わたしは牛になりたい
牛になりたい。
室町時代中期の周文が描いたと伝えられる「十牛図」を観に心の母校の附属美術館を訪れた。
1)尋牛(じんぎゅう)
- 仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる。
2)見跡 (けんぜき/けんせき)
- 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。
3)見牛(けんぎゅう)
- 行においてその牛を身上に実地に見た境位。
4)得牛 (とくぎゅう)
- 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます。
5)牧牛(ぼくぎゅう)
- 本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる。
6)騎牛帰家 (きぎゅうきか)
- 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない。
7)忘牛存人 (ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)
- 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる。
8)人牛倶忘 (じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう)
- 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。
9)返本還源 (へんぽんかんげん/へんぽんげんげん)
- 何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る。
10)入鄽垂手(にってんすいしゅ)
- 悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある。
今回の展示では写真撮影は禁止のため、wikipediaの画像を見ていただきたい。
特に、ココロ惹かれるのは第8図人牛倶忘だ。
ただの、円。
執着を手放して、ただ今だけを意識して生きる、固定観念を捨て、新しい視点で柔らかく、物事を見つめる、無理に「自分」を主張せず、ありのままの気持ちで行動する。
プロセスを楽しみ、結果を自然に受け入れていきたい。
牛のように、静かに、しかし確かに生きる。それが本当の自由かもしれない。
わたしは牛になりたい。
でも、牛になるのは難しい。
人間である以上、思考し、悩み、迷う。
それでも、人牛倶忘を思い出すとき、わたしのココロは少し軽くなる。
「本当に必要なものは何か」。
答えはまだ見つからない。
だが、牛の目を見ていると、答えはシンプルなところにある気がする。
相国寺の歴史は、義満の祈りから始まった。寺を世俗の権力を超えた場所にしたかった。
「手放せ」と。「シンプルになれ」と。
牛になりたい。
わたしはまだ牧人の段階で、牛を追いかけている。だが、いつか牛と一体になれる日が来るかもしれない。
その日まで、わたしは牛の目を思い出し、執着を手放す練習を続ける。
草を食み、風を感じ、ただ在る。
それだけでいい。
わたしは牛になりたい。


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