もう歳を取りたくない話
先日誕生日を迎え,遂に30歳になってしまった。
30歳になるまでには終わると思って、5年前に始めた歯科矯正は終わっていないし、一生隣にいると思っていたパートナーも、今隣にいない。
予定とは随分と違う30歳である。
平日は全国を駆け巡って仕事をし、休日はマッチングアプリや相談所を駆使し、毎週別の男性と会い、一緒に食事をしたり、映画やポケモンGOなど相手の趣味にお邪魔させてもらったり…(聞いてないと思うが、ヤリモクが苦手なのでやましいことは断じてない)
案外充実した日々を送っているような気がする。
しかし、ふとSNSを覗けば、同級生たちの幸せそうなウェディングフォトや「パパ頑張るからね」という一文と共に子どもの写真が多数投稿されていて、そのライフステージの差が胸を抉ってくる。
高校生ぐらいから、周りと自分の生き方の差が、明瞭になる時が来ることを覚悟はしてきたつもり。
しかし、やはりいざその時を迎えると精神的に来るものがあるのだ。
【ゲイである】というか共通項だけで、普段話す機会がないような業界・職種の人と仲良くなれる可能性があり、そう言った人たちと話すのはとても楽しいと思う。
さらに言えばその共通項だけで、全国どこに行っても、友達を作れる可能性があると思うと、かなり得をしている気さえしてくる。
しかしこれは強がりでしかなく、"普通”に生まれ育った人々が羨ましくて仕方ない。
愛した人と結婚して、法的に関係性が認められ、子どもができて、家庭のために身を粉にして働く…
"普通”に生まれ育っていれば、そんな人生があったかもしれない。
(もちろん子どもができなかったり、そんな風に働きたいと思わない人がいることも理解している)
そんなありもしない可能性について、考えてしまう日も少なくない。
RADWIMPSの「筆舌」という曲の歌詞が、30歳を迎えてかなり刺さっているのだが、特に以下の歌詞はブッ刺さる。
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「ただいま」も「おかえり」もない日々が人生の半分以上を占め
「それと引き換えに手にした喜びがあるじゃねぇかよ」なんて言い聞かしたり
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自分も数十年後にこうなっているんじゃないかと思うと、正直怖い。
だからこそ今、マッチングアプリや相談所を使ってパートナーを探している訳だが、ここから歳を重ねるごとに商品価値が下がっていく気がして、焦ってしまう。
3-4つ歳上のゲイに会うことが最近多く、全然悪くないなと思う(自分に言い聞かせる)が、自分がアラサーとも言えない歳になるのが、恐ろしくて堪らず、もう年を取りたくない。
自分を磨き続けて、積極的に出会いの機会を作っていく、それに限ると信じて、アラサーとも言えなくなる日まで足掻いていこうと思う。
▽筆舌はぜひ聴いてみてほしい
