煮干しのアタマを食べたときに感じた身勝手さ
煮干しを手に持つと、いつも迷う。
アタマを食べるか、それとも捨てるか。
小さな魚の目がこっちを見ている気がして、少し気まずい。
でも結局、そのまま口に放り込むことが多い。
カリッとした食感と、ほろ苦い味が広がる瞬間、なんだか自分の身勝手さを感じてしまう。
命をいただいているのに、その重みをちゃんと考えていない自分に気づくのだ。
コロナ禍の中。彼女と過ごしたあの午後も、どこか似た感覚があった。
薄暗いホテルの部屋で、私たちは欲望に突き動かされるままに体を重ねた。エレベーターの中で手を繋ぎ、キスを交わし、部屋に雪崩れ込むまでの時間は、あまりにも速くて、まるで夢の中の出来事のようだった。
彼女の手が私の体を這い、甘く切ない感覚が全身を駆け巡る。
私は彼女の唇に貪りつき、彼女の指が私の敏感な部分を弄ぶたびに声を抑えきれなかった。
恥ずかしさも、体液がシーツに染みていくのも、全部が現実なのに、どこか現実じゃないみたいだった。
「もうとろとろだよ」と私が呟いたとき、彼女はただ目を閉じてその言葉に身を委ねた。
躍動し、果てた瞬間、生温かいものがじんわりと広がっていくのを感じた。
あの瞬間、彼女に私のすべてを搾り取ってしまわれたと思った。
欲望のままに。
愛情とか、関係性とか、そんなものは二の次で、ただその一瞬の快楽に溺れていた。
何も考えていなかった。
ただ楽しかった。
でも、シャワーを浴びて部屋を出るとき、何も言わず私女を抱き締めたとき、ふと思った。
私は「次、いつ会える?」の一言が欲しかった。
言葉にしなくても分かるよねと彼女は言うかもしれない。
でも、私にはそれでは足りない。
不安定な関係の中で、安心できる何かをつかみたかった。
それを欲しがる私は、きっと空っぽなんだろう。
身勝手だ。
自分勝手すぎる。
家に帰って、夕飯の支度をしながら煮干しを鍋に放り込んだ。
出汁を取るために。
アタマも一緒に煮てしまえば、見つめてくる小さな目も気にならない。
そうやって私は、自分の欲望や罪悪感をごまかしてきたのかもしれない。
煮干しを口に入れたときのほろ苦さは、あの日の彼女との時間とどこか重なる。
命をいただくこと、愛を求めること、そのどちらも私の身勝手さで成り立っている気がして、息苦しくなってきた。
外はまだ明るくて、夕暮れにときめいた。
あの部屋での出来事が遠い記憶みたいに感じられたけど、煮干しの味が舌に残るたび、私は自分の弱さと向き合わざるを得なかった。
身勝手な私が、彼女に何かを求めるなんて、そもそも間違ってるのかもしれない。
この記事は事前にnagi_noteさんに内容確認をいただき、nagi_ noteさんの記事をオトコ目線でリライトしてみたものです。
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