が書かれていた。
ありがとう郵便局
「何、それ」
奈緒は玄関に立ったまま、封を切った。
中には二枚の紙が入っていた。
一枚目は、母・三浦久美子の死亡通知。
死亡日には、三日前の日付が記されている。
死因の欄は空白。
その下には、赤い文字で一文だけ。
未配達のため、死亡は確定していません。
意味が分からなかった。
悪質ないたずらだと思った。
だが、二枚目の紙を見た瞬間、奈緒は息を止めた。
それは手紙だった。
宛名は母。
差出人は奈緒自身。
そして、書かれている文字も、間違いなく奈緒の筆跡だった。
お母さんへ。
今まで一度も言えなかったけど、産んでくれてありがとう。
たった、それだけ。
奈緒には、その手紙を書いた記憶がなかった。
「奈緒、帰ってるの?」
台所から母の声がした。
奈緒は慌てて二枚の紙を封筒へ戻した。
「うん」
「ご飯、もうすぐできるから」
いつもと同じ声。
少し疲れていて、けれど優しい。
母は生きている。
三日前も、昨日も、今日も。
それなのに、なぜ死亡通知が届くのか。
奈緒は封筒を鞄の底へ押し込んだ。
夕食の席で、母は最近始めたパートの話をしていた。
「店長さんがね、同い年くらいだと思ったら、私より八つも若かったの」
「へえ」
「へえ、だけ?」
「疲れてるの」
「そう」
短い返事のあと、母は黙った。
奈緒は昔から、母と話すことが苦手だった。
父が家を出たのは、奈緒が十五歳のとき。
母は昼も夜も働き、奈緒を大学まで行かせた。
感謝していないわけではない。
むしろ、感謝している。
けれど感謝が大きすぎて、言葉にすると負けるような気がしていた。
母に優しくすることも。
母を心配することも。
母の作った料理を「おいしい」と言うことさえ、なぜか照れくさかった。
「明日、病院に行ってくるね」
母が何気なく言った。
奈緒の箸が止まった。
「病院?」
「最近、少し胸が痛くて」
「いつから?」
「一週間くらい前かな」
「どうして言わなかったの」
奈緒の声が強くなった。
母は困ったように笑う。
「忙しそうだったから」
その笑顔を見た瞬間、鞄の中の死亡通知を思い出した。
三日前に死亡。
未配達のため、死亡は確定していない。
何かが、まだ起きていない。
だが、起きる可能性がある。
「今から行こう」
「え?」
「救急。念のため」
「大げさよ」
「大げさでいいから」
奈緒が立ち上がった、そのときだった。
玄関の郵便受けが、音を立てた。
カタン。
二人とも顔を向ける。
こんな時間に郵便が届くはずがない。
奈緒はゆっくり玄関へ向かった。
郵便受けの中に、赤い封筒が一通入っていた。
今度は宛名だけが書かれている。
三浦奈緒 様
奈緒は母に見えないよう、すぐに封を切った。
中には、小さな地図と、古びた郵便切手。
そして、短い通知。
お預かりしている「ありがとう」の配達期限は、本日午後十一時五十九分です。
期限を過ぎた場合、受取人は差出人の人生から消失します。
奈緒は何度も文章を読み返した。
「人生から消失する」とは、どういう意味なのか。
死ぬということなのか。
記憶から消えるということなのか。
その下には、さらに一文が続いていた。
配達を希望される場合は、同封の地図を頼りに、ありがとう郵便局までお越しください。
奈緒は地図を開いた。
街のどこにも存在しない、細い道。
その終点には、赤い屋根の小さな建物が描かれている。
時計を見る。
午後八時十二分。
残り、三時間四十七分。
「奈緒?」
母が背後から声をかけた。
「誰から?」
奈緒は封筒を握りしめた。
今まで一度も言えなかった。
産んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
一人で守ってくれてありがとう。
心の中には、いくつもある。
けれど、口から出たのは違う言葉だった。
「友達から」
また、母に嘘をついた。
その瞬間。
赤い封筒の文字が、ゆっくりと書き換わった。
配達期限まで、あと三時間四十六分。
その下に、新しい一文が浮かぶ。
なお、受取人はすでに一度、差出人の人生から消えています。
奈緒は顔を上げた。
「お母さん」
返事がない。
さっきまで母が立っていた場所には、誰もいなかった。
台所には、二人分の食事。
椅子も二脚。
だが、壁に飾っていたはずの母との写真から、母の姿だけが消えていた。
奈緒は震える手でスマートフォンを開いた。
連絡先を探す。
お母さん
その名前は、どこにもなかった。
まだ生きている母の死亡通知が届いた。
同封されていたのは、書いた覚えのない「ありがとう」の手紙。
配達期限は、午後十一時五十九分。
期限までに届けなければ、母は娘の人生から消えてしまう。
第二章「ありがとう郵便局」、開局。
次回予告
母の写真も、電話番号も、思い出も消え始めた。
残された時間は、三時間四十六分。
地図の先で奈緒を待っていたのは、届かなかった手紙を配達する青年だった。
次回、第2話
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黒羽 KUROHA
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黒羽 -KUROHA-