子供に「足りなさ」を伝えてしまうとき
あの日、たまたま耳に入ってきた親子の会話が、なぜかずっと残っています。
「やりたいことをさせてあげられなくて、ごめんね」
その言葉は、何か大きな出来事に対してではなかった。
テーマパークに行けないことや、旅行やホテルに泊まる体験ができないこと。
そういった、日常の延長にある“少し特別なこと”に対してだった。
子供はすぐに答えていた。
「私は大丈夫だよ」
「不幸だなんて思ってない」
「この家族でよかったと思ってる」
何度も、何度も。
それでも親は、どこか納得していないように、懺悔の言葉を重ねていた。
そのやりとりを見ているうちに、
子供の表情が少しずつ変わっていくのがわかった。
最後にぽつりと、
「そんなこと言うと、悲しくなってくる」
と、こぼした。
その一言が、とても静かで、でも深く残った。
私は、自分の子供の頃を思い出していた。
決して余裕のある生活ではなかった。
むしろ、今振り返れば厳しい環境だったと思う。
食べるものに困る日もあったし、
身につけるものも整っていたとは言えない。
周りの子と同じような経験は、ほとんどできなかった。
それでも当時の私は、
自分のことを「不幸」だとは思っていなかった。
毎日は、それなりに楽しかったし、
その中で自分なりに過ごしていた。
あとになって、ようやく気づくことはたくさんあった。
でも、それは“大人になってからでも遅くなかった”とも思う。
あのときの親の言葉と、子供の表情が重なったとき、
ひとつだけ感じたことがあった。
子供は、今ある世界の中で生きている。
その中で、自分なりに感じて、受け取っている。
そこに「足りないもの」を言葉で重ねてしまうと、
まだ形になっていない感覚に、輪郭がついてしまうことがあるのかもしれない。
もちろん、どんな親も
「もっとしてあげたい」という気持ちは自然なものだと思う。
でもその気持ちが、
「ごめんね」という言葉に変わったとき、
子供は何を受け取るのだろう。
あの日の子供の表情を思い出すたびに、
そのことを考えるようになった。
人と比べることは、どこかで自然に起きてしまう。
でも、それを言葉にするかどうかは、選べるのかもしれない。
その選び方ひとつで、
同じ日常でも、見え方は少し変わるのかもしれない。
