文章の終焉
文章が好きです。
書くのも読むのも。
小さい頃から本は僕の世界を広げてくれる魔法の道具でした。竜を助けて一緒に冒険したり、動物とお話ししながら世界中を旅したり、特徴的な兄弟がそれぞれの個性を活かして村を救ったり、学校に合わない、けど強い子に会ったり、突如14歳の男の子になって人生をはじめたり。
家と学校とサッカーしかなかった僕の世界は、家と学校とサッカー以外もあるんだって。言葉にはしてなかったけど、そう思ってました。
中学生。よくわからない焦りや急に変わってしまった同級生。勉強。成長。苛立ち。そういうものが自分の中に溜まってきた。苦しかった。当時は「苦しい」ってことさえわからなかったけど。そんなとき、書いてみた。広告の裏。「うるさい!!」だったかな。そんな感じのこと。その時はわからなかったけど、何かが客観的になった瞬間。そこからちょっとずつ書くように。スマホなんてない時代。ガラケーのメールの下書きに、誰に送るわけでもない考えてることを、主に文句を書いていった。誰にも読まれない。けど届けるつもりで。誰かに。
大人になり、mixiやFacebookに長文を書く。たまに。文章が好きだと言ってもらえた。とんでもなく嬉しい。そして意外。自分は自分のためにだけ書いてたから。
いま、書いてる。
1000人以上の人が500円払ってでも読みたいと思ってくれてるのはちょっとした奇跡だ。ありがたさで潰れそうになる。形は違うかもしれないけど、幼き頃の僕が感じたような世界の広さみたいなのを少しでも感じてくれたらそんなに嬉しいことはない。
でも、いま文章は限界を迎えている。
僕の文章って意味ではない。世界中の「文章」って意味だ。
インターネットが当たり前になり、一人が一台最強の端末を手元に置いて、あらゆる媒体の情報を取得できるようになった。高刺激の。目から入るそれらの刺激に「文章」は対抗することができない。今最も興味のあることに無意識に最適化された魔法の箱。僕らはそこから逃れることはできない。
TikTokに代表されるショート動画はこれからも勢いがなくなることはないだろう。その動画の尺が長くなったとしても、それはあくまで超刺激的な2秒の連続。今までの長尺とは意味が異なる。僕らのアテンションは、無刺激の1分に耐えることはできない。
今はまだ「読んできた世代」が現役にいる。でもこれはどこかで変わってしまう。「読んでこなかった世代」がメインになった時、この流れはさらに強まるだろう。今これを読んでくれてる人の比じゃない変化が起こる。
ここまでは既定路線。確定未来。正直わかったふうに語ってますが、こんなの誰でも予想できる未来。単なる論理の積み重ね。だからこそ確実に起こる未来。
そして僕はこの未来を嘆いてない。大きな時代の流れだと思うし、それはそれで新しいコンテンツも生まれる。創作も広がる。いいと思う。ほんとに。
じゃあ「文章」はこのまま、敗北したまま終わってしまうのか?
それは違うと思う。ここだけは否定したい。ここからは僕の仮説で、でも今すでにちょっとだけ実現されてきているのではないかと思っている。
これから先「文章」は、
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