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夏 ガーデン2026

いよいよ暑い夏が来た。 初夏の頃から高温多湿を警戒し、こまめに下葉や枯れ葉を摘んで整えてきたというのに、無念にもすでにいくつかを枯らしてしまった。レモンゼラニウムに、ヘリオトロープ。室内へ避難させている株分けのレモンゼラニウムやローズゼラニウムも、どうも塩梅がよくない。もう少し水を控え、乾燥気味に育てるべきだったと悔やまれる。

今、特に心配なのはラムズイヤー、アルケミラモリス、そして宿根リナリアだ。 かつて夏越しに失敗した苦い記憶のある、あの魅力的なふわふわのラムズイヤー。元々は丈夫な性質のようで、春先まではぐんぐん根を伸ばし、株を増やしてくれていた。土を愛らしく覆い、小さく黄色い花を咲かせるアルケミラモリス。伸びた穂先にやさしい桃色の花を咲かせ、長く庭を彩ってくれた宿根リナリア。春から初夏にかけて見せてくれたその姿には、「本当に植えて良かった」と心底感動したものだ。

その一方で、フィカス系の観葉植物たちはすこぶる旺盛だ。 ウンベラータ、ベンガレンシス、ルビーは、屋外の明るい日陰でこの夏一気に大きく育った。あまり外の環境に慣れさせすぎるのもどうかと思うし、何より部屋が寂しくなったので、先日そっと室内へと連れ戻した。

そして、日光が大好きと聞いていた月下美人を、この夏思い切って窓辺から外へと出してみた。これが功を奏したのか、ついに待望の初となる花を咲かせてくれたのだ。

…とはいえ、咲くまでの道のりはヒヤヒヤさせられた。 最初は5つほどついていた蕾が、ある日の昼間に見ると、あらかたすっぽりと落ちてしまっていたのだ。 奇跡的に残ったのは、たった1つ。どうかこのまま落ちないでくれと祈るような心地で見守るなか、ついに「その日」がやってきた。

今にも付け根からぽろりと落ちてしまいそうなほど大きく膨らんだ蕾が、その夜、しずかに花を広げた。闇夜にぽっと浮かび上がる、大輪の白い花。 なるほど、これは言葉を失うほど美しい。一枚一枚、精巧に重ねられた花弁の造形に見惚れてしまう。

なんでもコウモリを呼び寄せるための香りを放つのだとか。期待に胸を膨らませて鼻を近づけてみたものの、最初はどこか青く、薬品のような匂いがするばかり。少しがっかりしていたのだが、それから数時間後、庭中に甘く濃厚な香りが満ちあふれていた。 我が家にはもともと、2羽のコウモリが住み着いている。私が寝静まった隙に、もしかしたらそっと遊びに来ていたのかもしれない。

わずか一晩限りの花。たった数時間のうちにみるみると姿を変え、短い命の終わりへと向かっていく。挿し木で容易に増えるので、ぜひともおすすめしたい植物だ。ただし、枝葉はうっとうしいほど旺盛に茂る。ちなみに我が家では、冬になるとカーテンレールに吊るして凌ぐのがすっかり恒例となっている。

大輪八重の百合も、見事に咲いてくれた。その重たい頭が垂れてしまう前に摘み取って部屋に生けたのだが、こうして庭の草花で家の中まで華やぐ瞬間は、まさに園芸冥利に尽きるというものだ。

話は変わるが、実は庭をさらに広げる構想を温めている。だが、立ちはだかるのは固い粘土質と、容赦なく茂り続けるススキやイネ科の雑草たち。この炎天下のなか、焼けるような頭を抱えながら途方に暮れている。とりあえずの試みとして、タフさには定評のある二者——三尺バーベナとボックセージを植えてみたところ、なんとか根付いてくれたようだ。続いてキバナコスモスとアフリカンマリーゴールドの種も撒いてみたのだが、はてさて、どうなることやら。

ハーブの庭

無農薬、そして有機栽培を基本にしたいと、常々考えながらガーデニングを楽しんでいる。 その根底には、ナチュラルガーデンを提唱するポール・スミザーさんの教えがある。

その実践として、この春先にハーブの仲間を増やした。 以前、ベニシアさんの本で「センテッドゼラニウムは蚊を避ける。ブヨにはペニーロイヤルミント、ナメクジにはチャイブ、ハエにバジル、ノミにラベンダー」という記述を目にしたことがある。 かつてヨーロッパでは道端の雑草に過ぎなかったハーブたちが、これほど心強い相棒になってくれるとは。現に我が家でも、ゴキブリ除けとしてアロマティカスをキッチンの窓辺に配している。家の中で無事に冬を越した観賞用バジルも、今や実に頼もしい存在だ。

とはいえ、剪定だけでは防ぎきれない病虫害の壁もある。ハダニを見つければホースで勢いよくシャワーを浴びせるが、それでも手に負えない害虫には、最終兵器「テデトール」の出番だ。手間はかかるが、これが一番確実。そう、文字通り「手で取ーる」のだ。

だが、一度病気にかかってしまうと、どうしても薬剤に頼らざるを得ないのが悩ましいところ。とりわけバラに関しては、この数年で完全無農薬のこだわりは潔く諦めることにした。

そのバラといえば、去年の秋の終わりに「ニュードーン」の長尺苗を迎えた。まだ若い株だからか、小ぶりの花が次々と咲いては、たった一日で潔く散っていく。我が家のバラの中では、これまでになかった咲き方のパターンだ。 散り際の儚さはあれど、そのどこかアンティークを思わせるやさしい色合いが、すっかり気に入っている。

ニュードーン

外敵

天敵はハダニやミノムシばかりではない。我が家を脅かすのは、猫、そして猿だ。

ある日、雨で土が流されたのか球根がのぞいていた。「埋め直してやろう」と土を掘ると、そこには立派な“お忘れ物”が埋められている。猫は確かに可愛らしいのだが、これには心底腹が立つ。 先日は、植えたばかりのムスクマローまで掘り返されて枯れてしまった。近頃はもっぱら、掘っては埋め直すという虚しい攻防戦を繰り返している。先日、足場を奪ってやろうと剪定した柚子のトゲ枝を敷き詰めてみたのだが、果たして効果はあるのだろか……。

そして、もっと厄介なのが猿だ。
食べるにはまだ早い、言わば「とうの立ったヤングコーン」をまんまと盗られてしまった。果実を荒らされまいと、とりあえず柚子の枝を忍ばせて防戦し、近々本格的な対策を講じようと考えていた矢先の出来事だった。敵ながら天晴れと言うべきか、こちらの裏をかく賢さには脱帽する。トウモロコシは根元からポッキリと折られていた。これまで我が家の畑には一度も被害も痕跡もなかったというのに、いつの間にかちゃっかり目をつけていたらしい。

お互いの境界線を保ちつつ、いくらかの収穫は分け合うような「共存」が理想だが、どうやらそれは甘い幻想に過ぎないようだ。こちらは別に、彼らのための餌やり場として野菜を育てているわけではないのだから。いっそ余った野菜くずを集めて、人里から離れた山の一角に彼ら専用の餌場でも作ってやれば良いのだろうか、などとつい考えてしまう。近年、頭数を増やし続ける獣たちとの共生は本当に難しい。「こうしてイギリスからクマがいなくなった」という本のタイトルが頭をよぎる。 生命の「生きる本能」はまぶしいほどに素晴らしい。けれど、世界の均衡を保つ配慮までは、彼らの本能に組み込まれてはいないのだ。いや、八十億へと爆発的に増え、世界の均衡を壊し続けている人間の方こそ、淘汰されるべき時代に来ているのかもしれない。

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