勉強とはなんなのか
随想の稿です。
勉強というのは、
「何かを成すうえで必要となる前提知識と知恵と技術を前もって積み上げる行為」
のことです。
違うよ、という方もおられましょうし定義は業界や立場によってもいろいろでしょうが、基本はこれです。
で。
学校で教育としてなされる「学問」てのは、究極、上記で言う「勉強」が、独力でなんとかやり遂げられるようにするための「準備」なのです。
大学院までいくと専門分野に突っ込んでいくことになりますので、すくなくとも大学までの「学問」においては、そういうことです。
大学までの勉強は、例えれば「家を建てるとか道路を敷設するとか、そういう大きな仕事をする前段階で、すくなくとも日曜大工ぐらいはできるように工具の名前と使い方を覚える」という段階にとても近いです。
なので、そこから一度も工具を使った作業をしなければ、これらの知識は大部分ムダとなります。
実際、学校の学問内容なんて三十すぎたらほとんど忘れてます。
忘れてない分野は、「仕事で使う」分野です。
さて。
ムダとは言いましたが、そのムダのおかげで、たとえば新聞記事の内容に疑問をもてたり、反ワク親露に疑問が持てたり、ホメオパシーなどのエセ医療に爆笑できたり、コメの値段の上がり方に納得できたり社会構造が感情論で変わらないことにしかたないなと思えたり、海外の環境活動家やビーガン信者を鼻で笑えたりします。
逆に、学問を修めてなおこのような活動をしてる人たちは学問をしないで若い時遊びたおしておけば少ない人生の時間を無駄にすることはなかったでしょう。
勉強とはこのように、必要に応じた精神、能動の精神で邁進しないことには壮大な無駄を発生させます。
さて。
また、勉強は、社会に出て詐欺に遭わないためにもした方がよいのです。
その時に手に取る、自分で選ぶ参考書が詐欺のそれではないようにする、まっとうな科学的知見に基づいたしっかりした思考の参考書であるように審美眼、観察眼を養う。
その目的で学問は修めておいた方が有利です。
社会に出る時、就職で有利になるために本来学問が有益になることはほぼない……はずなのですが、やはり「科学的知見に基づいた思考力を鍛えてきました」と言える人と「難しいことはよくわかんねえけどよお……汚いことをしてるやつらはぶったたく、てのが俺のポリシーなのよ!」って言ってる人だとそりゃ前者を採りたくなるのが人事部の人情、てなもんでしょう。
まして、SNSが活発化して詐欺師も容易に情報発信出来るようになりました。
そんな我々に求められるのは、リテラシーそのものというよりは、そのリテラシーの置きどころを間違えない能力と、コンプライアンスそのものというよりは、社会の総体が現在進行系で望んでいるコンプライアンスを履き違えない世渡りの才能、です。
具体的に言うと嫌な奴に映ります、ですが必要な才です。
熊が殺されるニュースに「可哀想」と泣く恋人には同調し寄り添いつつも、役所に抗議の電話をかけるような馬鹿はきちんと見下す。
自分の子供がいじめられていると知った時には敢然と学校組織に立ち向かうが、いじめというものの多重構造から我が子にほんとうに落ち度はなかったのかを探る余裕も持っておく。
そういうようなことであります。
難しい世になりましたが、なんとか生き残ってまいりましょう。
そういう皆さんを、私は応援して行きたいと思っております。
