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1818年21歳のシューベルト、ウィーン市内で彼の《イタリア風序曲》が演奏される。

Ouvertüre im italienischen Stile D-Dur D 590

Ouvertüre im italienischen Stile C-Dur D 591

の二曲とも《イタリア風序曲》である。演奏されたのは一曲なので、どちらかである。

【シューベルト】の著者村田氏はD591の可能性がやや高いか‥‥という見解である。

さらにこの演奏会の批評が『ウィーン総合音楽新聞』『総合演劇新聞』『ドレスデン 夕刊』に掲載された。


『総合演劇新聞』には以下のように書かれた。

「第二部は若き作曲家フランツ・シューベルト氏の魅力的な序曲で始められた。われらが尊敬すべきサリエリの弟子である彼は、すでにあらゆる心をも感動させる術を知っている。…彼がふたたび、新しい作品で喜ばせてくれることを望みたい。」(SD)

と書かれている。

作曲家として認められ始めているのだ!!

ちょっと成熟し始めたような大人っぽい曲でもある。
少しコミカルに展開し、まさに彼のやけに大人びた成熟した部分と純真で明るくあけっぴろげな部分の性格のようだ。

こちらはより序曲らしい感じか?

共に魅力のある曲だ。

この演奏会の後では、他の場所でもシューベルトの曲が聴かれるようになっていくのである!

1818年の7月、エステルハージ家に音楽家庭教師として赴くこととなる。
ジェリズという場所である。

スロバキア共和国ニトラ県レヴィツェ郡にある町

シューベルトの父からの重圧からも離れることができた瞬間である。
ジェリズで、バリトンのシェーンシュタイン男爵に紹介されたことは大きな収穫で、彼はフォーグルとともに、重要なシューベルト歌手となる人物で、【美しき水車小屋の娘】D795が捧げられている

フォーグルもそうだが、このシェーンシュタイン男爵もドイツ語で歌えることの喜びを感じていたように思う。

シューベルトは、このジェリズでの生活を気に入り、1824年5月から10月にかけても訪れている。

シューベルトの父からの手紙
「私たちはお前の健康と、お前が伯爵様のお城に雇われたことをほんとうに喜んでいる。お前がこの世で持っているものの中で最も貴い財産であるお前の健康に気を付けておくれ。(…)我々は罪を犯さずに生きる喜びを楽しみ、神に感謝の念をささげることもできる。しかし、苦しみもまた神の恩恵なのだから、悲しみのときも気落ちせずに済むのだ。

悲しみがあっても、気落ちするな、これも神の恩恵だと、気遣っている。
精神的にアップダウンのある若者の一人でもあるシューベルト青年への、距離が離れ、冷静になっている父からである。

顔を見ると、小言も言いたくなる父も、手紙だと…と、モーツァルトの父と同じ構図である。

小さなときより神童と言われてきている人は、親の期待も大きく、その期待の重圧もたいそうなもののようだ。

さて、エステルハージ家の伯爵の二人の娘にピアノを教えているシューベルト。ベートーヴェンの時のように、恋に落ちてしまうのである。
カロリーネのことだ。


カロリーネ・エステルハージ

それ以前にも想い人(テレーゼ)はいたが、シューベルトが稼げるよう待っていたにもかかわらず、待ちきれずに嫁いでしまったのだ。

カロリーネに関して記述が残っている。

シューベルトは
姿の見えるミューズであり、音楽の世界のタッソー、レオノーレ、であった。」と表現した。

シェーンシュタイン男爵も
「ある時、彼女がシューベルトに冗談で、彼からまだ曲を捧げてもらっていないというと、シューベルトは『どうしてですかすべての曲はあなたに捧げられているのです。』と答えた。という…

幻想曲D940 - Wikipedia
カロリーネに捧げられている、4手の連弾の曲である。

Schubert: Fantasy for Piano 4 Hands in F Minor, D. 940: I. Allegro molto moderato –