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エッセイ | 「有益さ」という衣を纏て、やるせなさを伝える。

今回はなんらの有益な情報を含みませんので、ご了承ください。

昨夜、友人たちと話していると「昔の文章が好きだった」との声をもらった。だいぶ前からかなりがっつり読んでくれてる方で、エッセイ形式のものを本当に楽しみにして読んでくれていたから、「そりゃそう思うよなぁ」なんて思った。その時は平気だったけど、じわじわといろんなことを考えたので今日はそんな話を。

いま、僕が中心として書いてるのは「有益さ」を前提とした思考体系です。これは、どちらかというと創作以外の部分で身につけた要素が大きくて、そういうものを文章論、特にnote論に特化してまとめていっている。これ自体は「みんなもっと書けばいいのに」ってずっと思ってたから、自分の体験や仮説を伝えていけるのはとても楽しい。楽しくやれている。じゃあ、今まさに読んでもらっているようなエッセイと比べてどうか?と問われると、ううん、、と思わなくはない。

ちょっと話が飛ぶんだけど、昔めちゃくちゃ風水とかに詳しい友達がいて、そういう道に進むんだろうなぁって思ってたら、進んだのは「会計士」だった。「え、なんで?」って聞いたら「一番風水から遠そうなところで、風水の要素入れるのがインパクトあるっしょ」って言ってて、なるほどなぁって思った。風水の世界で風水のこと言うのはある意味で当たり前で、会計や監査の世界で風水のこと言うのはレア。しかも見えないように。数字の影に風水を忍ばせる。こうやって風水の世界を広げていく。しかも唯一無二の存在として。

彼は今も風水が好きで、でも全然表からはそんなふうに見えず、かなりクライアントに寄り添うのがうまいと評判の会計士/税理士としてどんどん偉くなっていった。おそらく彼のおかげで、なんとなく風水に触れている人は増えていったんだと思う。一番遠い人たちまで。


僕はこれを結構意識している。
「有益さ」の衣を纏て、情感を伝える。すでに有名な人ならともかく、まだ、そしていつまでも「何者」でもない僕のエッセイは誰にも読まれない。僕の「現代の文章論」は読まれない。「AI時代の"書く"ということ」も読まれない。当たり前だ。でも、「有益さ」だけあれば、そしてその「有益さ」の確からしさだけあれば、人は僕の文章を読んでくれる。だから、その中に、大きなテーマとは無関係なようなところに、でもその一つ一つに、言葉選びと遊びと揺れた心がしっかり入るようにしている。というかそうじゃないと「有益さ」だけを書き続けるなんて苦しくなっちゃう。そうじゃないんだよ。ただ書きたいだけなんだよ。

このことは批判も集める。

「あーあのnoteね」
「そっちにいっちゃったか」

本人に悪気はないのかもしれないけど、僕の豆腐のようなメンタルはこれで削られていく。違うのに、本当は違うのに!そう言いたいけど、そう言えるような場に立ち会えるわけでもなく、今日もそういう噂話の1つとして消費される。やるせねぇ。

でも、それでもなお続けていくのは、誰からも注目されなくても、誰からも評価されなくても、「ただ書く」という喜びをしっかり知ったからだと思う。誰にも読まれることのない文章を1ヶ月に10万字書けた時。朝起きてPCの前に座り、テーマも何も考えず、ただ書いていく。日々。その時に浮かんだことを。ある時は自分の考えてたことを超えて文字が目の前に生まれていくことに驚きながら。この幸せを知っちゃったから。


少し前まで、「ビジネス」と「創作」をしっかりわけていた。でもちょっとずつビジネス側に創作要素を入れていった。ポエム書いたり、妄想ビジョンつくったり。そういうやつ。だから自分の中では「もう僕にビジネスと創作の境目はないんだ!完全に融合した!」って思ってた。だけど違った。守ってた。自分の中の柔らかい部分を。だから「創作」部分にビジネスを入れるのを無意識にめちゃくちゃ避けてた。なんのことはない、ビジネスに創作要素を塗しただけだった。自分が傷つかない範囲で。

でも今はその逆をやっている。「創作」に「ビジネス」を入れていってる。かなり痛みを伴う。純粋無垢な創作に合理性の塊ビジネスを入れるのは正直ちょっと辛い。だけど、「ただ書く」はもう誰にも無くせないってことがわかったから、僕の創作はいつでも創作として残ってくれるってわかったから、もう大丈夫。だからこそ今自分が最後まで守ってた「文章」というジャンルで、「有益さ」を入れて書いていけてる。ここまで長かった。でも、うん、もう大丈夫だと思う。



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