あの時代がよかったのか悪かったのかはわからないが、強烈ではあった。
思い出話をひとつ。
18歳~20歳にかけて私はある消費者金融の会社に勤めていました。
時代はバブル期の真っ只中。地方なので東京のバブル期の映像ほど華やかではありませんでしたが、それでも今とは違う雰囲気が確かにありました。
あの時代は厳しくもあり、緩くもありましたが、私は特に緩い方を享受していました。
ダメ社員だった
外回りに出るふりをして家に帰りドラクエをしたり、パチンコ屋の駐車場に車を停めて昼寝をしたりしながら、たいていの日はそうやって時間をつぶしてから支店に戻りました。特に誰も何も言いませんでした。今なら即クビです。
一方、飲み会では人一倍張り切っていました。仕事はさぼっても飲み会だけは休まない。飲み会で生きていたようなものです。おかげで先輩社員の皆さんからは本当に可愛がってもらっていました。18歳なんですけどね。
賭けの掟
仕事が終わると応接セットに支店長、支店長代理、係長、私の四人が集まって、トランプで「おいちょかぶ」をするのが日常でした。当然お金を賭けて。
社員旅行の帰り、バスを待つ間も係長とおいちょかぶをして、一方的に負け続けました。係長が「上限なしでいいから負け分を掛けていい」と言うので私はそうしましたがさらに負けが膨らみ、バスが来て時間切れ。数十万円を後払いということで次のボーナスで精算することになりました。なにしろ19歳のボーナスが90万円を超えていました。現金支給なので、その場で係長に抜き取られました。賭けの負けは必ず払う、というのが鉄の掟でした。強烈な思い出です。
支店長にゴルフクラブをもらって、よくコンペに行きました。お金を払った記憶がありません。ただ、お金を掛けずにゴルフをしていたせいか、一向にうまくなりませんでした。
不倫に酔っていたのだろう
当時は不倫なんて当たり前の雰囲気がありました。私がスナックでバラードを歌うと、だいたい泣いている女性社員がいました。誰が誰と、という話は書きませんが、不倫に酔っていたのだろうと思います。昭和の地方のスナックというのは、そういう場所でした。
ある飲み会の席で、新入社員の女性と楽しくデレデレ話していたら、突然パンチパーマに色付き眼鏡の先輩に髪をつかまれて引きずり回されました。「表に出ろ!」と言われた瞬間、酔いが一気に醒めました。覚悟を決めて「わかりました」と立ち上がったら、ほかの数人の社員に止められました。その女性社員が先輩の不倫相手だったと、後から知りました。
勝負師
ときどき、フラッとやってくる客がいました。数千万円を借りて、数日後にきっちり返してきます。支店長がいつも応対して、ふたりで社会情勢について談義していました。私たち若い社員には近づきがたい雰囲気がありました。紙袋に現金6千万円を入れて持って帰る男の背中を、何度か見ました。今思うと株の資金だったのだと思います。勝負師だ。
係長に言えなかったこと
そんな刺激的な時間を過ごしていたものの仕事の方はさっぱりやる気が出ない毎日でしたが、ある時期から急に、自分が支店の経営に何ひとつ貢献できていないことが気持ちに圧し掛かってきました。係長に泣きながら気持ちを吐露して、退職したい旨を伝えました。楽しく過ごしてはいたけれど、このままでいいとは思えなくなったのです。
そして、係長に言えなかった理由がもう一つありました。自分が売っている商品を、身内に売れるか。答えはNOだった。消費者金融の高金利ローンを自分の親や兄弟に勧められるか、考えるまでもありませんでした。これがやる気が出ない理由でもあり、こんな仕事を長くやってはいけないと思いました。
それから30年後、私は部下にこう言うことになります。「最低でも自分の年収分は会社に貢献しなさい」と。
笑っちゃうよね。
我々世代が戦時中の話を聞いて「へー」と思っていたように、今の若者にとってはバブルの話がそれにあたるのかもしれません。遠い昔話です。でも私にとっては、18歳の紛れもないリアルな日常でした。
実はここでは書けないような話もたくさんあります。書ける話だけでもこんな感じですから、書けない話がどれほどのものか(笑)
