見出し画像

第四章|僕が僕になる場所

中村さんと出会ったあの日から——

僕の人生は動き出した。
目指すは、ボディビルの大会出場。
選んだ舞台は、「宮城県ジュニアボディビル選手権」
21歳以下の選手が対象のカテゴリーだ。

それまでの僕は、完全な独学。
雑誌やビデオを頼りに、自分なりに工夫して身体を鍛えてきた。
でも、限界はあった。

中村さんの指導が入ったことで、すべてが一変した。
トレーニング、食事、サプリメント——
細部に至るまで、徹底的に叩き込まれた。

さらにもう一人、ゴールドジムのトレーナー・氏家さんもサポートに加わった。
厳しく妥協を許さない中村さんと、静かに寄り添ってくれる氏家さん。
正反対の2人。だけど、どちらが欠けても今の僕はなかった。
この出会いが、僕を“選手”へと導いてくれた。

トレーニングは、5分割の本格ルーティンに。
脚→背中→胸→肩→腕→オフ。
毎日どこかしらの部位を徹底的に追い込む。

特に脚のトレーニングは地獄だった。
吐くまで追い込まれる日も、一度や二度じゃなかった。
トイレで嘔吐して、また戻って、スクワットを続ける。

「これが“選手”の世界か……」
何度も覚悟を試された。

減量に入るまでは、とにかく「デカくする」フェーズ。
身体を大きくするために、食べる、食べる、食べまくった。
タンパク質を中心に、朝から晩まで詰め込む毎日。

ある日の食事メニュー(記憶ベース)

朝:目玉焼き3個+納豆1パック+ご飯大盛り
間食:プロテイン50g+揚げパン
昼:鶏肉200g+ブロッコリー+ご飯大盛り
間食:プロテイン50g+おにぎり1個
トレ後:プロテイン50g+ベーグル1個
夜:鶏肉200g+ブロッコリー+ご飯大盛り
就寝前:プロテイン50g

当時、プロテインは13kgで買っていた。
嘘だろ?と思うけど当時は本当にあったんです。
袋を開けると、まるで砂場(笑)

毎日4~5杯飲んでいたから当然だ。
そして当然、バイト代(牛タン屋)はすべて筋肉に消えていった。

それにしてもこのメニューを見返すと、胸焼けしそうになる(笑)
でも、当時の僕にとっては“当たり前”だった。
学校の昼休み、みんなが学食でカツカレーや生姜焼きを食べる中、
僕はタッパーに詰めた地味な弁当を、黙々と食べていた。

また同じやつ食べてる!
そんなイジリも日常茶飯事。
それでも、大会に出ることは誰にも言えなかった。
いや、言わなかったんじゃない。言えなかったんだ。

笑われるのが怖かったわけじゃない。
ただ、心の奥で**「どうせ理解されない」**と決めつけていたのかもしれない。

それくらい、当時の“筋トレ”は孤独だった。

それには当時の時代背景も、大きかった。
2000年代前半。

筋トレは、まだ「変わり者」のやることだった。
部活動の補助トレーニングとしてやる程度。
筋肉を「見せる」なんて、ナルシスト扱いされて当然だった。

ジムも“大人の空間”だった。
ゴールドジムに通う10代なんて、周りに誰もいなかった。
「ボディビル」という競技は、世間の偏見と誤解に晒された存在だった。

「筋肉バカ」
そんな言葉を、何度言われたかわからない。

当時はSNSもYouTubeもなかった。
情報源は、限られた雑誌やネット掲示板。

世間の“美の基準”は「細身」が主流。
小池徹平、山P、オダギリジョー、妻夫木聡……
華奢で中性的な体型こそ、“オシャレ”で“モテる男”の象徴だった。

それでも、僕は筋トレに夢中だった。

どんな習い事も続かなかった僕が、
初めて「続けたい」と思えたこと。

“筋トレだけは裏切らなかった”。

誰にも理解されなくていい。
バカにされてもいい。
結果で証明すればいい。

そう信じて、周りの視線なんて気にせず、
ただひたすらやり続けた。

そんなある日——
中村さんが言った。

國井くん。今年から、日本で初めて“高校生だけ”の大会が開催されるらしいよ

……高校生だけ? 日本で初めて?

その言葉を聞いた瞬間、鳥肌が立った。

「これだ——!」

全身の血が一気に沸騰するような感覚。
ここしかない、と思った。

この大会こそ、自分を証明する場所だ。
誰にも認められなかった僕が、誰よりも強くなれる場所だ。

その名も——
「第一回 全国高等学校ボディビル選手権」

孤独も、偏見も、全部ひっくるめて。
僕は、ここで「自分」を証明する。

運命の舞台が、いま——動き出す。

いいなと思ったら応援しよう!

國井 裕平 応援よろしくお願い致します!